そしてふたりでワルツを

あっきコタロウ

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外伝(むしろメイン)

異聞八   ゲツトマ冒険記( 神のいる国 編)

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※いつも以上に残酷描写を含みます。
 具体的に言うと今回も人が死にますが、被害者は小児、手にかけるのが大人です。そういった展開が苦手な方はご注意ください。
 ご不安な方は、今話は飛ばしてください。また次回の更新でお会いできますと幸いです。

メイン:ゲツトマ ジャンル:信仰


***



 日射を遮るマントの内側で、ひとすじの汗がトーマスの頬を伝う。
 気温はやや蒸し暑い程度だが、移動は徒歩。否が応でも体温は上昇する。地図によれば次の目的地まではあとすこし。都市か、街か、村か。いずれにせよ、空調設備が整うくらいには発展している場所であれ。

 汗を拭い、歩みをすすめることしばらく。
 最後の目印である丘を登りきって眼下を一望し、トーマスは舌打ちをひとつ。

「チッ」

 高台から見おろした先にあったのは、藁や茅をあつめてつくられたテントのようなものが点在するだけの閑散とした村。これでは到底、空調設備は望めそうにない。
 
 かろうじて許容できる部分をあげるならば、農地が広いことただひとつ。テントの数と比較すると大きすぎるほどの畑が几帳面に整備され、そのどれもに鮮やかな赤い点が浮かんでいる。

 丘をくだり畑に近づいてよく見れば、赤い点は全てトマトの実。色、ツヤ、かたち、おおきさ。どれをとっても最上級の成長を遂げており、今がまさに食べごろという様相。これほど見事なトマトは如何いかなトーマスと言えど滅多にお目にかかれる代物ではない。

 拭えど拭えど滲みだす汗がふたたび頬を濡らす。
 心身に不快感を訴える喉の乾きを癒やそうと、瑞々しいトマトへ手を伸ばした瞬間。
 ふと、ザワつく視線が全身にまとわりついた。

 手をとめて周囲をうかがえば、村の奥側から必死の形相で走り寄ってくる複数人の男女の姿。

 服装から察するに、彼らの職業は皆農夫らしく、シャツ、パンツに手袋、帽子。首にはタオルを巻いている。シャツは長袖、帽子もつば広とはいえ、毎日の作業で日光を防ぎきることは難しいのか、肌は浅黒く髪も色素が落ち掠れた淡い色。おそらく、この畑の関係者達だろう。それほど毎日農作業に従事していれば健康的な肉体をしていても良さそうなものであるが、彼らは一様に骨と皮だけのようにガリガリに痩せていて、走る姿もフラフラと足取りが覚束ず、異様な雰囲気を醸している。

「旅のかたですか? 今、トマトに触れましたか? 触れましたよね?」
「いいえ。触れていません」

 見て分かるものでもなかろうが、両手を胸の前でまわしてみれば、農夫らはそろって「はあ。そうですか」といちだん低いトーンの返答。

「なぜ? 危険物でも付着しているのですか?」

 トーマスの軽い質問に、農夫の集団はおののいた様子で腰を抜かし、次々に叫び声をあげた。

「そんなはずが無いでしょう!」
「トマトへの冒涜ですよ!」
「なんと恐ろしいことを……」
「あなたの血は何色ですか!」

 喧々囂々けんけんごうごうとした非難を諌め、ひとりの男が前に出る。帽子を脱ぎ、祈るように胸にあてると、まぶたを閉じて静かに言った。

「この村ではトマトは神様です。村の守り神なのです。我々人間が触れて良いものではないのですよ」

 戒律により、特定の食物を摂取してはいけない宗教は存在する。知識としてトーマスも心得てはいるが、触れることすら禁忌とされているのは珍しい。

「触れないと農作業も出来ないのでは?」
「素肌で触れてはいけないのです。失礼。旅人さんも手袋をされていますね。先程は少し……興奮してしまって」
「ではあなたがたはこれほどの品質のトマトを、栽培するだけにとどまっていると? 食べたり、他国との貿易に利用したりは?」
「するわけがありません。食べるなんて絶対にありえませんよ」

 男はかく語る。
 人間は皆、トマトから誕生したと。トマトの赤い汁がその証拠。血液は元を辿ればこの赤い汁がトマトより人間の体内に分け与えられたもの。人間は皆トマトの子であり、親であるトマトが人間の生死を左右することはあれど、子である人間がトマトの殺生に関与することはとんでもない冒涜なのであると。

 怒涛の勢いで力説する男に相槌をうつふりをしながら、トーマスはあくびを噛み殺した。

 このぶんでは、村のなかでトマトを食すことはかなわないだろう。
 村びと全員排除してまでどうしてもここでトマトを食べたいというわけでもなく。

 丘上からの眺めでは、一面のトマト畑の他に突出したものもなさそうな、あからさまに貧しそうな村だった。資源といえば広大なトマト畑のみ。村人はやせ衰え科学的発展も遅いことから、人的・知識的価値もさして見いだせず。長居をするのは時間の無駄。
 水と保存食を頂戴してさっさと次の街へ向かうのが得策だと判断をくだそうとしたそのとき。

「大変だー! 大変だ! この子がトマトに触れた! トマトに触れたぞ!」
「何だって!?」

 新たに駆け寄ってきたのは他と同じく痩せ細ったひとりの男。男は無表情に赤子を抱く女の手を引いて、村びとの輪へ放りこんだ。女の腕のなか、赤子はキャッキャと甲高く笑いながら、握り潰したトマトをくちへと運んでいる。
 瞬くまにトマト信仰を説いていた村びと達の目つきが一転。誰も彼もが瞳の奥にギラギラと炎を灯す。

「それはいけない! 即刻浄化の儀を執り行わねば!」

 浄化の儀とは何なのか。興奮しきった村びと達は、もはやトーマスのことなど居ないかのように興味を失い、それよりも、と、いっせいに女の腕から赤子を奪いとろうと飛びかかる。村びとの熱気に押し出され、輪からはじき出されるトーマス。赤子に群がる村びとの背中で、視界が遮られたその瞬間、

「せーの!」

 ゴキッ。

 鈍い音がして、赤子の声がやんだ。

 対比のように、いっそう大きく聞こえる村びと達の声。血抜き、解体、煮込み。どう捻っても調理の方法。

 もういちど、村の全景を思い返せば。わずかに点在する粗末な小屋の他にあったのは、一面のトマト畑のみ。他の作物は見当たらず、家畜を飼っている様子も無し。貿易も行っていない。
 では、ガリガリに痩せ細っているとはいえ、この村びと達が食べているものは?

「こいつらもか」

 不本意ながら見慣れた光景。驚きはしないが、興味も無い。通りすがっただけの村の風習など、まったき対岸の火事である。辟易の息を吐き輪を避けてすすもうとしたトーマスの前。村びとがまわりこみ、行く先を塞いだ。
 
「お待ちください。どこへ行くつもりですか?」
「別の街へ」

 言葉少なな返答を、怯えと受け取ったのか。聞いてもいないのに村びと達は焦ったように口々に弁明しはじめる。

「我々の風習は少し珍しいかもしれませんが、これにはれっきとした理由がありまして」
「まず血抜きという儀式は、赤い汁を大地に返すという由来があります」
「それから、誤って体内に取り込まれたトマトのちからを、取り込んだ人物を食べることで我々に宿し、そして農耕によりトマトに還元するのです。そのために解体、煮込みというプロセスが必要です」
「これは古来より続く神聖な儀式。ご理解いただけますでしょうか」

「よく分かりました。それでは、さような」
「いやー! 助かります! なかなか、外のひとには理解してもらえなくて!」
「ええ。では僕はもう行きますので、道をあけ」
「よろしければ儀式に加わりませんか? 幸い、赤子は柔らかいので、煮込み時間は短くて済みます。すぐに支度が整いますよ」
「結構です。先を急ぐので」
「まぁまぁそう言わずに! いちど食べればやみつきになりますから。あなたもこの村に住みたくなりますよ。ちょうど、働き盛りの男手が足りなくてね」

 無視しようにも、一歩進むごとにまとわりつく村びと達。ついには汚れた手で腕を捕まれ、不快指数は限界に。
 トーマスは絡みつく手を振り払い、空の歪みから鬼を呼ぶ。

「ゲツエイ!」

 揺らぐ空間。裂くは疾風。呼び声に共鳴しバサリと音立つ布の隙。突如その場にあらわれたのは、三日月を思わせる双角の面。
 透明なマント光学迷彩から伸びたかぎ爪と小太刀がトーマスに応え、みるみるうちに周囲を赤く染めあげる。閃く迅雷、悪鬼が如く。ビチャリパチャリと落ちる肉片は潰れたトマトかそれとも神の子ヒトか。

 掴まれた袖口に付着した汚れをトーマスが払い終えたとき、大地は栄養分たっぷりの赤い汁と肥料に塗れ、雨あがりのような泥貯まりと化していた。
 ただひとりその場でまだ息をしているのは、いちばん遠くにいたであろう女。赤黒い地面でへたりこみ、焦点定まらぬ瞳でゆらゆら首を揺らして。
 
「おい。そこの女」
「……はい」
「この国の風習を知らないわけじゃないだろう。なぜ赤子から目を離した?」
「目は離していません。じっと見ていました。あの子がトマトに触れる瞬間もじっと、いちばん近くで」
「……見殺しにしたのか」
 
「いいえ。そんな言いかたはやめてください。私はよくよくあの子には言い聞かせていたんです。トマトに触れてはいけないよと。禁忌を破ったのはあの子の意思です。あの子がみずから決断して儀式を受けようと思ったんです」

 言って理解できる年齢の子どもでは無かっただろうに。喉元まで出かかった言葉を、トーマスは飲み込んだ。言うだけ無駄だ。

 女は他の村びとよりもいっそう痩せ衰えているように見える。産後の栄養がきちんととれていなかったんだろう。
 信仰を捨てれば、腹を満たすものは潤沢にあるように思える。だがそれは外を知るものの見地。女がこの村で生まれ育ち外を知らぬなら、もしかしたらトマトは食物だという認識が無かったのかもしれない。そのかわり、別のものがご馳走に見えていても不思議ではない。

 概念が母性を凌駕した。これはおそらく、そういう事案。

「ふん。もういいぞ。ゲツエイ」

 女の虚ろな目はついぞトーマスを捉えることがないまま。ふたりのあいだに割り込んだ悪鬼により収まるべき穴から引き抜かれ、別の穴のなかで噛み砕かれた。

 窮困する村びとに差し救い伸べる手を持たず、信仰を失った真っ赤な神様。トーマスはそのひとつへうように手を伸ばし、もぎ取って丁寧に拭い、くちにしてみる。瑞々しい赤い汁は甘く喉を潤し、からだじゅうに染み渡ってゆく。
 神の味は、なかなかに美味だ。





 じっとりと熱気がたちのぼるあぜ道。神を喰らった天使が歩く。はためくマントは翼のように、背後に影を引き連れて。

 異聞八 END

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