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本編
第八話 ☆陽炎立つ花束の調べ(1)※
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冬にしては暖かく雲ひとつない清々しい空の下を、特大の花束が歩いてくる。マリクの目にはそう映った。
仕事として債務者を作業現場に送り届けたあとのこと。
例によってセシル邸周辺まで足を運び、指輪の借りを返す機会をうかがっていると、手足の生えた花束が歩いてきたのだ。
「なんっだ、ありゃ」
本数は百を超えそうな大きな花束。運ぶ人物がすっぽり隠れて、どうやって前を見ているのかも怪しい。あまりに奇っ怪、まるで妖怪。
妖怪花束は、聴いたことのないヘンテコな歌を鼻ずさみ、しっかりとした足取りで真っ直ぐにセシル邸の玄関へ。
「おいおいおいおい。待て!」
こんな怪しい奴を黙って見過ごせるわけがない。
呼び止めると、花束の後ろから顔を出したのは、本物の妖怪だと言われても納得できそうな不気味な男。やたらとでかくて筋肉質で、気だるげに背中を丸め、目の下には濃いクマ。そのくせ表情はなぜかニヤついている。
……こんな怪しい奴を黙って見過ごせるわけがない。
「何?」
「お前は誰だ。ここに何の用だ。花屋か?」
スラムなら誰もが恐れおののく威圧声。だが、男に動じる素振りは見えず。
「僕は吾妻ジュンイチ。カミィちゃんに返事をもらいにきたんだ」
「吾妻」
その名を聞いても、すぐにはピンと来なかった。
どこかで聞いたことある名前。
頭のなかで「あがつまじゅんいち」を反芻して、飲み込み――マリクの口から心臓が飛び出した。
「吾妻!? セバスチャンさんのところの吾妻か!?」
「そうだよ」
つい先程、債務者を送り届けてきた作業現場。その仕事を提供している貴族の名前が、まさしくその吾妻だった。
「返事ってのは、何の返事だ?」
「研究に協力してくれるよねって返事」
「研究? 何の?」
「研究テーマは、恋だ」
テーマは、【恋】。
などと言われて、笑い出さなかっただけでも褒められるべきだと思った。
恋。恋だって? 大のおとなの男が、恋の研究? もしかしてこの男、とんでもないバカか?
「……その花は何だよ?」
マリクはかぶりを振って花束を眺める。
よく見ると、束になっている花はすべて薔薇。赤、青、白、ピンク、黒……。ところどころに蕾も混じって。
「薔薇だよ」
「じゃなくて、量の話だよ。多すぎんだろ」
「きみは花言葉を知らないんだね。プロポーズにはこの本数が最適なんだ」
「はぁ? プロポーズ? つまり、簡単に言うと、お前はカミィを好きなわけ? それで、結婚してくれって言いにきたと」
「うん」
「まわりくどいんだよ!」
マリクは勢い良く天を仰いだ。
何をしに来たか尋ねるだけで、えらい時間を食わされた。
「本気かよ」
「もちろん。きみは恋ってしたことある? 恋とは何か。身体的、精神的に異常を来すこの心理状況をどのようにして」
「あーっ! もういい分かった。それ以上寄んな」
気だるげだった態度が一転、興奮して早口に詰め寄られ、マリクはよくよく理解した。
目の前の男は本気だ。本気で恋とやらを研究しようとしている。バカみたいな花束も、本人にとっちゃ大真面目なんだろう。
認めるのは癪だがそれは多分正解だ。花束なんて金にもならない食えもしないもの。けど、きっとカミィは喜ぶであろうもの。
「お前、吾妻ってことは、金持ちか?」
「うん。お金はたくさんある」
「そんならいい。結婚したら、必ずあいつを幸せにしてやるって約束しろ」
「それはそのつもりだよ。でも、なぜきみが約束を迫るの?」
問われて、詰まる。
自分ですら見て見ぬふりをしてきた甘さを、見抜かれた気がして。
認めたくない。直視したくない。ましてや他人に見破られるなどあってはならない。
スラムで生きていくには、冷酷でなければ。情は捨て去れ。甘さは、命取りになる。
「どうだっていいだろそんなこと! あいつには借りがあるから、そんだけだ」
言い聞かせて、マリクは、逃げるように歩き去った。
仕事として債務者を作業現場に送り届けたあとのこと。
例によってセシル邸周辺まで足を運び、指輪の借りを返す機会をうかがっていると、手足の生えた花束が歩いてきたのだ。
「なんっだ、ありゃ」
本数は百を超えそうな大きな花束。運ぶ人物がすっぽり隠れて、どうやって前を見ているのかも怪しい。あまりに奇っ怪、まるで妖怪。
妖怪花束は、聴いたことのないヘンテコな歌を鼻ずさみ、しっかりとした足取りで真っ直ぐにセシル邸の玄関へ。
「おいおいおいおい。待て!」
こんな怪しい奴を黙って見過ごせるわけがない。
呼び止めると、花束の後ろから顔を出したのは、本物の妖怪だと言われても納得できそうな不気味な男。やたらとでかくて筋肉質で、気だるげに背中を丸め、目の下には濃いクマ。そのくせ表情はなぜかニヤついている。
……こんな怪しい奴を黙って見過ごせるわけがない。
「何?」
「お前は誰だ。ここに何の用だ。花屋か?」
スラムなら誰もが恐れおののく威圧声。だが、男に動じる素振りは見えず。
「僕は吾妻ジュンイチ。カミィちゃんに返事をもらいにきたんだ」
「吾妻」
その名を聞いても、すぐにはピンと来なかった。
どこかで聞いたことある名前。
頭のなかで「あがつまじゅんいち」を反芻して、飲み込み――マリクの口から心臓が飛び出した。
「吾妻!? セバスチャンさんのところの吾妻か!?」
「そうだよ」
つい先程、債務者を送り届けてきた作業現場。その仕事を提供している貴族の名前が、まさしくその吾妻だった。
「返事ってのは、何の返事だ?」
「研究に協力してくれるよねって返事」
「研究? 何の?」
「研究テーマは、恋だ」
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などと言われて、笑い出さなかっただけでも褒められるべきだと思った。
恋。恋だって? 大のおとなの男が、恋の研究? もしかしてこの男、とんでもないバカか?
「……その花は何だよ?」
マリクはかぶりを振って花束を眺める。
よく見ると、束になっている花はすべて薔薇。赤、青、白、ピンク、黒……。ところどころに蕾も混じって。
「薔薇だよ」
「じゃなくて、量の話だよ。多すぎんだろ」
「きみは花言葉を知らないんだね。プロポーズにはこの本数が最適なんだ」
「はぁ? プロポーズ? つまり、簡単に言うと、お前はカミィを好きなわけ? それで、結婚してくれって言いにきたと」
「うん」
「まわりくどいんだよ!」
マリクは勢い良く天を仰いだ。
何をしに来たか尋ねるだけで、えらい時間を食わされた。
「本気かよ」
「もちろん。きみは恋ってしたことある? 恋とは何か。身体的、精神的に異常を来すこの心理状況をどのようにして」
「あーっ! もういい分かった。それ以上寄んな」
気だるげだった態度が一転、興奮して早口に詰め寄られ、マリクはよくよく理解した。
目の前の男は本気だ。本気で恋とやらを研究しようとしている。バカみたいな花束も、本人にとっちゃ大真面目なんだろう。
認めるのは癪だがそれは多分正解だ。花束なんて金にもならない食えもしないもの。けど、きっとカミィは喜ぶであろうもの。
「お前、吾妻ってことは、金持ちか?」
「うん。お金はたくさんある」
「そんならいい。結婚したら、必ずあいつを幸せにしてやるって約束しろ」
「それはそのつもりだよ。でも、なぜきみが約束を迫るの?」
問われて、詰まる。
自分ですら見て見ぬふりをしてきた甘さを、見抜かれた気がして。
認めたくない。直視したくない。ましてや他人に見破られるなどあってはならない。
スラムで生きていくには、冷酷でなければ。情は捨て去れ。甘さは、命取りになる。
「どうだっていいだろそんなこと! あいつには借りがあるから、そんだけだ」
言い聞かせて、マリクは、逃げるように歩き去った。
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