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本編
第五話 ☆恋というもの※
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帰宅したジュンイチを迎えたのは、老年近い執事のセバスチャン。
「お飲みものはいかがでしょうか。お茶のご用意ができておりますが」
脇目もふらずに書斎へ篭った主人のためにカートをひけば、「入って」と平坦に許可が降りる。
ドアを開けると、視界いっぱい本の山。書架から溢れて雪崩が起こり、床も見えない雑木林。かろうじてドアからデスクまでのみ、獣道が出来ている。
陶器製の茶器が触れ合う管楽器のような音で埋まる部屋。そこにときおり混じる難しいため息。こんなに悩ましげな主人の姿を見るのははじめて。
「お茶が入りました」
「ありがとう」
透き通った琥珀の液体をひとくちすすって、主人は椅子ごとセバスチャンへ向き直った。
「セバスチャンはさあ、恋って、したことある?」
「恋、でございますか。若い頃には多少の経験はございますが……。どれも苦い思い出と相成りました」
何を切り出すかと身構えれば、恋の話。想定外の質問に面食らう。
「ねえ。恋というものの終着点ってどこなの? 恋という心理現象について研究する。相手に手伝わせて実験する。何かしらの結果が出る。はいそうですか。で、そこで終わり? どの本にもそれで終わりだという記述は無かった。一体何がどうなれば研究終了なの? セバスチャンは知ってる?」
「それはまたずいぶん哲学的でいらっしゃいますね……」
セバスチャンは思案し、あごひげをそっとひとなで。主人はデスクに向かうときだけ着用している眼鏡を外し、黙して続きを待っている。
「これは私の見解でございますが、恋や愛にはそれひとつの終着点など無いのではないでしょうか」
「え? 無いの!? 答えが!?」
幼い頃から研究一辺倒で、物事に必ず解を導き出してきた天才は、「答えが無い」という答えにこそ驚いている様子。
「人が恋をしたときの行動といたしましては、まず、好きだという気持ちを相手に伝えます。そして色よい返事がいただければそのふたりは晴れて恋人同士となるのでございます。それから協力して愛を育んだのちに、結婚。貴族の場合は順番が前後したりも致しますが基本的にはこのような流れでございます。そのうち、子宝に恵まれることもありましょう。そうしますと今度は育児という仕事がはじまります。子どもの成長を見守り……坊っちゃま風に言いますと【観察】でございますかね。それが終わるとまた新たな気持ちでパートナーと余生を過ごすことを考えるのでございます。つまり、終着点とは、人生の終わりと同じことなのではないかと」
話をおとなしく聞き終わった主人は、頭を抱えてワナワナと震え出した。
「なんてことだ……」
パッとあげられた顔に広がっていたのは、珍しい昆虫を発見した幼い子どものような、ワクワクとした輝き。
「衝撃だよ。それはつまり、恋というテーマを選べば、一生飽きること無く研究が続けられるということだね。……すごく……興味がわいたよ。あ、でも」
問題点に気付いたらしいジュンイチはデスクに向き直り、ブツブツ独りごとを言いはじめた。
「それだと良い返事がもらえることが大前提じゃないか。悪い返事だった場合はどうなるんだ。そこで打ち切りということか? 失敗のデータも欲しいところだけど、あの子はひとりしかいないから替えがきかない。良い返事がもらえる確率を高めないと。何をすればいいんだ。資料が足りないな。便利屋のディエゴくんに連絡しよう。明日は本屋へも行こう。心理学と統計学とそれから……」
「恋愛の教本や恋愛小説などもご参考にされてはいかがでしょうか。何と言いましたかな? 最近流行している他国の作家の作品に、科学者の恋愛をえがいたものもあるとか」
進言して、セバスチャンはいつのまにか空になっていたカップを下げて退室。
時刻はすでに、深夜である。
「お飲みものはいかがでしょうか。お茶のご用意ができておりますが」
脇目もふらずに書斎へ篭った主人のためにカートをひけば、「入って」と平坦に許可が降りる。
ドアを開けると、視界いっぱい本の山。書架から溢れて雪崩が起こり、床も見えない雑木林。かろうじてドアからデスクまでのみ、獣道が出来ている。
陶器製の茶器が触れ合う管楽器のような音で埋まる部屋。そこにときおり混じる難しいため息。こんなに悩ましげな主人の姿を見るのははじめて。
「お茶が入りました」
「ありがとう」
透き通った琥珀の液体をひとくちすすって、主人は椅子ごとセバスチャンへ向き直った。
「セバスチャンはさあ、恋って、したことある?」
「恋、でございますか。若い頃には多少の経験はございますが……。どれも苦い思い出と相成りました」
何を切り出すかと身構えれば、恋の話。想定外の質問に面食らう。
「ねえ。恋というものの終着点ってどこなの? 恋という心理現象について研究する。相手に手伝わせて実験する。何かしらの結果が出る。はいそうですか。で、そこで終わり? どの本にもそれで終わりだという記述は無かった。一体何がどうなれば研究終了なの? セバスチャンは知ってる?」
「それはまたずいぶん哲学的でいらっしゃいますね……」
セバスチャンは思案し、あごひげをそっとひとなで。主人はデスクに向かうときだけ着用している眼鏡を外し、黙して続きを待っている。
「これは私の見解でございますが、恋や愛にはそれひとつの終着点など無いのではないでしょうか」
「え? 無いの!? 答えが!?」
幼い頃から研究一辺倒で、物事に必ず解を導き出してきた天才は、「答えが無い」という答えにこそ驚いている様子。
「人が恋をしたときの行動といたしましては、まず、好きだという気持ちを相手に伝えます。そして色よい返事がいただければそのふたりは晴れて恋人同士となるのでございます。それから協力して愛を育んだのちに、結婚。貴族の場合は順番が前後したりも致しますが基本的にはこのような流れでございます。そのうち、子宝に恵まれることもありましょう。そうしますと今度は育児という仕事がはじまります。子どもの成長を見守り……坊っちゃま風に言いますと【観察】でございますかね。それが終わるとまた新たな気持ちでパートナーと余生を過ごすことを考えるのでございます。つまり、終着点とは、人生の終わりと同じことなのではないかと」
話をおとなしく聞き終わった主人は、頭を抱えてワナワナと震え出した。
「なんてことだ……」
パッとあげられた顔に広がっていたのは、珍しい昆虫を発見した幼い子どものような、ワクワクとした輝き。
「衝撃だよ。それはつまり、恋というテーマを選べば、一生飽きること無く研究が続けられるということだね。……すごく……興味がわいたよ。あ、でも」
問題点に気付いたらしいジュンイチはデスクに向き直り、ブツブツ独りごとを言いはじめた。
「それだと良い返事がもらえることが大前提じゃないか。悪い返事だった場合はどうなるんだ。そこで打ち切りということか? 失敗のデータも欲しいところだけど、あの子はひとりしかいないから替えがきかない。良い返事がもらえる確率を高めないと。何をすればいいんだ。資料が足りないな。便利屋のディエゴくんに連絡しよう。明日は本屋へも行こう。心理学と統計学とそれから……」
「恋愛の教本や恋愛小説などもご参考にされてはいかがでしょうか。何と言いましたかな? 最近流行している他国の作家の作品に、科学者の恋愛をえがいたものもあるとか」
進言して、セバスチャンはいつのまにか空になっていたカップを下げて退室。
時刻はすでに、深夜である。
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