6 / 74
本編
第五話 ☆恋というもの※
しおりを挟む
帰宅したジュンイチを迎えたのは、老年近い執事のセバスチャン。
「お飲みものはいかがでしょうか。お茶のご用意ができておりますが」
脇目もふらずに書斎へ篭った主人のためにカートをひけば、「入って」と平坦に許可が降りる。
ドアを開けると、視界いっぱい本の山。書架から溢れて雪崩が起こり、床も見えない雑木林。かろうじてドアからデスクまでのみ、獣道が出来ている。
陶器製の茶器が触れ合う管楽器のような音で埋まる部屋。そこにときおり混じる難しいため息。こんなに悩ましげな主人の姿を見るのははじめて。
「お茶が入りました」
「ありがとう」
透き通った琥珀の液体をひとくちすすって、主人は椅子ごとセバスチャンへ向き直った。
「セバスチャンはさあ、恋って、したことある?」
「恋、でございますか。若い頃には多少の経験はございますが……。どれも苦い思い出と相成りました」
何を切り出すかと身構えれば、恋の話。想定外の質問に面食らう。
「ねえ。恋というものの終着点ってどこなの? 恋という心理現象について研究する。相手に手伝わせて実験する。何かしらの結果が出る。はいそうですか。で、そこで終わり? どの本にもそれで終わりだという記述は無かった。一体何がどうなれば研究終了なの? セバスチャンは知ってる?」
「それはまたずいぶん哲学的でいらっしゃいますね……」
セバスチャンは思案し、あごひげをそっとひとなで。主人はデスクに向かうときだけ着用している眼鏡を外し、黙して続きを待っている。
「これは私の見解でございますが、恋や愛にはそれひとつの終着点など無いのではないでしょうか」
「え? 無いの!? 答えが!?」
幼い頃から研究一辺倒で、物事に必ず解を導き出してきた天才は、「答えが無い」という答えにこそ驚いている様子。
「人が恋をしたときの行動といたしましては、まず、好きだという気持ちを相手に伝えます。そして色よい返事がいただければそのふたりは晴れて恋人同士となるのでございます。それから協力して愛を育んだのちに、結婚。貴族の場合は順番が前後したりも致しますが基本的にはこのような流れでございます。そのうち、子宝に恵まれることもありましょう。そうしますと今度は育児という仕事がはじまります。子どもの成長を見守り……坊っちゃま風に言いますと【観察】でございますかね。それが終わるとまた新たな気持ちでパートナーと余生を過ごすことを考えるのでございます。つまり、終着点とは、人生の終わりと同じことなのではないかと」
話をおとなしく聞き終わった主人は、頭を抱えてワナワナと震え出した。
「なんてことだ……」
パッとあげられた顔に広がっていたのは、珍しい昆虫を発見した幼い子どものような、ワクワクとした輝き。
「衝撃だよ。それはつまり、恋というテーマを選べば、一生飽きること無く研究が続けられるということだね。……すごく……興味がわいたよ。あ、でも」
問題点に気付いたらしいジュンイチはデスクに向き直り、ブツブツ独りごとを言いはじめた。
「それだと良い返事がもらえることが大前提じゃないか。悪い返事だった場合はどうなるんだ。そこで打ち切りということか? 失敗のデータも欲しいところだけど、あの子はひとりしかいないから替えがきかない。良い返事がもらえる確率を高めないと。何をすればいいんだ。資料が足りないな。便利屋のディエゴくんに連絡しよう。明日は本屋へも行こう。心理学と統計学とそれから……」
「恋愛の教本や恋愛小説などもご参考にされてはいかがでしょうか。何と言いましたかな? 最近流行している他国の作家の作品に、科学者の恋愛をえがいたものもあるとか」
進言して、セバスチャンはいつのまにか空になっていたカップを下げて退室。
時刻はすでに、深夜である。
「お飲みものはいかがでしょうか。お茶のご用意ができておりますが」
脇目もふらずに書斎へ篭った主人のためにカートをひけば、「入って」と平坦に許可が降りる。
ドアを開けると、視界いっぱい本の山。書架から溢れて雪崩が起こり、床も見えない雑木林。かろうじてドアからデスクまでのみ、獣道が出来ている。
陶器製の茶器が触れ合う管楽器のような音で埋まる部屋。そこにときおり混じる難しいため息。こんなに悩ましげな主人の姿を見るのははじめて。
「お茶が入りました」
「ありがとう」
透き通った琥珀の液体をひとくちすすって、主人は椅子ごとセバスチャンへ向き直った。
「セバスチャンはさあ、恋って、したことある?」
「恋、でございますか。若い頃には多少の経験はございますが……。どれも苦い思い出と相成りました」
何を切り出すかと身構えれば、恋の話。想定外の質問に面食らう。
「ねえ。恋というものの終着点ってどこなの? 恋という心理現象について研究する。相手に手伝わせて実験する。何かしらの結果が出る。はいそうですか。で、そこで終わり? どの本にもそれで終わりだという記述は無かった。一体何がどうなれば研究終了なの? セバスチャンは知ってる?」
「それはまたずいぶん哲学的でいらっしゃいますね……」
セバスチャンは思案し、あごひげをそっとひとなで。主人はデスクに向かうときだけ着用している眼鏡を外し、黙して続きを待っている。
「これは私の見解でございますが、恋や愛にはそれひとつの終着点など無いのではないでしょうか」
「え? 無いの!? 答えが!?」
幼い頃から研究一辺倒で、物事に必ず解を導き出してきた天才は、「答えが無い」という答えにこそ驚いている様子。
「人が恋をしたときの行動といたしましては、まず、好きだという気持ちを相手に伝えます。そして色よい返事がいただければそのふたりは晴れて恋人同士となるのでございます。それから協力して愛を育んだのちに、結婚。貴族の場合は順番が前後したりも致しますが基本的にはこのような流れでございます。そのうち、子宝に恵まれることもありましょう。そうしますと今度は育児という仕事がはじまります。子どもの成長を見守り……坊っちゃま風に言いますと【観察】でございますかね。それが終わるとまた新たな気持ちでパートナーと余生を過ごすことを考えるのでございます。つまり、終着点とは、人生の終わりと同じことなのではないかと」
話をおとなしく聞き終わった主人は、頭を抱えてワナワナと震え出した。
「なんてことだ……」
パッとあげられた顔に広がっていたのは、珍しい昆虫を発見した幼い子どものような、ワクワクとした輝き。
「衝撃だよ。それはつまり、恋というテーマを選べば、一生飽きること無く研究が続けられるということだね。……すごく……興味がわいたよ。あ、でも」
問題点に気付いたらしいジュンイチはデスクに向き直り、ブツブツ独りごとを言いはじめた。
「それだと良い返事がもらえることが大前提じゃないか。悪い返事だった場合はどうなるんだ。そこで打ち切りということか? 失敗のデータも欲しいところだけど、あの子はひとりしかいないから替えがきかない。良い返事がもらえる確率を高めないと。何をすればいいんだ。資料が足りないな。便利屋のディエゴくんに連絡しよう。明日は本屋へも行こう。心理学と統計学とそれから……」
「恋愛の教本や恋愛小説などもご参考にされてはいかがでしょうか。何と言いましたかな? 最近流行している他国の作家の作品に、科学者の恋愛をえがいたものもあるとか」
進言して、セバスチャンはいつのまにか空になっていたカップを下げて退室。
時刻はすでに、深夜である。
0
お気に入りに追加
169
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【商業企画進行中・取り下げ予定】さようなら、私の初恋。
ごろごろみかん。
ファンタジー
結婚式の夜、私はあなたに殺された。
彼に嫌悪されているのは知っていたけど、でも、殺されるほどだとは思っていなかった。
「誰も、お前なんか必要としていない」
最期の時に言われた言葉。彼に嫌われていても、彼にほかに愛するひとがいても、私は彼の婚約者であることをやめなかった。やめられなかった。私には責務があるから。
だけどそれも、意味のないことだったのだ。
彼に殺されて、気がつけば彼と結婚する半年前に戻っていた。
なぜ時が戻ったのかは分からない。
それでも、ひとつだけ確かなことがある。
あなたは私をいらないと言ったけど──私も、私の人生にあなたはいらない。
私は、私の生きたいように生きます。

命を狙われたお飾り妃の最後の願い
幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】
重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。
イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。
短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。
『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
悪役令嬢は永眠しました
詩海猫
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」
長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。
だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。
ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」
*思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

異世界でリサイクルショップ!俺の高価買取り!
理太郎
ファンタジー
坂木 新はリサイクルショップの店員だ。
ある日、買い取りで査定に不満を持った客に恨みを持たれてしまう。
仕事帰りに襲われて、気が付くと見知らぬ世界のベッドの上だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる