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外伝(むしろメイン)
異聞七 ゲツトマ冒険記( 豪炎の森 編)
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※メイン:ゲツエイ ジャンル:大自然
*********
背の低い枯れた黄色い草が、ひび割れた砂の地面を隠すみたいにたくさん生えている。そんな場所を、ゲツエイは歩いています。群れの仲間と一緒に。
ここは不思議な場所です。横を向いても、後ろを向いても、ずっとまっすぐ遠くまで見ることができます。ときどき、大きな岩や細い木があるだけで、その他には何もありません。人間の言葉で言うと”サバンナ”と呼ぶ場所だと、蜘蛛が教えてくれました。
サバンナ、サクサク。草、サクサク。あの岩は故郷の兄弟に似てる。あっちの木はこんぴゅーたのかたち。たまにそうやって面白いかたちの岩や木を見つけて目印にしながら歩き続けて、しばらく。
そろそろ、まわりがオレンジ色になってきました。空と地面が繋がるところ(これは地平線と呼ぶ)に、もうすぐ太陽が落ちようとしています。太陽が落ちると、夜になります。
そのときです。ふと、鼻の奥が痛くなる匂いがしました。匂いはまだほんの少しですが、前のほうからただよってきます。このまますすむともっと匂いが強くなりそうです。
別の方向に進んだほうが良いのかな? 蜘蛛に相談しようとしたとき、先を歩いていた群れの仲間が突然立ち止まりました。
群れの仲間は、持っていたおぺらぐらすを空飛ぶ袋に放り込み、
「ゲツエイ」
と、一声。
ゲツエイは、自分のからだが見えなくなる”天狗の隠れ蓑(と、蜘蛛が呼ぶマント)”から顔を出し、”ちゃんといるよ”と、群れの仲間に姿を見せます。
「今日はここまでだ。前方に小さな森がある。果物か何か探して来い。あとそのマントを置いて行け」
群れの仲間はおなかがすいたようです。ゲツエイの目にはまだ森は見えませんが、群れの仲間が言うならきっとこの先に森があるはずです。ゲツエイはこくりとうなずき、隠れ蓑を置いてさっそく駆けだします。
ところが、
『ゲツエイ、ちょっと待つさ!』
服のなかから蜘蛛が飛び出して、大きく声をあげました。
『どうしたの?』
ゲツエイがたずねます。
『この先の森、なんかちょっと変な!』
『そういえばさっき、なんだかツンとする匂いがしたよ。森からかな?』
『オイラはその匂いは分からないけど……この先の一帯、蜘蛛がいない』
蜘蛛はいつも”ネットワーク”によって世界中の蜘蛛の仲間達と話をしていると言います。蜘蛛といういきものがいる場所なら、世界中どことでもやりとりができるそう。だから蜘蛛は物知りで、行く先や、周囲に何があるかを教えてくれたり、狩りで死角から来る攻撃を見張ってくれたり。ゲツエイは旅のあいだじゅう、何度も助けられてきました。
『トーマスの持ってた地図によれば、この先に森があって、その向こうには人間の住む場所があるみたいだけど……この森一帯、ぽっかりと穴があいたみたいに、ネットワークに反応が無いんな』
『どうして?』
『んー。もう少し先の地域の蜘蛛に聞いてみるな』
蜘蛛はぴょんとゲツエイの肩に飛び乗ったあと、お尻から糸を出し、それをじょうずにいちばん前の足ですくいました。右と左の前足のあいだに、たるみ無く張られたいっぽんの糸。それを使って、蜘蛛は遠くの仲間と話をするのです。
ピ、ピン、ピン。ピ、ピ、ピ、ピ。ピン、ピ、ピン、ピン――。
蜘蛛が糸を触肢ではじくと、その振動は目に見えない波となって空気を伝い、いくつもの中継地点を経て、遠くの蜘蛛に届きます。
しばらくすると、今度は触れていないのに、蜘蛛の糸が震えました。遠くの蜘蛛から送られた振動が、返事としてこちらに届いたのです。
『なるほど。ちょっとややこしいことになってるみたいな。森のなかに蜘蛛がいないのは、避難してるからさ』
『逃げてるの? 何から?』
『ひとことで説明するのは難しいけど……しいて言うなら、戦争さ』
『僕はどうすればいい?』
『地形的に迂回は無理だし、このまま行くしかないな。森の外からの情報を受け取ることはできるけど、森のなかで起きることはオイラにも分からない。いつもみたいにはサポートできないから、気をつけて行くさ』
分かった。とうなずいて、ゲツエイは警戒しつつ森へ。
森に踏み込むと、さきほどから漂っていた変な匂いが、なんだか強くなったよう。やはり匂いの元はこの森のようです。
ゲツエイは、群れの仲間に頼まれた果物を探しながらゆっくりと足をすすめます。注意深くあたりの音を聞いていると、風が草木をゆらす音に混じって、動物の走る音が聞こえてきます。その音がだんだん近づいてきて、ゲツエイは身構えました。
そして。
「ガルルルル! ガウ! ガウ! ガウ!」
ひどく怒った声とともにゲツエイの前にあらわれたのは、山犬に似たどうぶつの一団。黄色と黒と白の模様がまざる、丸い耳の犬です。
『ガウ! バウワウ、ウーガルウ!』
群れのリーダーらしきいっぴきの犬が、牙をむき出して吠えました。後ろにいる犬達も、今にも飛びかかってきそうな敵意溢れる目つき。仕方なくゲツエイは小太刀に手をかけながら、慎重に言葉を選びます。
『また? 僕がここに来たのははじめてだよ』
『何っ……!?』
ゲツエイがこたえると、犬達は一斉にどよめきました。ガウガウ、キャンキャン。あとずさるもの、前へ出るもの。反応は様々です。
『お前、人間のくせに俺達の言葉が分かるのか!?』
『僕、種族はニンゲンだけど、犬だよ。ほら見て、きみ達と色は違うけど、顔に模様だってあるし、頭に尻尾もあるんだよ』
ゲツエイはジャンプして、その場でくるりと空中回転。頭のさきで結んだ髪が、尻尾のようにひらりふわり。
『本当に、人間の味方じゃないんだな? 嘘をついたら、食い殺してやるぞ!』
鋭く尖ったリーダーの牙がギリギリと割れそうな音をたてます。そこで蜘蛛がゲツエイの服のあいだからぴょんと飛び出し、
『大丈夫! ゲツエイはちゃんと犬な! オイラが保証するさ!』
『蜘蛛も一緒なのか。俺達や蜘蛛と会話ができる人間はたしかに聞いたことが無いな……』
『そそ。オイラ達、果物を分けてほしくて来ただけな。採ったらすぐに出てくし、あんた達の縄張りにお邪魔するつもりは無いな。ちょっとだけ見逃してほしいさ』
『ふむ……。ならはやく用を済ませて出ていけ。今はお前たちに構っている暇は無い。ただし、少しでも怪しい素振りをしたら食い殺すぞ』
まだ低くうなりながらも、リーダーはゆっくりと牙をしまいました。一応納得はしてくれたようです。群れから向けられていた敵意も消えて、ゲツエイも安心です。
『じゃ、できるだけはやく出てくから、果物のある場所へ案内してほしいさ』
『仕方ない。間違って縄張りをウロつかれても困るからな。ついてこい』
森のなか。ゲツエイは犬の一団に囲まれて歩きます。先頭はリーダー。
あまり動物が通らない道を選んですすんでいるのか、道は細く、踏み固められてもいません。犬達だけでなく、他の動物の縄張りにも踏み込まないルートを教えてくれているようです。
『よし、このあたりの果物なら持って行っていいぞ』
ぐにゃぐにゃと回り道をたくさんしてたどりついたところには、黄色や緑の果物がなる木がありました。ゲツエイはさっそく木にのぼって食べごろの果物を選びます。犬のリーダーは木のしたに座って、ゲツエイを見張っています。
『お前達はどこから来たんだ?』
『遠いところ。オイラ達は旅をしてるさ。もういっぴき仲間を連れて、明日にはここを抜けるつもり。今夜は森の外で過ごすから、アンタ達に迷惑はかけないな!』
『なぜ森を抜けるんだ? この先は人間の住む場所だぞ』
『それで良いんな。オイラ人間の味方じゃないけど、別に敵でもない。オイラの目的は、いろんなものを見てまわること。旅は楽しいな。人間と一緒に旅をする蜘蛛は珍しいから、蜘蛛仲間との会話もはずむさ!』
『僕は群れの仲間がそっちに行きたいって言うからついていくんだ。エサが多いから狩りがしやすいよ』
『そうか。お前達の群れは、犬のお前と、蜘蛛と、さっき言ってたもういっぴきだけなんだな。群れが小さいと、狩りが大変なのはよく分かる。群れが大きくなれば仲間同士で助け合えるからな。その分、多くのエサが必要にもなるが……』
ちょうど良い量の果物を採り終わり、ゲツエイは木のうえから地面へとジャンプ。音をたてず静かに、リーダーの横へしなやかに着地。
すると、
『しゅごーい! あんな高いところから飛び降りて、音がしないの? どうやるの?』
と、群れのなかから数匹の子犬が飛び出してゲツエイを囲みました。
『肉球見せて!』『尻尾長いね』『でもからだの毛は少ないね』
子犬はゲツエイのまわりをウロウロと、円を描くようにまわりながらだんだん近づいてきます。近くまでくると、においを嗅ぎ、手や足にからだを擦り付けてきました。子犬達の尻尾は、ちぎれそうなくらいにブンブン暴れまわっています。
『あっ、こら。お前達! 遊びに来たんじゃないぞ!』
子ども達を叱るリーダーを制して、ゲツエイは子犬達と同じくらいまで目線をさげ、鼻を相手のおしりに押し付けました。すぐに子犬達もゲツエイに鼻を押し付け、これであいさつは終了。
さあ遊ぼう!
ゲツエイと子犬達は、木のしたでくるくると駆け回りはじめました。子犬を追いかけて、タッチ! 今度は子犬がゲツエイを追いかけて、タッチ! もういちどゲツエイが子犬を追いかけて、ストップ! 反対まわりでバア! 正面から飛びつきあい、ついには地面に転がって泥だらけ。
こんな風に犬の遊びをしたのは、故郷から海を渡って以来、はじめてです。今の群れの仲間はゲツエイが噛み付いたり飛びついたりすると嫌がりますし、もちろん噛みつき返してもくれません。
子犬達と遊んでいると、ゲツエイは自分がまだ子犬だった頃を思い出し、とても懐かしい気持ちになりました。
少し疲れて休憩する子犬に寄りかかり、ひっくりかえしてお腹をくすぐると、ワフワフ可愛い笑い声があがります。お礼に子犬達はゲツエイの尻尾を毛づくろい。小さく編んだ首元の毛を優しく噛み噛みしたり、長い尻尾の部分を毛並みにそって舐めてくれます。
『すまんな。最近このあたりは物騒で、子ども達をあまり自由に遊ばせてなくて退屈していたようだ』
ゲツエイが子ども達と遊んでいるのを見て、リーダーは少し申し訳なさそうです。
『僕、とっても楽しいよ! ねぇ、今度はあっちのほうまで駆けっこを』
『ゲツエイ! もうじゅうぶんな? はやく戻らないとトーマスがお腹すかしてるさ』
『あ、うん。そうだったね』
もっともっと遊びたいゲツエイでしたが、やっぱり一番大切なのは今の群れの仲間です。ゲツエイはもうおとなの犬ですから、自分の遊びたい気持ちばかりを優先してはいけません。それでは群れの生活はうまくいかないことを、知っているのです。
せっかく少し仲良くなれた子犬達でしたが、ここでひとまずお別れです。もしかしたら明日、森を抜けるときにもういちど会えるかも。お楽しみはとっておくことにしましょう。
『じゃあ、オイラ達はもう行くさ! さよなら!』
犬達に背をむけて、ゲツエイは来た道を駆け戻ります。耳元では、蜘蛛が小さな声で、
『ゲツエイ、急いで! はやく森から出て! ちょっと長居しすぎたかもしれない』
『そんなに急いでどうするの? 群れの仲間に、危険が迫ってる?』
『ううん、そうじゃなくて……あっ!』
ちょうどゲツエイが森を抜けようかというそのときです。
ゴウ、という熱い熱い風が背中から頬を撫で、ゲツエイは振り返りました。
視界いっぱいに広がる赤。赤。赤。赤。赤。
森が、燃えています。
『ふぅ。ギリギリだったさ』
立ち止まったゲツエイの肩口で、蜘蛛が安堵のため息。
『どうして……?』
『人間の仕業! 森を燃やすつもりで、火の勢いを強くする液体を撒いてたらしいさ! 何日もかけて広範囲に。ゲツエイが嗅いだ変な匂いは、きっとそれな!』
蜘蛛の言葉を証明するように、話をしているあいだにも、火の強さと範囲はどんどんと広がって。火は炎に。炎は豪炎に。水分を含むはずの木も、草も、そしていきものも。全部燃やし尽くしてしまえというように。
『知ってたの?』
『森にはいる直前に、外に避難した蜘蛛から聞いたな! 森が燃えるのを知ったから、蜘蛛達は逃げ出したんだって』
『これが、戦争?』
『うん。縄張りをかけた戦争な! 人間は森を燃やして、エサをとるための農地とか、居住地とか、そういう人間の縄張りを広げるつもりらしい。動物も自分達の縄張りを守るために、液体を撒きに来る人間を何度も襲ってたんだって。そうやってお互いに殺し合ってたみたい。でもこの縄張り争いももう終わり。人間の勝ちな!』
『また明日ねって言ってお別れしたのに。残念だな。犬達、死んじゃったかな?』
『この炎の量と勢いじゃ、きっと生き残れないさ! 仕方ないね。明日も生きてる保証なんて、誰にだってないな! ほら、あそこにいるあいつだって』
蜘蛛が指す先には、いっぴきの人間が立っていました。
『火をつけたのは、あの人間?』
『仲間からの情報によると、そうな! よかったな、ゲツエイ! 自分の夕飯も手にはいるじゃん!』
『そうだね。採った果物は全部群れの仲間にあげて、僕は肉を食べるよ』
人間はエサを増やすために戦争をして勝利しましたが、より強いもののエサになることもまた自然の摂理です。
ゲツエイは、豪炎の森を見つめる人間のうしろから静かに近づきます。音をたてないように、膝のちからを抜いてそっと。
肉球が無いかわりに、ゲツエイは骨と筋肉をじょうずに使って足音を消して歩けます。肉球が無いかわりに、ゲツエイは靴をはきます。肉球が無いかわりに、ゲツエイは高いところから飛び降りるときにうまく関節をバネにします。
肉球が無くたって、ゲツエイはきちんと動物として狩りが出来ます。
ドス。ビチャ。ドサリ。
こうして、燃える森の前。立っている影は、ひとのかたちをした獣の影ひとつきり。
「アオオオン! アオオオン!!」
どんなに遠吠えても、どこからも声はかえってきません。聞こえてくるのは、ゴウゴウという炎の音だけ。
いつもは気持ちよくてずっとやっていたいくらい大好きな狩りですが、今日はなんだか、はやく戻って月を見たい気分です。月はいつも同じように輝いて、故郷で兄弟達といっしょに遠吠えをしたあのウズウズする感じをくれるから。
ゲツエイはエサを手際よく解体して服のすきまに詰め、群れへの帰還を急ぎました。
異聞七 END
*********
背の低い枯れた黄色い草が、ひび割れた砂の地面を隠すみたいにたくさん生えている。そんな場所を、ゲツエイは歩いています。群れの仲間と一緒に。
ここは不思議な場所です。横を向いても、後ろを向いても、ずっとまっすぐ遠くまで見ることができます。ときどき、大きな岩や細い木があるだけで、その他には何もありません。人間の言葉で言うと”サバンナ”と呼ぶ場所だと、蜘蛛が教えてくれました。
サバンナ、サクサク。草、サクサク。あの岩は故郷の兄弟に似てる。あっちの木はこんぴゅーたのかたち。たまにそうやって面白いかたちの岩や木を見つけて目印にしながら歩き続けて、しばらく。
そろそろ、まわりがオレンジ色になってきました。空と地面が繋がるところ(これは地平線と呼ぶ)に、もうすぐ太陽が落ちようとしています。太陽が落ちると、夜になります。
そのときです。ふと、鼻の奥が痛くなる匂いがしました。匂いはまだほんの少しですが、前のほうからただよってきます。このまますすむともっと匂いが強くなりそうです。
別の方向に進んだほうが良いのかな? 蜘蛛に相談しようとしたとき、先を歩いていた群れの仲間が突然立ち止まりました。
群れの仲間は、持っていたおぺらぐらすを空飛ぶ袋に放り込み、
「ゲツエイ」
と、一声。
ゲツエイは、自分のからだが見えなくなる”天狗の隠れ蓑(と、蜘蛛が呼ぶマント)”から顔を出し、”ちゃんといるよ”と、群れの仲間に姿を見せます。
「今日はここまでだ。前方に小さな森がある。果物か何か探して来い。あとそのマントを置いて行け」
群れの仲間はおなかがすいたようです。ゲツエイの目にはまだ森は見えませんが、群れの仲間が言うならきっとこの先に森があるはずです。ゲツエイはこくりとうなずき、隠れ蓑を置いてさっそく駆けだします。
ところが、
『ゲツエイ、ちょっと待つさ!』
服のなかから蜘蛛が飛び出して、大きく声をあげました。
『どうしたの?』
ゲツエイがたずねます。
『この先の森、なんかちょっと変な!』
『そういえばさっき、なんだかツンとする匂いがしたよ。森からかな?』
『オイラはその匂いは分からないけど……この先の一帯、蜘蛛がいない』
蜘蛛はいつも”ネットワーク”によって世界中の蜘蛛の仲間達と話をしていると言います。蜘蛛といういきものがいる場所なら、世界中どことでもやりとりができるそう。だから蜘蛛は物知りで、行く先や、周囲に何があるかを教えてくれたり、狩りで死角から来る攻撃を見張ってくれたり。ゲツエイは旅のあいだじゅう、何度も助けられてきました。
『トーマスの持ってた地図によれば、この先に森があって、その向こうには人間の住む場所があるみたいだけど……この森一帯、ぽっかりと穴があいたみたいに、ネットワークに反応が無いんな』
『どうして?』
『んー。もう少し先の地域の蜘蛛に聞いてみるな』
蜘蛛はぴょんとゲツエイの肩に飛び乗ったあと、お尻から糸を出し、それをじょうずにいちばん前の足ですくいました。右と左の前足のあいだに、たるみ無く張られたいっぽんの糸。それを使って、蜘蛛は遠くの仲間と話をするのです。
ピ、ピン、ピン。ピ、ピ、ピ、ピ。ピン、ピ、ピン、ピン――。
蜘蛛が糸を触肢ではじくと、その振動は目に見えない波となって空気を伝い、いくつもの中継地点を経て、遠くの蜘蛛に届きます。
しばらくすると、今度は触れていないのに、蜘蛛の糸が震えました。遠くの蜘蛛から送られた振動が、返事としてこちらに届いたのです。
『なるほど。ちょっとややこしいことになってるみたいな。森のなかに蜘蛛がいないのは、避難してるからさ』
『逃げてるの? 何から?』
『ひとことで説明するのは難しいけど……しいて言うなら、戦争さ』
『僕はどうすればいい?』
『地形的に迂回は無理だし、このまま行くしかないな。森の外からの情報を受け取ることはできるけど、森のなかで起きることはオイラにも分からない。いつもみたいにはサポートできないから、気をつけて行くさ』
分かった。とうなずいて、ゲツエイは警戒しつつ森へ。
森に踏み込むと、さきほどから漂っていた変な匂いが、なんだか強くなったよう。やはり匂いの元はこの森のようです。
ゲツエイは、群れの仲間に頼まれた果物を探しながらゆっくりと足をすすめます。注意深くあたりの音を聞いていると、風が草木をゆらす音に混じって、動物の走る音が聞こえてきます。その音がだんだん近づいてきて、ゲツエイは身構えました。
そして。
「ガルルルル! ガウ! ガウ! ガウ!」
ひどく怒った声とともにゲツエイの前にあらわれたのは、山犬に似たどうぶつの一団。黄色と黒と白の模様がまざる、丸い耳の犬です。
『ガウ! バウワウ、ウーガルウ!』
群れのリーダーらしきいっぴきの犬が、牙をむき出して吠えました。後ろにいる犬達も、今にも飛びかかってきそうな敵意溢れる目つき。仕方なくゲツエイは小太刀に手をかけながら、慎重に言葉を選びます。
『また? 僕がここに来たのははじめてだよ』
『何っ……!?』
ゲツエイがこたえると、犬達は一斉にどよめきました。ガウガウ、キャンキャン。あとずさるもの、前へ出るもの。反応は様々です。
『お前、人間のくせに俺達の言葉が分かるのか!?』
『僕、種族はニンゲンだけど、犬だよ。ほら見て、きみ達と色は違うけど、顔に模様だってあるし、頭に尻尾もあるんだよ』
ゲツエイはジャンプして、その場でくるりと空中回転。頭のさきで結んだ髪が、尻尾のようにひらりふわり。
『本当に、人間の味方じゃないんだな? 嘘をついたら、食い殺してやるぞ!』
鋭く尖ったリーダーの牙がギリギリと割れそうな音をたてます。そこで蜘蛛がゲツエイの服のあいだからぴょんと飛び出し、
『大丈夫! ゲツエイはちゃんと犬な! オイラが保証するさ!』
『蜘蛛も一緒なのか。俺達や蜘蛛と会話ができる人間はたしかに聞いたことが無いな……』
『そそ。オイラ達、果物を分けてほしくて来ただけな。採ったらすぐに出てくし、あんた達の縄張りにお邪魔するつもりは無いな。ちょっとだけ見逃してほしいさ』
『ふむ……。ならはやく用を済ませて出ていけ。今はお前たちに構っている暇は無い。ただし、少しでも怪しい素振りをしたら食い殺すぞ』
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『じゃ、できるだけはやく出てくから、果物のある場所へ案内してほしいさ』
『仕方ない。間違って縄張りをウロつかれても困るからな。ついてこい』
森のなか。ゲツエイは犬の一団に囲まれて歩きます。先頭はリーダー。
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『僕は群れの仲間がそっちに行きたいって言うからついていくんだ。エサが多いから狩りがしやすいよ』
『そうか。お前達の群れは、犬のお前と、蜘蛛と、さっき言ってたもういっぴきだけなんだな。群れが小さいと、狩りが大変なのはよく分かる。群れが大きくなれば仲間同士で助け合えるからな。その分、多くのエサが必要にもなるが……』
ちょうど良い量の果物を採り終わり、ゲツエイは木のうえから地面へとジャンプ。音をたてず静かに、リーダーの横へしなやかに着地。
すると、
『しゅごーい! あんな高いところから飛び降りて、音がしないの? どうやるの?』
と、群れのなかから数匹の子犬が飛び出してゲツエイを囲みました。
『肉球見せて!』『尻尾長いね』『でもからだの毛は少ないね』
子犬はゲツエイのまわりをウロウロと、円を描くようにまわりながらだんだん近づいてきます。近くまでくると、においを嗅ぎ、手や足にからだを擦り付けてきました。子犬達の尻尾は、ちぎれそうなくらいにブンブン暴れまわっています。
『あっ、こら。お前達! 遊びに来たんじゃないぞ!』
子ども達を叱るリーダーを制して、ゲツエイは子犬達と同じくらいまで目線をさげ、鼻を相手のおしりに押し付けました。すぐに子犬達もゲツエイに鼻を押し付け、これであいさつは終了。
さあ遊ぼう!
ゲツエイと子犬達は、木のしたでくるくると駆け回りはじめました。子犬を追いかけて、タッチ! 今度は子犬がゲツエイを追いかけて、タッチ! もういちどゲツエイが子犬を追いかけて、ストップ! 反対まわりでバア! 正面から飛びつきあい、ついには地面に転がって泥だらけ。
こんな風に犬の遊びをしたのは、故郷から海を渡って以来、はじめてです。今の群れの仲間はゲツエイが噛み付いたり飛びついたりすると嫌がりますし、もちろん噛みつき返してもくれません。
子犬達と遊んでいると、ゲツエイは自分がまだ子犬だった頃を思い出し、とても懐かしい気持ちになりました。
少し疲れて休憩する子犬に寄りかかり、ひっくりかえしてお腹をくすぐると、ワフワフ可愛い笑い声があがります。お礼に子犬達はゲツエイの尻尾を毛づくろい。小さく編んだ首元の毛を優しく噛み噛みしたり、長い尻尾の部分を毛並みにそって舐めてくれます。
『すまんな。最近このあたりは物騒で、子ども達をあまり自由に遊ばせてなくて退屈していたようだ』
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『僕、とっても楽しいよ! ねぇ、今度はあっちのほうまで駆けっこを』
『ゲツエイ! もうじゅうぶんな? はやく戻らないとトーマスがお腹すかしてるさ』
『あ、うん。そうだったね』
もっともっと遊びたいゲツエイでしたが、やっぱり一番大切なのは今の群れの仲間です。ゲツエイはもうおとなの犬ですから、自分の遊びたい気持ちばかりを優先してはいけません。それでは群れの生活はうまくいかないことを、知っているのです。
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『ふぅ。ギリギリだったさ』
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『どうして……?』
『人間の仕業! 森を燃やすつもりで、火の勢いを強くする液体を撒いてたらしいさ! 何日もかけて広範囲に。ゲツエイが嗅いだ変な匂いは、きっとそれな!』
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『知ってたの?』
『森にはいる直前に、外に避難した蜘蛛から聞いたな! 森が燃えるのを知ったから、蜘蛛達は逃げ出したんだって』
『これが、戦争?』
『うん。縄張りをかけた戦争な! 人間は森を燃やして、エサをとるための農地とか、居住地とか、そういう人間の縄張りを広げるつもりらしい。動物も自分達の縄張りを守るために、液体を撒きに来る人間を何度も襲ってたんだって。そうやってお互いに殺し合ってたみたい。でもこの縄張り争いももう終わり。人間の勝ちな!』
『また明日ねって言ってお別れしたのに。残念だな。犬達、死んじゃったかな?』
『この炎の量と勢いじゃ、きっと生き残れないさ! 仕方ないね。明日も生きてる保証なんて、誰にだってないな! ほら、あそこにいるあいつだって』
蜘蛛が指す先には、いっぴきの人間が立っていました。
『火をつけたのは、あの人間?』
『仲間からの情報によると、そうな! よかったな、ゲツエイ! 自分の夕飯も手にはいるじゃん!』
『そうだね。採った果物は全部群れの仲間にあげて、僕は肉を食べるよ』
人間はエサを増やすために戦争をして勝利しましたが、より強いもののエサになることもまた自然の摂理です。
ゲツエイは、豪炎の森を見つめる人間のうしろから静かに近づきます。音をたてないように、膝のちからを抜いてそっと。
肉球が無いかわりに、ゲツエイは骨と筋肉をじょうずに使って足音を消して歩けます。肉球が無いかわりに、ゲツエイは靴をはきます。肉球が無いかわりに、ゲツエイは高いところから飛び降りるときにうまく関節をバネにします。
肉球が無くたって、ゲツエイはきちんと動物として狩りが出来ます。
ドス。ビチャ。ドサリ。
こうして、燃える森の前。立っている影は、ひとのかたちをした獣の影ひとつきり。
「アオオオン! アオオオン!!」
どんなに遠吠えても、どこからも声はかえってきません。聞こえてくるのは、ゴウゴウという炎の音だけ。
いつもは気持ちよくてずっとやっていたいくらい大好きな狩りですが、今日はなんだか、はやく戻って月を見たい気分です。月はいつも同じように輝いて、故郷で兄弟達といっしょに遠吠えをしたあのウズウズする感じをくれるから。
ゲツエイはエサを手際よく解体して服のすきまに詰め、群れへの帰還を急ぎました。
異聞七 END
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