そしてふたりでワルツを

あっきコタロウ

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外伝(むしろメイン)

番外六   信じたはなし

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※メイン:ほくろの男 ジャンル: 50:50

*********


「うんこちんちんー!」

 あまりに素直な子どもの声が響くのは、やや殺風景で手狭な土地。敷地内の建物から男がひとり歩み出たのを見つけ、泥まみれの少年が大声をあげた。

「わぁっ、神父様だ! ビーム! おでこのほくろからビームが出るぞ! 逃げろー!」

 神父と呼ばれた男は少年のからかいに特に怒るでもなく、慈愛に満ちた笑顔を浮かべている。寝食をともにする少年少女達の言葉に、悪意がないことを承知しているのだ。

 彼らはここ、”教会”で暮らしている。

 教会。
 その団体、および建物は、オフィーリア国においてふたつの顔を持っている。

 ひとつは、運命の女神を信仰する宗教的シンボルとして。
 もうひとつは、身寄りの無い子どもを保護する団体として。

 住み込みで従事しなければならない神父と呼ばれる職業は、衣食住こそ業務上で賄われるとはいえ、満足な給金は得られず。神父ではない通いの職員に至っては完全にボランティア。ゆえに、教会の運営において、人件費はほぼ発生しない。

 にも関わらず、教会は決して裕福ではない。なぜならこの団体は、”女神様のお導き”によってのみ存続しているからだ。

 お導き。それは、女神様を尊ぶ人々の善意や信仰心。
 善意と信仰心は、おもに寄付や施しという、目に見えるかたちに変えられて教会へ寄せられる。受け取った目にみえるものを、子どもの保護別の善意施設の管理信仰に使用し、感謝を祈りに変えて女神様へと届けるのが教会のあるべき姿。

 こういった理念のため、教会の懐事情は社会情勢に大きく左右される。
 信仰心を持つものに金銭的余裕があればよりたくさんの”お導き”が巡り来て、世に冷たい風が吹けば当然”お導き”も減ることになる。不足・・の事態は常に想定して暮らしていかなければならない。贅沢をする余裕は、とても持てるものではなかった。

 それでも、ここで暮らす子ども達は不満をもらしたりはせず、古びた遊具がほんの少ししか設置されていない狭い裏庭を本日も楽しそうに駆け回っている。――ただひとりをのぞいて。


「みなさん、もうすぐ昼食の時間ですよ。手を洗って食堂へ行きなさい」
「わーいやったー! お腹すいたー!」

 神父の呼びかけで、裏庭で遊んでいた子どもたちは我先にと寄宿舎へ。賑やかな足音が建物内部へ消えて行き、静まりかえった裏庭に、ぽつん。
 少年がひとり残り、神父に背をむけてうずくまっていた。

「聞こえませんでしたか? 昼食の時間です。食堂へ行きましょう」
 神父はつとめて優しい声色をつくりだし、少年の肩に手を伸ばす。しかし。

「いらない! 放っておいてよ!」
 少年は勢いよく立ち上がって、伸ばされた手を強く払い除けた。

「まだ慣れないのは分かりますが、食事はとらないと」
「うるさい!」

 少年は足元から砂を掴んで投げつける。乾燥した細かな砂粒は、肉体を傷つけるにはいたらないまでも、神父の精神にチクリと痛みを運ぶ。神父は少しの苦味を飲み込んで、こらえきれずに咳き込んだ。

「けほっ」

 砂を吐き苦しむ神父を目にしても、少年は謝る素振りすら見せない。キッと神父をにらみつけるように、拳を握りしめ立っている。

 人に乱暴をはたらけば、多くの場合には罰せられる。
 しかし、神父は少年を責めはしなかった。
 精一杯強がって、けれど隠しきれず瞳にいっぱいの涙を浮かべる子どもを、どうして責めることができるだろう。

「あなたのぶんの食事は取り置きしておきますから」

 それだけを伝え寄宿舎へ足を向けた神父がそっと振り返れば、少年はふたたびその場で膝をかかえてうずくまる途中。それはまるで、殻に覆われた卵のように。
 


 昼食を終え、お祈りと、勉強の時間も過ぎ去って。寄宿舎のなかで、めいめい好きなことをして夕食を待つ子どもたち。その姿を見守りながら、神父はときおり窓の外に目を向ける。
 橙染まる裏庭に、昼とかわらぬ後ろ姿が、ぽつん。少年はいまだひとり、硬い地面にしゃがみこんだまま。膝を抱え丸くなり、足元に視線を落としている。

 少年が教会で過ごすようになってからまだほんの数日。

 少年を連れてきた女性は、自らを彼の後見人だと言った。
 彼女によれば、少年の父親は少々の資産と一応の爵位を持つ貴族であり、いずれその資産と爵位は少年が受け継ぐ予定であった。しかし不慮の事故により、両親が揃って没してしまった。資産と地位を受け継ぐには、少年はまだ幼すぎる。身の回りの世話を任せられる使用人も、親族もいない。自立して全てを受け継げる年齢になるまで、少年は教会で保護されるのが良いだろう。

 そのようなことを言い残し、後見人は名刺を置いて立ち去った。
 話のあいだ、少年はずっと俯いたまま。

「こんにちは。ようこそいらっしゃいました。これからよろしくお願いします」

 神父が発した決まり文句に、残された少年はやっと顔をあげて。少年と目が合ったとき、神父は少年の瞳から、深い海の底で眠る泥を連想した。掴もうとしても手のひらからこぼれ落ち、冷たい感触だけが残るもの。
 神父が差し伸べた手は、何も掴めず宙を彷徨い。

「よろしくなんてしなくて良いから放っておいて」

 少年の返事もまた、瞳と同じく、恐ろしいほどに冷えていた。この世の全てを諦めきったようなおおよそ年齢に似つかわしくない声色が、まだ神父の耳の奥に残響している。



 それから今日まで、少年は、施設のスケジュールに従い起床と就寝はするものの、それ以外にはまったく何をする気配も見せず。食事すら満足にとろうとしない。

 混乱しているのだろう。そろそろ思春期にさしかかろうかという年齢まで、上流階級の一端として暮らして来たのだ。それがある日突然、全てを失うことになって。幼い心では、状況の変化に対応しきれないとしても無理はない。

 とはいえ、せめて食事くらいはきちんととらせなくては。
 昼に少年が手をつけなかったパンと、温め直したスープをトレーにのせ、神父は裏庭へと足を向けた。


「そろそろお腹がすきませんか?」
 神父が背後から声をかけると、少年はハッとした表情で振り向いたのち、すぐに眉をひそめた。

「いらないって言ったじゃん」
「しかし、そのままでは体調を崩してしまいます」
「それでいいんだ!」

 強い拒絶。昼の出来事を思い出し、神父は食事をかばうように身構える。しかし、次に投げかけられたのは、苦みのある砂ではなく、とても弱々しい声だった。

「それで……それで病気になって死んじゃいたいんだ……。だってもう、父様と母様はこの世にいないんだ」

 ぽたり、と、少年の瞳から雫が落ち、地が色をかえる。神父がしゃがんで少年の瞳を覗き込むと、そこには冷たさのかけらもない、暖かな水面が揺れていた。ここにきてからずっと、必死に強く見せようと張られていたであろう少年の肩は、今はただただ細く、あどけなく。小刻みに震える小さなからだは、年齢よりもずっと幼く見える。
 
「会いたい……会いたいよ。つらいよ。悲しいよ。どうして僕がこんな目に合うの? もうやだよ。我慢できないよ」

 父と母はもういない。その現実を自らくちにしてしまったことで、気持ちをせき止めていた堤防が決壊したのか。少年の言葉と涙はとめどなく溢れ出し。それを受け止める方法は、ひとつしかない。神父は少年の肩を抱き、己の信じる真理を告げた。

「つらいでしょう。あなたの受けたショックは私には計り知ることすらできません。ですが、そんなときこそ、女神様のお導きを信じてはみませんか?」

「女神……様……?」
「そうです。あなたは、私達神父と、教会の役割を知っていますか?」
「教会の役割? 子どもを育てるところじゃないの?」

 問い返す少年の声には戸惑いの色が含まれる。

「ある意味ではそれも正解です。しかし、本当の意味は別にあります。ここは、人の心を女神様に届ける場所なんですよ。教会には、たくさんの人から”心”が届きます。あれをご覧なさい」

 神父が指すのは、古びた遊具。それから、手にした食事を少年の胸元まで掲げ、

「あれも、これも。たくさんの人の”心”です。私達は、受け取ったこれらの”心”を、祈りに変えて女神様へ届けるお手伝いをしているのです。手紙を運ぶ郵便屋に似ているかもしれませんね。彼らは心を手紙として運びますが、私達は心を祈りとして運びます」

「それでどうなるの?」
「届けた心は運命として女神様に導かれ、いずれまた人のもとへ還元されます。人の”心”はときにかたちを変えながら巡るもの。人々は決して、私達がかわいそうだから、ものをくれているわけではないんです。善い行いをすれば、女神様が良い運命、幸せに導いてくれると信じて。その心を遊具や食事、ときにはお金に変えて、私達に託しているんです」

「嘘……そんなの信じられない! だってじゃあ、どうして僕は今こんなに悲しいの。こんなにつらいの。悪いことなんてしてこなかったのに、どうして女神様は良い運命に導いてくれないの? 全然幸せなんかじゃない!」

 向き合うふたり。隔てる距離は無く。少年の叫びはまっすぐ神父に飛んで。
 目をそらしてはならない。神父は揺らぐことなくはっきりと、 

「それもまた女神様によって定められたあなたの運命だからです。女神様は乗り越えられない試練はお与えになりません。だから、ここで負けてはいけない。ましてや死んでしまいたいなど……運命を捻じ曲げる行為です。ただただ善意と信じる心を持ちさえすれば、女神様が導いてくださるから、何も心配はいりません」

 ”ただただ善意と信じる心を持ちさえすれば、女神様が導いてくださるから、何も心配はいらない”

 これは神父の両親の口癖だった。
 たとえどんなに逆境に思えようとも、くじけず、日々、自らが善いと確信できる行いをし続けなさい。
 そのように生きていれば、必ず幸せな人生がおくれるのだから。”必ず――”。

 両親の教えを忠実に守り生きてきた神父は、決して裕福なうまれでは無かったが、これまでの人生をおおよそ幸福に感じ生きてきた。ときにはつらい経験をすることもたしかにあった。けれど、あとになって振り返ってみれば、それも現在の幸福のために必要な試練だったのだと感じている。辛い時期に僅かな幸せや希望を探すことができたのも、女神様のお導きを信じていたから。

 この考えを少年が受けいれるには、もう少し時間が必要になることだろう。しかし、きっといつか、理解するはず。
 
 心を込めて神父は少年の手を握る。
 その手はもう振り払われることは無く。まだ少々居心地が悪そうに視線をさまよわせる少年に、神父は最後のひと押しと、
 
「本当は子どもにこんな話をきかせるべきではないのですが……。例えば今、この教会は……いえ、教会だけではなく、この国そのものが、やや苦しい状況にあります。けれど、近いうち、きっとこの試練から抜け出せるでしょう。私が証明してみせます。そうしたら、信じてくれますか?」
「う、うん。そこまで言うのなら」

 まだ完全に信じたわけじゃないけど、と付け足して、少年は俯いた。

「ありがとうございます。では、それを見届けるまで、あなたには元気でいてほしい。だから食事を、とりませんか?」
「分かった。食べるよ。……ほんとはお腹すいてたから」

 そうして少年は、すっかりさめてしまったスープを口にした。数日ぶりの食事を味わう少年を眺めながら、ほくろの神父は少し前におこなった会合を思い出す。他の地区の神父達と相談ののち、国民の状況を伝えるため、自分が城へと出向くことになった。謁見の約束を受け入れてもらえたことがすでに幸福な運命の兆しであると思える。本来なら王様の御尊顔を近くで拝むなど、滅多にできることではないのだから。


 後日、神父は、皆の期待と、少年との約束を背負い、城へと赴いた。
 室内は背筋が寒くなるような広さ。少し進んで、やっと奥に居る王の顔が見える。その姿をひと目見た瞬間、神父はますます女神様の存在を信じざるをえなくなった。

 王の姿はまるで女神の遣い。月色の髪をした天使が、神父に向かって微笑んだからだった。


 番外六 END(本編 第三楽章(1):穿たれるゴスペルへ)
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