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外伝(むしろメイン)
異聞六 ゲツトマ冒険記( 完璧な不気味の谷 編)
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メイン:ゲツトマ ジャンル:トーマスがいっぱい
*********
とりたてて述べるようなことは何ひとつ無い、コンクリートづくりの凡庸な室内。奥にはスチールのデスクと、安っぽいスタンドライト。壁にかけられた小型のモニタは何も映さず沈黙したまま、眼前にある二脚の硬いソファを見守っている。
ソファのひとつに腰掛けているのは、中性的な容姿をした人物。これといった特徴のない顔に中肉中背の体型。その人物は、向かいのソファに座る男が記入した書類を、独特の訛りで読みあげた。
「ふむふむ。お名前はトーマス・ファン・ビセンテ・ラ・セルダさんね。気品溢れるお名前ですな。それにしてもあんさん……」
「僕の顔に、何か?」
書類から顔をあげた人物は、トーマスを穴が開くほど凝視。凝視。凝視。
「綺麗な顔してはりますな。どこでつくらはったん?」
「つくる? いえ。この顔は生まれつきです」
「はー。声も素敵やね。それに言葉も、我が国の言葉より、なんやシュっとしてはりますな。シュッとね。それに体型、髪ツヤまで、どこをとっても完璧! 全体的にシュッとしてますな!」
「ええ、まぁ」
「我々もあんさんになりたいですわ。ええなぁ、ええなぁ。進化ですな?」
ここは検問室と呼ばれる部屋。
トーマスは、つい先程国境をこえ、この部屋に連れられたばかり。
前の国を出発したあと、特に行き先を定めていなかった彼は、ひとまずこれまで向かったことのない方角に進んだ。
くだり坂が続く地帯を歩き通し、深い谷の底にある長い道を進み続け、何度かの夜を過ぎたある朝。ようやく、進路にポツンとそびえる高い壁を発見。警戒しつつ近づいたところ、壁に設置されたスピーカーから声がして、近くにひとつの国があることを伝えられた。
そこで入国を要求した結果、検問室にて書類の記入、質疑応答等、データ収集の協力をすれば、入国を歓迎するとのことだった。
「もう、行っても?」
愛想の良い笑みを浮かべて立ち上がり、トーマスは住居区へ続く廊下へ出るためのゲートを指す。
検問室と廊下の境目に設置されたこのゲートは、生体の熱や電気反応を感知し、そこから健康状態や精神状態、その他、必要な情報を読み取るものだという。
「あっ、待っとくんなはれ。退室の前に、これもお渡ししときますわ」
と、自身を検問員だと称した中性的な容姿の人物は、奥のデスクの引き出しから手のひらよりもひとまわりほど小さな四角い機械と、小指ほどのサイズのマイクらしきものを取り出した。
「これは?」
「うちの国の名物で、我々はクァンタムポケットて呼んでます」
「ポケットには見えないが……」
「説明するより実際に使てみてもろたほうがはやいですさかい、ちょっと失礼」
検問員は黒い機械をトーマスに手渡し、どこか服のポケット(この場合は本物のポケット)にいれるように言った。小型のマイクはベストの内側にクリップでとめて、セット完了。
「ちょっと『ウノ・オープン』て言うてみてくれまっか」
「ウノ・オープン……?」
検問員の言葉をトーマスが繰り返した瞬間。
指示に呼応して、眼前に白いホコリのような粒があらわれた。微かなホコリは一瞬にしてしっかりとした点になり、点は線になり、線は面になり。何も無かった空間に突如出現した点は、糸を編むように広がって。瞬きひとつするあいだに、空中に浮く袋が完成。
「どうです? 便利でっしゃろ? パッと出てくる買い物袋ですわ! これはですね、目に見えないくらいの小さい物質達を持ち運び、音声の指示により特定の形状に結合させて変化させる技術ですねん。我々がつくりましてん! すごいでっしゃろ? これはなかなか進歩した技術やおまへんか? クァンタムポケットとはつまり、その小さい物質が入った黒い機械を指していて、これ自体が小型のコンピュータなんですな。形状の記憶を言葉として割り振れば、『オープン』の呼びかけで何でも展開できまして。呼び出しに割り当てる言葉はウノ・デュエ・トレ・クアトロ、ワンツースリー、ヒィフゥミィなどなど……まぁなんでもよろしいです。試しに何か形状記憶させましょか? この袋みたいに宙に浮かせることも、手で持ち運ぶこともどちらも可能で、荷物なんかは労力無しでどこへでも運べますし。呼び出した物体はある程度の強度を誇り、エネルギーは光から生成できます。そのかわり、指示マイクから音声データの収集と、形状記憶する物体をスキャンして構造をデータ化させてもらう許可を出してもろてですな……」
得意気な表情を浮かべ、興奮気味にポケットを説明する検問員。
オフィーリアに居たころ、トーマスも機械工学や量子力学の基礎を学んだ経験がある。この技術は、それらを発展させたものだろう。この国の名物と言うだけあり、たしかに、ポケットはこれまでの国では目にしたことのないものだった。
はじめは興味深くきいていたトーマスだったが、徐々に内容が専門的になり、理解の範疇をこえては飽きが来て。まだまだ途切れない検問員の話を遮って、
「つまり、この黒く四角い装置は”クァンタムポケット”という名称で、”何でもつくることができる機械”なんですね?」
「わかりやすく言うとそうなりまんな。何でも言うても、さすがに限界はありますけども」
「何の形をつくるかは、あらかじめ機械に登録しておけて、掛け声ひとつで収納したり呼び出したりできると」
「その通り! 重いものは浮かせとくこともできまっせ! な? な? すごいでっしゃろ? 進化でっしゃろ?」
「理解した。では、今から言うものを登録してほしい」
「はい。喜んで!」
そうしてトーマスが旅荷物のいくつかを口にし、形状のスキャン登録が済んだころ。
室内に電子的な通知音が流れ、壁にかけられたモニタに文字が映し出された。
”全データの解析・シェイプシフト完了”
「住居区の準備が整ったみたいですわ。お待たせしました。もう行ってええですよ。我々の国、楽しんでください」
笑顔で送り出され、トーマスはふたたびゲートをくぐり廊下の先へ。重厚な自動ドアを抜け、住居区へと足を踏みいれる。
住居区は、これまで訪れた国々と比べると比較的過ごしやすそうなつくりになっていた。
区画ごとに整備された街並みは、一定距離ごとに広場や公園が見受けられ、豊富な街路樹が枝を広げる姿も相まってゆったりとした印象。幅広の道路にはゴミはおろかへこみひとつなく、美しい景観が保たれている。建物の高さも威圧感を覚えない程度に調整されており、屋根や壁、商店の看板なども、意図的に穏やかな色合いを選んで使用しているようだ。
観光が目的であれば、ただ散歩を楽しむだけでそれなりに満足感を得られるだろう。
しかし今、トーマスはとてもではないが景観を堪能する気にはなれなかった。
なぜならば。
「俺……様……!?」
右にトーマス、左にトーマス。前も後ろもトーマス、トーマス。街行く人々の顔が、皆、寸分違わずトーマスと同じ顔。
顔だけではない。髪型、肌の色に身長、服装、背筋を伸ばして歩く姿勢まで。トーマスが生まれ持ったもの、身につけてきた立ち振舞い、意識して行う動作や無意識のクセ。思い当たる全てとまるっきり同じものを持った人々があちこちに。
住居区のいりぐちで棒立ちになるトーマス。
そのうち、ひとりのトーマスが、通りの向こうから棒立ちトーマスへと真っ直ぐに近づいた。近づくトーマスの顔に浮かぶ表情は、棒立ちトーマスが何度も鏡で見た笑顔。
「やぁ、よう来てくれはりました。私……いや、僕はこの国の観光大使。あんさんの世話を任されとります。何か質問や見たい場所があればなんなりと」
「一切に説明を要求します」
トーマス(本物)が眉を下げてみせると、トーマス(偽)は、やはりトーマスらしい音の調子で「ははは」と愛想の良い笑い。
「なぜあなた方は皆、僕と同じ姿と声をしてるんです?」
「おっ、さっそくですか。ほな、今から案内するとこで話しましょ。ついてきて下さい」
トーマスのあとを歩くトーマス。通り抜ける歩道の両側、オープンカフェのテラスで読書を楽しむトーマスに、カップを運ぶトーマス。衣類店のショーウィンドウに立つのもトーマスで、それを眺めているのもトーマス。トーマスと仲睦まじく微笑み合い手を繋いで歩くトーマスや、道端のベンチに腰掛け思案顔で空を見上げるトーマス。どれも絵になる美しさ。
それらを視界の端に流し続け、案内役のトーマスに着いて歩くこと数ブロック。案内役が足をとめたのは、他と比べれば少々厳重なつくりになっている建物の前。
「ここは?」
「あんさんの疑問がおそらく全部解決する場所。僕たちはこのなかにあるものを”ブレイン”って呼んでますわ」
「ブレイン……国政の中心みたいなものですか? この国がやたらとデータを集めたがる理由も、ここで分かると?」
「ええ、そうです」
国政を担うのであれば、ひとりの王とその家臣、または国民の代表者達が集まる為の会議堂のようなものだろうか。
そう考えつつ足を踏み入れた建物内部は、予想に反して簡素な、想像とはおおきく違うものだった。
部屋や廊下といった区切りはなく、ただただ四角いだけのひとつの空間。デスクやチェアも配備されておらず、あるものといえば、入ってきたドアの前にかろうじて人が通れるほどの狭い通路が一本と、一面を見渡すのに数歩を要するほどの巨大な箱がひとつきり。
「この箱が、”ブレイン”?」
「ええ、そうです。これ何やと思いまっか?」
ふたりのトーマスは、揃って同じ動作でブレインへ顔を向けた。
ブレインの大部分は銀板で覆われている。ところどころに網状になった穴があり、そこから聞こえるのは、内側でまわるファンの音。おそらく排熱孔だろう。ブレインの上部や下部にはダクトがつながっており、隙間から、電線コードのようなものが詰まっているのがうかがえる。それから、不定期に響くビープ音と、この国がことあるごとにデータを集めたがる理由、集めたデータの行き着く先。膨大な量のデータを処理するには。
それらを総合して導き出した結論、つまるところ、この箱は。
「コンピュータ?」
トーマスの解答に、案内役トーマスは手を打って頷いた。
「正解でんがな! これが僕達の本体。ブレインの名の通り、脳みそです。今あんさんと会話しているこの僕は、ブレインからの電気信号を受け取って出力するだけの機械人形。外の僕達もみんな同じ。全員がここから信号を受け取り動いている。AIですねん!」
すごいでしょう、と笑顔を見せるトーマス。向かいに立つトーマスは、鏡合わせとはいかない表情。
「それで、全員が俺様と同じ姿の理由は?」
「僕達……いえ、俺様達は、最終的に、人間になりたい。それも、ただの人間やありまへん。より完璧な人間になりたい。進化したい!」
機械人形はふいに、前方へ腕を伸ばす。すると汚れない白のジャケットの袖口がひとりでに捲くられはじめた。ジャケットそのものに意志があり動いていると錯覚するほど、流れる動作でくるくると。捲りが肩口に届くと、その塊は、ゆっくりと肌へと吸い込まれ消えた。
「もともと俺様達は、体内に仕込まれたナノマシンで姿をかえることが可能でした。肉体だけでなく、衣類や、小物も再現できます。質量にもこだわらず、どんな姿にもなることができます」
伸ばされたままの腕、今度は前腕が奇っ怪な動きで徐々に太さを増しはじめた。ぐねぐねと蠢いてかたちを変える様子は、まるで皮膚の内側に虫が這い回っているようで。しばらくして、ひとまわり太くなった腕の先、皮膚だった場所が白く色づき、ふたたびジャケットが構築される。
「ただ、姿を変えることは可能でも、どんな姿になるのが正解なのか分からなかった。辿るべき進化が見えなかったのです。そんなときに、ちょうどあんさんが来ただろう? ちょっと解析したら、なんと、人間として完璧な造形をしているではないですか。偶然に最高級のサンプルを手にいれたわけです。幸運でした」
「お前達は、俺様になるつもりなのか」
「ええ、もちろん! この国の技術は見たでしょう? 俺様達は学習します。今はまだデータ不十分で多少の差異がありますが、近いうちにもっとあなたになることができるでしょう。他に聞きたいことは無いか? もっと会話をしたい。言語データがまだ足りません」
輝く笑顔の機械人形。
普段ならば鏡を眺めるのは嫌いではないトーマスの胸中、今日ばかりは眼前にある自身の姿に募ってゆく不快感。
見れば見るほど、話せば話すほど、言葉通りに学習してトーマスそのものに近づくAI。
――いつからだ? 相手の言葉から独特の訛りがぬけはじめたのは。
「ひとつだけ聞く。お前達、俺様に従う気はあるか?」
「従う? 命令を聞くということですか? それは出来ない。俺様達はあなたではなく、ブレインから送られる電気信号によってのみ動くんだ」
「そうか。ならば悪質なウィルスは駆除するとしよう」
トーマスはポンとひとつ手を叩く。いつもどおり、手袋の、感触。
「ゲツエイ!」
ダン! と頭上で響く音。見上げるトーマスの視線の先に、朱殷の髪がゆらり流れて。ブレイン上部のダクト付近から顔をのぞかせ、小太刀を握る悪鬼羅刹。
「ちょうど良い! そのダクトに詰まってるコードを、全て引き抜いて破壊しろ!」
トーマスが下した命令は、空気を震わせゲツエイに届くと同時、マイクを通してブレインにも届く。頷いたゲツエイがダクトのつなぎ目の隙間に小太刀を滑り込ませ、銀板を引き剥がしはじめる一方、命令の意味を解析したブレインの焦りが、そのまま機械人形の行動として実行される。
「おい、お前、なぜ! バグか!? あれは誰だ! やめさせろ! 今すぐにだ」
もはや話しかたまでトーマスになりつつある機械人形。
「ふざけるな人間! なぜこんなことをする! 別に俺様達がお前と同じ姿でも何の不利益も無いだろう?」
「あるんだよそれが」
縋るように伸ばされた機械人形の両腕を、トーマスはやすやすとかわして眉間にシワを寄せた。
「不愉快だ」
バチン! とはじける音が次々とこだまする。ゲツエイがダクトの銀板を剥がし終わり、順調にコードを引き抜きはじめたらしい。
「俺様になりたいだと? ふざけるな。俺様は平等という言葉が嫌いだ。この世で力を持つのは俺様だけでいい。外見も、知識も、頭脳も、射撃の腕も、ゲツエイも、クセのひとつでさえも。俺様のものは全て俺様だけのもの。簡単に模倣できるわけが無いんだ。舐めるなよ」
「なゼ。より良いヒ10が5の4にアフ0たラ……スバラ414のなかに成るn02……」
ブレインからの指示が届かなくなった機械人形は、雑音の混じった音声を吐き出しながら数歩進み、糸の切れた操り人形がごとく崩れ落ちた。
ピクリとも動かなくなった人形を見下ろせば、その姿にもうトーマスの面影はない。
「ゲツエイ、もういい。行くぞ」
建物の外に出ると、道の端々に崩れ落ちている機械人形。
擬態がとけた人形達は、最初にこの国で目にした検問員と同じく、男女の区別もつきにくい特徴のない顔に戻っていた。
どこまで見渡しても、もはや動く影はひとつもなく。さざなみのような風音が、かすかに建物に反響するのみ。
「ウノ、オープン」
人のかたちをした人ではないものが転がるここは、活気の消えた不気味の谷。
唯一動ける人間は、何食わぬ表情で商店を巡る。衣料品、食料品、消耗品と、貴金属。旅に必要なものを手早く浮遊する袋に放り込み。
ふと、脳裏によぎる疑問。
この世の全てが自分なら、理想の世界になっただろうか?
こたえのかわりに、トーマスは呟いた。
「ドゥエ、オープン」
指示によってナノマシンに記憶させた仮面が展開され、トーマスの顔を覆う。
理想の世界はまだ遠く。
完成された人間もまた、新たな進化の一歩を踏み出した。
異聞六 END
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とりたてて述べるようなことは何ひとつ無い、コンクリートづくりの凡庸な室内。奥にはスチールのデスクと、安っぽいスタンドライト。壁にかけられた小型のモニタは何も映さず沈黙したまま、眼前にある二脚の硬いソファを見守っている。
ソファのひとつに腰掛けているのは、中性的な容姿をした人物。これといった特徴のない顔に中肉中背の体型。その人物は、向かいのソファに座る男が記入した書類を、独特の訛りで読みあげた。
「ふむふむ。お名前はトーマス・ファン・ビセンテ・ラ・セルダさんね。気品溢れるお名前ですな。それにしてもあんさん……」
「僕の顔に、何か?」
書類から顔をあげた人物は、トーマスを穴が開くほど凝視。凝視。凝視。
「綺麗な顔してはりますな。どこでつくらはったん?」
「つくる? いえ。この顔は生まれつきです」
「はー。声も素敵やね。それに言葉も、我が国の言葉より、なんやシュっとしてはりますな。シュッとね。それに体型、髪ツヤまで、どこをとっても完璧! 全体的にシュッとしてますな!」
「ええ、まぁ」
「我々もあんさんになりたいですわ。ええなぁ、ええなぁ。進化ですな?」
ここは検問室と呼ばれる部屋。
トーマスは、つい先程国境をこえ、この部屋に連れられたばかり。
前の国を出発したあと、特に行き先を定めていなかった彼は、ひとまずこれまで向かったことのない方角に進んだ。
くだり坂が続く地帯を歩き通し、深い谷の底にある長い道を進み続け、何度かの夜を過ぎたある朝。ようやく、進路にポツンとそびえる高い壁を発見。警戒しつつ近づいたところ、壁に設置されたスピーカーから声がして、近くにひとつの国があることを伝えられた。
そこで入国を要求した結果、検問室にて書類の記入、質疑応答等、データ収集の協力をすれば、入国を歓迎するとのことだった。
「もう、行っても?」
愛想の良い笑みを浮かべて立ち上がり、トーマスは住居区へ続く廊下へ出るためのゲートを指す。
検問室と廊下の境目に設置されたこのゲートは、生体の熱や電気反応を感知し、そこから健康状態や精神状態、その他、必要な情報を読み取るものだという。
「あっ、待っとくんなはれ。退室の前に、これもお渡ししときますわ」
と、自身を検問員だと称した中性的な容姿の人物は、奥のデスクの引き出しから手のひらよりもひとまわりほど小さな四角い機械と、小指ほどのサイズのマイクらしきものを取り出した。
「これは?」
「うちの国の名物で、我々はクァンタムポケットて呼んでます」
「ポケットには見えないが……」
「説明するより実際に使てみてもろたほうがはやいですさかい、ちょっと失礼」
検問員は黒い機械をトーマスに手渡し、どこか服のポケット(この場合は本物のポケット)にいれるように言った。小型のマイクはベストの内側にクリップでとめて、セット完了。
「ちょっと『ウノ・オープン』て言うてみてくれまっか」
「ウノ・オープン……?」
検問員の言葉をトーマスが繰り返した瞬間。
指示に呼応して、眼前に白いホコリのような粒があらわれた。微かなホコリは一瞬にしてしっかりとした点になり、点は線になり、線は面になり。何も無かった空間に突如出現した点は、糸を編むように広がって。瞬きひとつするあいだに、空中に浮く袋が完成。
「どうです? 便利でっしゃろ? パッと出てくる買い物袋ですわ! これはですね、目に見えないくらいの小さい物質達を持ち運び、音声の指示により特定の形状に結合させて変化させる技術ですねん。我々がつくりましてん! すごいでっしゃろ? これはなかなか進歩した技術やおまへんか? クァンタムポケットとはつまり、その小さい物質が入った黒い機械を指していて、これ自体が小型のコンピュータなんですな。形状の記憶を言葉として割り振れば、『オープン』の呼びかけで何でも展開できまして。呼び出しに割り当てる言葉はウノ・デュエ・トレ・クアトロ、ワンツースリー、ヒィフゥミィなどなど……まぁなんでもよろしいです。試しに何か形状記憶させましょか? この袋みたいに宙に浮かせることも、手で持ち運ぶこともどちらも可能で、荷物なんかは労力無しでどこへでも運べますし。呼び出した物体はある程度の強度を誇り、エネルギーは光から生成できます。そのかわり、指示マイクから音声データの収集と、形状記憶する物体をスキャンして構造をデータ化させてもらう許可を出してもろてですな……」
得意気な表情を浮かべ、興奮気味にポケットを説明する検問員。
オフィーリアに居たころ、トーマスも機械工学や量子力学の基礎を学んだ経験がある。この技術は、それらを発展させたものだろう。この国の名物と言うだけあり、たしかに、ポケットはこれまでの国では目にしたことのないものだった。
はじめは興味深くきいていたトーマスだったが、徐々に内容が専門的になり、理解の範疇をこえては飽きが来て。まだまだ途切れない検問員の話を遮って、
「つまり、この黒く四角い装置は”クァンタムポケット”という名称で、”何でもつくることができる機械”なんですね?」
「わかりやすく言うとそうなりまんな。何でも言うても、さすがに限界はありますけども」
「何の形をつくるかは、あらかじめ機械に登録しておけて、掛け声ひとつで収納したり呼び出したりできると」
「その通り! 重いものは浮かせとくこともできまっせ! な? な? すごいでっしゃろ? 進化でっしゃろ?」
「理解した。では、今から言うものを登録してほしい」
「はい。喜んで!」
そうしてトーマスが旅荷物のいくつかを口にし、形状のスキャン登録が済んだころ。
室内に電子的な通知音が流れ、壁にかけられたモニタに文字が映し出された。
”全データの解析・シェイプシフト完了”
「住居区の準備が整ったみたいですわ。お待たせしました。もう行ってええですよ。我々の国、楽しんでください」
笑顔で送り出され、トーマスはふたたびゲートをくぐり廊下の先へ。重厚な自動ドアを抜け、住居区へと足を踏みいれる。
住居区は、これまで訪れた国々と比べると比較的過ごしやすそうなつくりになっていた。
区画ごとに整備された街並みは、一定距離ごとに広場や公園が見受けられ、豊富な街路樹が枝を広げる姿も相まってゆったりとした印象。幅広の道路にはゴミはおろかへこみひとつなく、美しい景観が保たれている。建物の高さも威圧感を覚えない程度に調整されており、屋根や壁、商店の看板なども、意図的に穏やかな色合いを選んで使用しているようだ。
観光が目的であれば、ただ散歩を楽しむだけでそれなりに満足感を得られるだろう。
しかし今、トーマスはとてもではないが景観を堪能する気にはなれなかった。
なぜならば。
「俺……様……!?」
右にトーマス、左にトーマス。前も後ろもトーマス、トーマス。街行く人々の顔が、皆、寸分違わずトーマスと同じ顔。
顔だけではない。髪型、肌の色に身長、服装、背筋を伸ばして歩く姿勢まで。トーマスが生まれ持ったもの、身につけてきた立ち振舞い、意識して行う動作や無意識のクセ。思い当たる全てとまるっきり同じものを持った人々があちこちに。
住居区のいりぐちで棒立ちになるトーマス。
そのうち、ひとりのトーマスが、通りの向こうから棒立ちトーマスへと真っ直ぐに近づいた。近づくトーマスの顔に浮かぶ表情は、棒立ちトーマスが何度も鏡で見た笑顔。
「やぁ、よう来てくれはりました。私……いや、僕はこの国の観光大使。あんさんの世話を任されとります。何か質問や見たい場所があればなんなりと」
「一切に説明を要求します」
トーマス(本物)が眉を下げてみせると、トーマス(偽)は、やはりトーマスらしい音の調子で「ははは」と愛想の良い笑い。
「なぜあなた方は皆、僕と同じ姿と声をしてるんです?」
「おっ、さっそくですか。ほな、今から案内するとこで話しましょ。ついてきて下さい」
トーマスのあとを歩くトーマス。通り抜ける歩道の両側、オープンカフェのテラスで読書を楽しむトーマスに、カップを運ぶトーマス。衣類店のショーウィンドウに立つのもトーマスで、それを眺めているのもトーマス。トーマスと仲睦まじく微笑み合い手を繋いで歩くトーマスや、道端のベンチに腰掛け思案顔で空を見上げるトーマス。どれも絵になる美しさ。
それらを視界の端に流し続け、案内役のトーマスに着いて歩くこと数ブロック。案内役が足をとめたのは、他と比べれば少々厳重なつくりになっている建物の前。
「ここは?」
「あんさんの疑問がおそらく全部解決する場所。僕たちはこのなかにあるものを”ブレイン”って呼んでますわ」
「ブレイン……国政の中心みたいなものですか? この国がやたらとデータを集めたがる理由も、ここで分かると?」
「ええ、そうです」
国政を担うのであれば、ひとりの王とその家臣、または国民の代表者達が集まる為の会議堂のようなものだろうか。
そう考えつつ足を踏み入れた建物内部は、予想に反して簡素な、想像とはおおきく違うものだった。
部屋や廊下といった区切りはなく、ただただ四角いだけのひとつの空間。デスクやチェアも配備されておらず、あるものといえば、入ってきたドアの前にかろうじて人が通れるほどの狭い通路が一本と、一面を見渡すのに数歩を要するほどの巨大な箱がひとつきり。
「この箱が、”ブレイン”?」
「ええ、そうです。これ何やと思いまっか?」
ふたりのトーマスは、揃って同じ動作でブレインへ顔を向けた。
ブレインの大部分は銀板で覆われている。ところどころに網状になった穴があり、そこから聞こえるのは、内側でまわるファンの音。おそらく排熱孔だろう。ブレインの上部や下部にはダクトがつながっており、隙間から、電線コードのようなものが詰まっているのがうかがえる。それから、不定期に響くビープ音と、この国がことあるごとにデータを集めたがる理由、集めたデータの行き着く先。膨大な量のデータを処理するには。
それらを総合して導き出した結論、つまるところ、この箱は。
「コンピュータ?」
トーマスの解答に、案内役トーマスは手を打って頷いた。
「正解でんがな! これが僕達の本体。ブレインの名の通り、脳みそです。今あんさんと会話しているこの僕は、ブレインからの電気信号を受け取って出力するだけの機械人形。外の僕達もみんな同じ。全員がここから信号を受け取り動いている。AIですねん!」
すごいでしょう、と笑顔を見せるトーマス。向かいに立つトーマスは、鏡合わせとはいかない表情。
「それで、全員が俺様と同じ姿の理由は?」
「僕達……いえ、俺様達は、最終的に、人間になりたい。それも、ただの人間やありまへん。より完璧な人間になりたい。進化したい!」
機械人形はふいに、前方へ腕を伸ばす。すると汚れない白のジャケットの袖口がひとりでに捲くられはじめた。ジャケットそのものに意志があり動いていると錯覚するほど、流れる動作でくるくると。捲りが肩口に届くと、その塊は、ゆっくりと肌へと吸い込まれ消えた。
「もともと俺様達は、体内に仕込まれたナノマシンで姿をかえることが可能でした。肉体だけでなく、衣類や、小物も再現できます。質量にもこだわらず、どんな姿にもなることができます」
伸ばされたままの腕、今度は前腕が奇っ怪な動きで徐々に太さを増しはじめた。ぐねぐねと蠢いてかたちを変える様子は、まるで皮膚の内側に虫が這い回っているようで。しばらくして、ひとまわり太くなった腕の先、皮膚だった場所が白く色づき、ふたたびジャケットが構築される。
「ただ、姿を変えることは可能でも、どんな姿になるのが正解なのか分からなかった。辿るべき進化が見えなかったのです。そんなときに、ちょうどあんさんが来ただろう? ちょっと解析したら、なんと、人間として完璧な造形をしているではないですか。偶然に最高級のサンプルを手にいれたわけです。幸運でした」
「お前達は、俺様になるつもりなのか」
「ええ、もちろん! この国の技術は見たでしょう? 俺様達は学習します。今はまだデータ不十分で多少の差異がありますが、近いうちにもっとあなたになることができるでしょう。他に聞きたいことは無いか? もっと会話をしたい。言語データがまだ足りません」
輝く笑顔の機械人形。
普段ならば鏡を眺めるのは嫌いではないトーマスの胸中、今日ばかりは眼前にある自身の姿に募ってゆく不快感。
見れば見るほど、話せば話すほど、言葉通りに学習してトーマスそのものに近づくAI。
――いつからだ? 相手の言葉から独特の訛りがぬけはじめたのは。
「ひとつだけ聞く。お前達、俺様に従う気はあるか?」
「従う? 命令を聞くということですか? それは出来ない。俺様達はあなたではなく、ブレインから送られる電気信号によってのみ動くんだ」
「そうか。ならば悪質なウィルスは駆除するとしよう」
トーマスはポンとひとつ手を叩く。いつもどおり、手袋の、感触。
「ゲツエイ!」
ダン! と頭上で響く音。見上げるトーマスの視線の先に、朱殷の髪がゆらり流れて。ブレイン上部のダクト付近から顔をのぞかせ、小太刀を握る悪鬼羅刹。
「ちょうど良い! そのダクトに詰まってるコードを、全て引き抜いて破壊しろ!」
トーマスが下した命令は、空気を震わせゲツエイに届くと同時、マイクを通してブレインにも届く。頷いたゲツエイがダクトのつなぎ目の隙間に小太刀を滑り込ませ、銀板を引き剥がしはじめる一方、命令の意味を解析したブレインの焦りが、そのまま機械人形の行動として実行される。
「おい、お前、なぜ! バグか!? あれは誰だ! やめさせろ! 今すぐにだ」
もはや話しかたまでトーマスになりつつある機械人形。
「ふざけるな人間! なぜこんなことをする! 別に俺様達がお前と同じ姿でも何の不利益も無いだろう?」
「あるんだよそれが」
縋るように伸ばされた機械人形の両腕を、トーマスはやすやすとかわして眉間にシワを寄せた。
「不愉快だ」
バチン! とはじける音が次々とこだまする。ゲツエイがダクトの銀板を剥がし終わり、順調にコードを引き抜きはじめたらしい。
「俺様になりたいだと? ふざけるな。俺様は平等という言葉が嫌いだ。この世で力を持つのは俺様だけでいい。外見も、知識も、頭脳も、射撃の腕も、ゲツエイも、クセのひとつでさえも。俺様のものは全て俺様だけのもの。簡単に模倣できるわけが無いんだ。舐めるなよ」
「なゼ。より良いヒ10が5の4にアフ0たラ……スバラ414のなかに成るn02……」
ブレインからの指示が届かなくなった機械人形は、雑音の混じった音声を吐き出しながら数歩進み、糸の切れた操り人形がごとく崩れ落ちた。
ピクリとも動かなくなった人形を見下ろせば、その姿にもうトーマスの面影はない。
「ゲツエイ、もういい。行くぞ」
建物の外に出ると、道の端々に崩れ落ちている機械人形。
擬態がとけた人形達は、最初にこの国で目にした検問員と同じく、男女の区別もつきにくい特徴のない顔に戻っていた。
どこまで見渡しても、もはや動く影はひとつもなく。さざなみのような風音が、かすかに建物に反響するのみ。
「ウノ、オープン」
人のかたちをした人ではないものが転がるここは、活気の消えた不気味の谷。
唯一動ける人間は、何食わぬ表情で商店を巡る。衣料品、食料品、消耗品と、貴金属。旅に必要なものを手早く浮遊する袋に放り込み。
ふと、脳裏によぎる疑問。
この世の全てが自分なら、理想の世界になっただろうか?
こたえのかわりに、トーマスは呟いた。
「ドゥエ、オープン」
指示によってナノマシンに記憶させた仮面が展開され、トーマスの顔を覆う。
理想の世界はまだ遠く。
完成された人間もまた、新たな進化の一歩を踏み出した。
異聞六 END
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