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外伝(むしろメイン)
外伝七 落ち葉と新緑の円環(2)
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「アタシはそんなこと頼んでない!」
飛び跳ねるように店のドアをくぐり書類を掲げたセバスチャンに返ってきたのは、いまだかつて無いほどの怒気をあらわにした声だった。
「し、しかし、この店は来月閉めるのでしょう? ですから新しい店を」
声を震わせ、足を竦ませ。しどろもどろに戦々恐々。そんなセバスチャンに、ミヤコはカウンターの奥から、いりぐちに居ても耳が痛くなるような大声で、
「アンタの言いたいことは分かるよ。建物を買ってしまえば毎月の家賃を払う必要は無いってんだろ?」
「ええ、そのとおりです。それにここは場所が悪い。ついでにもっと人通りの多い場所に移動すればきっと次はうまく」
非常に良い案だと思ったのに。まるで予期していなかった彼女の態度に、挙動不審なセバスチャン。
彼女は伏し目がちに「はぁ」と肩を落とし、
「あのね、押し付けがましい愛は迷惑だよ。アタシの夢はたしかに自分の店を持つことだけど、誰かにポンと恵んでもらっても意味が無いんだ。アンタはそれを分かってない。アンタは、アタシから夢を奪おうとしてるのさ」
「そういう、ものですか」
「そういうものなんだよ」
それっきり、彼女の瞳を覗くのがためらわれ、セバスチャンは俯いた。
かち、こち、かち、こち。時計の音だけが響く店内。心臓が早鐘を打ち気が焦れども、刻まれるときは一定で。かち、こち、かち、こち。
ポーンとキリの良い時間を知らせるベルが鳴ったとき、気まずい沈黙を破ったのはミヤコのほうからだった。
「帰んないの?」
「このまま帰ってはいけないような気がしまして」
「ふぅん。仲直りしたいの?」
「えぇ。ですがどうすれば良いのかも思い浮かびませんので、時計の音を数えておりました」
「まったく……」
かつ、こつ、かつ、こつ。ちから強く、彼女のヒールが床を叩く。それはカウンターの奥からはじまり、かつ、こつ、と少しずつセバスチャンの元へと近づいて。かつ、こつ、かつ。こつ。
「顔をあげなよ」
すぐそばで靴音がとまり、言われた通りに顔をあげれば、やれやれとすくめられた肩が正面に。
「いつも紳士ぶっておとななくせに、こういうときは子どもみたいなんだね」
「そのとおりです。まこと申し訳なく」
「それだよ。悪いことしたと思ったなら、『ごめんなさい』って言えばいいのさ」
「は……」
あっけにとられたセバスチャンからとっさに出たのは、ずいぶんと気の抜けた吐息。
言われてふと気づく。いつからだろうか。「ごめんなさい」を言わなくなったのは。
思えば、吾妻に来るよりももっと前。前の奥様に仕えていたころにはすでに、謝罪といえば「申し訳ございません」だった。周囲に存在するのは、雇い主や、それと同等の権力者達。たとえ出入りの業者に対してでも、横暴な態度をとれば雇い主の品格を下げることになる。しからば、一切の関係者に丁寧に接するべきであると自戒も当然。もちろん、仕事の同僚や部下にたいしても同じように接することを心がけた。
常に一歩引いて、距離を保って。そうやってひとと接してきた彼にとって、親しいひとへの謝罪の言葉「ごめんなさい」は、頭のなかで錆びついて沈んでいた言葉。
「えっと、あの……ご、ごめんなさい」
オウム返しに発した音は、ずいぶんと懐かしい響き。子どものようにたどたどしく、ろくすっぽ練習もしていない演劇のセリフよりもひどい謝罪。
それでも、彼女は、「よくできました」と受け入れ、にこり笑ったのだった。
「分かってくれればいいよ。アタシもついカッとなって怒鳴ってごめん。アンタの気持ちは嬉しいし、無駄にはしたくない。だから、良い案を思いついたよ」
ミヤコは、握りしめられたセバスチャンの手から、ペンと建物の権利書を抜き取って、
「アタシたち、共同経営者にならない?」
と、権利者の名前を書き換えた。
「店のオーナーはアタシで、建物のオーナーはアンタ。アタシはアンタに、毎月家賃を払うよ。建物の代金に足りるまでね。アンタは、自分の建物がどんな風に使われているか、ちゃんとマメに視察にくること! それに、店が休みの日は、アタシの生活態度も視察に来なよ」
「それはつまり」
ただのデートでは、と言おうとしたセバスチャンの唇に、ミヤコはそっとペンを押し当てて。
「野暮なことを言おうとしてないかい?」
「……いえ。毎日でも”視察のために”通います」
「店の名前はアンタがつけて」
「いいんですか?」
「もちろん。アタシのもうひとつの夢を教えてあげる。それはね、アンタの隣にいること。アタシがこの国に店を持ちたいって思った理由のひとつは、アンタが居るからなんだよ。だから、一緒に夢を叶えよう」
そうして差し出された手を握り返すと、やけどしそうなほどに熱がこもっていて。
「これからもよろしくね」
「こちらこそ。ふたりで一緒にがんばりましょう」
雨が降れば地は固まり、木枯らしに散った枯れ葉は新緑が芽吹く糧となる。
固く握られた手と手は、自然とかたちをかえ、絡まり合う指と指に。
かつ、かつ、かつ。
なだらかに刻まれはじめるは、息の合ったステップの音。かち、こち、時計の音を伴奏に、ぽーんと終わりが告げられるまで――。
*
穏やかな気候が続くある日。吾妻邸に届いたのは、一通の招待状。
「坊ちゃま、街で新規オープンする店から、オープンパーティへの招待状が届いております」
「へぇ」
主人への書簡を持ち込んだセバスチャンが声をかけると、案の定ジュンイチはデスクから目を離さずに気のない返事。
主人が他人に興味を示さないのはもはや慣例化した一種の行事のようなものであり、気の利いた執事の常であれば、このまま招待状をその場に置いて静かにさがるのみ。
だが、本日のセバスチャンは細やかな装飾に縁取られた一通を、わざわざ主人のデスクの端へそっと置いた。
「ヘルトゥ様も、歌手活動を行うスタッフの一員として参加されるそうです。坊ちゃまもぜひともご出席なさったほうがよろしいかと」
「僕はいいよ。彼の動向に興味は無い」
「しかし、ヘルトゥ様といえば、あの革命のあと、この国の政治に助言する立場になったおかたです。爵位制度が廃止されてしまった今、彼と懇意にしておいて損は無いのでは?」
客観的に判断してもっともであろうこの論にも、主人は顔をあげることなく。眼前のレポート紙にペンを走らせながら、
「逆だよセバスチャン。爵位が無くなったからこそ、どうでもいいんだ」
もとよりあまり権力者同士の……というより、他人との結び付きに関心の薄かった主人は、昨今の情勢により、益々俗世への興味を失っている様子。
「坊ちゃまがお立場にこだわりを持たれないのは理解しておりますが……爵位が無くなったからこそどうでもいいとは、なにゆえですか?」
「これまで僕は侯爵という肩書を使っていたけど、それは全ての権力が爵位ではかられていたからだ。権力を持つものが限られ集中していたから、何をするにも、ほぼ独断で動いて押し切れる侯爵の立場は便利だった。今はまだ”元”侯爵という肩書きが通用するけど、徐々にそれは意味を失っていく。権力が分散していくんだよ。そうなる以上、彼個人との関わりはさして重要ではなくなるんだ。彼の思想が国民の総意でもない限り、ひとりですべてを動かせるわけじゃない」
まるでこれから先の世を見てきたかのように才人は語る。彼は確信を持って予見している。未来すら数式に落とし込み、先いくばくか、あるいはもっと遠くまで。
「では、これから先、何が重要だと?」
「お金だよ」
主人はちょうど書き上がったらしい書類をクリップでまとめ、郵送用の封筒に詰めた。宛名は国が運営する医療研究所。この紙束は、きっとまたこの家に大金を運び込むだろう。
セバスチャンのほうへは見向きもせず、次に主人が目を通しはじめたのは、軍から送られてきた封書。侯爵の地位は消えゆけど、大佐の地位はまだ失っていない。
「軍での立場にもまだ利用価値があるだろうね。あの研究施設はこの国で一番設備を整えてあるし、お金でどうにもならないときは、直接的なちからでねじ伏せてしまえばいい」
物騒な案は聞かなかったことにして、セバスチャンはしばし、思案する。
結局のところ、天才と呼ぶにふさわしい頭脳を持つこの主人は、爵位を失っても知力と財力(と武力)によって、他者と関わらずとも権力を維持できる。
ヘルトゥという人物との付き合いについて利点を突く作戦は失敗したらしい。
となれば。
老執事はコホン、とひとつ咳払いをし、
「ご出席なされば、奥様がお喜びになりますよ」
秘技を繰り出した。
「……なぜ?」
メガネ越しに、やっと向けられたふたつの金眼。
球体に映り込む自身と目をあわせ、「かかった」と、セバスチャンはニヤリ。
奥様、という単語を出しさえすれば、主人は必ず顔をあげる。主人が妻をとってからしばらくして、セバスチャンが発見した必殺技のひとつである。
「パーティで供されるデザートは、大通りにある名店のもの。今回は商品化されていない秘伝のレシピで、まだ誰も口にしたことのないプリンだそうで」
「行くよ」
言うがはやいか、主人は招待状の返事をしたためはじめた。
実のところ、プリンのくだりは口から出まかせ。これから急いで、真実にすべく連絡をいれなければならないだろう。
そうまでしてでも。セバスチャンはどうしても、このパーティに主人を出席させたかった。正確には、店に足を運ばせたかった。
なぜなら。
招待状に記された店の名は”クラブ・ブーゲンビリア”。店のオーナーにピッタリな情熱的な色の葉を持つ花の名を冠した、食事とお酒と素晴らしい歌が楽しめる予定の店。
少しでも多くの人に見せびらかしてみたいのは、店への親心か、それとも恋心か。
「楽しみでございますね」
「うん」
”楽しみ”はそれぞれ別の意味を乗せて、主従のあいだでふわりと舞った。
外伝七 END
飛び跳ねるように店のドアをくぐり書類を掲げたセバスチャンに返ってきたのは、いまだかつて無いほどの怒気をあらわにした声だった。
「し、しかし、この店は来月閉めるのでしょう? ですから新しい店を」
声を震わせ、足を竦ませ。しどろもどろに戦々恐々。そんなセバスチャンに、ミヤコはカウンターの奥から、いりぐちに居ても耳が痛くなるような大声で、
「アンタの言いたいことは分かるよ。建物を買ってしまえば毎月の家賃を払う必要は無いってんだろ?」
「ええ、そのとおりです。それにここは場所が悪い。ついでにもっと人通りの多い場所に移動すればきっと次はうまく」
非常に良い案だと思ったのに。まるで予期していなかった彼女の態度に、挙動不審なセバスチャン。
彼女は伏し目がちに「はぁ」と肩を落とし、
「あのね、押し付けがましい愛は迷惑だよ。アタシの夢はたしかに自分の店を持つことだけど、誰かにポンと恵んでもらっても意味が無いんだ。アンタはそれを分かってない。アンタは、アタシから夢を奪おうとしてるのさ」
「そういう、ものですか」
「そういうものなんだよ」
それっきり、彼女の瞳を覗くのがためらわれ、セバスチャンは俯いた。
かち、こち、かち、こち。時計の音だけが響く店内。心臓が早鐘を打ち気が焦れども、刻まれるときは一定で。かち、こち、かち、こち。
ポーンとキリの良い時間を知らせるベルが鳴ったとき、気まずい沈黙を破ったのはミヤコのほうからだった。
「帰んないの?」
「このまま帰ってはいけないような気がしまして」
「ふぅん。仲直りしたいの?」
「えぇ。ですがどうすれば良いのかも思い浮かびませんので、時計の音を数えておりました」
「まったく……」
かつ、こつ、かつ、こつ。ちから強く、彼女のヒールが床を叩く。それはカウンターの奥からはじまり、かつ、こつ、と少しずつセバスチャンの元へと近づいて。かつ、こつ、かつ。こつ。
「顔をあげなよ」
すぐそばで靴音がとまり、言われた通りに顔をあげれば、やれやれとすくめられた肩が正面に。
「いつも紳士ぶっておとななくせに、こういうときは子どもみたいなんだね」
「そのとおりです。まこと申し訳なく」
「それだよ。悪いことしたと思ったなら、『ごめんなさい』って言えばいいのさ」
「は……」
あっけにとられたセバスチャンからとっさに出たのは、ずいぶんと気の抜けた吐息。
言われてふと気づく。いつからだろうか。「ごめんなさい」を言わなくなったのは。
思えば、吾妻に来るよりももっと前。前の奥様に仕えていたころにはすでに、謝罪といえば「申し訳ございません」だった。周囲に存在するのは、雇い主や、それと同等の権力者達。たとえ出入りの業者に対してでも、横暴な態度をとれば雇い主の品格を下げることになる。しからば、一切の関係者に丁寧に接するべきであると自戒も当然。もちろん、仕事の同僚や部下にたいしても同じように接することを心がけた。
常に一歩引いて、距離を保って。そうやってひとと接してきた彼にとって、親しいひとへの謝罪の言葉「ごめんなさい」は、頭のなかで錆びついて沈んでいた言葉。
「えっと、あの……ご、ごめんなさい」
オウム返しに発した音は、ずいぶんと懐かしい響き。子どものようにたどたどしく、ろくすっぽ練習もしていない演劇のセリフよりもひどい謝罪。
それでも、彼女は、「よくできました」と受け入れ、にこり笑ったのだった。
「分かってくれればいいよ。アタシもついカッとなって怒鳴ってごめん。アンタの気持ちは嬉しいし、無駄にはしたくない。だから、良い案を思いついたよ」
ミヤコは、握りしめられたセバスチャンの手から、ペンと建物の権利書を抜き取って、
「アタシたち、共同経営者にならない?」
と、権利者の名前を書き換えた。
「店のオーナーはアタシで、建物のオーナーはアンタ。アタシはアンタに、毎月家賃を払うよ。建物の代金に足りるまでね。アンタは、自分の建物がどんな風に使われているか、ちゃんとマメに視察にくること! それに、店が休みの日は、アタシの生活態度も視察に来なよ」
「それはつまり」
ただのデートでは、と言おうとしたセバスチャンの唇に、ミヤコはそっとペンを押し当てて。
「野暮なことを言おうとしてないかい?」
「……いえ。毎日でも”視察のために”通います」
「店の名前はアンタがつけて」
「いいんですか?」
「もちろん。アタシのもうひとつの夢を教えてあげる。それはね、アンタの隣にいること。アタシがこの国に店を持ちたいって思った理由のひとつは、アンタが居るからなんだよ。だから、一緒に夢を叶えよう」
そうして差し出された手を握り返すと、やけどしそうなほどに熱がこもっていて。
「これからもよろしくね」
「こちらこそ。ふたりで一緒にがんばりましょう」
雨が降れば地は固まり、木枯らしに散った枯れ葉は新緑が芽吹く糧となる。
固く握られた手と手は、自然とかたちをかえ、絡まり合う指と指に。
かつ、かつ、かつ。
なだらかに刻まれはじめるは、息の合ったステップの音。かち、こち、時計の音を伴奏に、ぽーんと終わりが告げられるまで――。
*
穏やかな気候が続くある日。吾妻邸に届いたのは、一通の招待状。
「坊ちゃま、街で新規オープンする店から、オープンパーティへの招待状が届いております」
「へぇ」
主人への書簡を持ち込んだセバスチャンが声をかけると、案の定ジュンイチはデスクから目を離さずに気のない返事。
主人が他人に興味を示さないのはもはや慣例化した一種の行事のようなものであり、気の利いた執事の常であれば、このまま招待状をその場に置いて静かにさがるのみ。
だが、本日のセバスチャンは細やかな装飾に縁取られた一通を、わざわざ主人のデスクの端へそっと置いた。
「ヘルトゥ様も、歌手活動を行うスタッフの一員として参加されるそうです。坊ちゃまもぜひともご出席なさったほうがよろしいかと」
「僕はいいよ。彼の動向に興味は無い」
「しかし、ヘルトゥ様といえば、あの革命のあと、この国の政治に助言する立場になったおかたです。爵位制度が廃止されてしまった今、彼と懇意にしておいて損は無いのでは?」
客観的に判断してもっともであろうこの論にも、主人は顔をあげることなく。眼前のレポート紙にペンを走らせながら、
「逆だよセバスチャン。爵位が無くなったからこそ、どうでもいいんだ」
もとよりあまり権力者同士の……というより、他人との結び付きに関心の薄かった主人は、昨今の情勢により、益々俗世への興味を失っている様子。
「坊ちゃまがお立場にこだわりを持たれないのは理解しておりますが……爵位が無くなったからこそどうでもいいとは、なにゆえですか?」
「これまで僕は侯爵という肩書を使っていたけど、それは全ての権力が爵位ではかられていたからだ。権力を持つものが限られ集中していたから、何をするにも、ほぼ独断で動いて押し切れる侯爵の立場は便利だった。今はまだ”元”侯爵という肩書きが通用するけど、徐々にそれは意味を失っていく。権力が分散していくんだよ。そうなる以上、彼個人との関わりはさして重要ではなくなるんだ。彼の思想が国民の総意でもない限り、ひとりですべてを動かせるわけじゃない」
まるでこれから先の世を見てきたかのように才人は語る。彼は確信を持って予見している。未来すら数式に落とし込み、先いくばくか、あるいはもっと遠くまで。
「では、これから先、何が重要だと?」
「お金だよ」
主人はちょうど書き上がったらしい書類をクリップでまとめ、郵送用の封筒に詰めた。宛名は国が運営する医療研究所。この紙束は、きっとまたこの家に大金を運び込むだろう。
セバスチャンのほうへは見向きもせず、次に主人が目を通しはじめたのは、軍から送られてきた封書。侯爵の地位は消えゆけど、大佐の地位はまだ失っていない。
「軍での立場にもまだ利用価値があるだろうね。あの研究施設はこの国で一番設備を整えてあるし、お金でどうにもならないときは、直接的なちからでねじ伏せてしまえばいい」
物騒な案は聞かなかったことにして、セバスチャンはしばし、思案する。
結局のところ、天才と呼ぶにふさわしい頭脳を持つこの主人は、爵位を失っても知力と財力(と武力)によって、他者と関わらずとも権力を維持できる。
ヘルトゥという人物との付き合いについて利点を突く作戦は失敗したらしい。
となれば。
老執事はコホン、とひとつ咳払いをし、
「ご出席なされば、奥様がお喜びになりますよ」
秘技を繰り出した。
「……なぜ?」
メガネ越しに、やっと向けられたふたつの金眼。
球体に映り込む自身と目をあわせ、「かかった」と、セバスチャンはニヤリ。
奥様、という単語を出しさえすれば、主人は必ず顔をあげる。主人が妻をとってからしばらくして、セバスチャンが発見した必殺技のひとつである。
「パーティで供されるデザートは、大通りにある名店のもの。今回は商品化されていない秘伝のレシピで、まだ誰も口にしたことのないプリンだそうで」
「行くよ」
言うがはやいか、主人は招待状の返事をしたためはじめた。
実のところ、プリンのくだりは口から出まかせ。これから急いで、真実にすべく連絡をいれなければならないだろう。
そうまでしてでも。セバスチャンはどうしても、このパーティに主人を出席させたかった。正確には、店に足を運ばせたかった。
なぜなら。
招待状に記された店の名は”クラブ・ブーゲンビリア”。店のオーナーにピッタリな情熱的な色の葉を持つ花の名を冠した、食事とお酒と素晴らしい歌が楽しめる予定の店。
少しでも多くの人に見せびらかしてみたいのは、店への親心か、それとも恋心か。
「楽しみでございますね」
「うん」
”楽しみ”はそれぞれ別の意味を乗せて、主従のあいだでふわりと舞った。
外伝七 END
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