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外伝(むしろメイン)
異聞四 ゲツトマ冒険記( 死してなお生きる国 編)※
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メイン:ゲツエイ、トーマス ジャンル:B級
===================================
黒雨が続く山間の街道を、トーマスは歩いている。
先日まで滞在していた国で、ひとつの噂を耳にした。国境を越えた先、とある洞窟の奥深く、「煌めきの国」があるという。
ルビー、サファイア、アメジスト。金、銀、白金、イリジウム。
建物も植物も、地面すらも。魅惑の宝石や貴金属でできている国。空気にまで不可視の粒子が混入し、息をすると目が眩むとは、さすがに偽言だろうが。
そんな国が、なぜ噂でしか語られないのか。
そこに到達して帰ってきたものが、非常に少ないからだ。
その国に到達するまでの道筋には、いくつかの困難が待ち受ける。
ひとつはこの気候と地形。その国へ到達するための唯一の経路が、異常で過酷な気候のただなかにある。
局地雨。
この地域はもうずっと、雨が続いているらしい。
振り返って見えるのは、越えてきた境界線。国と国の。晴空と暗天の。境界線はくっきりと、灰と青のコントラストを天に焼き付けている。
辿ってきた街道は悠遠として快晴。
一方、泥濘に足を踏み入れてからこちら、片時雨の勢いは増すばかり。
前方に広がる薄闇のなか、トーマスの視界に艶めくものはただひとつ。目深にかぶったフードに抑え込まれた、自分自身の月色の髪。
纏った鈍色のマントが、射るように降り注ぐ大粒の水滴を阻んで、ボツボツと重く粗野な音をたてる。
息が詰まりそうなほど強く、強く。一向に止む気配が無い。
境界の手前まで送らせた馬車の御者の言葉を思い返す。
「本当に行くんですか? 宝石なら、そこじゃなくても手にはいるのに」
「問題ありません。旅には慣れていますから」
「慣れているとかいないとか、そういうことでは無いんです」
「ですが、迂回路は無いのでしょう?」
「ええ、だから幻の国なんですよ。山に覆われて、人ひとり、よくてもふたりが並んで歩くのが限界という狭い道幅に、止まない豪雨、頻繁に起こる土砂崩れ。命がいくつあっても足りませんよ。あるかどうか定かではない煌めきの国と、今確実にある命。天秤にかければどちらが大切かすぐに理解できましょう?」
御者への返答としてトーマスが無言で微笑めば、それ以上の説得は飛んでこなかった。
そして背を向けしばらく。身を打つ雨粒の強さに顔をしかめるほどになってきた頃、道幅が徐々に狭まってくる。左右で圧迫感を放つ山は、雨による地盤の緩みで、御者の言葉通りその領域を徐々に拡大していると見える。
と、そのとき。
雨音に交じる、地響き。重低音の交響曲。微細な振動が徐々にテンションを高め近づいてくる。
「チッ。土砂崩れか」
トーマスが声をあげたと同時、一瞬はやく感じ取ったらしいゲツエイがトーマスを担ぎ上げる。
走り出したゲツエイとトーマスの周囲で音が止む。音速を超える疾駆は雨をも断絶する絶対的な休符。
跳ねるように襲い来る枝葉に、トーマスは腰から抜いたハンドガンでドン! と一発、轟音の鉛をくれてやって終曲。
流れる泥が周囲の地形を変えながら、土崩の幕が降りた。
退路は絶たれ、もとより戻る気も無い。
ゲツエイから降りたトーマスは、幾重に降りそそぐ銀糸をかきわけ、先へ。
透明なはずの雨が、流線として視認できる段階を超えると、もはや宙に浮かぶ水の塊となって行路を阻害する。
ついには一寸先も見えなくなって。
ゆっくりと息を吐き、踏み出したつま先が、コツン。何かに当たり進行を阻まれる。
前方に手を伸ばし探れば、取っ手らしき突起に触れた。
「ドア……。ゲツエイ、警戒してろよ」
片手を銃のホルスターに伸ばし、トーマスは慎重に、そのドアをくぐる。
その先に、
――空が広がっていた。
「え?」
空、だと思ったものは、よく見れば天井に描かれた絵。
果てが見えない、広大な半球体。ここは間違いなく、人為的につくられた場所。
ところどころに見える、木板を組み合わせた建物は住居の様相を成し、農耕が行われていることを示す畑と、外壁に掘られた横井戸。空の絵が描かれた天井にはやや青みがかった照明が灯り晴れ晴れとして、壁の外の様子を忘れそうになる。
つまりは、ドーム型の……国。
「尋ねたいことがあるのですが」
近場の家をノックするも、反応は無く。ノブに手をかければ、警戒は不要とばかりに軽快に開くドア。
「誰か居ますか?」
踏み込んで、玄関からつながるダイニングキッチンへ。蛇口をひねると透き通った水が跳ねる。横井戸の水を利用しているんだろう。
ベッドルームはちいさな蜘蛛の巣がはられ、ホコリが舞い不快。ベッド脇に並ぶ背高の書架は空段が目立ち、本よりも小物が多く配置されている。土の人形、ガラス玉、木枠のフレーム。自然物が多い。この国の工芸品だろうか。国に関する資料や煌めきの国への手がかりは見受けられない。食料や銃弾、その他使えそうなモノも特に無し。
数軒まわってみるも、全て似たような状態。留守の家が続き、周囲に人影はなく、不審なほどの静けさ。
国内の時間経過は、照明の強弱と色相によって管理されているようだ。周辺の探索をしているうちに、空の絵は青から夕色に変化し、裾からは瑠璃色が滲みあがりはじめた。
入国したドアから、国をまっすぐ横切るように歩き通して現在。中心に近づいているはずだが、建物の密度が増えるということはなく。国土における人口比率は多くない様子。のどかな農耕地と、いくつかの集落、横井戸から伸びる用水路。ここまでの道すがらでは、それらが一定区間ごとに点在するのみ。
そして相変わらずの、深閑。
「誰もいない、か」
薄日も浴めぬ永劫霖雨の地。
雨が降り続く地に人が住もうと試みたのか、人が住んでいた地に雨が降りはじめたのか。どちらが先にせよ、共存は不可として、国ごと廃棄されたと考えるのが妥当だろう。
いつから雨が降っていたのか? はっきりしないほど昔からだと聞いたが、その割には建物や外壁の老朽化がさほどすすんでいないことだけが気にかかる。
特殊な気候ゆえ、何かトーマスの知識を超える現象が起こっているか、または独自の防腐処理でも施してあるのかもしれないと結論付けるしかない。
「今夜はここで明かして、明日にはとっとと国を抜けるぞ」
頷くゲツエイとともに、一晩の宿のため手近な住居へ。
トーマスは玄関を正面に据えるテーブルに陣取り、ゲツエイはその背後、ベッドルームへと引っ込んだ。
――静寂を手に、じわり、じわりと夜が来る。
滲んだ瑠璃はいつのまにやら天を覆い、全ては碧潭に沈む。
ガタンッ。
ドアに何かを打ち付けたような物音がして、椅子で眠っていたトーマスは瞼をあげた。
ゲツエイは、基本的に音を出さない。
あの豪雨すらも遮断するドーム内部は、もちろん無風かつ無音。
昼から夕までの距離を歩き通し、建物も調べ、人どころか動物の影さえひとつも見えなかった。水と照明、それ以外の生命活動に必要な機能は失われている。
この国は、死んでいるはず。
それでは……それでは、この物音は、何だろうか。
暗闇に目が慣れてくる。
いつから居たのか。キッチンシンクの上、格子の嵌まる小窓をゲツエイはジッと見つめている。
「どうした。外に何か」
ガタンッ。
トーマスの声を待っていたかのように再び物音がして。
ガタンガタン。
震える窓。
ガタンガタンガタン。
揺れるドア。
ガタンガタンガタン、ガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタン。
バキッ。
ドアが、壊れた。
「ゲツエイ!」
その名を呼べば、疾風、怒涛。
ドアを破り侵入してきた異物はゲツエイにより秒速よりもはやく切断された。
はず、だった。
ひとのかたちをしたソレは、間違いなく、上半身と下半身が分断されている。
にも関わらず、止まらない。
「何ッ!?」
「う”ぉ”お”お”あ”あ”あ”あ”」
咆哮をあげ、切断された腹部から溢れる臓器を引きずりながら、腕で床を這い迫りくる、人型!
トーマスは瞬時に銃を抜き、人型の眉間目掛けてダダダと三発、バースト射撃。そうしてやっと動きが止まる。
「何なんだ!」
ドンドンドン、ガタガタガタ。
目をこらせば窓の外にも多量の影。
取 り 囲 ま れ て い る !
バリン! キッチン窓のガラスが割れる。
格子が外れるのも時間の問題。
玄関では、斬っても斬っても途斬れぬ人型の波が、羅刹と化したゲツエイの凶刃を体液で濡らし続けている。
頭がある限り蠢き続ける人型の肉片。指は尺取り、手首は踊り、臓器は蛇腹に跳ね回る。
じわり、じとり、ずるずると。着実に詰まる距離に閉塞感が増していく。
「やめろ……来るな! 止まれ!」
ぴたり。
「止ま……った……?」
ヒュンと一閃されたゲツエイの小太刀で最後の肉片がビチャリと落ちると、静けさが訪れる。
反響するは、ハァハァと未だ興奮冷めやらぬゲツエイの息遣いのみ。
「も、戻れ。外へ出ろ」
期待少なに命令すると、型崩れした肉片どもがびたんずたんとのたうち醜悪な態度で指示に従う。
ひとまずの危機は去ったかと、落ちた薬莢を拾うトーマス。
落ち着いて状況を整理すべき。
喉が乾いた。トーマスはキッチンの蛇口から水を出し、携帯燃料で火にかける。
湧き上がる泡がカップの奥底から表面を目指し、割れることを繰り返す。熱し続ける限り、幾度でも。
じゅうぶんに沸騰させてから火を止め、口に含もうとして。
カップを持つ手が、ゲツエイに止められた。
「ああ……」
この国が、死んでからもなおそのままに有り続ける理由を、トーマスは理解した。
この国が死んでしまった直接の原因は分からない。だが、死んだあとも仮初めの生を見せ続けている理由は。
「水か」
降り続く雨。囲む山。国の生活用水。老朽や腐敗の片鱗が見えない建物や小物は木製や土製のものばかり。そして、殺しても殺せない肉片。
不可解な点を線でつなぐ。
木が腐る原因は、主に木材腐朽菌という菌によるもの。この菌は湿気によって増殖する。これだけ雨が続く地で山の木々が腐り落ちていないのは、腐敗を止める、または再生させる別の菌が誕生、繁殖したためだろう。
その菌はおそらく、山水のなかに繁殖していて、水を吸い上げた木中の木材腐朽菌を殲滅する。
一方、この国の生活用水は、横井戸によって山中からひいてきたものだ。そこには間違いなく腐敗を止める菌が含まれている。その菌は、木材以外の腐敗も抑止する力があるんだろう。
菌は熱にも強いと見える。沸騰でも死なない菌が含まれた水を日頃から飲んでいたであろう国民達。体内に菌が蓄積され、死んだあともからだは腐らず、形を保ったままとなる。それがあの、人型。
ここまではほぼ確定だろう。ここから先は、自分でも馬鹿らしくなるほどの当て推量。
この、腐敗を止める菌は、寄生生物である。
生命活動を終えた他生物の肉体を利用し、本能的に種の存続に努めようとする。
国が破棄され、種の存続を危ぶんだ菌達は、新たな繁栄手段を探し求めていた。
菌達は、状況を打開できる指揮官を欲していた。
そこへやってきたのが、トーマスだ。
「ふっ。ふはは」
あまりに突飛な発想に、失笑。
理屈などはどうでも良い。考えたところで、答えは得られない。ならば現実を受け取るだけ。
ドアを開けると、整列した人型達。
「ふたり、出てこい」
指示を出すとその通りに。
試しにいくつか銃弾を撃ち込んでみる。人型はからだに穴をあけたまま直立不動。
「戻れ」の合図で、再び整列。
従順。
これらは便利なコマとなる。痛みを知らず、恐れを知らず、意志も無く。死体があれば補充も簡単。目的地へ向かう途中で良い拾いモノをした。偶然に無限の軍団を手にし、破顔せずにはいられない。
群青の空は黎明にかき消され、徐々に光が強くなる。
「よし、行くぞ。ついて来い」
夜明けと同時。一夜にして結成された軍隊は、揚々と壁の向こうを目指す。
休むことなく直進し、ついに外壁を視界に捉えた。
ドアをひらき、外の様子をうかがうと、汗ばみそうなほどの晴れ模様。
ドームのなかで、雨の区域を抜けていたらしい。
幸先の良い気象に軽快な靴音カツと響かせ、進んだトーマスの背後で。
「あ、あ」
「あ”あ”あ”う”おぉあ」
どしゃり、くしゃりと次々に人型達が崩れ落ちはじめた。
「何!?」
慌てて振り返っても時すでに遅し。これまでの反動のように恐ろしいスピードで腐乱し溶けていく死体の山。
「チッ。紫外線か!」
ドーム内部の照明は太陽光を模してはいたが、おそらくLED。紫外線の含有量は本物の日光に比べると微々たるもの。
にもかかわらず、人型達が夜まで活動を控えていたことから察するべきだった。この菌は、紫外線に弱い!
後悔先に立たず。瞬きをするあいだに、あたりには腐敗臭を放つ泥沼が完成。
「うっ……。ゲツエイ、はやくここから離れろ」
耐えきれぬ異臭に呼吸を止めて、ゲツエイに担がれ秒速で退散。少々惜しいが、仕方ない。偶然の拾いものが飛沫と消えただけ。
元来、目当ては煌めきの国。
あるのか無いのか煌めきの国。噂の真相にたどり着く前の夢幻の一幕。これにて閉幕。
異聞四END
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黒雨が続く山間の街道を、トーマスは歩いている。
先日まで滞在していた国で、ひとつの噂を耳にした。国境を越えた先、とある洞窟の奥深く、「煌めきの国」があるという。
ルビー、サファイア、アメジスト。金、銀、白金、イリジウム。
建物も植物も、地面すらも。魅惑の宝石や貴金属でできている国。空気にまで不可視の粒子が混入し、息をすると目が眩むとは、さすがに偽言だろうが。
そんな国が、なぜ噂でしか語られないのか。
そこに到達して帰ってきたものが、非常に少ないからだ。
その国に到達するまでの道筋には、いくつかの困難が待ち受ける。
ひとつはこの気候と地形。その国へ到達するための唯一の経路が、異常で過酷な気候のただなかにある。
局地雨。
この地域はもうずっと、雨が続いているらしい。
振り返って見えるのは、越えてきた境界線。国と国の。晴空と暗天の。境界線はくっきりと、灰と青のコントラストを天に焼き付けている。
辿ってきた街道は悠遠として快晴。
一方、泥濘に足を踏み入れてからこちら、片時雨の勢いは増すばかり。
前方に広がる薄闇のなか、トーマスの視界に艶めくものはただひとつ。目深にかぶったフードに抑え込まれた、自分自身の月色の髪。
纏った鈍色のマントが、射るように降り注ぐ大粒の水滴を阻んで、ボツボツと重く粗野な音をたてる。
息が詰まりそうなほど強く、強く。一向に止む気配が無い。
境界の手前まで送らせた馬車の御者の言葉を思い返す。
「本当に行くんですか? 宝石なら、そこじゃなくても手にはいるのに」
「問題ありません。旅には慣れていますから」
「慣れているとかいないとか、そういうことでは無いんです」
「ですが、迂回路は無いのでしょう?」
「ええ、だから幻の国なんですよ。山に覆われて、人ひとり、よくてもふたりが並んで歩くのが限界という狭い道幅に、止まない豪雨、頻繁に起こる土砂崩れ。命がいくつあっても足りませんよ。あるかどうか定かではない煌めきの国と、今確実にある命。天秤にかければどちらが大切かすぐに理解できましょう?」
御者への返答としてトーマスが無言で微笑めば、それ以上の説得は飛んでこなかった。
そして背を向けしばらく。身を打つ雨粒の強さに顔をしかめるほどになってきた頃、道幅が徐々に狭まってくる。左右で圧迫感を放つ山は、雨による地盤の緩みで、御者の言葉通りその領域を徐々に拡大していると見える。
と、そのとき。
雨音に交じる、地響き。重低音の交響曲。微細な振動が徐々にテンションを高め近づいてくる。
「チッ。土砂崩れか」
トーマスが声をあげたと同時、一瞬はやく感じ取ったらしいゲツエイがトーマスを担ぎ上げる。
走り出したゲツエイとトーマスの周囲で音が止む。音速を超える疾駆は雨をも断絶する絶対的な休符。
跳ねるように襲い来る枝葉に、トーマスは腰から抜いたハンドガンでドン! と一発、轟音の鉛をくれてやって終曲。
流れる泥が周囲の地形を変えながら、土崩の幕が降りた。
退路は絶たれ、もとより戻る気も無い。
ゲツエイから降りたトーマスは、幾重に降りそそぐ銀糸をかきわけ、先へ。
透明なはずの雨が、流線として視認できる段階を超えると、もはや宙に浮かぶ水の塊となって行路を阻害する。
ついには一寸先も見えなくなって。
ゆっくりと息を吐き、踏み出したつま先が、コツン。何かに当たり進行を阻まれる。
前方に手を伸ばし探れば、取っ手らしき突起に触れた。
「ドア……。ゲツエイ、警戒してろよ」
片手を銃のホルスターに伸ばし、トーマスは慎重に、そのドアをくぐる。
その先に、
――空が広がっていた。
「え?」
空、だと思ったものは、よく見れば天井に描かれた絵。
果てが見えない、広大な半球体。ここは間違いなく、人為的につくられた場所。
ところどころに見える、木板を組み合わせた建物は住居の様相を成し、農耕が行われていることを示す畑と、外壁に掘られた横井戸。空の絵が描かれた天井にはやや青みがかった照明が灯り晴れ晴れとして、壁の外の様子を忘れそうになる。
つまりは、ドーム型の……国。
「尋ねたいことがあるのですが」
近場の家をノックするも、反応は無く。ノブに手をかければ、警戒は不要とばかりに軽快に開くドア。
「誰か居ますか?」
踏み込んで、玄関からつながるダイニングキッチンへ。蛇口をひねると透き通った水が跳ねる。横井戸の水を利用しているんだろう。
ベッドルームはちいさな蜘蛛の巣がはられ、ホコリが舞い不快。ベッド脇に並ぶ背高の書架は空段が目立ち、本よりも小物が多く配置されている。土の人形、ガラス玉、木枠のフレーム。自然物が多い。この国の工芸品だろうか。国に関する資料や煌めきの国への手がかりは見受けられない。食料や銃弾、その他使えそうなモノも特に無し。
数軒まわってみるも、全て似たような状態。留守の家が続き、周囲に人影はなく、不審なほどの静けさ。
国内の時間経過は、照明の強弱と色相によって管理されているようだ。周辺の探索をしているうちに、空の絵は青から夕色に変化し、裾からは瑠璃色が滲みあがりはじめた。
入国したドアから、国をまっすぐ横切るように歩き通して現在。中心に近づいているはずだが、建物の密度が増えるということはなく。国土における人口比率は多くない様子。のどかな農耕地と、いくつかの集落、横井戸から伸びる用水路。ここまでの道すがらでは、それらが一定区間ごとに点在するのみ。
そして相変わらずの、深閑。
「誰もいない、か」
薄日も浴めぬ永劫霖雨の地。
雨が降り続く地に人が住もうと試みたのか、人が住んでいた地に雨が降りはじめたのか。どちらが先にせよ、共存は不可として、国ごと廃棄されたと考えるのが妥当だろう。
いつから雨が降っていたのか? はっきりしないほど昔からだと聞いたが、その割には建物や外壁の老朽化がさほどすすんでいないことだけが気にかかる。
特殊な気候ゆえ、何かトーマスの知識を超える現象が起こっているか、または独自の防腐処理でも施してあるのかもしれないと結論付けるしかない。
「今夜はここで明かして、明日にはとっとと国を抜けるぞ」
頷くゲツエイとともに、一晩の宿のため手近な住居へ。
トーマスは玄関を正面に据えるテーブルに陣取り、ゲツエイはその背後、ベッドルームへと引っ込んだ。
――静寂を手に、じわり、じわりと夜が来る。
滲んだ瑠璃はいつのまにやら天を覆い、全ては碧潭に沈む。
ガタンッ。
ドアに何かを打ち付けたような物音がして、椅子で眠っていたトーマスは瞼をあげた。
ゲツエイは、基本的に音を出さない。
あの豪雨すらも遮断するドーム内部は、もちろん無風かつ無音。
昼から夕までの距離を歩き通し、建物も調べ、人どころか動物の影さえひとつも見えなかった。水と照明、それ以外の生命活動に必要な機能は失われている。
この国は、死んでいるはず。
それでは……それでは、この物音は、何だろうか。
暗闇に目が慣れてくる。
いつから居たのか。キッチンシンクの上、格子の嵌まる小窓をゲツエイはジッと見つめている。
「どうした。外に何か」
ガタンッ。
トーマスの声を待っていたかのように再び物音がして。
ガタンガタン。
震える窓。
ガタンガタンガタン。
揺れるドア。
ガタンガタンガタン、ガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタンガタン。
バキッ。
ドアが、壊れた。
「ゲツエイ!」
その名を呼べば、疾風、怒涛。
ドアを破り侵入してきた異物はゲツエイにより秒速よりもはやく切断された。
はず、だった。
ひとのかたちをしたソレは、間違いなく、上半身と下半身が分断されている。
にも関わらず、止まらない。
「何ッ!?」
「う”ぉ”お”お”あ”あ”あ”あ”」
咆哮をあげ、切断された腹部から溢れる臓器を引きずりながら、腕で床を這い迫りくる、人型!
トーマスは瞬時に銃を抜き、人型の眉間目掛けてダダダと三発、バースト射撃。そうしてやっと動きが止まる。
「何なんだ!」
ドンドンドン、ガタガタガタ。
目をこらせば窓の外にも多量の影。
取 り 囲 ま れ て い る !
バリン! キッチン窓のガラスが割れる。
格子が外れるのも時間の問題。
玄関では、斬っても斬っても途斬れぬ人型の波が、羅刹と化したゲツエイの凶刃を体液で濡らし続けている。
頭がある限り蠢き続ける人型の肉片。指は尺取り、手首は踊り、臓器は蛇腹に跳ね回る。
じわり、じとり、ずるずると。着実に詰まる距離に閉塞感が増していく。
「やめろ……来るな! 止まれ!」
ぴたり。
「止ま……った……?」
ヒュンと一閃されたゲツエイの小太刀で最後の肉片がビチャリと落ちると、静けさが訪れる。
反響するは、ハァハァと未だ興奮冷めやらぬゲツエイの息遣いのみ。
「も、戻れ。外へ出ろ」
期待少なに命令すると、型崩れした肉片どもがびたんずたんとのたうち醜悪な態度で指示に従う。
ひとまずの危機は去ったかと、落ちた薬莢を拾うトーマス。
落ち着いて状況を整理すべき。
喉が乾いた。トーマスはキッチンの蛇口から水を出し、携帯燃料で火にかける。
湧き上がる泡がカップの奥底から表面を目指し、割れることを繰り返す。熱し続ける限り、幾度でも。
じゅうぶんに沸騰させてから火を止め、口に含もうとして。
カップを持つ手が、ゲツエイに止められた。
「ああ……」
この国が、死んでからもなおそのままに有り続ける理由を、トーマスは理解した。
この国が死んでしまった直接の原因は分からない。だが、死んだあとも仮初めの生を見せ続けている理由は。
「水か」
降り続く雨。囲む山。国の生活用水。老朽や腐敗の片鱗が見えない建物や小物は木製や土製のものばかり。そして、殺しても殺せない肉片。
不可解な点を線でつなぐ。
木が腐る原因は、主に木材腐朽菌という菌によるもの。この菌は湿気によって増殖する。これだけ雨が続く地で山の木々が腐り落ちていないのは、腐敗を止める、または再生させる別の菌が誕生、繁殖したためだろう。
その菌はおそらく、山水のなかに繁殖していて、水を吸い上げた木中の木材腐朽菌を殲滅する。
一方、この国の生活用水は、横井戸によって山中からひいてきたものだ。そこには間違いなく腐敗を止める菌が含まれている。その菌は、木材以外の腐敗も抑止する力があるんだろう。
菌は熱にも強いと見える。沸騰でも死なない菌が含まれた水を日頃から飲んでいたであろう国民達。体内に菌が蓄積され、死んだあともからだは腐らず、形を保ったままとなる。それがあの、人型。
ここまではほぼ確定だろう。ここから先は、自分でも馬鹿らしくなるほどの当て推量。
この、腐敗を止める菌は、寄生生物である。
生命活動を終えた他生物の肉体を利用し、本能的に種の存続に努めようとする。
国が破棄され、種の存続を危ぶんだ菌達は、新たな繁栄手段を探し求めていた。
菌達は、状況を打開できる指揮官を欲していた。
そこへやってきたのが、トーマスだ。
「ふっ。ふはは」
あまりに突飛な発想に、失笑。
理屈などはどうでも良い。考えたところで、答えは得られない。ならば現実を受け取るだけ。
ドアを開けると、整列した人型達。
「ふたり、出てこい」
指示を出すとその通りに。
試しにいくつか銃弾を撃ち込んでみる。人型はからだに穴をあけたまま直立不動。
「戻れ」の合図で、再び整列。
従順。
これらは便利なコマとなる。痛みを知らず、恐れを知らず、意志も無く。死体があれば補充も簡単。目的地へ向かう途中で良い拾いモノをした。偶然に無限の軍団を手にし、破顔せずにはいられない。
群青の空は黎明にかき消され、徐々に光が強くなる。
「よし、行くぞ。ついて来い」
夜明けと同時。一夜にして結成された軍隊は、揚々と壁の向こうを目指す。
休むことなく直進し、ついに外壁を視界に捉えた。
ドアをひらき、外の様子をうかがうと、汗ばみそうなほどの晴れ模様。
ドームのなかで、雨の区域を抜けていたらしい。
幸先の良い気象に軽快な靴音カツと響かせ、進んだトーマスの背後で。
「あ、あ」
「あ”あ”あ”う”おぉあ」
どしゃり、くしゃりと次々に人型達が崩れ落ちはじめた。
「何!?」
慌てて振り返っても時すでに遅し。これまでの反動のように恐ろしいスピードで腐乱し溶けていく死体の山。
「チッ。紫外線か!」
ドーム内部の照明は太陽光を模してはいたが、おそらくLED。紫外線の含有量は本物の日光に比べると微々たるもの。
にもかかわらず、人型達が夜まで活動を控えていたことから察するべきだった。この菌は、紫外線に弱い!
後悔先に立たず。瞬きをするあいだに、あたりには腐敗臭を放つ泥沼が完成。
「うっ……。ゲツエイ、はやくここから離れろ」
耐えきれぬ異臭に呼吸を止めて、ゲツエイに担がれ秒速で退散。少々惜しいが、仕方ない。偶然の拾いものが飛沫と消えただけ。
元来、目当ては煌めきの国。
あるのか無いのか煌めきの国。噂の真相にたどり着く前の夢幻の一幕。これにて閉幕。
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「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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