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希望
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ファディーラの死から一年が過ぎた。
王妃の喪が明けたということで、ダミールの元には継妃や新たな側室の申し込みが殺到しているという。
どうやら、後宮の主が庶民出身の降嫁巫女では駄目なようだ。
そんなことはアーシャにもわかっていた。
わかってはいたが、結局はダミールが決めることなので、ただ侍女や女官たちの噂話を聞き流すに留めていた。
ファディーラの葬儀以後、ダミールとは公的な行事や儀式以外では、一切顔を合わせていなかった。
王女は乳母がすでにつけられているし、仕える侍女や女官も生まれる前にダミールとファディーラが相談して決めた者たちがいるので、あえてアーシャが会いにいくことはしなかった。
それでなくてもファディーラ亡き後のアーシャの立場は微妙だった。
後宮の者たちも腫れ物に触るような扱いだ。
アーシャ自身もどういう態度をとれば良いのかわからなかった。
ダミールが私的にアーシャの部屋を訪れたのは、そんな頃であった。
「陛下、いらっしゃいませ。お久しゅうございます」
一応、出迎えの儀礼的な挨拶を述べた。
「ああ」
ダミールは一歳になったばかりの王女を抱いていた。
王女は、亡くなったファディーラそっくりの容姿で、すやすやと眠っている。
ダミールが入って早々に人払いをさせたので、部屋には三人だけとなった。
「王妃さまにますます似てこられてますね」
何を話していいのかわからず、とりあえず王女のことを口に出してみた。
「そうだろう」
ダミールは嬉し気に頬をゆるめる。
「お可愛らしい」
そっと小さな指に触れてみる。
「ファディーラが命をかけて産んでくれた娘だ」
「さようにございますね」
二人の間に、王女を挟んで穏やかな空気が流れた。
「王女さまを次の王になさるのですか?」
ずっと気になっていたことを率直にアーシャは尋ねてみた。
最近の後宮では、王が新たに妻を迎えようとしないのは、この際、国法を変えて王女に婿を迎えて女王として即位させるのではないのだろうか、という噂が流れ始めていたのだ。
ダミールは静かに首を横に振った。
「いや、それではラアナの呪いは解けない。結局、この子を女王にしてしまえば、その後の世継ぎが生まれないことになってしまうだけだ」
呪いの解放を未来に、子孫に押しつけてしまうだけだ。
「でも……」
「そんな呪いを我が子にまで負わせたくない。私の代でラアナの呪いを解かなければ」
ダミールは約束するかのように、王女の小さな手を優しく握った。
「せっかくファディーラが王妃としてお膳立てをしてくれたのに、私の子孫にまで類を及ぼしたくはない」
アーシャの顔が苦し気に歪んだ。
では決意したのだダミールは。
決意してしまったのだ。
愛した女性以外との間に子供をもうけることを。
だから今日、ようやくアーシャを訪ねてきたのだ。
「そのような顔をするなアーシャ」
「陛下、申し訳ありません!」
思わずその場で平伏する。
二人の顔を見ていられなかった。
「何を申すのだ? 詫びるのは私の方だ。すまないな。最初の約束を破ってしまうことになってしまって」
「私の方こそ、陛下と王妃さまの間に割って入るようなことになってしまって申し訳ございません!」
「いや、それは違う。私はファディーラの命を懸けた最後の文のおかげで、やっと王としての責任を全うしなければならないと思うようになったのだ」
「陛下……」
「一国の王としては情けない話だが。それに、元々の原因は先々代の王である私の祖父だ。ラアナはその犠牲者だ」
歴代のハジャル王の中でも、特に先々代あたりから、一人の女人だけを強く愛する傾向にあったのだ。
「アーシャ、どうか我がハジャル王家の呪いを解く手助けをしてほしい。そして、母を亡くした娘の養母になってほしい」
ダミールはアーシャを立たせると、王女を抱いたまま頭を下げた。
「陛下! どうか頭をお上げになって下さいませ。私に頭を下げる必要はございません。私には、ただ王としてお命じになられれば良いのです」
あの最初の天幕の夜のように。
「私はもう誰も後宮に特別な女人は入れぬと決めた。ゆえに、そなたには後宮の主となって王女とこれから生まれるであろう『神の御子』を立派に育ててほしいのだ」
「私は庶民上がりの巫女でございます。陛下の御子様のご養育には、もっと立派な方にお申し付けになったほうがよろしいのではありませんか?」
例え、アーシャの産む子供であっても。
「下手に高位の身分出身の女官や侍女たちに王女もそなたの御子も任せられないし、任せたくない」
後宮内での王位継承争いは避けたいのだ。
「頼む。年齢に合わせて王族に必要な知識や作法は、私からその都度、師匠をつける。だから、どうか……」
「わかりました。陛下の御意に従います」
そこまでダミールに頼まれれば、アーシャに否やはなかった。
「ではアーシャ、よろしく頼む。そなたと私とこの子と、今日から家族になろうぞ」
ダミールがアーシャの手に王女の小さな手と自分の大きな手を重ねてくる。
「はい」
夫婦になろうとは言われなかった。
でも、『家族』という言葉が暖かくて、アーシャの涙は止まらなかった。
十数年前を思い出す。
王のために失われた家族が、王のために復活したのだ。
翌年、アーシャは無事に『神の御子』を産む。
この御子が、後にダミールの跡を継いでハジャル王になるのである。
アーシャの息子が即位することで、ラアナの呪いは完全に解けることになる。
アーシャは、ハジャルでの乳香と没薬の商品開発にも貢献し、後々まで称えられる降嫁巫女となった。
また、同時期に大陸中央神殿では、大巫女ルシュドゥが一つの決定を下した。
すなわち、『巫女調べ』で神殿を訪れた王に巫女が選ばれても、その巫女の自由意志による拒否権を与えることとする、と。
王妃の喪が明けたということで、ダミールの元には継妃や新たな側室の申し込みが殺到しているという。
どうやら、後宮の主が庶民出身の降嫁巫女では駄目なようだ。
そんなことはアーシャにもわかっていた。
わかってはいたが、結局はダミールが決めることなので、ただ侍女や女官たちの噂話を聞き流すに留めていた。
ファディーラの葬儀以後、ダミールとは公的な行事や儀式以外では、一切顔を合わせていなかった。
王女は乳母がすでにつけられているし、仕える侍女や女官も生まれる前にダミールとファディーラが相談して決めた者たちがいるので、あえてアーシャが会いにいくことはしなかった。
それでなくてもファディーラ亡き後のアーシャの立場は微妙だった。
後宮の者たちも腫れ物に触るような扱いだ。
アーシャ自身もどういう態度をとれば良いのかわからなかった。
ダミールが私的にアーシャの部屋を訪れたのは、そんな頃であった。
「陛下、いらっしゃいませ。お久しゅうございます」
一応、出迎えの儀礼的な挨拶を述べた。
「ああ」
ダミールは一歳になったばかりの王女を抱いていた。
王女は、亡くなったファディーラそっくりの容姿で、すやすやと眠っている。
ダミールが入って早々に人払いをさせたので、部屋には三人だけとなった。
「王妃さまにますます似てこられてますね」
何を話していいのかわからず、とりあえず王女のことを口に出してみた。
「そうだろう」
ダミールは嬉し気に頬をゆるめる。
「お可愛らしい」
そっと小さな指に触れてみる。
「ファディーラが命をかけて産んでくれた娘だ」
「さようにございますね」
二人の間に、王女を挟んで穏やかな空気が流れた。
「王女さまを次の王になさるのですか?」
ずっと気になっていたことを率直にアーシャは尋ねてみた。
最近の後宮では、王が新たに妻を迎えようとしないのは、この際、国法を変えて王女に婿を迎えて女王として即位させるのではないのだろうか、という噂が流れ始めていたのだ。
ダミールは静かに首を横に振った。
「いや、それではラアナの呪いは解けない。結局、この子を女王にしてしまえば、その後の世継ぎが生まれないことになってしまうだけだ」
呪いの解放を未来に、子孫に押しつけてしまうだけだ。
「でも……」
「そんな呪いを我が子にまで負わせたくない。私の代でラアナの呪いを解かなければ」
ダミールは約束するかのように、王女の小さな手を優しく握った。
「せっかくファディーラが王妃としてお膳立てをしてくれたのに、私の子孫にまで類を及ぼしたくはない」
アーシャの顔が苦し気に歪んだ。
では決意したのだダミールは。
決意してしまったのだ。
愛した女性以外との間に子供をもうけることを。
だから今日、ようやくアーシャを訪ねてきたのだ。
「そのような顔をするなアーシャ」
「陛下、申し訳ありません!」
思わずその場で平伏する。
二人の顔を見ていられなかった。
「何を申すのだ? 詫びるのは私の方だ。すまないな。最初の約束を破ってしまうことになってしまって」
「私の方こそ、陛下と王妃さまの間に割って入るようなことになってしまって申し訳ございません!」
「いや、それは違う。私はファディーラの命を懸けた最後の文のおかげで、やっと王としての責任を全うしなければならないと思うようになったのだ」
「陛下……」
「一国の王としては情けない話だが。それに、元々の原因は先々代の王である私の祖父だ。ラアナはその犠牲者だ」
歴代のハジャル王の中でも、特に先々代あたりから、一人の女人だけを強く愛する傾向にあったのだ。
「アーシャ、どうか我がハジャル王家の呪いを解く手助けをしてほしい。そして、母を亡くした娘の養母になってほしい」
ダミールはアーシャを立たせると、王女を抱いたまま頭を下げた。
「陛下! どうか頭をお上げになって下さいませ。私に頭を下げる必要はございません。私には、ただ王としてお命じになられれば良いのです」
あの最初の天幕の夜のように。
「私はもう誰も後宮に特別な女人は入れぬと決めた。ゆえに、そなたには後宮の主となって王女とこれから生まれるであろう『神の御子』を立派に育ててほしいのだ」
「私は庶民上がりの巫女でございます。陛下の御子様のご養育には、もっと立派な方にお申し付けになったほうがよろしいのではありませんか?」
例え、アーシャの産む子供であっても。
「下手に高位の身分出身の女官や侍女たちに王女もそなたの御子も任せられないし、任せたくない」
後宮内での王位継承争いは避けたいのだ。
「頼む。年齢に合わせて王族に必要な知識や作法は、私からその都度、師匠をつける。だから、どうか……」
「わかりました。陛下の御意に従います」
そこまでダミールに頼まれれば、アーシャに否やはなかった。
「ではアーシャ、よろしく頼む。そなたと私とこの子と、今日から家族になろうぞ」
ダミールがアーシャの手に王女の小さな手と自分の大きな手を重ねてくる。
「はい」
夫婦になろうとは言われなかった。
でも、『家族』という言葉が暖かくて、アーシャの涙は止まらなかった。
十数年前を思い出す。
王のために失われた家族が、王のために復活したのだ。
翌年、アーシャは無事に『神の御子』を産む。
この御子が、後にダミールの跡を継いでハジャル王になるのである。
アーシャの息子が即位することで、ラアナの呪いは完全に解けることになる。
アーシャは、ハジャルでの乳香と没薬の商品開発にも貢献し、後々まで称えられる降嫁巫女となった。
また、同時期に大陸中央神殿では、大巫女ルシュドゥが一つの決定を下した。
すなわち、『巫女調べ』で神殿を訪れた王に巫女が選ばれても、その巫女の自由意志による拒否権を与えることとする、と。
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