17 / 26
王の訪れ
しおりを挟む
アーシャはラアナの文様を読んで以来、ますます頻繁に書庫に通い詰めていた。
ともすれば、午後の体力作りや実験の時間も削るぐらいに。
ファディーラも心配をしていたのだが、アーシャは気づかないふりをして、過去の巫女たちの書物の中でも、日記の類を片っ端から読み直していた。
そんなある日のこと。
夜も更けてもうすぐ休もうかと思っていた矢先に、ダミールがアーシャの部屋を訪ねてきた。
ファディーラに一途で、自分の部屋を訪ねてくるなどありえなかったはずなのだが。
怪訝な表情のアーシャに、ダミールは苦笑いしながら入ってきて寝台近くの椅子に腰かけた。
ラダーは飲み物や菓子の盆を卓上に置くと、入れ替わりに一礼して廊下へと出て行った。
「不思議に思っているのだろう?」
「は、はい。もうこちらには来られないと思っていましたので」
「私もそうするつもりだったのだが。ファディーラがな……」
ダミールは頬をかきながら、ぽつりと話した。
「王妃さま、ですか?」
「そうなのだ。ファディーラが、何もしなくても定期的にそなたの部屋を訪れたほうが良いと強く私に勧めるのでな」
「なぜ?」
「そなたには言いにくいのだが、このまま私がそなたの部屋に行かないということは、側室を勧める家臣たちの声が、またうるさくなってしまうことになってしまうらしいのだ」
ダミールは長らくファディーラ一人に深い愛情を注いでいた。
しかしファディーラには、これまでなかなか懐妊の兆しがなかった。
そのため、常に王宮では家臣たちが自分の娘を側室に上げさせてくれと、ダミールに上申していたのだ。
「そなたには申し訳ないのだが、最初から私は出来るだけ出身身分の低い巫女を降嫁巫女に選ぼうと思っていた。もちろんファディーラがそなたを勧めてくる以前の話だ」
ダミールの話は続く。
「私も、降嫁巫女だけは国のためにも望まないでいることは出来なかった。だから、一つ思いついたのだ。降嫁巫女には申し訳ないが、元々の身分が低い巫女ならば、家臣たちも自分の娘が庶民の娘の風下に立つのは嫌だろうと思うだろう。それに、もし自分の娘が私の御子を産んだとしても、降嫁巫女が私の御子を産めば即座に『神の御子』と呼ばれて世継ぎとされてしまうしな。まあ、ファディーラの子供が王女だった場合の話だが」
「しかし、それには逆の場合も考えられますよね?」
首を傾げながらアーシャは指摘した。
「ああ。家臣たちも遠慮するような高貴な身分の降嫁巫女だった場合だろう?」
「そうです」
先代のラアナのように。
「そういうことも考えた。だがそういう高位の身分出身者に限って誇り高いばかりで、そなたのように物分かりはよくないだろう? ただでさえ私は側室など迎えたくないのに。下手に元王女や元貴族の娘などを迎えたら、逆に積極的にファディーラを害そうなどと考えて、実家の国と結託したりして、このハジャルの後宮の秩序をめちゃくちゃにしかねない」
「確かにそうですね」
往々にして、元王女だの元貴族の娘などは、神殿に上がっても居丈高な態度は変わらなかった。
いくら大巫女や姉巫女たちに、出身身分に差はあれども今は皆同じ大神に仕える巫女だ、と説明されても決して心から納得してはいなかった。
マフルも、アーシャの前では多少控えてはいたものの、どこかに『私は貴族の娘だ』という誇りはあったように思う。
「というわけで、庶民出身のそなたを迎えたし、ファディーラは出産間近ということで、私宛の側室申し入れの上申書は、現在格段に減ったというわけだ」
だがファディーラは、上申書が減ったと呑気に喜んでいるダミールに、こう訴えたのだという。
『降嫁巫女を迎えても、そこに定期的に陛下が訪れなくては、王はやはり自分たちを牽制するためと香料のためだけに身分低い巫女を迎えただけなのだと家臣たちがいずれ確信することになるでしょう。王には降嫁巫女との間に子供をもうける気がないのだと結論づけられて、また側室を迎えるようにと上申書が届くようになりますわよ』と。
「ファディーラにあのように言われてしまうと、私は何とも言えなくてね。それもそうだと思ったしな。そなたには申し訳ないが、何もしないのでしばらく定期的に私が訪れることをわかってくれるとありがたい」
「わかりました」
端から見れば、何と酷い言い分なのだと憤慨しても仕方がないのだが、アーシャは怒らなかった。
いや、ここまで素直に話してくれる王に対してただ単に怒れなかっただけなのだ。
「このことは別にそなたには話すつもりはなかったのだが、だが話さねばそなたも私の行動に不信感を抱くだろう?」
「そうかもしれませんね」
「まあ、これからは時々よろしく頼む」
「かしこまりました」
アーシャは丁寧にダミールに礼をすると、寝台を勧めた。
そうして灯火を消すと、自分自身は長椅子の方で丸くなった。
ともすれば、午後の体力作りや実験の時間も削るぐらいに。
ファディーラも心配をしていたのだが、アーシャは気づかないふりをして、過去の巫女たちの書物の中でも、日記の類を片っ端から読み直していた。
そんなある日のこと。
夜も更けてもうすぐ休もうかと思っていた矢先に、ダミールがアーシャの部屋を訪ねてきた。
ファディーラに一途で、自分の部屋を訪ねてくるなどありえなかったはずなのだが。
怪訝な表情のアーシャに、ダミールは苦笑いしながら入ってきて寝台近くの椅子に腰かけた。
ラダーは飲み物や菓子の盆を卓上に置くと、入れ替わりに一礼して廊下へと出て行った。
「不思議に思っているのだろう?」
「は、はい。もうこちらには来られないと思っていましたので」
「私もそうするつもりだったのだが。ファディーラがな……」
ダミールは頬をかきながら、ぽつりと話した。
「王妃さま、ですか?」
「そうなのだ。ファディーラが、何もしなくても定期的にそなたの部屋を訪れたほうが良いと強く私に勧めるのでな」
「なぜ?」
「そなたには言いにくいのだが、このまま私がそなたの部屋に行かないということは、側室を勧める家臣たちの声が、またうるさくなってしまうことになってしまうらしいのだ」
ダミールは長らくファディーラ一人に深い愛情を注いでいた。
しかしファディーラには、これまでなかなか懐妊の兆しがなかった。
そのため、常に王宮では家臣たちが自分の娘を側室に上げさせてくれと、ダミールに上申していたのだ。
「そなたには申し訳ないのだが、最初から私は出来るだけ出身身分の低い巫女を降嫁巫女に選ぼうと思っていた。もちろんファディーラがそなたを勧めてくる以前の話だ」
ダミールの話は続く。
「私も、降嫁巫女だけは国のためにも望まないでいることは出来なかった。だから、一つ思いついたのだ。降嫁巫女には申し訳ないが、元々の身分が低い巫女ならば、家臣たちも自分の娘が庶民の娘の風下に立つのは嫌だろうと思うだろう。それに、もし自分の娘が私の御子を産んだとしても、降嫁巫女が私の御子を産めば即座に『神の御子』と呼ばれて世継ぎとされてしまうしな。まあ、ファディーラの子供が王女だった場合の話だが」
「しかし、それには逆の場合も考えられますよね?」
首を傾げながらアーシャは指摘した。
「ああ。家臣たちも遠慮するような高貴な身分の降嫁巫女だった場合だろう?」
「そうです」
先代のラアナのように。
「そういうことも考えた。だがそういう高位の身分出身者に限って誇り高いばかりで、そなたのように物分かりはよくないだろう? ただでさえ私は側室など迎えたくないのに。下手に元王女や元貴族の娘などを迎えたら、逆に積極的にファディーラを害そうなどと考えて、実家の国と結託したりして、このハジャルの後宮の秩序をめちゃくちゃにしかねない」
「確かにそうですね」
往々にして、元王女だの元貴族の娘などは、神殿に上がっても居丈高な態度は変わらなかった。
いくら大巫女や姉巫女たちに、出身身分に差はあれども今は皆同じ大神に仕える巫女だ、と説明されても決して心から納得してはいなかった。
マフルも、アーシャの前では多少控えてはいたものの、どこかに『私は貴族の娘だ』という誇りはあったように思う。
「というわけで、庶民出身のそなたを迎えたし、ファディーラは出産間近ということで、私宛の側室申し入れの上申書は、現在格段に減ったというわけだ」
だがファディーラは、上申書が減ったと呑気に喜んでいるダミールに、こう訴えたのだという。
『降嫁巫女を迎えても、そこに定期的に陛下が訪れなくては、王はやはり自分たちを牽制するためと香料のためだけに身分低い巫女を迎えただけなのだと家臣たちがいずれ確信することになるでしょう。王には降嫁巫女との間に子供をもうける気がないのだと結論づけられて、また側室を迎えるようにと上申書が届くようになりますわよ』と。
「ファディーラにあのように言われてしまうと、私は何とも言えなくてね。それもそうだと思ったしな。そなたには申し訳ないが、何もしないのでしばらく定期的に私が訪れることをわかってくれるとありがたい」
「わかりました」
端から見れば、何と酷い言い分なのだと憤慨しても仕方がないのだが、アーシャは怒らなかった。
いや、ここまで素直に話してくれる王に対してただ単に怒れなかっただけなのだ。
「このことは別にそなたには話すつもりはなかったのだが、だが話さねばそなたも私の行動に不信感を抱くだろう?」
「そうかもしれませんね」
「まあ、これからは時々よろしく頼む」
「かしこまりました」
アーシャは丁寧にダミールに礼をすると、寝台を勧めた。
そうして灯火を消すと、自分自身は長椅子の方で丸くなった。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方
ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。
注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
【完結】徒花の王妃
つくも茄子
ファンタジー
その日、王妃は王都を去った。
何故か勝手についてきた宰相と共に。今は亡き、王国の最後の王女。そして今また滅びゆく国の最後の王妃となった彼女の胸の内は誰にも分からない。亡命した先で名前と身分を変えたテレジア王女。テレサとなった彼女を知る数少ない宰相。国のために生きた王妃の物語が今始まる。
「婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?」の王妃の物語。単体で読めます。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
ここは貴方の国ではありませんよ
水姫
ファンタジー
傲慢な王子は自分の置かれている状況も理解出来ませんでした。
厄介ごとが多いですね。
裏を司る一族は見極めてから調整に働くようです。…まぁ、手遅れでしたけど。
※過去に投稿したモノを手直し後再度投稿しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる