【完結】神の巫女 王の御子

黄永るり

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入国前夜

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 中央大陸のへそのような場所に創世の大神を祀った神殿があり、その周辺を砂の色によって北は黒砂漠、東は青砂漠、南は赤砂漠、西は白砂漠に囲まれている。
 その砂漠にそれぞれ居城を持つ王がいる。
 砂漠の国々の中で最も大きいのがハジャル王国だった。
 そしてそれ以外の砂漠の国の一つに、アーシャが神殿に上がる前に仕えていた薔薇王の国・アフマル王国があるのだ。

 ハジャル王国の王都までは、ラクダに乗って半月ほどかかる。
 旅の間、アーシャは正式に後宮へ入宮していないということで、ダミールから用意されていた数人の侍女たちとともにダミールとは別の女性用の天幕で休んでいた。
 神殿からは、降嫁巫女本人と本人の私物だけしか持ち出しは許可されない。
 嫁入り道具なども一切渡されないし、準備されない。
 その代わりというわけではないが、降嫁の初年度は乳香と没薬を通常年度よりも多く王に渡される。

 明日の朝には王都に入るという夜のこと。
 あえて慣例を破ってダミールがアーシャを自身の天幕に呼んだ。
 通された天幕の中は、広々としていて神殿の二人部屋よりも広かった。
「アーシャ、座りなさい」
 灯されたランプが真ん中と周囲にあり、ダミールは正面奥の敷物に座っていた。
 ダミールはすでに寝衣に着替えていて、しどけない姿でひじ掛けにもたれている。
 アーシャは恐る恐る示された対面の敷物に座った。
「恐れることはない。何もしない。後宮に入る前も、入ってからも、な」
「え?」
 それはアーシャの想像を遥かに超えた言葉だった。
(もしかして私は、側室として望まれたわけではなかったの?)
 歴代の降嫁巫女全てが、迎えに来た王たちに『側室』として望まれていたわけではなかったといういくつもの事例が、アーシャの脳裏を一瞬にして駆け巡る。
「ああ。勘違いさせてすまなかった。後宮に入ってしまえば、そうそうに二人だけで話をすることもできまいと思ってな。今宵のうちにそなたには話をしておかなければならないと考えていたのだ」
「そうだったのですか」
 ゆっくりとアーシャの身体から緊張が解けていった。
 後宮入りまでは降嫁巫女には手を出さないというのは、所詮は建前で、本当は自国に帰国する道中で、とはよくある話だと姉巫女たちから聞いたこともあった。
「これからそなたには、酷いことを頼まなければならない」
「酷いこと、ですか?」
「そうだ」
 ダミールは少しためらうように視線をアーシャから外した。
「ある意味非道で残酷な願いだと思う。だが、どうか恨むなら私を恨んでくれ。決して王妃を恨まないでほしい。頼む」
 一国の王に静かに頭を下げられて、すっかりアーシャは面食らってしまった。
 アーシャのこれまでの人生で知っている王といえば、もっと尊大で民や奴隷など虫けら同然のような扱いをする存在だったからだ。
「あの陛下、どうか頭をお上げになって下さいませ。非道で残酷な頼みとか、王妃様を恨むなとか。私にはわけがわかりません」
 恐れ多くてアーシャは咄嗟に平伏した。
「お教え下さいませ。私は何のために陛下の元に降嫁するのでございますか? 私は陛下の後宮で何をして、何をしてはならないのでしょうか?」
 ダミールはアーシャに顔を上げるように命じて、ようやく視線を合わせた。
 その表情は、さきほどまでの穏やかさとは打って変わった、温かみの欠片もないほどの冷徹な瞳だった。
 アーシャと同じ漆黒の瞳なのに、ひときわ闇夜に近い色のような。
「私が巫女の降嫁を願ったのは、先々代の王に仕えていた降嫁巫女が、昨年高齢で亡くなったためだ」
「それは私も存じております」
 儀式の後、神殿を出る前に大巫女から基本的なことを知らされていた。
 ハジャル王国では、先々代の降嫁巫女が長寿を誇ったために、ダミールの父王は降嫁巫女を受け入れることなく亡くなった。
 そのため、ダミールの代で今回受け入れることとなったのだ。
「私はこれまで妻は王妃一人で良いと思っていた。だが降嫁巫女となればいかに王である私でも、家臣たちからの嘆願を無視するわけにはいかない」
「そうでしょうね」
 降嫁巫女の存在が途切れれば、神殿は乳香も没薬もその国には送らない。
 乳香も没薬も市場で買うことはできないから、とりあえず巫女の降嫁を王の場合は願うのだ。
 女王の場合は、神官の婿入りを願うのだ。
「乳香と没薬を絶やさないようにするための降嫁巫女ということでしょうか?」
 これもまた良くある話ではあった。
 つまり、女人としては望まれていないということだ。
「そなたにまず命じることは、私を愛するなということだ。そして私の子を欲しいと願うな。私は今後もそなたを愛することはないし、女人としての幸せをそなたに与えてやることもしない。その点については申し訳なく思う。そしてまたこの命令によって、王妃を恨んで生まれてくる御子ともども、二人を害するようなことを決して考えるな、ということだ」
 そう一息に告げたダミールは、側にあった水差しから水を杯に入れて喉を潤した。
 日没が過ぎたとはいえ、まだ少し空気はぬるい。
「そなたには酷な命令をしたと思う。それゆえに、私と王妃とで出来うる限り、そなたの他の願いを叶えようとは思っている」
「王妃様も、ですか?」
 後宮での正室と降嫁巫女との争いもよくあることだ。
 敵視されかねない王妃までが、なぜ会ったこともない自分に便宜を図ってくれるのだろうか。
「なぜ王妃様までが私のことを気にかけて下さるのですか? 最初に優しくして私に敵意を持たれないようにするためでしょうか?」
「そうだな。そなたに恨みを持たれないように、ということもあるかもしれないな。だが、そなたを降嫁させるようにと私に進言してくれたのは王妃だったのだ」
「王妃様が、ですか?」
 現ハジャル王妃とアーシャに面識はない。
 そもそもアーシャは、王妃の名前も知らないし、出身地も知らない。
 知ろうと思えば、情報屋でもある出入りの商人たちと姉巫女たちのように仲良くすれば良い話なのだが、アーシャはまだ姉巫女たちのようにそこまで交渉事には長けていなかったし、神殿に上がってからは外の情報など欲しいと思ったこともなかった。
「神殿にいたそなたが王妃のことを知らぬのも無理はあるまいが、実は王妃のほうがそなたを知っていたのだ。知っていたからこそ、私にアーシャという名の巫女を連れて帰ってきてほしいと頼んできたのだ」
「王妃様が私のことを知っておられたのですか?」
「そうだ。王妃がかの薔薇王の末娘だと申せばそなたにはわかるか?」
「え?」
 アーシャの脳裏に美しい少女が思い出された。
「それでは陛下の王妃様とは、三の姫様でございますか?」
「ああ。それで得心したか?」
「はい」
 アーシャは深く頷いた。
 薔薇王の世継ぎの王子は、降嫁巫女が産んでいた。
 だが正室である王妃との間には娘が三人いた。
 その第三王女ファディーラにアーシャは何度も助けられていた。
 両親と兄たちを亡くしたアーシャが、一人では何の役にも立たない幼い娘ということで、遊郭か奴隷商人に売れと言った薔薇王に、嗅覚に優れているゆえ神殿に上げるほうがいい、神殿に巫女候補を送れば、乳香や没薬が多めに手に入るからと説得してくれたのもファディーラ王女だった。
「そなたが神殿に上がってすぐに、王妃は私の元へ輿入れすることが決まったのだ」
「そうだったのですか」
 彼の王女が自分を指名してくれたのだ。
 夫を介して。
 ならば。
 自分が話すことは。
 アーシャは居住まいを正すと、改めてダミールに頭を下げた。
「陛下、王妃様がなぜ私を呼ばれたのかはわかりませんが、私の知っている三の姫様とならば、後宮で女同士の醜い争いを繰り広げるようなことは決していたしません。むしろ私は王妃様に再会したら、幼い頃の御恩返しのためにも、心からお仕えしたく存じます」
 アーシャの決意を聞いて、ダミールの表情がゆるんだ。
 いつの時代でも一国の後宮というところは、女同士のとんでもない修羅場を生み出すところで、王の頭痛の種の一つでもあるのだ。
「そうか。ならば、後宮で王妃と生まれてくる御子を支えてくれ。私も出来るだけそなたには力を貸そう」
「ありがとうございます」
 アーシャは深く平伏した。
 香料のための降嫁でしかないという事実には少なからず胸が痛んだが、それでも後宮で待ってくれている王妃が、かつて自分を可愛がってくれたファディーラ王女と聞いて、安堵した。
 自分は異国の後宮でも何とか平穏に暮らせるのではないだろうか。
 そう思いながら、王の天幕を辞去した。
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