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噂
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採取が終わり、神の庭から神殿内に設けられてある選別所に戻ると、等級別に仕分けをする。
祭祀に使う特等品、医術に使う一等品、部屋を清めたり、民に下げ渡す市井用の二等品、排泄所など水回りの掃除用に使う三等品、といようにだ。
商人のように乳香と没薬の樹脂は市場で売りさばくことは禁止されている。
新米巫女には選別作業はまだ任せてはもらえない。
ただ、姉巫女たちの選別の様子を横から見守りながら、時折言われた雑務をこなすだけだった。
そして選別作業が終わると、等級別の倉庫に原料となる樹脂を片付けに行く。
アーシャも姉巫女から籠を一つ渡されて、三等品倉庫に片付けにいった。
最初から最後まで、最高級品を見ることは出来ても、指一本触れさせてはもらえない。
「ふう」
籠を置くと、アーシャの隣からため息が漏れる。
「マフル?」
アーシャと同室で同じく新米巫女のマフルだ。
「ずっと地面を這っていたから腰と膝が痛くて」
「ああ、そうね」
「背が届かないから台になれって、もう腹が立つったら! あの女! ほんの少し私より先に生まれただけであんなに偉そうに! 乳香の木なんて大して高くないじゃない。例え高くても採取用の台を使えばいいのに。それにあの女、昔はどこかの町の遊女の娘だったとか。あんな女が先輩風吹かすなんて本当、嫌になるわ!」
マフルはもともと小国とはいえ、貴族の娘だったそうだ。
だが巫女になってしまえば、それまでの身分も出身地も関係ない。
全員年齢順以外は同列に扱うという神殿内の決まりごとには、他の王族や貴族出身の娘たちとともにマフルは反発していた。
「マフル、声が大きいよ」
「大丈夫。誰もいやしないわよ」
確かにアーシャが辺りを見回すと、倉庫にはもう二人だけしかいなかった。
「アーシャも腹が立たないの?」
「私は別に」
アーシャは首を横に振った。
「ああ、そうだったわね。ごめんなさい」
マフルは同室のアーシャが、遊女を母に持ったり、奴隷の身分ではないものの庶民出身であることを思いだした。
気まずい雰囲気が一瞬その場に漂った。
「別にいいよ。気にしてないから」
「本当にごめんなさい!」
マフルはアーシャに向かって手を合わせて謝った。
「大丈夫だって」
「でも、アーシャは腹が立たないの? 姉巫女たちに毎日こき使われて。私は、まだ見習いの時のほうが楽しかったように思うわ」
「それはそうだけど。仕方ないじゃない。私たちはまだまだ新米巫女なんだから。すぐに重要な仕事が任されるわけでもないし」
「じゃあ、姉巫女たちの台になるのも仕方がないってこと?」
「ええ。だって神殿に来る前の私の暮らしを考えたら、ここの生活は最高だもの」
「最高?」
アーシャは頷いて、神殿に上がる前の暮らしを思い出した。
それは大人にも子供にも過酷な暮らしだった。
日の出から日没まで、ひたすら薔薇王のために庭の薔薇の手入れをして、王のために薔薇の香料や薔薇水を作る。
病や体調不良などで休むことは絶対に許されず、倒れても薬師なども呼んでもらえず、奴隷制度は彼の国にはなかったが、ほとんど奴隷同然の扱いだった。
日がな一日、薔薇に囲まれていたために、一時嗅覚がおかしくなってしまったほどだ。
「あの過酷な日々を思えば、今の姉巫女さまたちの仕打ちなんて何とも思わないよ」
「アーシャは強いのね」
マフルは感心したようにアーシャを見つめた。
「そんなことはないけど」
過酷な労働環境の結果、両親と兄たちが相次いで亡くなったことが、アーシャの神殿行きのきっかけになったことは確かだった。
アーシャのことを思ってくれる家族は、もうこの世のどこにもいない。
残酷な薔薇王の手によってあっけなく奪われてしまった。
「ねえアーシャ、訊いた?」
すっかり暗くなってしまった雰囲気を払拭するように、無理やりマフルが明るい声で話題を変えてきた。
「何を?」
「もうすぐおこなわれるらしいわよ。例のあれが」
「あれって?」
途端にマフルは呆れた。
「アーシャ知らないの? 『巫女調べ』よ。久しぶりに巫女調べが行われるんですって。さっき神の庭で姉巫女たちが話してたじゃない? 訊いてなかったの?」
姉巫女の踏み台になることに憤慨しながらも、ちゃっかり聞き耳は立てていたようである。
「ああ」
何だそんなことか、とばかりにアーシャの返事は途端に興味のないものになった。
どうりで最近の姉巫女たちがやたらとそわそわしていたはずだ。
神殿御用達の商人たちに、新しい化粧道具や衣装をあつらえるための絹などを大量に発注していたのは、このためだったのか。
「興味ないの?」
マフルに覗き込まれて、アーシャは何とも言えない顔をした。
「いや、巫女調べと言っても、基本的に私には関係のないことだと思っているから」
「え? 何言ってんの! 巫女調べは、私たちにも姉巫女たちと同様に機会が与えられるのよ! どこの国の王がやってくるのかはわからないけど、一国の王に望まれる最高位の側室になれるかもしれないのよ?」
「そうだね。でも、庶民出身の私にはそんな高貴な身分なんて興味ないよ。それに、私は巫女としての能力が特別すごいわけでもないし、容姿が特に優れているわけでもないし」
そっとベールの下からもれている自分の縮れた黒髪を指にからませた。
真っ直ぐに流れるようなさらさらと滑らかな絹糸のような髪質が良いとされているのに、なぜ自分の髪は梳いても梳いても真っ直ぐにならないのだろう。
腰まで伸ばしてみたが、全然真っ直ぐにはならない。
どうみても、砂漠の女神と謳われたかつての主の娘とは雲泥の差だ。
砂漠に暮らす民独特の黒い瞳に、褐色の肌。
これと言って他人の目を引くような珍しい色でもない。
どこにでもある砂漠の民の凡庸な女。
それが自分の姿だとアーシャは思っていた。
「アーシャ! 自分をそんなに悪く言わないの」
マフルがぴしゃりと言ってのける。
「そうだね」
卑下しているわけでもないのだが、ただ客観的に自分を見ているだけなのだ。
「それでね、私も巫女調べのために実家のお父さまから色々送って頂こうと思ってるの。だから、アーシャも一緒に支度しましょう。これを機に綺麗に着飾りましょう。女の特権を使いましょう。楽しくなるわよ」
マフルに強引に引っ張られていく。
そう言われてしまったら、アーシャには断る理由がないので、ただ黙って頷いた。
祭祀に使う特等品、医術に使う一等品、部屋を清めたり、民に下げ渡す市井用の二等品、排泄所など水回りの掃除用に使う三等品、といようにだ。
商人のように乳香と没薬の樹脂は市場で売りさばくことは禁止されている。
新米巫女には選別作業はまだ任せてはもらえない。
ただ、姉巫女たちの選別の様子を横から見守りながら、時折言われた雑務をこなすだけだった。
そして選別作業が終わると、等級別の倉庫に原料となる樹脂を片付けに行く。
アーシャも姉巫女から籠を一つ渡されて、三等品倉庫に片付けにいった。
最初から最後まで、最高級品を見ることは出来ても、指一本触れさせてはもらえない。
「ふう」
籠を置くと、アーシャの隣からため息が漏れる。
「マフル?」
アーシャと同室で同じく新米巫女のマフルだ。
「ずっと地面を這っていたから腰と膝が痛くて」
「ああ、そうね」
「背が届かないから台になれって、もう腹が立つったら! あの女! ほんの少し私より先に生まれただけであんなに偉そうに! 乳香の木なんて大して高くないじゃない。例え高くても採取用の台を使えばいいのに。それにあの女、昔はどこかの町の遊女の娘だったとか。あんな女が先輩風吹かすなんて本当、嫌になるわ!」
マフルはもともと小国とはいえ、貴族の娘だったそうだ。
だが巫女になってしまえば、それまでの身分も出身地も関係ない。
全員年齢順以外は同列に扱うという神殿内の決まりごとには、他の王族や貴族出身の娘たちとともにマフルは反発していた。
「マフル、声が大きいよ」
「大丈夫。誰もいやしないわよ」
確かにアーシャが辺りを見回すと、倉庫にはもう二人だけしかいなかった。
「アーシャも腹が立たないの?」
「私は別に」
アーシャは首を横に振った。
「ああ、そうだったわね。ごめんなさい」
マフルは同室のアーシャが、遊女を母に持ったり、奴隷の身分ではないものの庶民出身であることを思いだした。
気まずい雰囲気が一瞬その場に漂った。
「別にいいよ。気にしてないから」
「本当にごめんなさい!」
マフルはアーシャに向かって手を合わせて謝った。
「大丈夫だって」
「でも、アーシャは腹が立たないの? 姉巫女たちに毎日こき使われて。私は、まだ見習いの時のほうが楽しかったように思うわ」
「それはそうだけど。仕方ないじゃない。私たちはまだまだ新米巫女なんだから。すぐに重要な仕事が任されるわけでもないし」
「じゃあ、姉巫女たちの台になるのも仕方がないってこと?」
「ええ。だって神殿に来る前の私の暮らしを考えたら、ここの生活は最高だもの」
「最高?」
アーシャは頷いて、神殿に上がる前の暮らしを思い出した。
それは大人にも子供にも過酷な暮らしだった。
日の出から日没まで、ひたすら薔薇王のために庭の薔薇の手入れをして、王のために薔薇の香料や薔薇水を作る。
病や体調不良などで休むことは絶対に許されず、倒れても薬師なども呼んでもらえず、奴隷制度は彼の国にはなかったが、ほとんど奴隷同然の扱いだった。
日がな一日、薔薇に囲まれていたために、一時嗅覚がおかしくなってしまったほどだ。
「あの過酷な日々を思えば、今の姉巫女さまたちの仕打ちなんて何とも思わないよ」
「アーシャは強いのね」
マフルは感心したようにアーシャを見つめた。
「そんなことはないけど」
過酷な労働環境の結果、両親と兄たちが相次いで亡くなったことが、アーシャの神殿行きのきっかけになったことは確かだった。
アーシャのことを思ってくれる家族は、もうこの世のどこにもいない。
残酷な薔薇王の手によってあっけなく奪われてしまった。
「ねえアーシャ、訊いた?」
すっかり暗くなってしまった雰囲気を払拭するように、無理やりマフルが明るい声で話題を変えてきた。
「何を?」
「もうすぐおこなわれるらしいわよ。例のあれが」
「あれって?」
途端にマフルは呆れた。
「アーシャ知らないの? 『巫女調べ』よ。久しぶりに巫女調べが行われるんですって。さっき神の庭で姉巫女たちが話してたじゃない? 訊いてなかったの?」
姉巫女の踏み台になることに憤慨しながらも、ちゃっかり聞き耳は立てていたようである。
「ああ」
何だそんなことか、とばかりにアーシャの返事は途端に興味のないものになった。
どうりで最近の姉巫女たちがやたらとそわそわしていたはずだ。
神殿御用達の商人たちに、新しい化粧道具や衣装をあつらえるための絹などを大量に発注していたのは、このためだったのか。
「興味ないの?」
マフルに覗き込まれて、アーシャは何とも言えない顔をした。
「いや、巫女調べと言っても、基本的に私には関係のないことだと思っているから」
「え? 何言ってんの! 巫女調べは、私たちにも姉巫女たちと同様に機会が与えられるのよ! どこの国の王がやってくるのかはわからないけど、一国の王に望まれる最高位の側室になれるかもしれないのよ?」
「そうだね。でも、庶民出身の私にはそんな高貴な身分なんて興味ないよ。それに、私は巫女としての能力が特別すごいわけでもないし、容姿が特に優れているわけでもないし」
そっとベールの下からもれている自分の縮れた黒髪を指にからませた。
真っ直ぐに流れるようなさらさらと滑らかな絹糸のような髪質が良いとされているのに、なぜ自分の髪は梳いても梳いても真っ直ぐにならないのだろう。
腰まで伸ばしてみたが、全然真っ直ぐにはならない。
どうみても、砂漠の女神と謳われたかつての主の娘とは雲泥の差だ。
砂漠に暮らす民独特の黒い瞳に、褐色の肌。
これと言って他人の目を引くような珍しい色でもない。
どこにでもある砂漠の民の凡庸な女。
それが自分の姿だとアーシャは思っていた。
「アーシャ! 自分をそんなに悪く言わないの」
マフルがぴしゃりと言ってのける。
「そうだね」
卑下しているわけでもないのだが、ただ客観的に自分を見ているだけなのだ。
「それでね、私も巫女調べのために実家のお父さまから色々送って頂こうと思ってるの。だから、アーシャも一緒に支度しましょう。これを機に綺麗に着飾りましょう。女の特権を使いましょう。楽しくなるわよ」
マフルに強引に引っ張られていく。
そう言われてしまったら、アーシャには断る理由がないので、ただ黙って頷いた。
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