【完結】色染師

黄永るり

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秘密の場所

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 そのまま観光客の波に乗りながら、目的の店がある細い路地へと曲がった。
 曲がった左手に中華料理屋があって、その前を通って突き当りを右に曲がると行き止まりが若葉の目的の店だ。
 看板はまだ出ていない。

 当然だ。
 ここは夕方からしか開かない店だからだ。
 若葉は慣れた様子で店の裏手に回ると、呼び鈴を鳴らす。

 すると内側からひとりの女装した中年の男性が迎え入れてくれた。
「いらっしゃい若葉」
「こんにちは。ママ」
 店の中に入るとそのまま左手にある階段を上がって奥の事務所に入る。

 そこで、鞄からノートと筆記用具と星読みのテキストを取り出した。
 ここが若葉の星読みを学ぶ場所だった。

 背後からママと呼ばれた男性が、飲み物を持って入ってきた。
 ママはまだ開店前だからか薄化粧で体のラインに沿ったチャイナドレスではなく、なぜかアオザイを着ていた。
 どうやら今夜は、その衣装で店に出るらしい。

「テストはどうだった?」
 いきなり直球できた。
「えっと、まあまあですかねえ……」
「赤点かい?」
「いえ、それは何とか回避できたんじゃないかと」
 若葉の声が急にか細くなった。

「もし赤点とったら、この授業もしばらくお休みだねえ」
「え~! それは困ります!」
 若葉の顔が真っ青になった。

 ただでさえ、赤点をとったら学校からは色染師のバイトは当分停止されるわ、日々補習三昧になるわで、若葉的には地獄この上ないことになるのに、その上、大好きなこの星読みの授業までなくなってしまったらと思うと、若葉にとっては暗黒の高校生活になること間違いなしだ。

「入学した以上はちゃんと赤点なく卒業すること。わかったね? これがうちに出入りする条件だし、卒業後うちで星読みのバイトをする条件でもある。あんたの父親とも約束したしね」
「はい」
「学生の本分はあくまでも学業なんだから。わかったね?」
 強くママに念押しされて若葉は黙って頷いた。

 テスト期間中も星読みの授業をしてもらうために、ママはここでテスト勉強もしていくようにと、事前に若葉に言っていた。
 そうでもしないと若葉が学生の本分を忘れて星読みを始めとする他のことにのめりこんでしまいかねないからだ。
 だから、若葉は観念して明日のテスト予定のの教科書とノートも取り出した。

「じゃあ、まず勉強をささっとしちまいな。それが終わったら今日の授業だよ」
「はい!」
 若葉はこうなったらさっさと勉強をやってしまおうと猛然と数学の練習問題を解きだした。

 若葉がある程度勉強も終わらせ、そしてそのあと開店までにママから星読みをいつものように習っていた。
 ママが母の親友だったこともあって、この店には若葉は子供の頃から妹とよく母に連れられてやってきていた。

 ここに母とくるうちに、ママも母とは違う先生に母とは違う星読みを習っていたことがわかって、知らない人に教えてもらうくらいなら、ママに教わってみたいと中学生の頃に思った。
 それに母と違う先生に母と違う星読みを習っていたというのも興味が引かれた。
 というか、単純に母に対抗していたのかもしれないが。

 高校に入学して二か月ほどだが、普段の平日は色染師のバイトをしているから、土日にせっせと通って学んでいた。
 今回はテスト終わりに少しでも教えてほしいと若葉が頼み込んで授業をしてもらっているのだ。

 今は星読みの概論を学んでいる。
 ママが教えてくれるのはヘリオセントリックと呼ばれている星読みで、母が使っている西洋占星術(ジオセントリック)とは違う読み方なのだ。

 従来の西洋占星術は、地球が中心となっていて出生図のネータルチャートを読み解いていく。自分中心の視点で自分の視点から宇宙を見ていき、地球から宇宙を見て理解していく。その人の視点から世界を見ていく読み方で、元々は中世ヨーロッパの天動説に基づいているらしい。

 それに対して若葉が学んでいるヘリオセントリックは、太陽が中心となって出生図の盤面を読み解いていく。

 外側から見た視点、太陽中心の視点であり、色々な視点に立って自分を見ていく。

「どちらが良い悪いんじゃないよ。それぞれにメリットがあって、目的も違う」
 そう一番最初の授業でママが話してくれた。

 西洋占星術の目的は、自分の視点から自分にとって良いことは何かを判断しようとすることで、ヘリオセントリックの目的は、世界の流れの視点から、それにそってありのままで生きていくことの視点であり、外から中心からのどちらかの視点ではなくて両方の視点や色んな視点の重なり合うところを探していく。

「だからどちらかの星読みを選ばなくても両方の特徴を理解した上で、その場その場に合わせた鑑定ができたら良いだけ。あたしはジオよりヘリオのほうが性に合うと思ったからそっちを学んだだけ。あんたの母さんはジオが性に合っただけ。ただそれだけ。そう選択しただけさ」

 今までただ母親に対抗していただけだった若葉は、ママを通して母のことを違う角度から見られるようになってきた。
 だからと言って、母のすべてが許せたわけではないが。

「今日は先週の復習をしたら終わりだよ」
「え~?」
「テスト期間中はこっちの授業も短縮するし、復習だけにする。これもあんたの父親と約束したことだし、今日はもう店がオープンする前に帰りな」
 今日は新しい話が聞けるかと思っていたのに、若葉は残念がった。

「明るいうちに帰んな」
「はーい」
「それからこれ、近くの店でチャーハンと酢豚、焼き餃子、持ち帰りで作ってもらったから帰って温めて食べな」
 ママが可愛らしい手提げ袋にいつものように持たせてくれた。

「寄り道せずに真っすぐ家に帰ること。ご希望ならまた店の子たちをボディガードにつけるけど」
「い、いいです。一人で帰れます。まだ明るいですし」
 若葉は勢いよく首を横に振った。

 帰りが暗いときやバイトの帰りは、若葉が断っても必ずママは店に勤めている店員さんをボディガードに無理やりつけてくるのだ。
 中華街の中を歩くときはあまり目立たないが、一歩中華街を出てしまったら、派手で大柄な人間と制服姿の若葉のコンビはなかなか目立ってしまう。

 今までもそれでボディガード役の店員さんが誘拐犯に間違われたり、警察官から職質されることも良くあった。
 若葉は手早く勉強道具と星読みのテキストを片付けると、ママが渡してくれた手提げ袋を持って店を出た。
(今日は一人で帰れる)
 ホッと胸をなでおろした。


「新堂?」
「え?」
 そこで若葉はかけられるはずのない声に呼ばれた。

 ちょうどママの店の近所の中華料理屋『蒼翠』から、李蒼騎が出てきたところだった。
 しかも、私服に着替えて青いチェックのエプロンをつけている。
「李先輩?」
「新堂、なんでここに? というかさっき言ってたお前の目的地は、その奥の店なのか?」
 蒼騎は驚きながらもそう尋ねてきた。
 驚きすぎて今は怒ってはいないようだ。

「は、はい。そうです。奥の店の麦子ママのところで星読みを習っているんです」
「星読み? 占いってやつか?」
「そうです」
「あそこのママさんそんなこともやってたのか?」
「といっても、私だけ個人的に教えてもらってるだけですけど」
「そうか」
「先輩こそ蒼翠でバイトしてるんですか?」

 若葉たちの学校は、色染師のバイトはある程度はやらなければならないが最低限の封滅数を達成したら、それ以外は勉強に集中しても良いし、届け出さえ出せば、一般のバイトと掛け持ちしても良いことになっている。
 もっとも、色染師の封滅数に対してのバイト代が破格なので、よほどのことがない限り、一般のバイトと掛け持ちしている生徒はほとんどいない。それにさすがにテスト期間中のバイトは学校側もしないように呼び掛けていたはずだ。

「ああ、まあな」
 何となく蒼騎の歯切れが悪くなる。

(また言いたくないことを聞いちゃったのかな?)
 出前用のおかもちを持っている。
「出前なんですよね? 冷めるまでに早く行ったほうが良くないですか?」
 遠慮がちにそう伝える。

「ああ」
 そういうと、何とも言えない渋い顔をしたまま蒼騎は大通りへ歩いて行った。
(見てはいけないものを見てしまった感じ)
 そう思いながら、若葉も大通りに抜けて、そこからまっすぐ駅へと向かった。
 中華街のメイン通りは、これからディナータイム目当てのお客と今から帰る観光客との足並みが今日も交差していた。
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