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出会い
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「あの、すみません」
買い出しに行く料理人集団の最後尾にその声は掛けられた。
とても遠慮がちなその声に、最初は何かの間違いだろうと思って振り返らなかった。
「そこの、大きい袋を背負った娘さん」
今度ははっきり呼ばれたので、自分かも? と思って、クティーはようやく歩みを止めた。しかし、クティーが立ち止まったことに先輩料理人たちは気づくことなく先に行ってしまった。
「私、ですか?」
振り返ると、そこにはクティーと同い年ぐらいの少年が立っていた。少年はゆるくターバンを巻き、マントで見え隠れしているが、腰の帯には立派な刀をさしている。少年の後ろには、同じような格好をした青年が立っていた。
「はい。あなたです」
「何でしょう?」
旅人に町にある店や宿屋の場所を尋ねられることは良くあることだ。
この少年と青年も旅人の出で立ちだった。だから、クティーはまた道案内の類だろうと思った。
「こんにちは」
「こんにちは」
クティーと同じく褐色の肌の少年の顔に、真っ白な歯が浮かんだ。
人懐っこい笑みを浮かべた少年につられるようにして、クティーも挨拶を返した。
「あの、もしかして道に迷われていらっしゃるんですか?」
早口でクティーが先に尋ねた。
道案内ならさっさと終わらせて先輩料理人たちの後を追いたかったのだ。
先輩たちは遅かったからといって、クティーの仕入れを邪魔することはなかったが、仕入れ時間まで待ってはくれなかった。
「はい。この町で『世界一美味しいカレーとナン』が食べられる店を探しているのですが。ご存じありませんか?」
やはり道案内のようだ。
それもクティーが来た道をそのまま引き返す道のりだ。
「おそらくあなたがその作り手でいらっしゃいますよね?」
「え?」
「あなたからは、ほんのりとカレーに使われるスパイスの香りがします。それにあなたの指先は、褐色の肌色とはいえ、スパイスの色が染み込んでいます。しかも、その背中に背負った袋の中から、歩くたびに何か金属のようなものがぶつかり合う音がします。恐らく仕入れたスパイスを入れる真鍮の器が入っているのではありませんか?」
「どうして?」
少年の鋭い観察眼にクティーは驚いた。
「この町でカレーをメニューに加えている食堂や宿屋は幾つもあります。それなのにどうして私、だと?」
「やっぱり当たった! ほら、僕の言った通りだろ?」
少年は背後の青年に嬉しそうに言った。
「さようでございますね。若さまの仰る通りでしたね」
「だ、だから、どうして私だとわかったんですか?」
「だって、作ってる子は僕と同い年くらいの女の子だって聞いたから」
「でも、私と同じくらいの年の子で、お手伝いや使用人をやってる子はたくさんいるわ」
それなのに、なぜこの少年はわかったのだろうか。
「だってたいていの女の子は、カレーのように強烈なスパイスの香りがつくような料理を毎日作りたがらないよ。家庭の食卓なら別だけどね」
「確かにそうだけど」
そうクティーぐらいの年頃ともなれば、皆、香をたきしめたりして自身の体の匂いを、極力香りのよいものにしたがるのだ。
「だけどあなたは、そういう自分の体臭とかをものともしないみたいだったから」
少年がそう得意げに言ったところで、クティーの眉間に縦じわが一つ入った。
すると、すかさず横にいた青年が少年の脇を小突いた。
「若さま、女性に対して失礼ですよ」
「え? あ、ああ。すみません。僕、すぐに余計なことを言ってしまうようで」
少年は素直に頭を下げた。
姿かたちは、貴族か商家のお坊ちゃんがお供を連れて旅をしているようだが、クティーのような庶民にもこだわりなく詫びることができる様子は、なんだか好ましく思えた。
それでクティーの眉間も少しゆるんだ。
「それで、あなたが働いていらっしゃるお店はどちらでしょうか?」
改めて丁寧に尋ねられた。
「私が来た道を逆にたどればたどりつけます」
「え?」
「私、忙しいんです。あなたに呼び止められたせいで、先輩たちに置いて行かれたんです。早く市場に行って今日の仕入れをしないと、夕食の準備に間に合わないんです!」
そう言ってクティーは元来た道の方を左の人差し指で指し示した。
「この大きな道を真っ直ぐ行って、つきあたりを右へ行って、三つ目の道を左に曲がって、さらにそこを真っ直ぐ進んで……」
「わかりました。お手間はとらせません。さ、市場へ行ってください」
「ではお言葉に甘えて、失礼します」
少年に促されて、クティーはきびすを返すと後ろを見ることなく駆けだした。
クティーでなくても他の人に尋ねれば宿屋はすぐにでもわかることだ。
クティーの働いている宿屋は、そんなに無名ではないのだから。
自分の不親切さに少し心が痛んだクティーではあったが、今は仕入れが先だと思い直した。
急がなければ、先輩も市場も待ってはくれない。
「はー、はー!」
全速力で市場にたどりついたクティーは、荒くなった呼吸を整えながらも先輩たちの姿を探した。
買い出しに行く料理人集団の最後尾にその声は掛けられた。
とても遠慮がちなその声に、最初は何かの間違いだろうと思って振り返らなかった。
「そこの、大きい袋を背負った娘さん」
今度ははっきり呼ばれたので、自分かも? と思って、クティーはようやく歩みを止めた。しかし、クティーが立ち止まったことに先輩料理人たちは気づくことなく先に行ってしまった。
「私、ですか?」
振り返ると、そこにはクティーと同い年ぐらいの少年が立っていた。少年はゆるくターバンを巻き、マントで見え隠れしているが、腰の帯には立派な刀をさしている。少年の後ろには、同じような格好をした青年が立っていた。
「はい。あなたです」
「何でしょう?」
旅人に町にある店や宿屋の場所を尋ねられることは良くあることだ。
この少年と青年も旅人の出で立ちだった。だから、クティーはまた道案内の類だろうと思った。
「こんにちは」
「こんにちは」
クティーと同じく褐色の肌の少年の顔に、真っ白な歯が浮かんだ。
人懐っこい笑みを浮かべた少年につられるようにして、クティーも挨拶を返した。
「あの、もしかして道に迷われていらっしゃるんですか?」
早口でクティーが先に尋ねた。
道案内ならさっさと終わらせて先輩料理人たちの後を追いたかったのだ。
先輩たちは遅かったからといって、クティーの仕入れを邪魔することはなかったが、仕入れ時間まで待ってはくれなかった。
「はい。この町で『世界一美味しいカレーとナン』が食べられる店を探しているのですが。ご存じありませんか?」
やはり道案内のようだ。
それもクティーが来た道をそのまま引き返す道のりだ。
「おそらくあなたがその作り手でいらっしゃいますよね?」
「え?」
「あなたからは、ほんのりとカレーに使われるスパイスの香りがします。それにあなたの指先は、褐色の肌色とはいえ、スパイスの色が染み込んでいます。しかも、その背中に背負った袋の中から、歩くたびに何か金属のようなものがぶつかり合う音がします。恐らく仕入れたスパイスを入れる真鍮の器が入っているのではありませんか?」
「どうして?」
少年の鋭い観察眼にクティーは驚いた。
「この町でカレーをメニューに加えている食堂や宿屋は幾つもあります。それなのにどうして私、だと?」
「やっぱり当たった! ほら、僕の言った通りだろ?」
少年は背後の青年に嬉しそうに言った。
「さようでございますね。若さまの仰る通りでしたね」
「だ、だから、どうして私だとわかったんですか?」
「だって、作ってる子は僕と同い年くらいの女の子だって聞いたから」
「でも、私と同じくらいの年の子で、お手伝いや使用人をやってる子はたくさんいるわ」
それなのに、なぜこの少年はわかったのだろうか。
「だってたいていの女の子は、カレーのように強烈なスパイスの香りがつくような料理を毎日作りたがらないよ。家庭の食卓なら別だけどね」
「確かにそうだけど」
そうクティーぐらいの年頃ともなれば、皆、香をたきしめたりして自身の体の匂いを、極力香りのよいものにしたがるのだ。
「だけどあなたは、そういう自分の体臭とかをものともしないみたいだったから」
少年がそう得意げに言ったところで、クティーの眉間に縦じわが一つ入った。
すると、すかさず横にいた青年が少年の脇を小突いた。
「若さま、女性に対して失礼ですよ」
「え? あ、ああ。すみません。僕、すぐに余計なことを言ってしまうようで」
少年は素直に頭を下げた。
姿かたちは、貴族か商家のお坊ちゃんがお供を連れて旅をしているようだが、クティーのような庶民にもこだわりなく詫びることができる様子は、なんだか好ましく思えた。
それでクティーの眉間も少しゆるんだ。
「それで、あなたが働いていらっしゃるお店はどちらでしょうか?」
改めて丁寧に尋ねられた。
「私が来た道を逆にたどればたどりつけます」
「え?」
「私、忙しいんです。あなたに呼び止められたせいで、先輩たちに置いて行かれたんです。早く市場に行って今日の仕入れをしないと、夕食の準備に間に合わないんです!」
そう言ってクティーは元来た道の方を左の人差し指で指し示した。
「この大きな道を真っ直ぐ行って、つきあたりを右へ行って、三つ目の道を左に曲がって、さらにそこを真っ直ぐ進んで……」
「わかりました。お手間はとらせません。さ、市場へ行ってください」
「ではお言葉に甘えて、失礼します」
少年に促されて、クティーはきびすを返すと後ろを見ることなく駆けだした。
クティーでなくても他の人に尋ねれば宿屋はすぐにでもわかることだ。
クティーの働いている宿屋は、そんなに無名ではないのだから。
自分の不親切さに少し心が痛んだクティーではあったが、今は仕入れが先だと思い直した。
急がなければ、先輩も市場も待ってはくれない。
「はー、はー!」
全速力で市場にたどりついたクティーは、荒くなった呼吸を整えながらも先輩たちの姿を探した。
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