【完結】女神の砦

黄永るり

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旅の夜①

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「おかしくない?」
「何が?」
「何で天幕一つで全部が終わらせられるって思うのか? ってこと」
 砦を出てすぐに辺りは闇に包まれた。
 二人は幾らかも進まずに天幕を張って野営の準備をしていた。
「俺たちは一応、兄弟で商売をやっているということになってるんだ。一つの天幕で寝食を共にするのは当然だろう? それに遊牧民たちと違って誰かを招くこともしない。だから仕切り幕やらも必要ない」
 サファルの説明は簡潔明瞭だった。
「それはそうだけど……」
 普通、男女が共に旅をする場合、遊牧民たちの天幕の張り方と同じで、男女は別々の天幕を張る。
 男女の居場所を明確に分けるのだ。
 そしてもう一つ天幕を張って、そこで女性が食事の支度をするのだ。
 ジュフードの旅でも、数人ではあるが女性が帯同していたのでナシャートはその女性たちの天幕で世話になっていたのだ。
「こんな格好だし、天幕は狭いし」
 男と一緒だし、という言葉はさすがに喉元で止めておく。
 今のナシャートは、サファルと同じ少年の姿であった。
 最もこの姿は、誰に強制されたからではなく、ナシャート自身が決めたことではあったのだが。
 もしも都でバーティルに出会ってしまった場合、別の男と一緒に旅をしていることがばれてしまっては元も子もないし、普段から男装のほうで旅慣れていたということもあって、少年の姿になったのだ。
「諦めがついたら天幕の中を整えるのを手伝えよ。それから、ラクダはこの灌木に繋いでおけ」
 サファルは次々と指示を出してくる。
 ナシャートと同い年とは思えないくらいだ。
 ジュフードの一人息子だから、さぞや坊ちゃん育ちで何もできない男だろうと思っていたら、意外にも、天幕をてきぱきと設置していく。
 何なら、夕餉の準備も手早く作ってしまえるほどだ。
 保存がきく薄く焼いたパンを袋から取り出し、瞬く間に皮を剥いた芋を水を入れた鍋に投入していく。
 ラクダの糞を燃料に火を起こして、その上に鍋を置いた。
 そして茹で上がった芋を荒く潰して香辛料を混ぜるように、ナシャートに伝えると、合間に干した肉もあぶっていた。
「あの」
「何だ?」
「砂漠の旅に慣れてるの?」
「いや。一族の長の跡取りということで、なかなか外には出してはもらえなかった。だけど、その分、砦内で色々教えてもらってはいた」
「色々?」
「そうだ。砂漠で旅する術も、男女が分担しているそれぞれの仕事とか、何でも教えられた」
 話ながら、ナシャートは天幕の前の焚火を見ていた。
 爆ぜる炎が、サファルの横顔を赤々と照らし出している。
「そうだったんだ……」
「俺は、いつかこの国だけじゃなくて、親父殿のように世界中を商売で旅してみたいんだ」
 これまでサファルは、兄弟がいなかったために、砦で一族の人間に大切に育てられた。
 そのため、少しの旅ならジュフードに連れて行ってもらえたが、他国まで行くような旅には連れて行ってはもらえなかったそうだ。
「お前も結婚して、妻を持つことになれば、家族で商いの旅に出ても良いぞ」
 これが、ジュフードの言葉であった。
 ある意味、今回のナシャートとの二人旅は、二人が一族公認の婚約者だったからだ。
 一族の人間、特に大叔父などは、二人の間に間違いがあっても良いとさえ思って送り出したようだった。
 サファル以外の男との結婚を望んでいるナシャートには、口が裂けても言えない一族の裏事情だったが。
 しかし、そこまで偶然や奇縁を願うほどに、一族の人間は目減りしていっているのだ。
「ねえ、伯父さまが仰っておられたけど『女神の砦』ってどういうことなの? 私たちの一族って、どんな一族なの?」
「お前、何にも知らないのか?」
 サファルは、小馬鹿にしたような顔をした。
 その顔がナシャートの癇に障った。
「お前って言わないで! 同い年のくせに偉そうに!」
 ナシャートの剣幕に、一瞬サファルは気圧されてしまった。
「……わかった。じゃあ。この旅の間は、男名でナシャルって呼ぶことにする。それでどうだ?」
「そうね。そう呼んで。
 父や伯父はともかく、好きでもない男に『ナシャート』とは呼ばれたくない。
 さりとて『お前』と気安く呼ばれたくもない。
 ナシャルは、絶妙な落としどころだった。
「私、父さんの一族のことも、母さんの一族のことも何も知らないの。ただ、父さんと母さんは、両方の一族の反対を押し切って、駆け落ちして結婚した、とか。その程度の話しか聞かされてなかったし。そんなに凄い一族なの?」
「なるほどな。叔父上は多分、一族に戻ることを考えてはいなかっただろうからな。だからこそ余計な知識を娘に与えなかったんだろう。俺でもそうするよ」
「伯父さまに伺おうとは思っていたけど、ゆっくり話す時間を持てないまま、ここまで来てしまったから」
 あの砦が眼前に現れてから、ナシャートは、自分と父親は何かとんでもない一族の出身なのでは? と思い始めていた。
「私には何も魔法みたいな凄い能力はないのだけど。何かしらの能力が秘められている、一族とか?」
「ある意味、普通の人間とは違う能力を持ってはいる」
 サファルは、携帯用のポットから茶杯に湯を注ぐ。
 杯の底に沈んでいた茶葉がくるくると再び踊りだした。
「ナシャル」
「何?」
「子供の頃に、この世界を生み出した神さまの昔話を聞いたことはなかったか?」
「あるけど。あの、大地の女神さまが最初に降り立って大地を創り、次に海の男神さまが降りてきて海を創った、とかいう?」
「そうだ。で、その続きは知っているのか?」
 ナシャートは頷きながら、おばばに聞いた通りの話をそのままサファルに伝えた。
「もしかして、二神の間に生まれた砂漠の女神さまがあの砦を下さったとか?」
「天上に上がるとき、大地の女神エトラーナは自らの力を人間の五感になぞらえて五人の人間にその力を分け与えた。そして海の男神クリガントは、複数に分散せずに一人の人間に自らの力を与えた」
「それじゃあ?」
「そうだ。砂漠の女神イステーリャも、自らの力を一人の人間に与え、砂漠の中で拠点となるあの砦を与えた。だから、俺たちのご先祖さまは砂漠の女神の力を与えられた唯一の人間なわけ」
「砂漠の女神の力って?」
「普通の陸地とは違い、砂漠も海も環境が極端に変化している。だから、海の男神も砂漠の女神も自らの力を分散せずに一人の人間に分け与え、拠点も与えた。なぜなら、生涯そこで生き抜くにはなかなか大変だからな。俺たちには、砂漠で生き抜く力が生まれつき備わっているんだ。もう一つ言えば、砂漠では『砂漠』という環境だけでは絶対死なないようになっているらしい」
「本当?」
「ああ。だからといって、水や食料が全くいらないわけじゃない。ただ、普通の旅人が砂漠を旅するより、俺たちのほうがよほど幸運に砂漠を旅することが出来るんだ。お前、いやナシャルもこれまでに砂漠を行き来して何か感じたことはなかったか?」
「そう言われてみれば……」
 ナシャートは、これまでの旅を思い出してみた。
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