【完結】女神の砦

黄永るり

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 市場の狭い通路をせわしなく行き交う人々を器用に交わしながら、ナシャートは足早に進んでいた。
 水の入った壺と、数枚の薄くて硬いパンを抱えてバランスをとりながら歩くのは、慣れた人間でもなかなか難しいものだ。
「今日は何とかパンが買える分のお金があって良かった」
 バーティルに詳しく話せなかったナシャートの懸念事項とは、父のことであった。

 ナシャートの父カスラーンは、ナシャートが成長するにつれ、というより、ナシャートが子供ながらも少しずつお金を稼げるようになるにつれ、だんだん働かなくなってしまい、自分の稼ぎの大半を酒代に費やすようになってしまった。
 そのためナシャートは、父が気まぐれに渡すわずかなお金と、自分たち親子が世話になっている館の奥向きの仕事などで得られるわずかなお金で、何とか糊口をしのいでいたのだ。
「そんなこと、バーティルさまには言えないよね」
 市場を抜けて、さらに表通りから幾つかの細い路地を抜けると、日干しレンガで造られた堅牢な建物があり、その裏手に回った。
 裏側にある使用人専用の扉から入ると、廊下を渡って中庭に出た。
 広大な庭の端にある石造りの平屋の建物へ向かって行く。
「父さん?」
 建物の扉がわずかに開いていた。
「お帰り。ナシャー」
 中から見知らぬ中年の男性が一人で出てきた。
「どちらさま、ですか?」
 見たところ、商人風の出で立ちだが。
 父が商売で知り合った商人なのだろうか。
「俺の兄貴だよ~」
 男の背中から手と顔が生えてきた。
 ナシャートの顔が一瞬で険しくなる。
「父さん! 昼間からまたお酒を飲んで!」
「おー。わりぃか~? 俺は自分の稼ぎで飲んでんだ!」
 男の背後からふらつきながらカスラーンがナシャートに近づいてくる。
「ナシャー、水を貸しなさい」
 男がナシャートから素早く壺を受け取ると、カスラーンの頭上で軽々とそれを逆さまにした。
「な、何しやがる!」
 思わずよろけてその場に尻もちをついてしまった。
「それで少しは酒が抜けただろう。これからナシャーにも話を聞いてもらわないといけないのに、父親のお前がそんなことでどうするんだ? カスラーン!」
「うるせえ~! 十何年ぶりに突然やってきて、兄貴面すんじゃねえ!」
 カスラーンはのろのろと立ち上がって拳を振り上げるが、やすやすと腕を男に掴まれる。
「ひとまず中に入るぞ」
「何~い? あ、い、いてぇ! いてぇぞ!」
 腕を捻り上げられながら、カスラーンは無理やり中へ連れて行かれた。
「ナシャー入りなさい。話がある」
 振り返った男にそう言われて、慌ててナシャートも二人の後を追って入っていった。
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