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婚約
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サマラの生活は再び香料職人生活に戻った。
「サマラ、これをタージル殿のところへ持って行ってくれんか?」
アッタールは香箱を一つサマラに渡した。
「これは?」
「今回のことではタージル殿には世話になったからの。そのお礼じゃ。乳香で作ってある」
「おじいちゃん、ありがとう」
香箱を持ってそのままサマラはタージルの館へ向かった。
緑の旗が翻っていたのでタージルはちょうど商館にいるようだ。
サマラが名前を告げると丁寧に客間へ通された。
「別に中までお招き頂かなくても良かったのですが……」
相変わらずサマラは王女扱いに恐縮してしまう。
客間には、タージルとファジュル、そしてタージルの嫡男だという青年がいた。
「いえいえ。王太女様が御自ら腹心になるようにと大切に育てられた第二王女様ですから」
「ははは……」
あの王との謁見の間での出来事以来、サマラを見る家臣たちの目が明らかに変化した。
王太女の補佐役の秘書官として朝議にも顔を出さなくてはならなくなってしまった。
しかも本名で。
もっともサマラが王太女の補佐をしている間は、王太女の命令でアッタールにも補佐がつけられていた。
この分では、王太女が正式に即位した暁には、正式に何らかの役目を与えられそうで、サマラはそれを思うと少々、気が重かった。
「今日は何の御用で来られたのですか?」
「はい。実は祖父アッタールから、このたび私がタージル殿にお世話になったお礼を、と申しまして、これを預かって参りました」
懐から香箱を取り出すと、タージルの前に置いた。
「これは……」
タージルは蓋を開けて中身をかいだ。
「なるほど乳香の香料ですか」
「はい。それがあれば」
「ええ。わかっております。千金にも値します」
サマラに皆まで言わさずにそう言うとタージルは、蓋を閉めて箱を受け取った。
「それで王女様におかれましては、ご自身の結婚相手の件はどうなさるのですか? 宰相様が降嫁をお望みだと伺っておりましたが」
「当初のお約束通り、タージル殿に私の結婚相手を決める権利があったと思ったのですが」
だからこそサマラは宰相に、今日までの間に内々に断っていた。
「宰相様にはすでに降嫁の件はお断りいたしました。こちらに伺うまでに陛下にはすでに私の意をご理解して頂きました。もちろん王太女様にも快諾頂きました」
「こちらにいらっしゃるまでに、とは?」
「はい。あとはタージル殿の許可さえあれば正式に私の婚約は成立致します」
「ということは、恐れながらどういうことですかな?」
タージルは意地悪そうに微笑んだ。
それに対してサマラはにこりと笑うと、居ずまいを正した。
「タージル殿、ぜひとも私にファジュル殿を下さいませ」
「は? サマル何を言ってるんだ! 俺は物じゃないんだぞ!」
呆れた顔でそう叫んだのは、当のファジュルだった。
しかもまだ旅の時の男名でサマラを呼んでくる。
「私はあなたに言ってません。タージル殿にお願いしているんです」
「俺のことだろうが? 何で親父殿が関係するんだよ?」
「ファジュルこそ何を言ってるの? 子供の婚姻許可は父親が出すものでしょう? この辺りの風習を知らないの?」
たいていどこの国でも王族や貴族の婚姻は、父親に決定権と承認権がある。
だが、ティジャーラを含む砂漠の国々では、庶民に至るまで父親に決定権と承認権があるとされているのだ。
「私は先に陛下に『好きにしろ』と言われてしまったけど、ファジュルのことを言ったら、すんなり許可してくれたわ。あなたと婚姻すればこの国から出ることもないし。もっとも、タージル殿の許可は自分で何とかしてこいって言われたけど」
「そんなの親父殿が簡単に許可を出すわけないだろうが。馬鹿かお前は。王女様だからって早々に許可が下りるわけないだろう」
「まあそれはそうなんだけど……」
最終的にタージルが許可しなかったらこの話はなかったことになってしまう。
「ファジュル、私と次弟のズフルには一族内で幼い頃から婚約者が決められていた。もうすぐ末っ子にも婚約者が決められるだろう。だがお前には最初から婚約者は決められなかった。その理由がわかるか?」
ファジュルはゆっくりと長兄の顔を見る。
「年が近いこともあって、もしかしたらと思ってお前にはあらかじめ相手を決めなかった」
長兄ではなく父が答えた。
「親父殿?」
ファジュルはぽかんとした。
まさか自分が第二王女の婿候補として考えられていたとは。
単に商人としての才覚がなかったから、相手がなかなか決められないのだとずっと思っていた。
「王女様、喜んで我が息子を差し上げましょう。我が子ながら、あまり商才の見込めない子です。これはあなた様のお側にいたほうが何かとお役に立つでしょう。そのためではありませんが、兄たちよりも剣術の腕前は確かです」
「ありがとうございます。では婚約成立ということで後ほど陛下から公式の文書を届けて頂きます。ですが、私はまだまだ未熟者です。今回の旅で良くわかりました。ですから、婚礼はもう少し先でかまいませんでしょうか?」
「それはかまいません。王女様の良きように致されませ。私は王女様のおかげで『ティジャーラの宝』が育てば独占販売権を差し許すと陛下から正式に許可を頂きまして、後の商売のために良い契約が結べて感謝しております。これからも何かあれば何なりとお申し付けくださいませ」
驚くファジュル当人をよそに話がサマラとタージルの間でどんどん進んでいっている。
「こちらこそ大切な一族の宝を再び王家に下さってありがとうございます。ティジャーラの希望の灯が再び灯りました」
心から礼を述べる。
「ファジュル、王女様と婚礼をした暁には、もはやお前は砂漠の一族ではない。これからは大地の女神の嗅覚を司る一族の者となるのだ。彼の一族を途絶えさせることのないように、そういう意味でも王女様をしっかりとお支え申し上げよ」
一族の長でもある父にそう言われてしまえば、もはやファジュルには否とは言えなかった。
「わかりました」
そう素直に返事をするしかなかった。
「それでは父上、婚約がめでたく整った二人にしばしの時間を差し上げましょう」
「それもそうだな。王女様、ゆるりとされよ。ファジュル、王女様を頼んだぞ」
「はい」
嫡男サバーハに促されたタージルは香箱を持って共に客間を後にした。
「サマラ、これをタージル殿のところへ持って行ってくれんか?」
アッタールは香箱を一つサマラに渡した。
「これは?」
「今回のことではタージル殿には世話になったからの。そのお礼じゃ。乳香で作ってある」
「おじいちゃん、ありがとう」
香箱を持ってそのままサマラはタージルの館へ向かった。
緑の旗が翻っていたのでタージルはちょうど商館にいるようだ。
サマラが名前を告げると丁寧に客間へ通された。
「別に中までお招き頂かなくても良かったのですが……」
相変わらずサマラは王女扱いに恐縮してしまう。
客間には、タージルとファジュル、そしてタージルの嫡男だという青年がいた。
「いえいえ。王太女様が御自ら腹心になるようにと大切に育てられた第二王女様ですから」
「ははは……」
あの王との謁見の間での出来事以来、サマラを見る家臣たちの目が明らかに変化した。
王太女の補佐役の秘書官として朝議にも顔を出さなくてはならなくなってしまった。
しかも本名で。
もっともサマラが王太女の補佐をしている間は、王太女の命令でアッタールにも補佐がつけられていた。
この分では、王太女が正式に即位した暁には、正式に何らかの役目を与えられそうで、サマラはそれを思うと少々、気が重かった。
「今日は何の御用で来られたのですか?」
「はい。実は祖父アッタールから、このたび私がタージル殿にお世話になったお礼を、と申しまして、これを預かって参りました」
懐から香箱を取り出すと、タージルの前に置いた。
「これは……」
タージルは蓋を開けて中身をかいだ。
「なるほど乳香の香料ですか」
「はい。それがあれば」
「ええ。わかっております。千金にも値します」
サマラに皆まで言わさずにそう言うとタージルは、蓋を閉めて箱を受け取った。
「それで王女様におかれましては、ご自身の結婚相手の件はどうなさるのですか? 宰相様が降嫁をお望みだと伺っておりましたが」
「当初のお約束通り、タージル殿に私の結婚相手を決める権利があったと思ったのですが」
だからこそサマラは宰相に、今日までの間に内々に断っていた。
「宰相様にはすでに降嫁の件はお断りいたしました。こちらに伺うまでに陛下にはすでに私の意をご理解して頂きました。もちろん王太女様にも快諾頂きました」
「こちらにいらっしゃるまでに、とは?」
「はい。あとはタージル殿の許可さえあれば正式に私の婚約は成立致します」
「ということは、恐れながらどういうことですかな?」
タージルは意地悪そうに微笑んだ。
それに対してサマラはにこりと笑うと、居ずまいを正した。
「タージル殿、ぜひとも私にファジュル殿を下さいませ」
「は? サマル何を言ってるんだ! 俺は物じゃないんだぞ!」
呆れた顔でそう叫んだのは、当のファジュルだった。
しかもまだ旅の時の男名でサマラを呼んでくる。
「私はあなたに言ってません。タージル殿にお願いしているんです」
「俺のことだろうが? 何で親父殿が関係するんだよ?」
「ファジュルこそ何を言ってるの? 子供の婚姻許可は父親が出すものでしょう? この辺りの風習を知らないの?」
たいていどこの国でも王族や貴族の婚姻は、父親に決定権と承認権がある。
だが、ティジャーラを含む砂漠の国々では、庶民に至るまで父親に決定権と承認権があるとされているのだ。
「私は先に陛下に『好きにしろ』と言われてしまったけど、ファジュルのことを言ったら、すんなり許可してくれたわ。あなたと婚姻すればこの国から出ることもないし。もっとも、タージル殿の許可は自分で何とかしてこいって言われたけど」
「そんなの親父殿が簡単に許可を出すわけないだろうが。馬鹿かお前は。王女様だからって早々に許可が下りるわけないだろう」
「まあそれはそうなんだけど……」
最終的にタージルが許可しなかったらこの話はなかったことになってしまう。
「ファジュル、私と次弟のズフルには一族内で幼い頃から婚約者が決められていた。もうすぐ末っ子にも婚約者が決められるだろう。だがお前には最初から婚約者は決められなかった。その理由がわかるか?」
ファジュルはゆっくりと長兄の顔を見る。
「年が近いこともあって、もしかしたらと思ってお前にはあらかじめ相手を決めなかった」
長兄ではなく父が答えた。
「親父殿?」
ファジュルはぽかんとした。
まさか自分が第二王女の婿候補として考えられていたとは。
単に商人としての才覚がなかったから、相手がなかなか決められないのだとずっと思っていた。
「王女様、喜んで我が息子を差し上げましょう。我が子ながら、あまり商才の見込めない子です。これはあなた様のお側にいたほうが何かとお役に立つでしょう。そのためではありませんが、兄たちよりも剣術の腕前は確かです」
「ありがとうございます。では婚約成立ということで後ほど陛下から公式の文書を届けて頂きます。ですが、私はまだまだ未熟者です。今回の旅で良くわかりました。ですから、婚礼はもう少し先でかまいませんでしょうか?」
「それはかまいません。王女様の良きように致されませ。私は王女様のおかげで『ティジャーラの宝』が育てば独占販売権を差し許すと陛下から正式に許可を頂きまして、後の商売のために良い契約が結べて感謝しております。これからも何かあれば何なりとお申し付けくださいませ」
驚くファジュル当人をよそに話がサマラとタージルの間でどんどん進んでいっている。
「こちらこそ大切な一族の宝を再び王家に下さってありがとうございます。ティジャーラの希望の灯が再び灯りました」
心から礼を述べる。
「ファジュル、王女様と婚礼をした暁には、もはやお前は砂漠の一族ではない。これからは大地の女神の嗅覚を司る一族の者となるのだ。彼の一族を途絶えさせることのないように、そういう意味でも王女様をしっかりとお支え申し上げよ」
一族の長でもある父にそう言われてしまえば、もはやファジュルには否とは言えなかった。
「わかりました」
そう素直に返事をするしかなかった。
「それでは父上、婚約がめでたく整った二人にしばしの時間を差し上げましょう」
「それもそうだな。王女様、ゆるりとされよ。ファジュル、王女様を頼んだぞ」
「はい」
嫡男サバーハに促されたタージルは香箱を持って共に客間を後にした。
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