【完結】砂の香り

黄永るり

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王の憂鬱

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 ジャミールは、勅使、カーズィバ、サマラからの文で何の成果も得られなかったという結果にすっかり落胆していた。
 そんな王の姿を見る家臣の目は明らかに冷ややかなものだった。
 恭しく皆一様に礼儀に則って頭を下げてはいるものの、なにやらそれぞれの心中では嘲られているような感じがして、ジャミールはとても居心地が悪かった。
 それも自分自身が家臣たちの猛反対を押し切ってまで軍を出し、それに付随して必要なになってくる食料や水、ありとあらゆる経費を国費で賄ったのだ。しかも、軍を王都から出したことによって、一時的に王都の警護を手薄にしてしまった。
 王都を危険にさらしてまで、ただ単に無駄な投資をしたとしか思えない。これが大方の家臣の見解であった。しかも、王たるものが一介の商人の口車に乗って軍を出してしまったのだ。
 結果を知らされた家臣たちの間ではカーズィバの処遇も話題になっていた。同時に水面下では、シャリーファの婚礼と同時にジャミールに譲位してもらい、シャリーファに即位してもらうよう王妃宛に嘆願書を出そうと何人かが署名して作成しているなどという噂もまことしやかに広がっていた。
「良い香りだ」
 ジャミールはサマラたちが戻ってくるまでの全ての政務をシャリーファに代行させた。
 わずかの間でも自分を見る家臣たちの冷たい視線から逃れたかったのだ。
 そして私室の薔薇園に閉じこもってしまった。
「陛下!」
 シャリーファが膨大な書類と印章を配下の侍従に持たせながら薔薇園の四阿あずまやにやってきた。
 実の両親から多大なるとばっちりを食らって、現在、大迷惑を被っているのが、王太女シャリーファであった。
 ゆえに非常に不機嫌な顔をしている。
「何の用だ? 王印など適当に押しておけと言ったであろう?」
 四阿の長椅子に寝ころびながら王は呑気に芳香浴をしていた。
 笑み一つ浮かべず、シャリーファは片手を上げてジャミールの周囲にいた侍女を追い払った。
 侍従たちも四阿の卓上に書類と印章を置くと、そそくさと無言で足早に退出していった。
「陛下からは政務を託され、王妃様からは後宮を託され、私は毎日、大変忙しくしております。ご存知ですよね?」
「そのようだな」
 長椅子に寝そべりながら、興味なさそうにそう答える。
「せめて王印押しと署名ぐらいは手伝って頂けないでしょうかねえ?」
 サマラには一度も見せたことのない不機嫌全開で牙むき出しのシャリーファの姿にも、ジャミールは全く動じずに、しかし渋々上体を起こした。
 シャリーファは、まず王印を王の手に持たせた。
「ではお願いいたします。私も書かねばならないことがありますので、しばらくこちらでご一緒させて頂きます」
 娘に無理やり印章を渡された父王は、観念した様子で仕方なく並べられた書類の山に押印していった。
 どうせここで逃げたとしてもシャリーファはどこまでも追ってくる。
 シャリーファは王妃とは違い、王の薔薇満喫堪能生活を邪魔することもいとわない。
 それは、ここ数日でジャミールが学んだことでもあった。
「シャリーファ」
「何ですか?」
 書類に目を通したままシャリーファは返事だけする。
「婚礼を機に王にならんか?」
 譲位という重大な話を恐ろしく軽く言うジャミール。
 この問いかけをシャリーファにするようになって何度目だろうか。
「嫌です」
 王太女の回答もいつもと同じで短くも明快だった。
「なぜだ? お前に譲位しろと宰相も暗にほのめかしてきておるのだぞ。家臣にもそう言う者たちが出てきているようだし」
「嫌です。そのお年で後宮の薔薇園に楽隠居なんて。皆が許しても私が許しません。どんなに朝議で居心地が悪くても、適当な時期までその座にお留まり下さいませ」
 それを聞いたジャミールは盛大なため息を一つつくと、再び黙々と押印していく。
 せっかくの楽隠居計画もこうまで却下され続けると、もう何も言えなくなってしまうのだ。
 対するシャリーファは、一応、父王にも王位にあるのだという誇りはあるとは思われるので、最後の手段(強引な譲位)だけはするまい、とは確信している。
「陛下」
 今度はシャリーファから口を開いた。
「何だ?」
「北の異民族はサマラが軍を直ちに帰してくれたおかげで、国境線より向こう側へ追い払うことができました。しばらくは愚かなことは考えられないでしょう」
「そうか」
「それからカーズィバの処遇ですが、どうなさるおつもりですか?」
「皆は何と申しておる?」
 己の意見を述べる前に、どうも家臣たちの考えが気になるらしい。
「極論を申す者は死刑を望んでおりますが」
「死刑か。なかなか手厳しいな。他は?」
「他、と申しますか、私と半数以上の家臣は、これまでの陛下のご寵愛の手前もありましたし、死刑は厳しいのでこの出兵にかかった費用を国庫に返納させることと、当分は宮殿の出入りを差し止めるということではどうだろうか? と考えております」
「そ、そうだな。そなたの申す通りにするがよいぞ。許可する」
 あからさまにジャミールはホッとした。
「わかりました。その勅書の下書きを官吏に書かせてあとで届けさせますので、清書して署名と押印をよろしくお願い申し上げます」
「わかった」
「それからサマラたちが本日の夕刻の閉門までには帰還ができるようです」
「そうか」
 ようやくサマラと勅使たちが帰ってくるらしい。
 ジャミールにとってはある意味不幸の知らせだった。
「ですので、今夜もゆっくりお休みになり、明日の朝議後の謁見に備えて下さいませ。くれぐれもお逃げになられませんように」
 最後にキツイ一本が入れられた。
「わかっている!」
 どういう結果になるのか容易に想像がつくためか、どうにも憂鬱な風の王は王印を卓上に置くと、物憂げに足元の薔薇に顔を埋めた。
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