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女神の砦
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追っ手にみつからぬように、ようやく二人は西の山脈の麓に辿りついた。
国土にすれば南西の端。ぎりぎり地図に載るかどうかの場所だ。
すでに今日の陽も山と山の間に隠れ始めている。
「まだ目的地じゃないって言わないよね? 今日夜営をしたら、もう明日からは何もないんだけど」
すでにこの十日間のさすらいで水も食料もほとんどなくなっていた。
あと一食分あるかどうかだ。
「そんなことはない。ここだ。それより刺客の気配は感じられないがサマルの方はどうだ?」
ファジュルが不穏な気配を感じる前に、サマラの鋭敏な嗅覚はニオイを嗅ぐことが出来る。
「かなり遠く離れてるんじゃないかな? むしろ遠ざかっているかも? 時々、東からの風でかすかにわかるぐらいだよ。この近辺では全くニオイはしない」
どうやら刺客たちはちゃんとサマラが仕掛けた罠にはまってくれているようだ。
「そうか。なら大丈夫だな」
やっと安堵したような顔になるファジュル。
「それで入り口はどこなの? まさか砂漠の一族じゃないからって私だけ入れないんじゃ?」
今さらのように普通の思考能力がサマラに戻ってきたようだ。
「サマルが入れないんじゃ、そもそも案内はしていない。それにサマルは大地の女神の一族でもあるし。俺たち一族が長らく待っていた王にならないティジャーラ直系の王族だ。どちらの血筋でも条件は満たしている」
同じ直系の王族でもジャミールやシャリーファを招かなかったのは、王もしくは王になる存在だからだ。愚王以降、直系とはいえ王になる者をタージルたち砂漠の女神の一族は完全に信用してはいなかった。
「そっか。良かった」
サマラは安堵した。
「もうすぐ現れるぞ。サマルにも見えるはずだ。ほら」
ファジュルが指さした前方の空気が揺らいだ。
揺らいだように見えた。
「え?」
眼前に見えていた山の岩肌が水面越しに見ているようにゆらゆらと揺れだした。
「山が……」
サマラは砂が入らないように注意しながら素早く瞬きした。
徐々に揺らいでぼやけている岩肌の色が変わってきたような気がした。
黄味が増し、まるで足元の砂地の色と同化していく感じだ。
ぼやけた幕が視界いっぱいに広がると、突然、幕が消えて巨大な黄土色の土の門が現れた。
その奥には同じ色の建物が見える。
「行くぞ。この門は日没間際に一族の者が立つと現れるんだ。だから日が完全に没すると消えてしまう」
ファジュルが先導するようにラクダの手綱を引きながら入っていく。
門を越えた途端、ファジュルとラクダの姿がするりと消えてしまった。
「え? ちょっと待ってよ!」
慌ててサマラもラクダと共に門の向こうへと走っていく。
門を抜けた瞬間、何か分厚い空気の幕をくぐったような感覚がした。
「何? これ?」
振り返ってみると門の向こうにあったはずの黄砂漠はなくなっていた。
「真っ暗?」
まるでいきなり太陽が没したようなそこしれない闇が広がっていた。
「サマル」
前を見るとそこには先ほど消えたはずのファジュルが立っていた。
「門が閉まる。早く完全に中へ入れ。門に近いところでいつまでもうろうろしていると、よくわからん空間に放り出されるぞ」
「え? それは困る!」
慌ててファジュルの近くまで走るサマラ。
門をくぐった正面には美しい泉とヤシの木に囲まれた中庭、そしてそれらをぐるりと取り囲むように黄土色の門と同じ土壁の建物が建っていた。
中庭の前で子供を連れた女性が一人立っていた。
「母さん! マグリブも!」
ヴェールから覗く顔を判別できる距離になったところでファジュルは驚いた。
「お帰りなさいファジュル」
「三兄さま、お帰りなさい」
五歳ほどの幼子がファジュルに飛びついてきた。
「どうして? 王都の館にいたはずじゃ?」
「ここでお前と王女様を待っているように、と旦那様に言われましたから」
「三兄さま、空飛ぶ絨毯でお空を母様と一緒に飛んできたんだよ」
飛びついている子供が自慢げにファジュルにそう言った。
「旦那様の出立を見送ってからすぐに来たのですよ」
「なぜ?」
「ですから王女様をお迎えする準備をするためですよ」
面白そうに女性が笑った。
「私を?」
ファジュルの横に立っているサマラにシャリーファとは違った温かな眼差しが向けられた。
瞳も髪の色も肌の色もファジュルと同じ。瓜二つの容姿だ。
「さようでございます王女様。私は、当主タージルの妻イラージュと申します。こちらは末息子のマグリブでございます」
ゆったりとサマラに頭を下げて王族に対する正式な礼をとった。
基本的によほどのことがない限り、女性はあまり表には出ないものだった。
だからさすがにサマラもタージルの妻の顔までは知らなかった。
「こちらこそ初めまして。現ティジャーラ王の第二王女フィラーサにございます」
慌ててサマラも返礼をした。
本名を名乗ったのは、何となくそのほうが礼儀にかなっていると思ったからだ。
「当主タージルに申しつけられてこちらでお待ち申し上げておりました。砂漠の女神を祀った祭壇の準備はすでに整っております。長旅でお疲れとは存じますが、湯浴みをなさって食事をとられましたら、日の出前に祭壇までお越しいただきますようにお願い申し上げます」
イラージュにはすでに何をしにサマラがやってきたのかも知っているようであった。おそらく、サマラが大地の女神の嗅覚を司る一族の出身ということも知っているのであろう。
「わかりました」
「この砦には今は私とマグリブしかおりません。ですから、女性の滞在場所は私がご案内させて頂きますし、身の回りのお世話も私がさせて頂きます」
「よろしいのですか?」
大商人タージルの妻に侍女のようなことをさせてしまうことにサマラは恐れ多く感じてしまった。
「はい。もしかしたら行き届かぬこともあるかと思いますが、そこはご容赦くださいませ」
「そんな。わざわざありがとうございます。よろしくお願いいたします」
サマラは勢いよくイラージュに頭を下げた。
「ファジュル、マグリブとともにそなたも湯浴みをして旅の汚れを落としなさい」
「わかりました」
「マグリブ、そなたは今宵はファジュルと寝るのですよ。私は王女様のお世話がありますからね」
「はあい」
元気よく手をあげるマグリブ。
「では王女様参りましょう。ご案内いたします。身の回りの荷物だけをお持ちになって私についてきて下さいませ」
「はい」
「ファジュル、後の荷物と王女様のラクダも頼みますよ」
ファジュルは頷くとサマラのラクダの手綱を預かった。
ラクダから着替えなどの荷袋を降ろすと、それを抱えてサマラはイラージュの後についていった。
国土にすれば南西の端。ぎりぎり地図に載るかどうかの場所だ。
すでに今日の陽も山と山の間に隠れ始めている。
「まだ目的地じゃないって言わないよね? 今日夜営をしたら、もう明日からは何もないんだけど」
すでにこの十日間のさすらいで水も食料もほとんどなくなっていた。
あと一食分あるかどうかだ。
「そんなことはない。ここだ。それより刺客の気配は感じられないがサマルの方はどうだ?」
ファジュルが不穏な気配を感じる前に、サマラの鋭敏な嗅覚はニオイを嗅ぐことが出来る。
「かなり遠く離れてるんじゃないかな? むしろ遠ざかっているかも? 時々、東からの風でかすかにわかるぐらいだよ。この近辺では全くニオイはしない」
どうやら刺客たちはちゃんとサマラが仕掛けた罠にはまってくれているようだ。
「そうか。なら大丈夫だな」
やっと安堵したような顔になるファジュル。
「それで入り口はどこなの? まさか砂漠の一族じゃないからって私だけ入れないんじゃ?」
今さらのように普通の思考能力がサマラに戻ってきたようだ。
「サマルが入れないんじゃ、そもそも案内はしていない。それにサマルは大地の女神の一族でもあるし。俺たち一族が長らく待っていた王にならないティジャーラ直系の王族だ。どちらの血筋でも条件は満たしている」
同じ直系の王族でもジャミールやシャリーファを招かなかったのは、王もしくは王になる存在だからだ。愚王以降、直系とはいえ王になる者をタージルたち砂漠の女神の一族は完全に信用してはいなかった。
「そっか。良かった」
サマラは安堵した。
「もうすぐ現れるぞ。サマルにも見えるはずだ。ほら」
ファジュルが指さした前方の空気が揺らいだ。
揺らいだように見えた。
「え?」
眼前に見えていた山の岩肌が水面越しに見ているようにゆらゆらと揺れだした。
「山が……」
サマラは砂が入らないように注意しながら素早く瞬きした。
徐々に揺らいでぼやけている岩肌の色が変わってきたような気がした。
黄味が増し、まるで足元の砂地の色と同化していく感じだ。
ぼやけた幕が視界いっぱいに広がると、突然、幕が消えて巨大な黄土色の土の門が現れた。
その奥には同じ色の建物が見える。
「行くぞ。この門は日没間際に一族の者が立つと現れるんだ。だから日が完全に没すると消えてしまう」
ファジュルが先導するようにラクダの手綱を引きながら入っていく。
門を越えた途端、ファジュルとラクダの姿がするりと消えてしまった。
「え? ちょっと待ってよ!」
慌ててサマラもラクダと共に門の向こうへと走っていく。
門を抜けた瞬間、何か分厚い空気の幕をくぐったような感覚がした。
「何? これ?」
振り返ってみると門の向こうにあったはずの黄砂漠はなくなっていた。
「真っ暗?」
まるでいきなり太陽が没したようなそこしれない闇が広がっていた。
「サマル」
前を見るとそこには先ほど消えたはずのファジュルが立っていた。
「門が閉まる。早く完全に中へ入れ。門に近いところでいつまでもうろうろしていると、よくわからん空間に放り出されるぞ」
「え? それは困る!」
慌ててファジュルの近くまで走るサマラ。
門をくぐった正面には美しい泉とヤシの木に囲まれた中庭、そしてそれらをぐるりと取り囲むように黄土色の門と同じ土壁の建物が建っていた。
中庭の前で子供を連れた女性が一人立っていた。
「母さん! マグリブも!」
ヴェールから覗く顔を判別できる距離になったところでファジュルは驚いた。
「お帰りなさいファジュル」
「三兄さま、お帰りなさい」
五歳ほどの幼子がファジュルに飛びついてきた。
「どうして? 王都の館にいたはずじゃ?」
「ここでお前と王女様を待っているように、と旦那様に言われましたから」
「三兄さま、空飛ぶ絨毯でお空を母様と一緒に飛んできたんだよ」
飛びついている子供が自慢げにファジュルにそう言った。
「旦那様の出立を見送ってからすぐに来たのですよ」
「なぜ?」
「ですから王女様をお迎えする準備をするためですよ」
面白そうに女性が笑った。
「私を?」
ファジュルの横に立っているサマラにシャリーファとは違った温かな眼差しが向けられた。
瞳も髪の色も肌の色もファジュルと同じ。瓜二つの容姿だ。
「さようでございます王女様。私は、当主タージルの妻イラージュと申します。こちらは末息子のマグリブでございます」
ゆったりとサマラに頭を下げて王族に対する正式な礼をとった。
基本的によほどのことがない限り、女性はあまり表には出ないものだった。
だからさすがにサマラもタージルの妻の顔までは知らなかった。
「こちらこそ初めまして。現ティジャーラ王の第二王女フィラーサにございます」
慌ててサマラも返礼をした。
本名を名乗ったのは、何となくそのほうが礼儀にかなっていると思ったからだ。
「当主タージルに申しつけられてこちらでお待ち申し上げておりました。砂漠の女神を祀った祭壇の準備はすでに整っております。長旅でお疲れとは存じますが、湯浴みをなさって食事をとられましたら、日の出前に祭壇までお越しいただきますようにお願い申し上げます」
イラージュにはすでに何をしにサマラがやってきたのかも知っているようであった。おそらく、サマラが大地の女神の嗅覚を司る一族の出身ということも知っているのであろう。
「わかりました」
「この砦には今は私とマグリブしかおりません。ですから、女性の滞在場所は私がご案内させて頂きますし、身の回りのお世話も私がさせて頂きます」
「よろしいのですか?」
大商人タージルの妻に侍女のようなことをさせてしまうことにサマラは恐れ多く感じてしまった。
「はい。もしかしたら行き届かぬこともあるかと思いますが、そこはご容赦くださいませ」
「そんな。わざわざありがとうございます。よろしくお願いいたします」
サマラは勢いよくイラージュに頭を下げた。
「ファジュル、マグリブとともにそなたも湯浴みをして旅の汚れを落としなさい」
「わかりました」
「マグリブ、そなたは今宵はファジュルと寝るのですよ。私は王女様のお世話がありますからね」
「はあい」
元気よく手をあげるマグリブ。
「では王女様参りましょう。ご案内いたします。身の回りの荷物だけをお持ちになって私についてきて下さいませ」
「はい」
「ファジュル、後の荷物と王女様のラクダも頼みますよ」
ファジュルは頷くとサマラのラクダの手綱を預かった。
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