【完結】砂の香り

黄永るり

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迷い香

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 とりあえず真っすぐ西へ向かうのは危険だとファジュルの言を受け入れたサマラは遠回りに西へ向かうことにした。
 北へ南へ。
 時には反対方向の東へわざと方向を変えながら。
 どんなに時間をかけても距離的にはあまり進んだ感じがしない。
 サマラは休憩している天幕を出て、周囲を一回りしてニオイを嗅ぎ取る。
 乾いた風のニオイ。焼けつく砂のニオイ。
 砂漠を渡る風に乗って、自分たちに近づいてくるニオイが少しずつ流れてくる。
「来てるのか?」
「うん」
 天幕からファジュルも出てきた。
 気配としてはまだファジュルも捕らえられない。
「この距離だと明日の夜ぐらいには」
「そうか。じゃあ何か対策を考えないとな」
「それ、私に任せてくれない?」
「何か考えがあるのか?」
「ええ。いくらファジュルが剣術に秀でていても、多数の人間相手に私を庇いながら戦うのには無理があるでしょう?」
「まあな」
 どんなに意表を突いた作戦でも一人で多くの人間を殺さないまでも戦闘不能にまで追い込むのには至難の技だ。
 ましてやファジュルには、さすがに商人たちが雇うような護衛ほどの腕はない。
「私も七つの一族の一つ。大地の女神から香りの力を得た人間です」
「力を使うのか?」
「そう」
 アッタールに手渡された書物の中には、一族の力を使うための方法が書かれた箇所もあった。
「私の一族の力は、自らが作る香料を焚いた時の香煙で、時間、空間、場所をも捻じ曲げることが出来るらしい。それらを捻じ曲げることで人間の平衡感覚をも狂わせることが出来るそうよ」
「らしいとか、出来るそうよ、と言ってるあたり、今までやったことがないのか?」
「ええ。だってこの旅で初めておじいちゃんから渡された書物だったから」
「じゃあ失敗する可能性もあるってことじゃないのか?」
「かもね」
 事もなげにそう言った。
「でもやってみたい。この前のよりももっと大きな技だけど。それに」
 ファジュルの顔を見る。
「ここには砂漠の一族の代表もいることだし」
「俺か? いや俺の力は……」
 途端に口ごもる。
「ないとは言わせないよ。その気になれば、砂漠で流布されている不思議な物語の道具を創り出せるんでしょ? それをここまできてなお、作らないし、使わないのは、タージル殿に何か言われているからなのでしょ?」
「……まあ、そうだな」
 すっかり立場が逆転してしまったように見える。
 いや、元々の旅の目的地に関しての主導権をサマラが積極的に握り始めただけなのかもしれないが。
「俺には他に提案できるような策もないし、サマルの力とやらにかけてみるか」
「ありがとう。明日の夜までにもっと細かく作戦を立てよう」
「わかった」
 二人は天幕を片付けると、方角を一時南東に変えて進んでいった。

 砂漠が闇夜に包まれる。
 焚火は最小限に留め、天幕は張らない。
 ラクダは近くの灌木に繋いでおいて休ませている。
 徐々に闇にまぎれて影たちの気配が濃くなってくる。
 ファジュルでも十分に捉えられる距離まで来ている。
 焚火を中心にして、一族間で使われているという古代文字が乳香の香油により砂に刻まれた。不思議とその文様は、吹く風にさらされているというのに、全く消えない。
「そろそろ乳香を焚くよ」
「ああ」
 王太女からもらった乳香の欠片を取り出した。
 柄付きの香皿に載せる。香皿に直接置かずに炭の上に置いている。この炭も香皿も香壺とともに異母姉が持たせてくれたものだ。
 香皿の柄を持って焚火にかざした。
 ゆっくりと薄く煙が立ち上っていく。同時に鼻孔をつくような爽やかな香りが辺りに漂う。
 深呼吸を一つする。
 香皿に蓋をするようにもう一つの手のひらをかざした。
 恐る恐るファジュルもその上に手のひらをかざした。手のひらが熱を帯びてくる。
「大地と砂漠の一族の叡智を結集したものよ。その力を我らに下したまえ」
 濃い白煙がすっと二人の手のひらを包み込み、手首から先が見えなくなる。
「大気を歪ませ、我らに近づく者たちを絡め捕りたまえ!」
 急速に白煙が大きく膨らみ、上空へ真っすぐに上がっていく。
 そして天空より砂漠の文様に白光が戻ってきて周囲を囲み始めた。
 文様の一歩手前で影たちの足が止まった。
 恐る恐る文様の周りを取り囲む。
「行け!」
 合図とともに一斉に中央に立つ二人に向かって影たちが跳躍した。
 その瞬間。
 文様を囲んでいた淡い白光が影にまとわりついてきた。
 影たちの姿が砂上で露になっていく。
 あらがえぬ不思議な力によって、影たちの筋肉がありえない方向に収縮する。
「ううっ!」
「ぐふぁ!」
 次々と影と武器が雨のように落下してきた。
 誰も、武器すらも文様の中央には辿りつけなかった。
 あと一歩の距離なのに誰の身体も届かなかった。
「この効果があるうちに」
「わかった」
 ファジュルは素早くサマラから離れると、なすすべもなく倒れた影たちを、次々と縄で縛っていき、ラクダたちを繋いでいた灌木に数珠つなぎに繋いでいった。
 回収した武器はひとまとめにしてラクダの荷袋に入れた。
「完了したぞ」
「こっちも香料がつきたわ」
 見ると香皿には何も残ってはいなかった。燃え残った炭の欠片があるのみだった。
「それじゃあ出発するか?」
「ちょっと待って。もう一つやらせて」
 そう言うとサマラは、今度は没薬の香油で古代文字を描き、香皿に炭と没薬の樹脂を乗せた。そして香皿を再び焚火にかざしながら、何ごとかを呟いた。香皿から立ち上る煙が、ゆっくりと風向きを無視して東南へと流れ始めた。同時に、苦味と辛さがまじったような香りも東南の方角へ流れていく。
「これでよし!」
 そういうと樹脂がつきたところでサマラは香皿を荷袋に入れた。
「今のは何だ?」
「これで刺客たちが嗅ぎ分けられる程度の私たちのニオイが、方向違いの東南のほうからくるはず」
「なるほど。間違った方向に追っ手を引っ張っていってくれるということか。そいつはありがたいな」
「念のために私たちには乳香の香料を塗って本来のニオイを消しておきましょう」
「わかった」
 アッタールからもらった乳香の香料を手早く塗ると、二人はそこから改めて方向を西にとると、ラクダに乗って慌ただしく出発した。
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