27 / 59
太守の話
しおりを挟む
砦には常駐の兵士たちが交代で国境警備にあたっている以外は、後宮以上に閑散としたものであった。
当然そのような状況なので、太守の部屋も女人はいない。
ルナは黙って備え付けられている道具で勝手に湯を沸かし、茶葉を煮出して茶を淹れた。
幾つか自分用に携帯していた焼菓子も皿にのせた。
卓上はそれなりに整った感じになった。
「気が利くな。お前、私の侍女にならないか?」
「心にもないことを仰らないでください」
「ふふふ。本気なのだがな」
不思議な微笑みを浮かべると、ロナウスはルナに自分の分も茶を淹れて、向かいの椅子に座るように命じた。
「俺は生きるために実の母を殺して王太后の試験で生き残ってしまった」
ロナウスはルナが淹れた茶で喉を温めると静かに雪原での話の続きを語り始めた。
まるで誰かに真実を知っていてほしいような感じで。
「そして第二の試験とかでこの北の大地に飛ばされた」
リファンカールの王位は、他国と同じく、代々、王の長男が継ぎ、長男なくば次男、三男というふうな継承順位であった。至極、国にとっては当たり前のことだったので、年齢から『第二王子』という称号を得たロナウスが、もっとも玉座に近いのであろうと、重臣たちは自らロナウスに付き従うか、己の子弟を待官や侍従として北へ送った。
だが、母殺しの王子が次に手にかけたのは、自分の妻にと差し出した重心の娘であった。
「奥様を殺められたのも生きるためだったのですか?」
ルナは恐る恐る尋ねてみた。
「まさか」
ロナウスは軽く鼻を鳴らした。
「そのような理由で妻を殺すものか。先ほどの妻の石塔の横に小さな石塔がなかったか?」
問われてルナは自らの記憶を探る。
確かに妻の墓だと教えられた石塔には、横に小さな石塔と呼んでいいものかわからないほどの小さな石ころが積まれていた。
「妻は妊娠していたのだ」
「え?」
思わず手の中の杯を落としそうになった。
ロナウスの妻となった女性は、実は婚礼の夜にすでに自分が他の男の子供を妊娠していることをロナウスに打ち明けた。
「父親はどこぞの名家の子息だとかで。恋人を妊娠させて、子ができた段階でその父親である大臣に結婚を認めさせようと考えていたらしい」
だが大臣は、自分の娘の心など知る由もなく、さっさとロナウスの後宮に放り込んでしまった。娘は婚礼が決まる前に自分の妊娠には気づいていたが、相手の男に話す前に婚礼話がとんとん拍子に進んでしまい、恐ろしくて誰にも言えなかったらしい。
「それで婚礼の初夜、妻となった女は寝所で二人きりになった時を見計らって、俺にこう頼んできた」
「私を殺して、と?」
尋ねたルナの声は驚くほど掠れていた。
「そうだ。腹の子と共に殺してくれと」
こんなことが発覚すれば、私もこの子も、あの方も殺されるでしょうし、知らなかったとはいえ父にも迷惑をかけることになる。
自分がロナウスに無礼を働いたとして、手にかけてほしいと。
妻となった女の真摯な瞳にロナウスは逡巡した。
殺してしまうよりも、子の父親ともどもどこか田舎で暮らせるように手配して、表向きは病死ということにすれば、どうだろう。
だがロナウスが己の考えをまとめるよりも、妻の行動の方が一瞬早かった。
ロナウスが寝所の脇に置いた剣を鞘ごと手に取った。
「どうか、お願いいたします!」
鞘から剣を抜くと、柄をロナウスの両手に握らせ、刀身に自らの腹をのめり込ませた。
ズブリ。
肉を貫く音がその場に響いた。
生温かいものが冷たい寝所を濡らしていく。
ロナウスは柄を握ったまま全く動けなかった。
「それくらい見事な流れだった。百戦錬磨の俺でも咄嗟に動けなかったくらい」
それが北の太守の妻殺しの真相。
そうして瞬く間に、噂が真実から一人歩きしだした。
北の第二王子は狂気の王子だ。実の母を殺し、婚礼の夜には新妻をも殺した。
容赦ない残虐な王子。身内にも刃を向ける恐ろしき男。
この世の全ての女を憎んでいるのではないか?
噂が国の全土にまで行きわたった頃には、北の城は半分以上もぬけの殻になっていた。
民の間にもその噂は最速で駆け抜けたために、北に住む民の大半が村単位で大移動を開始したのだ。
「だから北にはほとんど人がいないのですね?」
「ああ。それに元々北の大地は作物を育てるには適さないから住んでる人間も少なかった。領土も狭いしな」
「民の大半を失って、太守様だけ残ってどうなさるのですか?」
民のいない太守に存在する意味があるのだろうか。
ルナは素直に自分の思いを口にした。
「俺にはすることがあるのだ」
「それは?」
ロナウスは懐から書簡を取り出した。
「これを南の太守・ダグナルに渡してくれ」
「文、ですか?」
「そうだ。このあとお前たちは東に行き、最終的には中央に戻って収穫祭にも出るのだろう? その時で構わないから渡してくれ」
確か南の太守・第四王子ダグナルは、ロナウスが可愛がっている王子だと言われていたはずだ。
ルナは脳裏に関係図を思い描いた。
「あいつも俺と似たような噂を振りまかれている。あいつに文を渡すときに、ついでにこう伝えてくれ」
ロナウスは帯剣し、上着を羽織った。
「俺の役目は終わった。後は頼む、と」
「あの……」
去り行く背にルナは思わず声をかけた。
「何だ?」
「あの、太守様は昔、カルトパンの別荘地でお暮らしになっておられた頃『若さま』と呼ばれておられませんでしたか?」
振り返るとロナウスは豪快に笑いだした。
「若さまなぞ、あの別荘地にいた九人の子供全員がそれぞれの乳母や侍女たちから呼ばれておったわ」
「え?」
「こちらで王子の称号を得るまでは、皆、本来の名前ではなく、生まれた順番で呼ばれていた。一の君は亡くなった王太后の第一王子をはばかってつけなかったから、二の君から十の君までだな」
「私が探している若さまは、六の君と母君様から呼ばれていました。太守様は?」
尋ねるルナの声が震えた。
「奇遇だな俺も六の君と呼ばれていた」
呆然とするルナをしり目に、ロナウスは悠々と部屋を後にした。
夕刻、バールは衝撃的な情報を持って戻ってきた。
ルナを市場見物に誘ってくれたディヤーが、付近の村で遺体となって発見されたという。
当然そのような状況なので、太守の部屋も女人はいない。
ルナは黙って備え付けられている道具で勝手に湯を沸かし、茶葉を煮出して茶を淹れた。
幾つか自分用に携帯していた焼菓子も皿にのせた。
卓上はそれなりに整った感じになった。
「気が利くな。お前、私の侍女にならないか?」
「心にもないことを仰らないでください」
「ふふふ。本気なのだがな」
不思議な微笑みを浮かべると、ロナウスはルナに自分の分も茶を淹れて、向かいの椅子に座るように命じた。
「俺は生きるために実の母を殺して王太后の試験で生き残ってしまった」
ロナウスはルナが淹れた茶で喉を温めると静かに雪原での話の続きを語り始めた。
まるで誰かに真実を知っていてほしいような感じで。
「そして第二の試験とかでこの北の大地に飛ばされた」
リファンカールの王位は、他国と同じく、代々、王の長男が継ぎ、長男なくば次男、三男というふうな継承順位であった。至極、国にとっては当たり前のことだったので、年齢から『第二王子』という称号を得たロナウスが、もっとも玉座に近いのであろうと、重臣たちは自らロナウスに付き従うか、己の子弟を待官や侍従として北へ送った。
だが、母殺しの王子が次に手にかけたのは、自分の妻にと差し出した重心の娘であった。
「奥様を殺められたのも生きるためだったのですか?」
ルナは恐る恐る尋ねてみた。
「まさか」
ロナウスは軽く鼻を鳴らした。
「そのような理由で妻を殺すものか。先ほどの妻の石塔の横に小さな石塔がなかったか?」
問われてルナは自らの記憶を探る。
確かに妻の墓だと教えられた石塔には、横に小さな石塔と呼んでいいものかわからないほどの小さな石ころが積まれていた。
「妻は妊娠していたのだ」
「え?」
思わず手の中の杯を落としそうになった。
ロナウスの妻となった女性は、実は婚礼の夜にすでに自分が他の男の子供を妊娠していることをロナウスに打ち明けた。
「父親はどこぞの名家の子息だとかで。恋人を妊娠させて、子ができた段階でその父親である大臣に結婚を認めさせようと考えていたらしい」
だが大臣は、自分の娘の心など知る由もなく、さっさとロナウスの後宮に放り込んでしまった。娘は婚礼が決まる前に自分の妊娠には気づいていたが、相手の男に話す前に婚礼話がとんとん拍子に進んでしまい、恐ろしくて誰にも言えなかったらしい。
「それで婚礼の初夜、妻となった女は寝所で二人きりになった時を見計らって、俺にこう頼んできた」
「私を殺して、と?」
尋ねたルナの声は驚くほど掠れていた。
「そうだ。腹の子と共に殺してくれと」
こんなことが発覚すれば、私もこの子も、あの方も殺されるでしょうし、知らなかったとはいえ父にも迷惑をかけることになる。
自分がロナウスに無礼を働いたとして、手にかけてほしいと。
妻となった女の真摯な瞳にロナウスは逡巡した。
殺してしまうよりも、子の父親ともどもどこか田舎で暮らせるように手配して、表向きは病死ということにすれば、どうだろう。
だがロナウスが己の考えをまとめるよりも、妻の行動の方が一瞬早かった。
ロナウスが寝所の脇に置いた剣を鞘ごと手に取った。
「どうか、お願いいたします!」
鞘から剣を抜くと、柄をロナウスの両手に握らせ、刀身に自らの腹をのめり込ませた。
ズブリ。
肉を貫く音がその場に響いた。
生温かいものが冷たい寝所を濡らしていく。
ロナウスは柄を握ったまま全く動けなかった。
「それくらい見事な流れだった。百戦錬磨の俺でも咄嗟に動けなかったくらい」
それが北の太守の妻殺しの真相。
そうして瞬く間に、噂が真実から一人歩きしだした。
北の第二王子は狂気の王子だ。実の母を殺し、婚礼の夜には新妻をも殺した。
容赦ない残虐な王子。身内にも刃を向ける恐ろしき男。
この世の全ての女を憎んでいるのではないか?
噂が国の全土にまで行きわたった頃には、北の城は半分以上もぬけの殻になっていた。
民の間にもその噂は最速で駆け抜けたために、北に住む民の大半が村単位で大移動を開始したのだ。
「だから北にはほとんど人がいないのですね?」
「ああ。それに元々北の大地は作物を育てるには適さないから住んでる人間も少なかった。領土も狭いしな」
「民の大半を失って、太守様だけ残ってどうなさるのですか?」
民のいない太守に存在する意味があるのだろうか。
ルナは素直に自分の思いを口にした。
「俺にはすることがあるのだ」
「それは?」
ロナウスは懐から書簡を取り出した。
「これを南の太守・ダグナルに渡してくれ」
「文、ですか?」
「そうだ。このあとお前たちは東に行き、最終的には中央に戻って収穫祭にも出るのだろう? その時で構わないから渡してくれ」
確か南の太守・第四王子ダグナルは、ロナウスが可愛がっている王子だと言われていたはずだ。
ルナは脳裏に関係図を思い描いた。
「あいつも俺と似たような噂を振りまかれている。あいつに文を渡すときに、ついでにこう伝えてくれ」
ロナウスは帯剣し、上着を羽織った。
「俺の役目は終わった。後は頼む、と」
「あの……」
去り行く背にルナは思わず声をかけた。
「何だ?」
「あの、太守様は昔、カルトパンの別荘地でお暮らしになっておられた頃『若さま』と呼ばれておられませんでしたか?」
振り返るとロナウスは豪快に笑いだした。
「若さまなぞ、あの別荘地にいた九人の子供全員がそれぞれの乳母や侍女たちから呼ばれておったわ」
「え?」
「こちらで王子の称号を得るまでは、皆、本来の名前ではなく、生まれた順番で呼ばれていた。一の君は亡くなった王太后の第一王子をはばかってつけなかったから、二の君から十の君までだな」
「私が探している若さまは、六の君と母君様から呼ばれていました。太守様は?」
尋ねるルナの声が震えた。
「奇遇だな俺も六の君と呼ばれていた」
呆然とするルナをしり目に、ロナウスは悠々と部屋を後にした。
夕刻、バールは衝撃的な情報を持って戻ってきた。
ルナを市場見物に誘ってくれたディヤーが、付近の村で遺体となって発見されたという。
0
お気に入りに追加
19
あなたにおすすめの小説
侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています
猫枕
恋愛
伯爵令嬢のシンディーは学園を卒業と同時にキャッシュ侯爵家に嫁がされた。
しかし婚姻から4年、旦那様に会ったのは一度きり、大きなお屋敷の端っこにある離れに住むように言われ、勝手な外出も禁じられている。
本宅にはシンディーの偽物が奥様と呼ばれて暮らしているらしい。
盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。
王が気づいたのはあれから十年後
基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。
妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。
仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。
側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。
王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。
王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。
新たな国王の誕生だった。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。
梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。
あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。
その時までは。
どうか、幸せになってね。
愛しい人。
さようなら。
愚かな父にサヨナラと《完結》
アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」
父の言葉は最後の一線を越えてしまった。
その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・
悲劇の本当の始まりはもっと昔から。
言えることはただひとつ
私の幸せに貴方はいりません
✈他社にも同時公開
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜
なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」
静寂をかき消す、衛兵の報告。
瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。
コリウス王国の国王––レオン・コリウス。
彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。
「構わん」……と。
周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。
これは……彼が望んだ結末であるからだ。
しかし彼は知らない。
この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。
王妃セレリナ。
彼女に消えて欲しかったのは……
いったい誰か?
◇◇◇
序盤はシリアスです。
楽しんでいただけるとうれしいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる