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真実
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冬子のもとに足繁く通う道雅の姿は、たちどころに周囲の知るところとなった。
それは道雅の計略でもあった。
先行して噂を流すことで二人の関係を既成事実として、院に冬子の降嫁を願いやすくするためだ。
お喋りな女房の口から口へ、その女房から主の下へ。
そうして主である公達や公卿たちは、内裏や院の御所でまことしやかに噂する。
曰く、前斎宮の邸に三位中将が婿気取りで通っているらしい。院の許しもなく未婚の内親王の元に通っても良いものだろうか、と。
いち早くこの噂を母である皇太后は耳にしたが、単なる噂ということで夫である院には何も告げなかった。
それでなくても病弱な院がこの話を耳にしたらどうなるか、そう配慮してのことだった。
しかし、この話がいつまでも院の耳に届かぬはずはなかった。
「院、我が娘と孫は息災ですかな?」
「ああ。息災にしておる」
御簾越しに対面してるとはいえ、院はすこぶる気分が悪かった。
面会している公卿は、そんな院の様子を察してはいるはずなのだが表面上は特に意に介した様子はなかった。
この程度で己の表情を変えていては朝廷の最高権力者にはなれない。
「今日は何用か?」
訪れて早々に人払いをさせて、二人きりで対座していた。
「少し頭が痛いのだ。用なら早めに済ませてほしい」
「御意。では、早速申し上げましょう」
公卿は膝で御簾近くまでいざり寄ると、はらりと扇を広げた。
「すでにご存知かとは思いますが」
「何だ?」
もったいぶった様子に、たまらず院も御簾近くに寄った。
「前斎宮様の元に三位中将殿が通っているらしいのですが」
「何と!」
思わず語気を強めて院は唸った。
「もっぱらの噂でございますよ。真実かどうか使いの者をやってご確認されてはいかがでございますか?」
公卿はそれだけを院に伝えると、すぐさま退出していった。
一人その場に残された院は、真っ青な顔になったまま長く座り込んでいた。
院はただちに通任を冬子の邸に遣わした。
「叔父上様、お久しゅうございます。ようこそお越しくださいました」
「伊勢での裳着の儀式以来でございましたね。あの頃からさらにお美しくなられましたな」
通任はそう話しながら、ひとしきり冬子と邸宅の庭の美しさを褒めたたえた。
そうしてしばらくしてから本題に入ってきた。
「時に宮様」
「はい」
「こちらのお屋敷に、さる公達が訪れておられるというお噂を耳にいたしました」
冬子の眉がぴくりと動いたが、何も答えなかった。
「しかも度々参られておられるとか?」
「参議殿、その噂がいかがしたのでございましょうか?」
御簾前で対座している中将は、この時期に通任が何しに来たのだろうか、と疑っている。
「いえ。宮様にお仕えする女房のどなたかの元に通っておられるのならよろしいのですが」
「持って回った申し上げ方はお止めくださいませ、参議殿。それが宮中での倣いとは申せ、宮様に対して探るような物言いは失礼にございましょう。はっきりと仰せ下さいませ」
中将はきつく通任を睨みつけた。
例え冬子の叔父であろうと、己の主に無礼な物言いは許せないのだ。
「何もそんなことは。宮様ではなく女房の元に通っているのならそれで良いのですよ」
中将の視線に通任は気圧された。
「叔父上様、一体どういうことでございましょうか?」
御簾越しの冬子の問いかけに、通任は救われたような顔になる。
「いえ。ただ、院が大層お怒りでしたよ」
「父上様が?」
はい、と通任は頷いた。
「大切に可愛がっておられていた前斎宮様が妻子ある公達を通わせておられるとは、と」
「それはどういう意味でしょうか?」
冬子の言葉がわずかに震えた。
叔父が今何を言ったのか咄嗟に理解できなかった。
道雅を通わせることを、なぜ咎めだてされなければならないのだろう?
道雅は独身であったはず。
実家の中関白家の邸宅からそのままここに通ってきているはず。
「ご存じないのですか?」
通任は不思議そうな顔をする。
「何が、でございますか?」
中将は言葉に詰まっている冬子に代わって重ねて問うた。
「三位中将殿は、四年ほど前に父君の裳が明けられてから大臣の勧めで結婚されましたよ」
「お相手はどなたですか?」
中将の声も震えている。
中将も初耳だったらしい。
「権中納言殿のご息女だったと思われますが。確か御子もおられたはずですよ」
冬子以下、側に侍していた式部も女房たちも蒼白になった。
冬子にはまだ御簾があったため、かろうじてその表情が通任に窺いしれることはなかったが。
こんな醜聞はない。
未婚の内親王がすでに妻帯している公達を通わせているのだ。
しかも、父院の許しなく。
独身の公達だったなら、まだ良かったかもしれない。
そのまま二人の関係性を公にして、院が許可を出さざるを得ないようにすれば良いだけだ。冬子の元に通うには家柄も身分も道雅は申し分がないように思われたから。
「中将殿、今一度お尋ねいたします。こちらに三位中将殿がお通いになられているのは前斎宮様ではなく、お仕えしている女房殿のところですね?」
「もちろんです。もったいなくも三位中将殿がお通いになられているのは、前斎宮様ではなく、我が娘の式部の元にお通いになられておられます」
中将は年の功で。咄嗟に表情からも言葉尻からも己の感情をきれいに消し去ってから、そう通任に述べた。
「ではそのように院にはご報告させて頂きます」
一応、納得したような様子で通任は帰っていった。
それは道雅の計略でもあった。
先行して噂を流すことで二人の関係を既成事実として、院に冬子の降嫁を願いやすくするためだ。
お喋りな女房の口から口へ、その女房から主の下へ。
そうして主である公達や公卿たちは、内裏や院の御所でまことしやかに噂する。
曰く、前斎宮の邸に三位中将が婿気取りで通っているらしい。院の許しもなく未婚の内親王の元に通っても良いものだろうか、と。
いち早くこの噂を母である皇太后は耳にしたが、単なる噂ということで夫である院には何も告げなかった。
それでなくても病弱な院がこの話を耳にしたらどうなるか、そう配慮してのことだった。
しかし、この話がいつまでも院の耳に届かぬはずはなかった。
「院、我が娘と孫は息災ですかな?」
「ああ。息災にしておる」
御簾越しに対面してるとはいえ、院はすこぶる気分が悪かった。
面会している公卿は、そんな院の様子を察してはいるはずなのだが表面上は特に意に介した様子はなかった。
この程度で己の表情を変えていては朝廷の最高権力者にはなれない。
「今日は何用か?」
訪れて早々に人払いをさせて、二人きりで対座していた。
「少し頭が痛いのだ。用なら早めに済ませてほしい」
「御意。では、早速申し上げましょう」
公卿は膝で御簾近くまでいざり寄ると、はらりと扇を広げた。
「すでにご存知かとは思いますが」
「何だ?」
もったいぶった様子に、たまらず院も御簾近くに寄った。
「前斎宮様の元に三位中将殿が通っているらしいのですが」
「何と!」
思わず語気を強めて院は唸った。
「もっぱらの噂でございますよ。真実かどうか使いの者をやってご確認されてはいかがでございますか?」
公卿はそれだけを院に伝えると、すぐさま退出していった。
一人その場に残された院は、真っ青な顔になったまま長く座り込んでいた。
院はただちに通任を冬子の邸に遣わした。
「叔父上様、お久しゅうございます。ようこそお越しくださいました」
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通任はそう話しながら、ひとしきり冬子と邸宅の庭の美しさを褒めたたえた。
そうしてしばらくしてから本題に入ってきた。
「時に宮様」
「はい」
「こちらのお屋敷に、さる公達が訪れておられるというお噂を耳にいたしました」
冬子の眉がぴくりと動いたが、何も答えなかった。
「しかも度々参られておられるとか?」
「参議殿、その噂がいかがしたのでございましょうか?」
御簾前で対座している中将は、この時期に通任が何しに来たのだろうか、と疑っている。
「いえ。宮様にお仕えする女房のどなたかの元に通っておられるのならよろしいのですが」
「持って回った申し上げ方はお止めくださいませ、参議殿。それが宮中での倣いとは申せ、宮様に対して探るような物言いは失礼にございましょう。はっきりと仰せ下さいませ」
中将はきつく通任を睨みつけた。
例え冬子の叔父であろうと、己の主に無礼な物言いは許せないのだ。
「何もそんなことは。宮様ではなく女房の元に通っているのならそれで良いのですよ」
中将の視線に通任は気圧された。
「叔父上様、一体どういうことでございましょうか?」
御簾越しの冬子の問いかけに、通任は救われたような顔になる。
「いえ。ただ、院が大層お怒りでしたよ」
「父上様が?」
はい、と通任は頷いた。
「大切に可愛がっておられていた前斎宮様が妻子ある公達を通わせておられるとは、と」
「それはどういう意味でしょうか?」
冬子の言葉がわずかに震えた。
叔父が今何を言ったのか咄嗟に理解できなかった。
道雅を通わせることを、なぜ咎めだてされなければならないのだろう?
道雅は独身であったはず。
実家の中関白家の邸宅からそのままここに通ってきているはず。
「ご存じないのですか?」
通任は不思議そうな顔をする。
「何が、でございますか?」
中将は言葉に詰まっている冬子に代わって重ねて問うた。
「三位中将殿は、四年ほど前に父君の裳が明けられてから大臣の勧めで結婚されましたよ」
「お相手はどなたですか?」
中将の声も震えている。
中将も初耳だったらしい。
「権中納言殿のご息女だったと思われますが。確か御子もおられたはずですよ」
冬子以下、側に侍していた式部も女房たちも蒼白になった。
冬子にはまだ御簾があったため、かろうじてその表情が通任に窺いしれることはなかったが。
こんな醜聞はない。
未婚の内親王がすでに妻帯している公達を通わせているのだ。
しかも、父院の許しなく。
独身の公達だったなら、まだ良かったかもしれない。
そのまま二人の関係性を公にして、院が許可を出さざるを得ないようにすれば良いだけだ。冬子の元に通うには家柄も身分も道雅は申し分がないように思われたから。
「中将殿、今一度お尋ねいたします。こちらに三位中将殿がお通いになられているのは前斎宮様ではなく、お仕えしている女房殿のところですね?」
「もちろんです。もったいなくも三位中将殿がお通いになられているのは、前斎宮様ではなく、我が娘の式部の元にお通いになられておられます」
中将は年の功で。咄嗟に表情からも言葉尻からも己の感情をきれいに消し去ってから、そう通任に述べた。
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