【完結】斎宮異聞

黄永るり

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裳着

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 勅使を迎えて三日後、都の妹宮と同じ日にという帝の意向に沿って冬子の盛大な裳着の儀式が行われた。
「失礼いたします。斎宮様お支度をさせて頂きます」
 中将以下、冬子の夕餉が終わった頃合いを見計らって女房たちが真新しい装束一式を持って現れた。
 裳着の儀式は、これからの正刻に行われるのだ。
 帝より賜った晴れの装束は、冬子が斎王ということもあって、白の裳唐衣に緋色の袴であった。
 白は最も高貴な色とされていたので、皆、神に仕える身の冬子に相応しい色の装束だと思われた。
 常なら裳着ということで色とりどりの衣が用意されるのだが、斎王であれば派手にすることは許されない。
 これまでは、身幅の細く仕立てられた細長という後ろの先が二つに分かれたものを衵の上から重ね着し、あこめの枚数で寒暖調節をしていた。
 それが裳着の儀式を行う今日からは、下からひとえうちぎ(五つ衣)、打衣、表着うわぎ、裳、唐衣からぎぬというようにまとっていき、袿の枚数で寒暖の調節をするようになるのだ。
 もっとも、裳や唐衣は何らかの儀式や貴人を迎える時に着つけるだけではあるが。
 しかし、表着や袿をまとうだけでも大人扱いされるのだ。
 それは、同時にいつでも結婚できるという証でもある。
 初めての大人の装いに、自然と冬子にも笑みが浮かぶ。
「斎宮様、嬉しそうにございますね」
「ええ。式部より一足先に大人になってしまうけど」
「いえ、私など」
 式部は主を思いやって、まだ裳着を済ませてはいなかった。
「式部もすぐに裳着をしましょうね」
「もったいのうございます」
 式部は一礼して冬子に最後の唐衣を着付けた。
 唐衣は上半身に羽織る程度の丈である。
 裳唐衣と袴以外は、皇后(冬子の母)から送られたものをまとった。
 斎王の身ということで華やかな色合いの袿をまとえない娘に、せめて同じ白でも色の変化を楽しめるようにと、氷のかさねの袿を用意されたのだ。
 袴以外は白でまとめた衣を身に着けた冬子は、儀式を執り行う間へと女嬬にょじゅに先導された。

 部屋には通任が冬子の座の横に座り、背後には中将が座っていた。
 御簾が巻き上げられると、いつもよりも着飾った女房たちが御前に控えていた。
 冬子は扇で顔を隠しつつも、さりげなく道雅の姿を探す。
 下座の奥に几帳で隔てられた場所があった。
 そこから聞き覚えのある香りが冷気に混ざってかすかに冬子の鼻腔をくすぐった。
 あの後ろに道雅がいて儀式を見守ってくれているのだ。
 冬子は安堵して中央の座についた。
 燈台だけのかすかな灯りの下、冬子の裳着の儀式が粛々と進められた。
「ではこれより斎宮様の裳着の儀式を執り行います」
 通任付きの公達が厳かに告げた。
 儀式の腰結い役には、勅使として下向した叔父・通任が務め、髪上げは中将が務めた。
 外では小やみになりつつも静かに雪が降り続けていた。
 炭櫃すびつは整えてはいるものの、やはりどこからかひんやりとした風が入り込んできていた。
「では斎宮様、失礼いたします」
 背後に控えていた中将が、冬子の垂髪を一つにまとめて結い上げる。
 結い上げが終わると、次に冬子の正面に向かい合って座り、細やかな模様がほどこされた箱を開ける。
 中から、櫛、平額ひらびたいこうがい釵子さいしが現れた。
 前髪に櫛と平額をつけ、笄と釵子でそれを留める。
 釵子には白の飾り尾がつけられていた。
 中将の手による理髪が終わると、冬子はその場で静かに立ち上がった。
 今度は通任が冬子の正面に回り、冬子の背後に回った中将が回してきた白い裳の紐を結わえた。
 滞りなく儀式は終わり、皆で改めて裳着を終えた冬子の姿を愛でる。
「斎宮様、お美しゅうございますよ」
「何とお美しいことか」
 口々に冬子の美しさを誉めそやす声がその場でわきおこった。
「斎宮様、ご自分でもお姿を見られませ」
 中将が鏡を渡す。
 冬子は鏡に己の姿を映す。
 そこには、すっかり大人の女性の姿となった自分がいた。
 昨日までは幼い子供の姿をしていたのに。
 今日から自分は大人の女性の仲間入りをしてしまったのだ。
「これほどのお美しさでしたら、都にお戻りになられました際には、降るほどの縁談が参りますでしょう」
 叔父にそう寿がれる。
 もっとも冬子が都にいつ戻れるのかはわからないが。
「ぜひ、主上と皇后様に今日の斎宮様のお姿をお伝えいたしましょう」
「叔父上、ありがとう存じます」
 冬子は通任に礼を述べた。

 夜半、冬子の部屋の周囲は降りこめる雪のせいもあり、静かであった。
 ほとほと、蔀が無音の闇の中で揺れる。
「失礼いたします」
 名乗りもせずに太く低い声が、粉雪と共に入ってくる。
 普段なら斎宮の私室ということもあり、数人の女房たちが宿直をしているのだが、今夜に限っては、皆、勅使主催の宴に伺候してしまっているのだ。
 隣室に式部が待機しているくらいだ。
「宮様」
 都にいた時と同じ呼び方をされる。
 部屋の中央から、やや奥に設えられてある御帳台の中に何者かが滑り込んでくる。
「道雅様?」
 その香は忘れようのない香だった。
「さようにございますよ。女一の宮様」
 冬子は香りと気配を頼りに道雅のもとにいざりよる。
「宮様」
 そっと冬子を抱き寄せてくれた。
 その胸は温石のように温かく、初めて出会った日を思い出させる。
「ずっとお逢いしたかった」
「私もですよ。都にいてあなた様を思い出さない日はありませんでした」
 父・伊周の病死により、喪に服さなければならなかった。
 冬子が斎王に卜定するまでの間、忍んで行きたくとも行けなかった。
「やっと婚礼ができる姿になりました。今はただ、早く都に戻りとう存じます。戻って道雅様の北の方(正妻)になりたいです」
 道雅の胸元の合わせ目をぎゅっとつかむ。
 都に戻りたいがために父帝の死や譲位を望んでいるわけでは決してなかったが、冬子はそれほどまでに道雅と共にいたかったのだ。
「宮様……」
「冬子、とお呼びくださいませ」
 真名はともかく、せめて称号や役職とは違う名で呼んでほしかった。
「……冬子」
 ためらいながらも消え入るような声で呟いた。
「このまま私を温めて下さいませ。この伊勢に参って以来、日に日に私の心は寒々しくなっていくばかりなのでございます」
「冬子」
 今度ははっきりと呼んだ。
「はい」
「私は都に戻り、中関白家なかのかんぱくけの嫡男としてふさわしい地位を得てみせます。そうして、あなたが都に戻られた暁には真っ先に求婚いたしましょう。必ずや主上のお許しを頂けるように努力いたします」
 道雅は冬子を抱きしめる腕にいっそう力を込めた。
「道雅様」
「お約束いたしましょう」
 冬子の冷えた手を固く握った。
 今上帝の内親王である冬子を妻にして、どんなことをしても関白の地位まで駆け上がり、中関白家を再び栄えさせてみせる。
 そうすれば、妹を宮中に女房として出仕させるなどという屈辱的な仕打ちを受けることもあるまい。
 道雅はこの夜、中関白家の再起を固く決意した。
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