【完結】斎宮異聞

黄永るり

文字の大きさ
上 下
11 / 20

伊勢下向

しおりを挟む
 冬子たち一行は、勢多、甲賀、垂水、鈴鹿、壱志の頓宮とんぐうを経て特に大過なく伊勢に到着した。
 冬子の乳母の中将には、冬子のたっての願いで斎宮の私的生活の部分を管理する女官の最高位・命婦みょうぶ(内侍)の官を与えられた。
 当然ながらその娘で、冬子の乳姉妹の式部も側付きの筆頭女房として伊勢へ付き従っている。
 斎宮内は、おおむね昔から冬子に仕えてきた女房たちに囲まれながら私的生活を送れるようになっていた。
 そのため冬子は特に苦もなく『斎王』としての生活を受け入れていった。
 ただ慣れないのは、愛しい方に会えないということだけであった。
 私的な文は出せないし、受け取ってもならない。
 外部との接触は公的には年に三度、伊勢神宮に赴く以外は、私的なものとしては、まれに都から来る帝がお遣わしになる勅使か、近くを通る国司たちが就任や帰京の挨拶に立ち寄るくらいである。

 伊勢に珍しく雪の降った日。
 冬子はずっと簀子すのこに座ったままでいた。
「道雅様、伊勢にも雪が降りましたよ。こちらの雪は都の雪ほど全てを覆っては下さいませんけど。都は今頃、伊勢よりも真っ白になっているのでしょうね」
 普段なら斎宮である冬子が一人で放っておかれることはないのだが、中将をはじめとする女官たちは都から訪れた勅使の対応に追われていた。
 斎宮である冬子自らが応対しなければならないのだが、寒さからくる頭痛があると言って中将に押し付けたのだ。
 中将は冬子に決して御帳台から出ないようにと釘を刺して、式部に薬湯の準備を命じてから出て行った。
 しかし周囲が人少なになったところを狙って、冬子は私室の裏の簀子にこっそり出てきたのだ。
 ここなら周囲から見られることもない。
「もうどれくらいになるのかしら? 道雅様にお会いできなくなってしまってから」
 最初は道雅の父・伊周の死による服喪期間からであった。
 そしてそれと入れ替わるように御代替わりがあり、その騒ぎが収まった途端に伊勢の斎宮に卜定された。
「初斎院に、野宮の潔斎期間が終わって……」
 都から遥々この伊勢に下ってきた。
「道雅様……」
 会いたい、そう思いながら冬子は我が身を強く抱きしめた。
 強く、とても強く。
 この寒さは雪が降っているからだけではないのだろう。
 どうしても埋めることのできない場所が心のどこかにあるからだ。
「斎宮様!」
 中将の声が背後で響いた。
 さすが中将は冬子の行動をお見通しだ。
 中将は急いで自分の表着うわぎを冬子に被せ、薬湯を持ってきた式部に今度は温石おんじゃくの用意を命じた。
「中将、どうして?」
 本来なら命婦と呼ばなければならないのだが、公的な場所以外では冬子は変わらず中将と呼んでいた。
「どうしてではございません! このようにまた雪まみれになられて」
 中将は被せた表着で冬子の頭や肩に積もっていた雪を払うと、そのまま冬子の身体をさすりだした。
 冬子の身体はすっかり冷え切っていた。
「斎宮様、温石にございます」
 炭櫃すびつで温められた石を衣に巻いたものを冬子は渡された。
「ありがとう。式部」
 冬子は私室の御帳台に押し込められた。
 部屋には式部と中将のみだが、隣室には他の女房達が控えている。
「斎宮様」
「何?」
「あの方のことを本当にお慕いしておられるのですね」
「ええ。雪だけがあの方と繋がる唯一の道のような気がして」
 締め切られた格子を見やる。
 格子の向こうでは、今も真っ白な雪が音もなく降り続いているのであろう。
「でも中将は忘れなさいって言うのでしょう?」
 中将は小さく首を横に振った。
「いいえ。もうそんなことは申しませんよ」
「中将?」
「あんなにお辛そうに雪を見ておられるお姿を見ては私からはもう何も申せません。主上にも女御様に申し訳ありませんが、斎宮様のなさりたいようになさいませ」
「いいの?」
「私も娘も斎宮様の御身大事と思うばかりに、斎宮様の御心をお守りすることを忘れておりました。これからも娘ともども斎宮様に誠心誠意お仕えして参ります。よろしくお願い申し上げます」
 深々と中将母子が頭を下げた。
「中将、式部、ありがとう!」
 温石を放り出して二人に抱きついた。
「ごめんね。わがままばかり言って。二人を困らせてばかりで」
 冬子は乳母と乳姉妹を心からの味方として、何とかこの伊勢でも己を保つことができた。
しおりを挟む
感想 13

あなたにおすすめの小説

長門の鬼女

阿弖流為
歴史・時代
長門国・鬼ヶ城に伝わる悲しき伝説。鬼の血を引く娘・桜子と、彼女を愛した流刑の武士・高成。満月の夜、鬼の運命に抗えぬ桜子が選んだ道とは――。和の情緒に満ちた、切なくも美しき異類恋愛譚。 (長門国(ながとのくに)は、かつて日本に存在した令制国の一つで、現在の山口県西部。鬼ヶ城伝説は、山口県の美祢と長門にまたがる鬼ヶ城(標高620m)にまつわる伝説)

【完結】ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

葉桜よ、もう一度 【完結】

五月雨輝
歴史・時代
【第9回歴史・時代小説大賞特別賞受賞作】北の小藩の青年藩士、黒須新九郎は、女中のりよに密かに心を惹かれながら、真面目に職務をこなす日々を送っていた。だが、ある日突然、新九郎は藩の産物を横領して抜け売りしたとの無実の嫌疑をかけられ、切腹寸前にまで追い込まれてしまう。新九郎は自らの嫌疑を晴らすべく奔走するが、それは藩を大きく揺るがす巨大な陰謀と哀しい恋の始まりであった。 謀略と裏切り、友情と恋情が交錯し、武士の道と人の想いの狭間で新九郎は疾走する。

狐侍こんこんちき

月芝
歴史・時代
母は出戻り幽霊。居候はしゃべる猫。 父は何の因果か輪廻の輪からはずされて、地獄の官吏についている。 そんな九坂家は由緒正しいおんぼろ道場を営んでいるが、 門弟なんぞはひとりもいやしない。 寄りつくのはもっぱら妙ちきりんな連中ばかり。 かような家を継いでしまった藤士郎は、狐面にていつも背を丸めている青瓢箪。 のんびりした性格にて、覇気に乏しく、およそ武士らしくない。 おかげでせっかくの剣の腕も宝の持ち腐れ。 もっぱら魚をさばいたり、薪を割るのに役立っているが、そんな暮らしも案外悪くない。 けれどもある日のこと。 自宅兼道場の前にて倒れている子どもを拾ったことから、奇妙な縁が動きだす。 脇差しの付喪神を助けたことから、世にも奇妙な仇討ち騒動に関わることになった藤士郎。 こんこんちきちき、こんちきちん。 家内安全、無病息災、心願成就にて妖縁奇縁が来来。 巻き起こる騒動の数々。 これを解決するために奔走する狐侍の奇々怪々なお江戸物語。

戦国終わらず ~家康、夏の陣で討死~

川野遥
歴史・時代
長きに渡る戦国時代も大坂・夏の陣をもって終わりを告げる …はずだった。 まさかの大逆転、豊臣勢が真田の活躍もありまさかの逆襲で徳川家康と秀忠を討ち果たし、大坂の陣の勝者に。果たして彼らは新たな秩序を作ることができるのか? 敗北した徳川勢も何とか巻き返しを図ろうとするが、徳川に臣従したはずの大名達が新たな野心を抱き始める。 文治系藩主は頼りなし? 暴れん坊藩主がまさかの活躍? 参考情報一切なし、全てゼロから切り開く戦国ifストーリーが始まる。 更新は週5~6予定です。 ※ノベルアップ+とカクヨムにも掲載しています。

三國志 on 世説新語

ヘツポツ斎
歴史・時代
三國志のオリジンと言えば「三国志演義」? あるいは正史の「三國志」? 確かに、その辺りが重要です。けど、他の所にもネタが転がっています。 それが「世説新語」。三國志のちょっと後の時代に書かれた人物エピソード集です。当作はそこに載る1130エピソードの中から、三國志に関わる人物(西晋の統一まで)をピックアップ。それらを原文と、その超訳とでお送りします! ※当作はカクヨムさんの「世説新語 on the Web」を起点に、小説家になろうさん、ノベルアッププラスさん、エブリスタさんにも掲載しています。

大義なき喝采 赤穂事件の背後に蠢く策謀

庭 京介
歴史・時代
「大衆批判に過敏になっておられる上様が苦悩するご様子を目にし続けるのは忍びのうてな。そこでじゃ」  江戸城本丸中奥、目付五十畑修次郎は側用人柳沢保明の次なる一言を待った。 「あの事件の真相を明らかに致せ」  それが上様にとって好ましい結果になるという保証はない。そのような懸念を抱きつつ、五十畑は頭を垂れた。  五十畑は配下の徒目付安堂に赤穂城を離散した元家臣から浅野家内部情報の収集を命じ、自らは関係者の聴取に入った。吉良上野介に向かって小刀を振り被った内匠頭を制止した梶川与惣兵衛と上野介から始まった聴取において真相解明に直結し得る新情報の入手は無かったが、浅野家の江戸家老安井彦右衛門から気になる発言を引き出すことができた。浅野家主君と家臣の間には君臣の義と言えるものはなかった。問題があったのは主君の方。安井はそこまで言うと口を閉じた。  それは安堂からの報告からも裏付けられた。主君と家臣の間の冷めた関係性である。更に続いた安堂の報告に、五十畑は眉を寄せる。赤穂城内から頻繁に搬出された侍女の斬殺死体。不行跡により手打ちにあったということである。さらに浅野刃傷事件の際に内匠頭の暴走を制止した茶坊主の発言として、内匠頭から何かが臭ったというものである。五十畑はそれらの情報を繋ぎ会わせ、浅野刃傷の原因についてある結論を導き出す。  安堂の報告は、浅野家元城代家老大石内蔵助にも及んだ。京の郭で遊蕩にふける内蔵助の元へ頻繁に訪れる武士の姿。その武士は京都所司代の筋らしく遊蕩費の出所はそこらしいということであった。  五十畑は柳沢に密命の最終報告を行う。  内匠頭の家臣斬殺及び義や情を欠いた君臣の原点を知った柳沢は唸った。それは内匠頭の内面に潜む危険なる性であった。  その報告の中から、五十畑が敢えて除外したものがあった。京都所司代より流れた内蔵助の遊蕩費の件である。五十畑はその狙いが内蔵助を遊蕩漬けにし吉良仇討ちから遠ざけること、そしてそれを主導するのが柳沢であるとの確信を得ていた。  元禄15年末、泰平の夜に激震が走った。47名の赤穂浪士が吉良邸に討ち入り、上野介の御首級を上げたのである。  五十畑は赤穂浪士討ち入りの影に潜む悪意を見定めるため、細川越中守邸に預けられていた大石内蔵助に面会する。内蔵助は、遊蕩狂いが吉良方の目を欺くためではなく、自らの性癖により衝き動かされた自発的行為であることを認めた上で、そんな自分を吉良邸討ち入りに誘導したのは柳沢より提示された討ち入り後の無罪裁決及び仕官であると語る。そこまでは五十畑も想定の範囲内であったが、内蔵助は意外な人物の介入を口にする。上杉家家老色部より金銭的援助及び吉良方の内部情報提供の申し出があったというのである。  柳沢と色部が赤穂浪士の吉良邸討ち入りを後押しする狙いは?遂に赤穂事件の裏側に潜む闇が顔を出す。

【完結】月よりきれい

悠井すみれ
歴史・時代
 職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。  清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。  純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。 嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。 第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。 表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。

処理中です...