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伊勢下向
しおりを挟む 冬子たち一行は、勢多、甲賀、垂水、鈴鹿、壱志の頓宮を経て特に大過なく伊勢に到着した。
冬子の乳母の中将には、冬子のたっての願いで斎宮の私的生活の部分を管理する女官の最高位・命婦(内侍)の官を与えられた。
当然ながらその娘で、冬子の乳姉妹の式部も側付きの筆頭女房として伊勢へ付き従っている。
斎宮内は、おおむね昔から冬子に仕えてきた女房たちに囲まれながら私的生活を送れるようになっていた。
そのため冬子は特に苦もなく『斎王』としての生活を受け入れていった。
ただ慣れないのは、愛しい方に会えないということだけであった。
私的な文は出せないし、受け取ってもならない。
外部との接触は公的には年に三度、伊勢神宮に赴く以外は、私的なものとしては、まれに都から来る帝がお遣わしになる勅使か、近くを通る国司たちが就任や帰京の挨拶に立ち寄るくらいである。
伊勢に珍しく雪の降った日。
冬子はずっと簀子に座ったままでいた。
「道雅様、伊勢にも雪が降りましたよ。こちらの雪は都の雪ほど全てを覆っては下さいませんけど。都は今頃、伊勢よりも真っ白になっているのでしょうね」
普段なら斎宮である冬子が一人で放っておかれることはないのだが、中将をはじめとする女官たちは都から訪れた勅使の対応に追われていた。
斎宮である冬子自らが応対しなければならないのだが、寒さからくる頭痛があると言って中将に押し付けたのだ。
中将は冬子に決して御帳台から出ないようにと釘を刺して、式部に薬湯の準備を命じてから出て行った。
しかし周囲が人少なになったところを狙って、冬子は私室の裏の簀子にこっそり出てきたのだ。
ここなら周囲から見られることもない。
「もうどれくらいになるのかしら? 道雅様にお会いできなくなってしまってから」
最初は道雅の父・伊周の死による服喪期間からであった。
そしてそれと入れ替わるように御代替わりがあり、その騒ぎが収まった途端に伊勢の斎宮に卜定された。
「初斎院に、野宮の潔斎期間が終わって……」
都から遥々この伊勢に下ってきた。
「道雅様……」
会いたい、そう思いながら冬子は我が身を強く抱きしめた。
強く、とても強く。
この寒さは雪が降っているからだけではないのだろう。
どうしても埋めることのできない場所が心のどこかにあるからだ。
「斎宮様!」
中将の声が背後で響いた。
さすが中将は冬子の行動をお見通しだ。
中将は急いで自分の表着を冬子に被せ、薬湯を持ってきた式部に今度は温石の用意を命じた。
「中将、どうして?」
本来なら命婦と呼ばなければならないのだが、公的な場所以外では冬子は変わらず中将と呼んでいた。
「どうしてではございません! このようにまた雪まみれになられて」
中将は被せた表着で冬子の頭や肩に積もっていた雪を払うと、そのまま冬子の身体をさすりだした。
冬子の身体はすっかり冷え切っていた。
「斎宮様、温石にございます」
炭櫃で温められた石を衣に巻いたものを冬子は渡された。
「ありがとう。式部」
冬子は私室の御帳台に押し込められた。
部屋には式部と中将のみだが、隣室には他の女房達が控えている。
「斎宮様」
「何?」
「あの方のことを本当にお慕いしておられるのですね」
「ええ。雪だけがあの方と繋がる唯一の道のような気がして」
締め切られた格子を見やる。
格子の向こうでは、今も真っ白な雪が音もなく降り続いているのであろう。
「でも中将は忘れなさいって言うのでしょう?」
中将は小さく首を横に振った。
「いいえ。もうそんなことは申しませんよ」
「中将?」
「あんなにお辛そうに雪を見ておられるお姿を見ては私からはもう何も申せません。主上にも女御様に申し訳ありませんが、斎宮様のなさりたいようになさいませ」
「いいの?」
「私も娘も斎宮様の御身大事と思うばかりに、斎宮様の御心をお守りすることを忘れておりました。これからも娘ともども斎宮様に誠心誠意お仕えして参ります。よろしくお願い申し上げます」
深々と中将母子が頭を下げた。
「中将、式部、ありがとう!」
温石を放り出して二人に抱きついた。
「ごめんね。わがままばかり言って。二人を困らせてばかりで」
冬子は乳母と乳姉妹を心からの味方として、何とかこの伊勢でも己を保つことができた。
冬子の乳母の中将には、冬子のたっての願いで斎宮の私的生活の部分を管理する女官の最高位・命婦(内侍)の官を与えられた。
当然ながらその娘で、冬子の乳姉妹の式部も側付きの筆頭女房として伊勢へ付き従っている。
斎宮内は、おおむね昔から冬子に仕えてきた女房たちに囲まれながら私的生活を送れるようになっていた。
そのため冬子は特に苦もなく『斎王』としての生活を受け入れていった。
ただ慣れないのは、愛しい方に会えないということだけであった。
私的な文は出せないし、受け取ってもならない。
外部との接触は公的には年に三度、伊勢神宮に赴く以外は、私的なものとしては、まれに都から来る帝がお遣わしになる勅使か、近くを通る国司たちが就任や帰京の挨拶に立ち寄るくらいである。
伊勢に珍しく雪の降った日。
冬子はずっと簀子に座ったままでいた。
「道雅様、伊勢にも雪が降りましたよ。こちらの雪は都の雪ほど全てを覆っては下さいませんけど。都は今頃、伊勢よりも真っ白になっているのでしょうね」
普段なら斎宮である冬子が一人で放っておかれることはないのだが、中将をはじめとする女官たちは都から訪れた勅使の対応に追われていた。
斎宮である冬子自らが応対しなければならないのだが、寒さからくる頭痛があると言って中将に押し付けたのだ。
中将は冬子に決して御帳台から出ないようにと釘を刺して、式部に薬湯の準備を命じてから出て行った。
しかし周囲が人少なになったところを狙って、冬子は私室の裏の簀子にこっそり出てきたのだ。
ここなら周囲から見られることもない。
「もうどれくらいになるのかしら? 道雅様にお会いできなくなってしまってから」
最初は道雅の父・伊周の死による服喪期間からであった。
そしてそれと入れ替わるように御代替わりがあり、その騒ぎが収まった途端に伊勢の斎宮に卜定された。
「初斎院に、野宮の潔斎期間が終わって……」
都から遥々この伊勢に下ってきた。
「道雅様……」
会いたい、そう思いながら冬子は我が身を強く抱きしめた。
強く、とても強く。
この寒さは雪が降っているからだけではないのだろう。
どうしても埋めることのできない場所が心のどこかにあるからだ。
「斎宮様!」
中将の声が背後で響いた。
さすが中将は冬子の行動をお見通しだ。
中将は急いで自分の表着を冬子に被せ、薬湯を持ってきた式部に今度は温石の用意を命じた。
「中将、どうして?」
本来なら命婦と呼ばなければならないのだが、公的な場所以外では冬子は変わらず中将と呼んでいた。
「どうしてではございません! このようにまた雪まみれになられて」
中将は被せた表着で冬子の頭や肩に積もっていた雪を払うと、そのまま冬子の身体をさすりだした。
冬子の身体はすっかり冷え切っていた。
「斎宮様、温石にございます」
炭櫃で温められた石を衣に巻いたものを冬子は渡された。
「ありがとう。式部」
冬子は私室の御帳台に押し込められた。
部屋には式部と中将のみだが、隣室には他の女房達が控えている。
「斎宮様」
「何?」
「あの方のことを本当にお慕いしておられるのですね」
「ええ。雪だけがあの方と繋がる唯一の道のような気がして」
締め切られた格子を見やる。
格子の向こうでは、今も真っ白な雪が音もなく降り続いているのであろう。
「でも中将は忘れなさいって言うのでしょう?」
中将は小さく首を横に振った。
「いいえ。もうそんなことは申しませんよ」
「中将?」
「あんなにお辛そうに雪を見ておられるお姿を見ては私からはもう何も申せません。主上にも女御様に申し訳ありませんが、斎宮様のなさりたいようになさいませ」
「いいの?」
「私も娘も斎宮様の御身大事と思うばかりに、斎宮様の御心をお守りすることを忘れておりました。これからも娘ともども斎宮様に誠心誠意お仕えして参ります。よろしくお願い申し上げます」
深々と中将母子が頭を下げた。
「中将、式部、ありがとう!」
温石を放り出して二人に抱きついた。
「ごめんね。わがままばかり言って。二人を困らせてばかりで」
冬子は乳母と乳姉妹を心からの味方として、何とかこの伊勢でも己を保つことができた。
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