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墨色の雪
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「さぞや美しい庭が台無しになってしまったのでしょうね」
「そうなの」
「その後はどなたも庭を片付けなかったのですか?」
「三の兄上様の女房の誰かが硯を取りに庭に降りていたとは思うけど」
「墨色の前栽はそのまま、ということですか?」
「そう。でもね」
翌日、庭の様子が気になった冬子は式部を連れて再びその場所を訪れた。
「そうしたら、そうしたらね、お庭がね、元通り真っ白になっていたの」
初雪からずっとやむことなく降っていたために、墨色の庭は上からさらに白い雪を被せられてすっかり姿を隠してしまったのだ。
「それで思ったの。雪はどんな色でも塗りこめてしまえるんだなあって。綺麗だなあって」
「冷たいものでもありますけどね」
「ええ。そうね」
道雅が軽く身震いした。
「少将様? 寒いの?」
「いえ、大丈夫ですよ。それより、ますます強く降ってきましたね」
「うん」
頬がひんやりとする。
こころなしか、風も出てきたようだ。
冬子は下から道雅の顔を仰ぎ見る。
道雅の冠にも肩にも雪が降り積もり、融けてはしとどに衣を濡らしていく。
冬子はその姿に申し訳なく思った。
手を伸ばして端整な顔を触ってみた。
頬は外見の血色のよさからは想像もつかないくらいに冷たくなっていた。
心なしか鼻の頭が紅花色になっている。
冬子の背中に当ててくれていた温石もとうに温もりを失っている。
「ごめんなさい」
素直に冬子の口に詫びの言葉が上がった。
冬子の言葉を受けて、道雅は視線を庭先から冬子の顔に移した。
「さて、女一の宮様のご機嫌はすみましたか?」
冬子は大人しく頷いた。
ここまで寒いのを我慢させてしまっては、どうにも申し訳なくて、そこまでわがままを言ってしまった自分にも恥じ入ってしまう。
「宮様―!」
どこからか中将の声も聞こえてきた。
「乳母殿の声がこちらにも聞こえて参りましたね」
今度こそ冬子を抱えると、中将の声がするほうへ道雅は歩き出した。
冬子も特に何も言わずに抱きかかえられるままに従った。
幾つめかの渡殿を曲がって、中将や冬子付きの見慣れた女房達の顔が現れた。
「宮様!」
「少将様もご一緒でしたか?」
「まあ宮様! どちらにいらしたのですか?」
「えっと……」
言い淀む冬子の上から助け船が出された。
「宮様は兄宮様の所へ行かれる道すがら、そのまま雪見をされながらそぞろ歩きをなさっておられたのです。そうしましたら、いつの間にか迷子になられておられたそうですよ」
およそ嘘としか思えないようなことを、さらりと言ってのける。
「そうなんですか?」
「ええ」
にこり、と道雅は微笑んだ。
「それならそれでよろしいのですが」
その道雅の顔に疑いの眼差しを向けつつも、中将はとりあえず礼をする。
「いえいえ。私はたまたま出会っただけですので。それより、宮様をお部屋までお連れ致しましょう。温石と炭櫃をご用意されたほうがよろしいかと存じますが」
「そうですね。では近くまでお願いいたしましょう」
さすがに部屋の中まで客人を入れさせるわけにはいかない。
中将は背後を振り向くと、娘の式部に温石の用意を指示した。
「宮様、お熱は?」
冬子の額に手を当てる。
「大丈夫。苦しくないわ」
「でも、こんなに冷たくていらっしゃる」
中将が苦い顔をする。
当分、雪見は許してはもらえないようだ。
母である女御にもこの話は届くのだろうか。
母の渋い顔も同時に浮かぶ。
部屋に連れて行かれると、そのまま御帳台に直行で寝かされた。
「宮様、しばらくお一人で部屋から出られることは許可できませんからね」
衵の上から表着をかけて、布を巻いた温石を足元に置くと中将はそう告げた。
「はい」
冬子は道雅の衵にくるまれたまま眠った。
道雅の香りが暖かく冬子を包んでくれた。
その年の初雪が導いた冬子と道雅の出会いであった。
「そうなの」
「その後はどなたも庭を片付けなかったのですか?」
「三の兄上様の女房の誰かが硯を取りに庭に降りていたとは思うけど」
「墨色の前栽はそのまま、ということですか?」
「そう。でもね」
翌日、庭の様子が気になった冬子は式部を連れて再びその場所を訪れた。
「そうしたら、そうしたらね、お庭がね、元通り真っ白になっていたの」
初雪からずっとやむことなく降っていたために、墨色の庭は上からさらに白い雪を被せられてすっかり姿を隠してしまったのだ。
「それで思ったの。雪はどんな色でも塗りこめてしまえるんだなあって。綺麗だなあって」
「冷たいものでもありますけどね」
「ええ。そうね」
道雅が軽く身震いした。
「少将様? 寒いの?」
「いえ、大丈夫ですよ。それより、ますます強く降ってきましたね」
「うん」
頬がひんやりとする。
こころなしか、風も出てきたようだ。
冬子は下から道雅の顔を仰ぎ見る。
道雅の冠にも肩にも雪が降り積もり、融けてはしとどに衣を濡らしていく。
冬子はその姿に申し訳なく思った。
手を伸ばして端整な顔を触ってみた。
頬は外見の血色のよさからは想像もつかないくらいに冷たくなっていた。
心なしか鼻の頭が紅花色になっている。
冬子の背中に当ててくれていた温石もとうに温もりを失っている。
「ごめんなさい」
素直に冬子の口に詫びの言葉が上がった。
冬子の言葉を受けて、道雅は視線を庭先から冬子の顔に移した。
「さて、女一の宮様のご機嫌はすみましたか?」
冬子は大人しく頷いた。
ここまで寒いのを我慢させてしまっては、どうにも申し訳なくて、そこまでわがままを言ってしまった自分にも恥じ入ってしまう。
「宮様―!」
どこからか中将の声も聞こえてきた。
「乳母殿の声がこちらにも聞こえて参りましたね」
今度こそ冬子を抱えると、中将の声がするほうへ道雅は歩き出した。
冬子も特に何も言わずに抱きかかえられるままに従った。
幾つめかの渡殿を曲がって、中将や冬子付きの見慣れた女房達の顔が現れた。
「宮様!」
「少将様もご一緒でしたか?」
「まあ宮様! どちらにいらしたのですか?」
「えっと……」
言い淀む冬子の上から助け船が出された。
「宮様は兄宮様の所へ行かれる道すがら、そのまま雪見をされながらそぞろ歩きをなさっておられたのです。そうしましたら、いつの間にか迷子になられておられたそうですよ」
およそ嘘としか思えないようなことを、さらりと言ってのける。
「そうなんですか?」
「ええ」
にこり、と道雅は微笑んだ。
「それならそれでよろしいのですが」
その道雅の顔に疑いの眼差しを向けつつも、中将はとりあえず礼をする。
「いえいえ。私はたまたま出会っただけですので。それより、宮様をお部屋までお連れ致しましょう。温石と炭櫃をご用意されたほうがよろしいかと存じますが」
「そうですね。では近くまでお願いいたしましょう」
さすがに部屋の中まで客人を入れさせるわけにはいかない。
中将は背後を振り向くと、娘の式部に温石の用意を指示した。
「宮様、お熱は?」
冬子の額に手を当てる。
「大丈夫。苦しくないわ」
「でも、こんなに冷たくていらっしゃる」
中将が苦い顔をする。
当分、雪見は許してはもらえないようだ。
母である女御にもこの話は届くのだろうか。
母の渋い顔も同時に浮かぶ。
部屋に連れて行かれると、そのまま御帳台に直行で寝かされた。
「宮様、しばらくお一人で部屋から出られることは許可できませんからね」
衵の上から表着をかけて、布を巻いた温石を足元に置くと中将はそう告げた。
「はい」
冬子は道雅の衵にくるまれたまま眠った。
道雅の香りが暖かく冬子を包んでくれた。
その年の初雪が導いた冬子と道雅の出会いであった。
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