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3巻
3-1
しおりを挟む1 目指すは「普通の勇者」
ある勇者が恋したのは、美しい姫でした。
別の勇者が恋したのは、治癒師としての力を持つ幼馴染の女性でした。
そのまた別の勇者が恋したのは、稀有な運命に翻弄された少女でした。
そう、いつの時代も勇者が選ぶのは、特別な女性。美しく、気高く、まさに勇者の隣に立つのにふさわしい、そんな素晴らしい女性ばかり。
ところが、当代の勇者であるグリード様が選んだ相手は違っていました。魔王に攫われた美しい姫君――ではなくて、その侍女。美人でもなければ、優れた能力があるわけでもない、ただの女性。歴代勇者の活躍を描いた『勇者物語』ではせいぜい侍女Aという役しかもらえないような、その他大勢の人間です。
言っておきますが、その侍女とグリード様は知り合いですらありませんでした。魔王に攫われた姫様の救出を依頼した時に、ほんの少し顔を合わせただけの間柄です。それなのに、凱旋するなりグリード様はその侍女――私、アーリア・ミルフォードに求婚したのです。
これには納得できませんでした。他の誰でもない私が。当然ですよね。かと言って公衆の面前で断ることもできず、「よく知り合ってから」などとお茶を濁して問題を先送りした結果――婚約腕輪を無理やりはめられ、婚約が成立してしまいました。
な ん で こ う な っ た!?
と思っても後の祭りでした。腕輪を外して欲しいと訴えても、私の身を守るためにも必要なんだと言いくるめられてしまったのです。何でも、勇者様の婚約者として魔族に狙われる可能性があるとか……。結局その後、魔族が城に侵入する騒ぎがあったりして、うやむやになってしまいました。
けれど、流されっぱなしだったわけではありません。国益のためにと私とグリード様の縁談を進めようとする王様と宰相様にキレた私はお二人の前で啖呵を切った後、グリード様に婚約を白紙に戻してくださいとお願いしたのです。が、あっさりと拒否されてしまいました。断ることができない求婚って何なんでしょうか……
こうして「勇者の婚約者」という立場がすっかり定着してしまった私は開き直りました。と言ってもグリード様の求婚を受け入れたわけではありません。その立場を利用して、グリード様を調教……もとい、教育しようと決心したのです。グリード様は外見こそ整っていらっしゃいますが、中身は複雑な生い立ちのせいかズレているんです。情緒の育ち切っていない子供のようなもの。だからきちんと教育していけば、いつかは私への異常な執着も薄れるはずなのです。ええ、そう信じています。
――目指せ、普通の勇者!
こうして私は「勇者の教育係」となり、裏では「勇者の調教師」だの「真の勇者」だのと呼ばれることになったのでした。
そして今、他称「勇者の婚約者」で自称「勇者の教育係」である私、アーリア・ミルフォードは非常に困っております。
「グリード様。何で私の後をついて回るんですか。テーブルに着いてください」
さっきから給仕する私の後ろにぴったりついて回っているグリード様の行動がよくわかりません。勇者に付き従う侍女ならまだしも、侍女の後ろにくっついている勇者って何か変ですよね?
けれどグリード様は笑顔で言います。
「少しでも貴女の傍にいたいのです。今日はお茶をご一緒できないので」
「好きにさせてあげてよ、アーリア」
とテーブルに着いている女盗賊のミリー様が口を挟みました。その隣に座る神官のレナス様もうんうんとうなずきます。
「アーリアに会いたくてお茶の席に参加しているようなものだからね」
今、勇者様ご一行は姫様のお部屋にいらしています。魔族の侵入事件以来、城の結界の強化や魔法の研究、兵士たちの訓練などで忙しくなった皆様は、こうしてお茶の時間に集合して情報交換をされるようになりました。お茶を淹れるのが趣味であり特技でもある私としては、腕の見せ所です。なぜか私までテーブルに着かせていただくことも多いのですが、今日は駄目なのです。
「侍女長様に呼び出されているから、急いでるんです。ついて回られると邪魔なんですってば」
本当ならもう行かなくてはいけないのですが、お茶を淹れるのだけは他の侍女に任せたくなくて、大急ぎで淹れている最中なのでした。
「大丈夫です。私が魔法で送ってあげますから」
「遠慮いたします」
私はそんなことを言うグリード様に、カップを載せたお盆を押しつけながら答えました。
魔法ってアレですよね? この間、魔族が侵入した時に瞬間移動したものの、ひどいめまいに襲われたアレ。冗談じゃありません。
「めまいなど起こした状態で行ったら、侍女長様に叱られてしまいます」
「慣れれば魔法酔いしなくなりますよ」
「慣れたくなどありません! それに言ったはずですよ。城内でむやみに移動の魔法を使っては駄目だって」
私がそう言うと、お盆を手にグリード様がにこにこ笑いながら言いました。
「緊急時は例外でしたよね。私にとって貴女のことは最優先かつ最重要で、急を要することですから、問題ないかと」
「問題大ありですよ! 勝手におかしな基準を設けないでください!」
そんな会話を交わしながら、私は自分の教育がまだまだ不十分であることを痛感しておりました。基本的にグリード様は私の忠告に素直に従ってくれるのですが、私に対する異常なこだわりだけは直らないのです。
一番問題なのは、そこなんですけどねぇ。普通の勇者への道のりは遠いようです……
結局、見かねた女戦士のファラ様とエルフのルファーガ様が助け船を出してくださり、私はグリード様がお二人に言われてお茶をテーブルに運んでいる隙に、部屋から脱出したのでした。でも、こんなことは日常茶飯事、いつもの光景です。侍女長様の呼び出しもお叱りではなく、定例の業務報告と連絡事項の伝達です。
こうして、今日もいつもと変わらない日になるはずでした。姫様の部屋に戻る途中、偶然ある人物に行き合わなければ。
2 嫌味な令嬢は定番です
「あなたのことについては、王様が直々に箝口令を敷かれたらしいわね。まぁ、いいご身分だこと」
「……」
「勇者様に求婚されたからっていい気になるんじゃないわよ、たかが侍女風情が」
「……」
私は今、城の廊下でとある貴族のご令嬢から強烈な嫌味を言われている真っ最中です。
「あなたが注目されたり特別扱いされているのは、勇者様の婚約者だからよ。あなたが偉くなったわけでも特別なわけでもなくて、勇者様のご威光ゆえなのよ」
いい気になった覚えも、特別だと思った覚えもまったくございません――と言い返したくてたまりませんが、相手は伯爵令嬢なので、そうもできないのが辛いところです。
この方とバッタリ出会ってしまった、我が身の運の悪さを嘆くしかありません。
薄紫色のドレスに身を包み、赤い扇子を手に嫌味を言うこの女性は、エストワール伯爵家の一人娘、ラビニア様。御歳十八歳で、薄茶色の巻き毛と神秘的な黒い瞳を持つ大変美しい方です。けれど性格は……
父親であるエストワール伯爵にさんざん甘やかされて育ったらしいラビニア様。さらに、かつて社交界の花と謳われた母親ゆずりの美貌をこれまでずっと持て囃されてきたのだとか。その結果――我儘で高慢なご令嬢へと立派に成長されました。
美貌を何よりの自慢としているラビニア様ですが、上には上がいるものです。……そう、我らがルイーゼ様と姉姫のマリアージュ様です。『シュワルゼウィークリー』という新聞が、年に一度「我が国一番の美女は誰か」というアンケートを国民に取って公表するのですが、一位二位は決まって姫様たちで、ラビニア様はいつも三番手。
これにラビニア様はいたくご不満な様子で、姫様たちを敵視しています。もちろんお二人は王族なので、面と向かって攻撃したりはしませんが、へりくだった感じで嫌味を言ったり、中傷めいたことを取り巻きに言ったりしているのです。
ルイーゼ様は大人なので、嫌味をやんわりとかわして相手にしないのですが、私たち姫様付きの侍女は憤慨しています。皆ボロクソに言っています。容姿を取ったら何も残らないくせに、とか。
さて、そんなラビニア様ですから、姫様が魔王に攫われた時の反応は――想像がつくかと思います。第一王女のマリアージュ様はその時すでに隣国アルバトロにお嫁に行かれていて、この国にはおりませんでした。よって実質的なライバルはルイーゼ様だけ。そのライバルが攫われていなくなったのです。あからさまに上機嫌でございました、ええ。城中が嘆き悲しんでいる中、王妃様をお慰めするという名目で城を訪れたラビニア様は、終始笑顔でした。
『やはり、姫様が美しすぎたからでしょうね。魔族の中には、人の世界の美しいものを収集する輩もいるのだとか。姫様は、そんな魔族に目を付けられたに違いありませんわ。ああ、本当に美しさは罪です。私も気をつけないといけませんわね』
……なんてことを言ったのだとか。さらに、
『残念ですが、姫様の救出は諦めた方がいいかもしれませんわ。もう、とっくに魔族の餌食になっているかもしれませんのよ。このままそっとしておく方が、陛下たちのお心のためにもいいのではないかしら』
と、一緒に城を訪れたどこかの令嬢――おそらく取り巻きの一人――に言っていたらしいのです。それを伝え聞いた時は、身体中の血が沸騰するかと思いましたよ、私。
けれど報いはありました。その話が瞬く間に城中に広まって、彼女は王族の皆様や宰相様のご不興を買ってしまったのです。本人としては、こっそり話しているつもりだったのでしょう。ですが、彼女たちがいた応接室には侍女が複数出入りしていました。城で働く者たちは王族の方々を慕っておりますから、その言葉を許すことはできませんでした。即、上司に訴えたのです。内容が内容なだけに、それはやがて宰相様にまで届きました。そして、哀れラビニア様は謹慎処分となり、さらには無期限の登城禁止を言い渡されてしまったのです。
これは処分としては軽い方です。本来なら不敬罪で牢屋に入れられてもおかしくなかったと思うのですよ。ですが、エストワール伯の必死の懇願により、これだけで済んだのだとか。本当に甘い親ですこと。……牢屋に入れられた方が少しは性格を矯正できたのではないでしょうか。当時もそう思いましたが、今はもっと切実にそう思っています。
さて、無期限登城禁止を食らったはずのラビニア様がなぜ城にいるかといえば、実は姫様が無事に戻られて、その上結婚まで決まったので恩赦が出たのです。だからといって、さっそく城に来るのもどうかと思いますが……。まぁ、王族の皆様と宰相様のご不興を買ったことで取り巻きが離れてしまった彼女としては、一刻も早く名誉挽回のために動きたかったのでしょう。
さすがに今回は、姫様に嫌味を言うこともありませんでした。ですが、謹慎を食らっても取り巻きが減っても、性格は変わっていないようです。『無事にお戻りになって嬉しいですわ』と言うラビニア様の目は、ちっとも嬉しそうではありませんでした。無事なだけでなく、リュファス様という大国の皇子と結婚が決まった姫様を前に、悔しさを滲ませておりました。
リュファス様は大変美形な方で、魔法使いとしても勇者一行に加わることができるほどの実力の持ち主。そんな方と姫様が婚約されたのですから、ラビニア様としては羨ましいやら妬ましいやらといったところでしょう。ですが、その感情を表に出すことはできません。そんなことをしたら、また謹慎&登城禁止を食らってしまいますからね。
だからラビニア様は、別の人間に八つ当たりすることにしたようです。そう、勇者グリード様に求婚された侍女風情――すなわち私に。
先日、姫様の部屋にラビニア様が挨拶にいらした時に、ものすごい目で睨まれたので、非常に嫌な予感がしたのですよね。案の定、先ほど顔を合わせるや否や、
「容姿も普通だし、身分も低いのに、こんな子のどこが勇者様はお気に召したのかしら」
と嫌味をぶつけてきました。その後、先ほどのような罵詈雑言が続いたわけです。
「一体どうやって勇者様を篭絡したの? その貧弱な身体で」
そう言いつつ、ラビニア様は私の胸の辺りをじっと見つめます。くうぅ、自分のが大きいからって!
私はつい、ラビニア様の立派に膨らんだ胸元を恨めしく見てしまいました。姫様といい、ラビニア様といい、顔が良い上に胸まで立派なようです。ケッ。きっとグリード様は貧乳がお好きなんですよ! と言い返したら、どういう反応をするでしょうか。
でも、侍女の私に口答えは許されないし、言い返したところでムキになられるだけだと思うので、ここは黙っているのが一番です。
それに、そんなことを言ったら自分が貧乳だと認めることになるじゃないですか。私は普通です! 姫様とか王妃様とか同僚の侍女Bことベリンダが大きすぎるから、相対的に小さく見えるんです! ……そう信じています。
「勇者様はどこかおかしいのではなくて? 私のように美貌も地位もある女性の方がふさわしいのに。やっぱり勇者様とはいえ、所詮は庶民よね。見る目がないわ」
……私はエプロンをぎゅっと握り締めました。いえ、勇者様がおかしいのは否定しませんよ? 私なんかよりグリード様にふさわしい人は他にたくさんいると、自分でも思ってますよ?
ですが、他人に改めて言われるとムカッとします。それに、何より腹が立ったのは、グリード様のことを侮辱されたことです。
姫様を助けてくださった恩人に、何という言い草でしょう。いえ、姫様だけではありません。グリード様は、魔王の脅威から私たち全員を救ってくださったのです。それに比べて、たかが小国の伯爵令嬢が、どれほど偉いというのでしょう。
私は腸がぐつぐつと煮えたぎるのを感じました。それでも、やはり黙っているしかありません。姫様付きの侍女である私が挑発に乗ってしまったら、ラビニア様はそれを姫様を攻撃するためのネタにするに決まっていますから。
……でも、さっさと切り上げるくらいは許されますよね?
私はラビニア様の不快極まりない嫌味が、息継ぎのために途切れる瞬間を狙って言いました。
「お話は終わりでしょうか。では私は仕事がありますので、これで失礼致します」
そして返事を待たずにお辞儀をして、さっさと歩き出しました。
「ちょ、まだ終わっては……。もう、何なの! 侍女のくせに無礼な人ね!」
そう背後で喚くラビニア様の言葉を、聞かなかったことにして。
私は廊下の角を曲がった後、ラビニア様が追いかけて来ていないことを確認すると、ほぅっと深い息を吐きました。どうやらぷりぷりしたままどこかに行ってしまわれたようです。
できれば姫様がエリューシオンに旅立たれるまで、二度と姿を現さないで欲しいと思いますが……無理でしょうね。
侍女長様の話だと、近々、隣国アルバトロに嫁いだマリアージュ様が、夫である皇太子殿下を伴って里帰りなさる予定があるのだそうです。そうなると当然、歓迎の舞踏会が開かれるでしょう。あのラビニア様が、自慢の美貌をひけらかす機会を逃すとは思えませんもの。
私は廊下の窓のガラスに額を押し付けて、はぁとため息をつきました。ガラスの冷たさが、ささくれ立った心を多少なりとも落ち着かせてくれるようです。この苛立ちがもうちょっと収まるまで、こうしていようと思います。このまま帰ったら、姫様に心配されそうですから。
……いえね、私のことはいいんです。嫌味を言ってくるのはラビニア様だけではありませんから。城を訪れる貴族のご令嬢たちの中には、ラビニア様と同じようなことをおっしゃる方もいます。あそこまではっきり言われることはありませんが、ちょっとした嫌味など日常茶飯事です。だから、もう腹も立ちません。またかと思うだけです。侍女歴六年。自慢ではありませんが、忍耐力だけはあるんです。
……ですが、命をかけて戦ったグリード様たちを貶めるのは、許せないのです。
たまにいるんですよね、ああいう風に庶民だからといって侮る人が。それも、決まって高位の貴族なんです。そういう人たちは、勇者様が自分たちを守るのは当たり前だと考えているんですよ。魔王を倒して姫様を救ったのだって、勇者なのだから当然のことだと。そのくせ、勇者様に阿って媚を売るんです。
当のグリード様は気にしていないようですが、私はどうしても許せません。本来であれば、勇者だからといって、見知らぬ人間まで助ける義理などないと思うのです。勇者の役目は魔王を倒すことなんですから。「勇者」という宿命によって歪められてしまったグリード様の生い立ちも知っているだけに、余計に反感を覚えてしまうのです。
あああ、思い出したらまた頭に血が上ってきました! 頭を冷やすために、こうして窓ガラスにへばりついているというのに。
もういっそのこと、窓を開けて外の空気に当たってしまえ! そう思って、窓枠に手を掛けた時でした。眼下に広がる中庭を歩く、ラビニア様の姿に気づいたのは。
あの薄紫のドレスと薄茶色の巻き毛は間違いありません。おそらく帰るところなのでしょう。馬車が待機している東棟の方へ向かっています。優雅というには多少、足の運びが速いところを見ると、私に対してまだご立腹のようです。背中に「不機嫌」という文字が見えるのは、絶対に気のせいではないと思います。
そして、ラビニア様とは離れていますが、同じ中庭には我が国の第二王子であるアルフリード様の姿もありました。ですが、一人ではありません。護衛の兵士はもちろんのこと、数人の大臣と文官たちもいます。彼らは、隣国アルバトロの紋章が付いた立派な馬車から降りて来た、初老の男性を出迎えているようです。
王子であるアルフリード様が直々に出迎えるなんて、どうやら相当の賓客のようです。彼らは隣国の重要人物と思われるその男性を案内しながら、主塔に向かってゆっくりと歩き始めました。
ラビニア様がそんな彼らに気づいたのは、おそらく私とほぼ同時だったと思います。
いくらモブ顔で存在感が薄いとはいえ、相手は第二王子。挨拶して媚を売ろうとでも思ったのか、東棟へ向かっていた足を、彼らの方へ方向転換したのです。
アルフリード様たちにどんどん近づいていくラビニア様。そして、彼女がまさに声をかけようと口を開いたその時でした――
ラビニア様の身体が、何かにつまずいたように前方に傾いだのです。慌てて手を振り回してバランスを取ろうとするラビニア様ですが、足はまるで地面に縫いとめられているかのように動きません。そうなると当然、傾いた身体をどうすることも出来ず――ラビニア様はベシャッと地面に倒れ込みました。それも、顔からです。
バンザイした状態で地面に伏すラビニア様。そして、目の前で起こった出来事に唖然とするアルフリード様ご一行。私も三階の窓から、口をあんぐりと開けて眺めておりました。ですが、これで終わったわけではなかったのです。
いきなり突風が――それもラビニア様付近のみに吹いて、地面に突っ伏したラビニア様のドレスがめくれたのです。バフッという感じで一気に腰の辺りまで。そして、めくれたドレスの下から現れたのは、白さがまぶしいレースのパニエでした。
そのレースを幾重にも重ねたパニエも、再び起こった風でめくれ上がり、結果――ラビニア様の白いドロワースに包まれたお尻とそこから伸びる素足が、思いっきり晒される事態になったのです。アルフリード様、隣国からの賓客、大臣や文官や兵士たちの目の前で。
中庭の空気が一瞬凍りつきました。顔を強打したと思われるラビニア様は、その痛みのせいか伏したままで、ご自分がどんな状態になっているのか気づいていないようです。
あの場で今一番困惑しているのは、おそらくアルフリード様ではないでしょうか。女性が倒れたら抱き起こすのが紳士というもの。ですが、下着を晒している女性においそれと触れることは、さすがに出来かねるでしょう。めくれたドレスを元に戻すこともです。それは、アルフリード様の周りにいる兵士や文官たちも同じです。目を逸らしたり、そわそわしたり、皆一様に困惑しているのが三階からでもはっきり見て取れました。
えっと……どうしよう? 皆様の心情を代弁するとそんな感じでしょうか。せめて女性が誰かしら中庭にいればよかったのですが、あいにく男性ばかりです。それでも、賓客の前でいつまでもこんな状態ではいけないと思ったのか、アルフリード様がおそるおそるといった様子でラビニア様に何やら声をかけました。
たぶん「大丈夫か?」というようなことを言ったのでしょうね。ラビニア様はその声に応えるように顔を上げ――そこでようやく自分の状態に気づいたようです。何しろ、下半身を隠しているはずのドレスの裾が、頭の上にかかっているわけですから。
「きゃああああああ!!」
中庭全体に響き渡る――どころか窓越しでもはっきり聞こえるほどの甲高い悲鳴をあげたラビニア様は、痛みなど忘れたようにガバッと跳ね起きました。そして辺りを見回し、大勢の注目を浴びていることを認めるや否や、今度は「いやぁぁぁ!!」と叫んで馬車の方へ駆け出しました。
それは、女性にしては驚くほどの速さでした。ドレス姿で走るのは、はしたない行為なのですが、今は礼儀になんて構っていられないのでしょう。ドレスを翻して馬車に飛び乗ると、御者に向かって、これまたヒステリックに叫びました。
「出して! 早く出すのよ!」
そうして、車輪の音を高く響かせながら、エストワール伯爵家の馬車は城から出て行きました。
後に残されたのは、困惑顔の男性たちでした。この国で三番手に位置する美女のあられもない姿に、どう反応したらいいのかわからないのでしょうね、きっと。笑っていいのか、同情するべきなのか、それとも良いもの見られたと思うべきか等々。
その何とも言えない空気を打ち破ったのは、例の賓客でした。彼がアルフリード様に何か声をかけたのです。それに対し、ホッとしたようにうなずき返すアルフリード様。そして、二人はゆっくりと主塔に向かって歩き出しました。彼らにつられるように動き出す大臣や文官、そして兵士たち。
さすがは重要な地位にいる方です。こちらの失態に目を瞑り、スルーしてくださったようです。
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