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2巻
2-2
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なんでも、私のと対になる腕輪を持つグリード様の近く――半径約三メートルの圏内に入ると、自動的に引き寄せられる仕掛けになっているとか。
どっちがどっちに引き寄せられるかは、魔力の値によって変化する代物らしいのですが、魔力皆無の私と絶大な魔力持ちである勇者様が近づきあった場合は、私が一方的に勇者様に引っ張られることになるのだとか。
釣り合いのとれた魔力の持ち主同士だと、お互いに引力が働くので、ビッターンはないそうです……
そして、魔力がある程度ありさえすれば、この腕輪も簡単に抜けるようになっているのだと、リュファス様は言われました。だからグリード様は、簡単に自分の腕輪を取り外しできるのです。ですが私は……
魔力のないことが、つくづく恨めしい。魔力なんて必要ないと思ってきましたが、今は切実に思います。魔力、欲しかった……!
ただ幸いなことに、この引力が発動するには数秒の間があるので、その隙に三メートル圏内から脱出すれば、ビッターンはないそうです。
さらに、勇者様の半径一メートル以内では、引き合う力は無効になるとのことです。そんな至近距離で無効になっても少しも嬉しくありませんが……
今朝、私が腕輪によってビッターンとなった後、ふたたび引き寄せられることなくグリード様の腕の中から抜け出ることができたのは、このためでした。
もちろん今も、私はグリード様の手を振りほどき、猛ダッシュで離れさせていただきましたとも!
もう、ビッターンはありませんでした。
要するに、忌避すべきビッターンが起きるのは、グリード様の周囲半径一~三メートルに近づいた時なのです。
だったらグリード様に近づかなければいいと思いますよね? それでしたら喜んで実践したいところですが……ところが、腕輪の効力はこれだけじゃないのです。
なんと、勇者様からある一定以上離れると、とある仕掛けが発動するらしいのです!
ある一定の距離って!? とある仕掛けって!?
鬼気迫る顔でリュファス様に訊ねた私ですが、いかに最強クラスの魔法使いであっても、専門外の神聖魔法のことは分からなかったようで、謝られてしまいました。
「申し訳ない。なにしろレナスの『祝福』にグリードの魔法が干渉している状態なので、【解析】しづらくなっていて……」
私、一国の皇子に頭下げられています。侍女なのに。畏れ多いことです。
皇子としてではなく、勇者様ご一行の魔法使いとして謝っておられるのでしょうけど、腰が低すぎやしませんか、リュファス様。王族なのですから、ふんぞり返っていてもいいんですよ。
侍女意識が染みついている身としては、非常に居心地が悪いです。むしろ私が謝りたいくらいです。主君の婚約者に頭を下げさせるなんて、あってはならないことです。
「いえ、リュファス様のせいではないのですから、謝っていただく必要はございません」
私は首を横に振りながら言いました。本当に謝罪すべきなのは、この部屋にいるもう一人のお方ですよね?
そのもう一人のお方は、リュファス様が説明してくださっている最中も今も、私と密かな攻防を続けておられます。できるだけ近づかないようにする私と、近づこうとするグリード様の、じりじりとしたせめぎ合いです。
グリード様が一歩近づこうとするたびに、私が一歩下がる。そんな感じです。
「グリード……」
リュファス様は呆れ顔です。女戦士のファラ様はソファに座ってお茶を啜りながら、傍観を決め込んでおられます。
「微笑ましい光景だな」
「微笑ましい? 私は必死です!」
私は必死ですが、勇者様は楽しそう……というよりも嬉しそうです。にこにこ笑って、私との距離を縮めようとしているんです。
勇者様ですから、もちろん近づこうと思ったら簡単にできると思うんですよ。でもそうはせずに、純粋に追いかけっこを楽しんでいるようなんです。
一見、猫がネズミをいたぶっているかのよう……。いいえ、むしろワンコが尻尾を振ってジャレついているかのような印象を受けるのは、気のせいでしょうか?
そんな様子を呆れ顔で見ていたリュファス様ですが、彼の持つスキル【解析】により、腕輪にかけられた魔法の正体を調べてくださっていたようです。
「二人の腕輪を触れ合わせると、腕輪の効果を相殺することができるようだ。一定の時間のみだけど」
リュファス様は、かけられた魔法がどういうものか分析したり、解く方法を探ったりすることができるようです。
「……だが私に分かるのはここまで。後は直接レナスに訊かないと……」
申し訳なさそうにリュファス様が言いました。
決して彼のせいではないのに、この腰の低さ。実はリュファス様って苦労性なのかもしれません。そして、苦労症になった主な原因は間違いなく、勇者様……
私の心の中に、リュファス様に対する同情の念が湧くのを抑えられませんでした。もっとも、勇者様ご一行のほうでは私に同情やら憐憫を感じてらっしゃるのでしょうが!
「分かりました。あとはレナス様に伺いに参ります」
私は扉の方にじりじりと下がりながら言いました。
ちょうどいいです。レナス様には、この呪いの腕輪の『祝福』について文句の一つも言いたいところですから!
「レナスなら、ミリーと一緒に姫の部屋に向かったようだよ」
私が昼休みに入る前には、お二人はまだいらしていなかったので、どうやらすれ違ったようです。
「教えて下さってありがとうございます、リュファス様。それでは失礼いたします!」
私は急いで扉を開け放ちながらご挨拶しました。そしてリュファス様の返事も待たず、侍女としてあるまじき勢いで扉をバタンと叩き付けるように閉めると、猫に追われたネズミのごとく猛ダッシュで居間を離れました。本日二度目の逃亡です。
ですから――
安全地帯(姫様の部屋)に向かって走り去る私は、居間でこんな会話がなされていたなんて、夢にも思いませんでした。
* * *
「グリード。楽しそうだな」
微笑みながらグリードに言うファラ。対するグリードは、無表情で、けれどどことなく満足そうな雰囲気を残したまま、目を伏せる。
「……楽しい? ……そう。これが『楽しい』ということか……」
「嬉しそうでもある。ようやくお前にも人並みの感情が芽生えてきたってことだな。いいことだ」
「『楽しい』、『嬉しい』。……彼女のおかげですね。色々なものをもたらしてくれる」
ファラとグリードのやり取りを、リュファスの緊張を孕んだ声が遮る。
「グリード、あの腕輪の仕掛けは対魔族用か?」
「ええ」
「本当に【天啓】なのか? だからレナスに『祝福』させたのか?」
「ええ。漠然としたものですが……恐らく、そう遠くないうちに」
「……やっかいだな」
ため息をつくリュファス。
* * *
この時、私はまだ知りませんでした。
彼らの戦いが真の意味ではまだ終結していなかったことを。そして、その戦いの渦中に自分がいたことを――
4 土下座は異文化
「レナス様。お話があります。コレについてです!」
安全地帯という名の姫様のお部屋に逃げ戻った私は、そこにミリー様とともに姫様を訪ねていらしたレナス様の姿を発見し、「標的確認、照準合わせろ」的な非常に好戦的な気持ちで左手首を示し、迫っていきました。
挨拶もそこそこに客人に向かっていく私を、姫様や侍女仲間がビックリした様子で見ているのが目の端に映りましたが、気にしてなどいられません。
だって、「死が二人を分かつまで」ですよ?
永遠の愛を誓い合った二人ならともかく、強制的にはめられた腕輪にそれって……。どちらかが死ぬまで継続しそうな気がして仕方ありません。
しかも外そうとしても外せないなんて、まるでどこぞの呪いのアイテムみたいじゃないですか! 女神に仕える神官ともあろうお方が、そんなことしていいのでしょうか、と声を大にして言いたいです!
「それは婚約腕輪だね」
レナス様は腕輪に視線を向け、にっこりと笑いながら言いました。
ですが、その黒い瞳が一瞬怯んだのを、私は見逃しませんでした。
レナス様、この腕輪に見覚えがあるでしょう、そうでしょう。何しろ、ご自分が『祝福』を与えた魔具なのですから!
「そう、そういえばまだ言ってなかったっけ。婚約おめでとう、アーリア。グリードの幼馴染として、そして仲間として歓迎するよ」
しかし私は婚約云々の台詞は完全にスルーし、いかにも取ってつけたような笑顔をつくって言いました。
「お話があるというのは、この腕輪の『祝福』についてです、レナス様。きっちり膝を突き合わせてお話し致しましょう?」
「……」
私の目が笑っていないことに気づいたのでしょう、レナス様の口の端がヒクッと引き攣りました。
――後に姫様から聞いたところによると、この時の私はにこやかに微笑んでいたにもかかわらず、黒いオーラを背負っているようで非常に恐ろしかったとか。
どうもこの時、無理矢理腕輪をはめさせられたこととか、『勇者の婚約者』にジョブチェンジされたこととか、諸々に対する鬱憤がピークに達していたようなのですね。
抗議する相手が違うのでは、という気がしないでもないですが、問題の張本人へ抗議に行った先で「ビッターン」に遭い、怒りの矛先がレナス様に向かったといいますか……。まぁ要するに、八つ当たりなのですが、この時の私は、何しろ抗議しなければという思いでいっぱいでした。
そんな私の様子を察し、きっと幼馴染の身が危険だと思ったのでしょう。ミリー様が慌てて言いました。
「アーリア、どうどうどう。落ち着いて!」
勇者様ご一行の一員であられる神官様に、一介の侍女でしかない私がどうして危害など加えられるものか、ということはさておき、ミリー様はとにかく私を宥めた方がいいと判断したようでした。
「これには、マルワナ海溝より深い訳があるの!」
……ちなみにマルワナ海溝とは、チャレンジャーという魔法使いが偶然見つけた、世界で一番深い海の底のことです。
「深い訳?」
「そう。聞くも涙、語るも涙の深ーい訳が!」
聞くも涙、語るも涙。……それは聞きたいかも。
と思ってしまった私は、多少終わっていたのかもしれません。
私は怒りの矛を収め、その深い訳とやらを聞くことにしたのでした。
気をきかせた姫様が人払いをしてくださり、部屋には私と姫様、ミリー様、そしてレナス様の四人だけになった直後。レナス様が開口一番、仰った台詞はこうでした。
「えっと、土下座させてください」
「――はい?」
いきなり土下座!?
私も姫様も仰天したのは言うまでもありません。
「伝説の賢者レン・シロサキの著書によると、土下座は究極の謝罪の方法なのだそうで、それに倣おうと思って。本当はタタミとかいうイグサを敷物状に編み込んだものの上でするのが正式なやり方らしいけど、ここにはないから絨毯の上で……」
そう言いつつ、レナス様は床に膝をつこうとしてます!
それを止めるでもなく、面白そうに眺めているミリー様。そして、あんぐりと口を開けている姫様。
慌てたのは私です。
妖精族や精霊は言うに及ばず、魔族以外のすべての人間が信仰している女神を祀る神殿に仕える神官は、女神様の代行者ともされている尊いお方。
その神官様が土下座!
……そうさせているのは私ですよね、そうですよね? やれ、と言ったわけではありませんが、結果的にそうなりますよね?
この事実に私は青ざめました。これが知れたら、神官様に対する鬼畜な所業として、神殿から睨まれる&石を投げられるに違いありません。
「や、止めて下さい。土下座なんて! しなくていいです!」
私は泡をくって止めました。
土下座して謝るほど酷い『祝福』を与えたんかい、と頭の片隅でツッコミを入れながら――
5 白の司祭
勇者様のお仲間は美形揃い。神官のレナス様も当然美形です。
襟足につくくらいの長さの、ややウェーブがかった柔らかそうな薄い翡翠色の髪。黒曜石のような漆黒の瞳。グリード様の神々しさすら感じる美貌とも、リュファス様の高貴な優美さともまた違った感じの、美しい容姿をお持ちです。
強いていえば、全体的に柔らかそうなイメージ。いつもにこやかに微笑んでいるご様子は、白い神官服とあいまって包容力を感じます。それはやはり、女神の代行者たる神官様だからでしょうか。
神官様、と一般に言いますが、神官というのは、女神神殿に仕えている聖職者の総称です。レナス様の役職を表わす呼称ではありません。
私の勇者様たちに関する主な情報源である新聞『勇者タイムズ』によると、レナス様の肩書きは司祭です。
神殿における神官様たちの位は、大きく分けて司教・司祭・助祭の三つ。その中でも、司祭様は中核を担う重要な役どころで、女神の威光を遍く伝えるため各地に派遣されます。神官として最高位ではないのですが、その上位の役付である司教様の数がそれほど多くないことを考えると、かなり高い役職であるといえるでしょう。
そして、一口に司祭と言っても、さらに細かく分かれています。位のほどは、身にまとっている神官服によって表わされます。強力な神聖魔法を使えるほど、司祭としての位が高くなるのだそうです。
レナス様の神官服は白で、司祭として最高位の色です。
レナス様は、司祭の中でも特に力をお持ちなのです。
この腕輪にかけられた阿呆みたいな『祝福』も、そうした力の一つです。
でも、今目の前にいるレナス様は、こう申してはナンですが、偉い司祭としてはずいぶん、その……神秘性も威厳も感じられません。
だって、私の要請で土下座をやめた後の第一声が、
「ごめんよ~。僕もあの『祝福』はヤバイだろうと思ってたんだけど、グリードがさぁ」
なんていう言い訳で始まったのですから!
口調軽! と思ってしまった私は、この方に対する畏敬の念が徐々に薄れていくのを感じました。
それはともかくとして、肝心の言い訳の中身なのですが――
勇者様たちが姫様を救って帰ってくる道中、シュワルゼ国第二の都市に立ち寄った時のこと。
宿に着いて早々、グリード様は皆様に、
「注文していた品物を取りに行ってきます」
と言って外に出て行ったそうです。その品物が何であるか知っていた、姫様を除く皆様は青ざめました。なぜならそれは、グリード様の恋の相手、つまり私の意思をまったく無視して注文した婚約腕輪だったのですから。
それを聞いて私は内心、「やっぱり」と思いました。
グリード様は、勘違いされて渡されたのが婚約腕輪だった、みたいなことを言っておられましたが、やはり確信犯だったんじゃないですか!
絶対に、わざと細工師が勘違いするような依頼の仕方をしたに違いありません。それに、右でもいいものを左腕に着けたのも絶対わざとです! ……お・の・れ。
密かに怒りを燃やしつつ、私は話の続きに耳を傾けました。
――その夜、ミリー様とイチャイチャしていたレナス様のところに、グリード様が突然やってこられたそうです。
……って、話の途中でまたまた失礼しますが、ミリー様とレナス様ってそういう関係だったんですか!? 聞いてませんし、気づきもしませんでした。
いえいえ、神官職は妻帯OKですし、レナス様とミリー様は幼馴染ですから、そういう関係でもいけなくはないのですが!
なんか、すごく意外です。お二人が恋人同士だったなんて。例の『勇者タイムズ』には載っていませんでしたし。
でも、まぁ、それならミリー様がレナス様をかばう訳ですね。
若干腑に落ちないのは、土下座を止めもしないで面白そうに眺めていたことですが……そこに何か、お二人の関係の複雑さの一端を見てしまったような、そうでないような……
おっと、話を戻しましょう。
部屋にいらしたグリード様は、イチャイチャする二人を見ても空気を読まず、レナス様に腕輪を示して言ったのだそうです。
「これに『祝福』を頼みます」と。
仰天したのはお二人です。いいところを邪魔されたからではなくて、腕輪に神官の『祝福』を授けろと言われたことに対してです。
というのも、普通、婚約腕輪に『祝福』を授けるのは、神官様の前で男女が結婚の誓いを行なった時なのです。「幸多からんことを」みたいな、気休め的な『祝福』を授けるものなのです。
ところが、グリード様が依頼した『祝福』の内容は――
まずは、あのビッターン。
そして……
「君がこの腕輪と対の腕輪の持ち主、つまりグリードから一〇〇メートル以上離れると、離れたってことを自動的に伝える、お知らせ機能付き」
「――はい?」
「でもって、その時々の君の居場所を教える仕掛けも付いてる」
「――はい?」
「そんなことしなくたって、グリードは精霊を使って、いつだって君の居場所を把握しているんだけどね」
「――はいぃ?」
「精霊の力が及ばない場所でも、君がどこにいるか分かるようにしたかったらしい」
「――はい?」
「あ、それと、その腕輪は、君の位置を知らせると同時に、君に何かあった場合は防衛モードに入るから」
「……すみません、どこからツッコんだらいいのか分かりません」
私は顔を引き攣らせました。
というか、ツッコみどころ満載で、「うわぁぁ!」と叫びたくなりましたよ!
私が一〇〇メートル以上離れるとお知らせ機能が働くとか! グリード様が精霊を使って常に私の位置を把握しているだとか! 防衛モードって何だ、とか!
色々です。すべてにツッコみたいです!
だけど、とりあえずこの場で一番ツッコみたいのは、目の前で「僕っていい仕事した?」みたいに得意げな顔をしているレナス様にですよ!
さっきの土下座は何だったのさ、と私は言いたい!
いえ、それよりもさらに言いたいのは――
「私の人権はどうなるんですかぁ!!」
「ぐえっ!」
気がつくと、白い神官服の襟元をぎゅうぎゅう締め上げている自分がおりました。
6 天啓
「もうその辺で許してあげてよ、アーリア」
私がレナス様につかみかかっていると、のんびりとした声がかかりました。ミリー様です。
「レナスはアーリアの人権を無視したわけじゃない。グリードから【天啓】がらみだって聞かされて、断れなかったんだよ」
そう聞いて、私は手を緩めました。
……天啓。その言葉には聞き覚えがあります。先ほど居間を訪れた時、リュファス様がグリード様に言っていた、何やら意味深な言葉が確か、天啓でした。
どうやら腕輪のこの仕掛けは、その天啓とやらによるようです。
「アーリア、とりあえず落ち着きなさい」
姫様が言いました。
「まだお二人にお茶も差し上げていないのよ。だから、いつもの美味しいお茶を淹れてちょうだい?」
「……はい。かしこまりました」
姫様にこう言われては断れません。それに、姫様は私のために言ってくださっているのです。私にとって、趣味であるお茶を淹れている時間は安らぎタイムなのです。そのことを知っていて、冷静になれるよう促してくださっているのです。
私は、いつになくいきり立ち興奮していたようです。
いくら腹を立てていても、神官様の襟首をつかむなど、侍女にあるまじき行為です。しかも、レナス様は国賓なのですから、不敬罪とみなされてもおかしくありません。
私は猛烈に反省致しました。
一〇〇%自分に非があるとは思っておりませんが、興奮してレナス様の首を絞めるなんて、侍女として失格です。この点だけは猛省すべきです。詰め寄るとかしないで、もっとこう、静かに怒るべきでした。
例えば――そう、レナス様のお茶に世界一辛いと言われるリンガール産の辛子のエキスを入れるとか……?
そんなことを思いついてしまい、私は慌てて首を横に振り、その誘惑を退けました。
神聖なお茶に辛子エキスだとか雑巾の絞り汁を入れるだなんて、とんでもないことです!
い、いえいえいえ、ダメダメダメ! 誘惑ダメ! こればっかりは譲れませんよ、私!
葛藤の末、まっとうなお茶を淹れた私が姫様の部屋に戻り、「おいしいお茶だこと」と皆様に褒めていただき、異物混入しなくてよかったと内心安堵した後。
畏れ多くもお客様用のソファに私まで座らせていただき、レナス様とミリー様のお二人による説明が始まったのでした。
――グリード様は【天啓】というスキルをお持ちなのだそうです。
ま、そんな気はしてましたけどね。
多数のスキルだけでなく、そのスキルを発動できる魔力までお持ちだなんて、羨ましい限りです。ケッ。
……おっと、話を続けましょう。
【天啓】とは読んで字のごとく、天、つまり女神様からの啓示です。
でもそれは言葉として示されるのではなく、不意にもたらされる断片的なひらめき、未来に対する予告のようなもので、グリード様曰く「そんな予感がする」といったような、かなり漠然としたもの。
でも、そんなあやふやなものを彼らが重要視するのは、ほぼ外れることのない警告だからです。
同じように、先の出来事を知るスキルとして【予知】というものがあるのですが、イマイチ精密ではありません。【予知】したことによって、そしてそれを口にすることによって、不確定要素が生まれますし、【予知】した出来事は回避することも可能だからです。
未来に起こる可能性の一つを挙げているだけで、【予知】したことによる分岐の未来が発生して……などとレナス様とミリー様は難しいことを仰ってますが、モブの私には、そんなスケールの大きい難しいことは理解不能です。
とりあえず、「スキル【予知】で知ることのできる未来は正確ではないし、その通りになるとは限らない」、と覚えておくことにします。
【予知】は外れることもあるのですが、【天啓】で知る断片的な未来はそれとは別で、回避不能なものなのだそうです。
グリード様が「そんな予感がする」と言ったことは、ほぼ一〇〇%の確率で現実に起こるし、事実起こってきたらしいのです。
どっちがどっちに引き寄せられるかは、魔力の値によって変化する代物らしいのですが、魔力皆無の私と絶大な魔力持ちである勇者様が近づきあった場合は、私が一方的に勇者様に引っ張られることになるのだとか。
釣り合いのとれた魔力の持ち主同士だと、お互いに引力が働くので、ビッターンはないそうです……
そして、魔力がある程度ありさえすれば、この腕輪も簡単に抜けるようになっているのだと、リュファス様は言われました。だからグリード様は、簡単に自分の腕輪を取り外しできるのです。ですが私は……
魔力のないことが、つくづく恨めしい。魔力なんて必要ないと思ってきましたが、今は切実に思います。魔力、欲しかった……!
ただ幸いなことに、この引力が発動するには数秒の間があるので、その隙に三メートル圏内から脱出すれば、ビッターンはないそうです。
さらに、勇者様の半径一メートル以内では、引き合う力は無効になるとのことです。そんな至近距離で無効になっても少しも嬉しくありませんが……
今朝、私が腕輪によってビッターンとなった後、ふたたび引き寄せられることなくグリード様の腕の中から抜け出ることができたのは、このためでした。
もちろん今も、私はグリード様の手を振りほどき、猛ダッシュで離れさせていただきましたとも!
もう、ビッターンはありませんでした。
要するに、忌避すべきビッターンが起きるのは、グリード様の周囲半径一~三メートルに近づいた時なのです。
だったらグリード様に近づかなければいいと思いますよね? それでしたら喜んで実践したいところですが……ところが、腕輪の効力はこれだけじゃないのです。
なんと、勇者様からある一定以上離れると、とある仕掛けが発動するらしいのです!
ある一定の距離って!? とある仕掛けって!?
鬼気迫る顔でリュファス様に訊ねた私ですが、いかに最強クラスの魔法使いであっても、専門外の神聖魔法のことは分からなかったようで、謝られてしまいました。
「申し訳ない。なにしろレナスの『祝福』にグリードの魔法が干渉している状態なので、【解析】しづらくなっていて……」
私、一国の皇子に頭下げられています。侍女なのに。畏れ多いことです。
皇子としてではなく、勇者様ご一行の魔法使いとして謝っておられるのでしょうけど、腰が低すぎやしませんか、リュファス様。王族なのですから、ふんぞり返っていてもいいんですよ。
侍女意識が染みついている身としては、非常に居心地が悪いです。むしろ私が謝りたいくらいです。主君の婚約者に頭を下げさせるなんて、あってはならないことです。
「いえ、リュファス様のせいではないのですから、謝っていただく必要はございません」
私は首を横に振りながら言いました。本当に謝罪すべきなのは、この部屋にいるもう一人のお方ですよね?
そのもう一人のお方は、リュファス様が説明してくださっている最中も今も、私と密かな攻防を続けておられます。できるだけ近づかないようにする私と、近づこうとするグリード様の、じりじりとしたせめぎ合いです。
グリード様が一歩近づこうとするたびに、私が一歩下がる。そんな感じです。
「グリード……」
リュファス様は呆れ顔です。女戦士のファラ様はソファに座ってお茶を啜りながら、傍観を決め込んでおられます。
「微笑ましい光景だな」
「微笑ましい? 私は必死です!」
私は必死ですが、勇者様は楽しそう……というよりも嬉しそうです。にこにこ笑って、私との距離を縮めようとしているんです。
勇者様ですから、もちろん近づこうと思ったら簡単にできると思うんですよ。でもそうはせずに、純粋に追いかけっこを楽しんでいるようなんです。
一見、猫がネズミをいたぶっているかのよう……。いいえ、むしろワンコが尻尾を振ってジャレついているかのような印象を受けるのは、気のせいでしょうか?
そんな様子を呆れ顔で見ていたリュファス様ですが、彼の持つスキル【解析】により、腕輪にかけられた魔法の正体を調べてくださっていたようです。
「二人の腕輪を触れ合わせると、腕輪の効果を相殺することができるようだ。一定の時間のみだけど」
リュファス様は、かけられた魔法がどういうものか分析したり、解く方法を探ったりすることができるようです。
「……だが私に分かるのはここまで。後は直接レナスに訊かないと……」
申し訳なさそうにリュファス様が言いました。
決して彼のせいではないのに、この腰の低さ。実はリュファス様って苦労性なのかもしれません。そして、苦労症になった主な原因は間違いなく、勇者様……
私の心の中に、リュファス様に対する同情の念が湧くのを抑えられませんでした。もっとも、勇者様ご一行のほうでは私に同情やら憐憫を感じてらっしゃるのでしょうが!
「分かりました。あとはレナス様に伺いに参ります」
私は扉の方にじりじりと下がりながら言いました。
ちょうどいいです。レナス様には、この呪いの腕輪の『祝福』について文句の一つも言いたいところですから!
「レナスなら、ミリーと一緒に姫の部屋に向かったようだよ」
私が昼休みに入る前には、お二人はまだいらしていなかったので、どうやらすれ違ったようです。
「教えて下さってありがとうございます、リュファス様。それでは失礼いたします!」
私は急いで扉を開け放ちながらご挨拶しました。そしてリュファス様の返事も待たず、侍女としてあるまじき勢いで扉をバタンと叩き付けるように閉めると、猫に追われたネズミのごとく猛ダッシュで居間を離れました。本日二度目の逃亡です。
ですから――
安全地帯(姫様の部屋)に向かって走り去る私は、居間でこんな会話がなされていたなんて、夢にも思いませんでした。
* * *
「グリード。楽しそうだな」
微笑みながらグリードに言うファラ。対するグリードは、無表情で、けれどどことなく満足そうな雰囲気を残したまま、目を伏せる。
「……楽しい? ……そう。これが『楽しい』ということか……」
「嬉しそうでもある。ようやくお前にも人並みの感情が芽生えてきたってことだな。いいことだ」
「『楽しい』、『嬉しい』。……彼女のおかげですね。色々なものをもたらしてくれる」
ファラとグリードのやり取りを、リュファスの緊張を孕んだ声が遮る。
「グリード、あの腕輪の仕掛けは対魔族用か?」
「ええ」
「本当に【天啓】なのか? だからレナスに『祝福』させたのか?」
「ええ。漠然としたものですが……恐らく、そう遠くないうちに」
「……やっかいだな」
ため息をつくリュファス。
* * *
この時、私はまだ知りませんでした。
彼らの戦いが真の意味ではまだ終結していなかったことを。そして、その戦いの渦中に自分がいたことを――
4 土下座は異文化
「レナス様。お話があります。コレについてです!」
安全地帯という名の姫様のお部屋に逃げ戻った私は、そこにミリー様とともに姫様を訪ねていらしたレナス様の姿を発見し、「標的確認、照準合わせろ」的な非常に好戦的な気持ちで左手首を示し、迫っていきました。
挨拶もそこそこに客人に向かっていく私を、姫様や侍女仲間がビックリした様子で見ているのが目の端に映りましたが、気にしてなどいられません。
だって、「死が二人を分かつまで」ですよ?
永遠の愛を誓い合った二人ならともかく、強制的にはめられた腕輪にそれって……。どちらかが死ぬまで継続しそうな気がして仕方ありません。
しかも外そうとしても外せないなんて、まるでどこぞの呪いのアイテムみたいじゃないですか! 女神に仕える神官ともあろうお方が、そんなことしていいのでしょうか、と声を大にして言いたいです!
「それは婚約腕輪だね」
レナス様は腕輪に視線を向け、にっこりと笑いながら言いました。
ですが、その黒い瞳が一瞬怯んだのを、私は見逃しませんでした。
レナス様、この腕輪に見覚えがあるでしょう、そうでしょう。何しろ、ご自分が『祝福』を与えた魔具なのですから!
「そう、そういえばまだ言ってなかったっけ。婚約おめでとう、アーリア。グリードの幼馴染として、そして仲間として歓迎するよ」
しかし私は婚約云々の台詞は完全にスルーし、いかにも取ってつけたような笑顔をつくって言いました。
「お話があるというのは、この腕輪の『祝福』についてです、レナス様。きっちり膝を突き合わせてお話し致しましょう?」
「……」
私の目が笑っていないことに気づいたのでしょう、レナス様の口の端がヒクッと引き攣りました。
――後に姫様から聞いたところによると、この時の私はにこやかに微笑んでいたにもかかわらず、黒いオーラを背負っているようで非常に恐ろしかったとか。
どうもこの時、無理矢理腕輪をはめさせられたこととか、『勇者の婚約者』にジョブチェンジされたこととか、諸々に対する鬱憤がピークに達していたようなのですね。
抗議する相手が違うのでは、という気がしないでもないですが、問題の張本人へ抗議に行った先で「ビッターン」に遭い、怒りの矛先がレナス様に向かったといいますか……。まぁ要するに、八つ当たりなのですが、この時の私は、何しろ抗議しなければという思いでいっぱいでした。
そんな私の様子を察し、きっと幼馴染の身が危険だと思ったのでしょう。ミリー様が慌てて言いました。
「アーリア、どうどうどう。落ち着いて!」
勇者様ご一行の一員であられる神官様に、一介の侍女でしかない私がどうして危害など加えられるものか、ということはさておき、ミリー様はとにかく私を宥めた方がいいと判断したようでした。
「これには、マルワナ海溝より深い訳があるの!」
……ちなみにマルワナ海溝とは、チャレンジャーという魔法使いが偶然見つけた、世界で一番深い海の底のことです。
「深い訳?」
「そう。聞くも涙、語るも涙の深ーい訳が!」
聞くも涙、語るも涙。……それは聞きたいかも。
と思ってしまった私は、多少終わっていたのかもしれません。
私は怒りの矛を収め、その深い訳とやらを聞くことにしたのでした。
気をきかせた姫様が人払いをしてくださり、部屋には私と姫様、ミリー様、そしてレナス様の四人だけになった直後。レナス様が開口一番、仰った台詞はこうでした。
「えっと、土下座させてください」
「――はい?」
いきなり土下座!?
私も姫様も仰天したのは言うまでもありません。
「伝説の賢者レン・シロサキの著書によると、土下座は究極の謝罪の方法なのだそうで、それに倣おうと思って。本当はタタミとかいうイグサを敷物状に編み込んだものの上でするのが正式なやり方らしいけど、ここにはないから絨毯の上で……」
そう言いつつ、レナス様は床に膝をつこうとしてます!
それを止めるでもなく、面白そうに眺めているミリー様。そして、あんぐりと口を開けている姫様。
慌てたのは私です。
妖精族や精霊は言うに及ばず、魔族以外のすべての人間が信仰している女神を祀る神殿に仕える神官は、女神様の代行者ともされている尊いお方。
その神官様が土下座!
……そうさせているのは私ですよね、そうですよね? やれ、と言ったわけではありませんが、結果的にそうなりますよね?
この事実に私は青ざめました。これが知れたら、神官様に対する鬼畜な所業として、神殿から睨まれる&石を投げられるに違いありません。
「や、止めて下さい。土下座なんて! しなくていいです!」
私は泡をくって止めました。
土下座して謝るほど酷い『祝福』を与えたんかい、と頭の片隅でツッコミを入れながら――
5 白の司祭
勇者様のお仲間は美形揃い。神官のレナス様も当然美形です。
襟足につくくらいの長さの、ややウェーブがかった柔らかそうな薄い翡翠色の髪。黒曜石のような漆黒の瞳。グリード様の神々しさすら感じる美貌とも、リュファス様の高貴な優美さともまた違った感じの、美しい容姿をお持ちです。
強いていえば、全体的に柔らかそうなイメージ。いつもにこやかに微笑んでいるご様子は、白い神官服とあいまって包容力を感じます。それはやはり、女神の代行者たる神官様だからでしょうか。
神官様、と一般に言いますが、神官というのは、女神神殿に仕えている聖職者の総称です。レナス様の役職を表わす呼称ではありません。
私の勇者様たちに関する主な情報源である新聞『勇者タイムズ』によると、レナス様の肩書きは司祭です。
神殿における神官様たちの位は、大きく分けて司教・司祭・助祭の三つ。その中でも、司祭様は中核を担う重要な役どころで、女神の威光を遍く伝えるため各地に派遣されます。神官として最高位ではないのですが、その上位の役付である司教様の数がそれほど多くないことを考えると、かなり高い役職であるといえるでしょう。
そして、一口に司祭と言っても、さらに細かく分かれています。位のほどは、身にまとっている神官服によって表わされます。強力な神聖魔法を使えるほど、司祭としての位が高くなるのだそうです。
レナス様の神官服は白で、司祭として最高位の色です。
レナス様は、司祭の中でも特に力をお持ちなのです。
この腕輪にかけられた阿呆みたいな『祝福』も、そうした力の一つです。
でも、今目の前にいるレナス様は、こう申してはナンですが、偉い司祭としてはずいぶん、その……神秘性も威厳も感じられません。
だって、私の要請で土下座をやめた後の第一声が、
「ごめんよ~。僕もあの『祝福』はヤバイだろうと思ってたんだけど、グリードがさぁ」
なんていう言い訳で始まったのですから!
口調軽! と思ってしまった私は、この方に対する畏敬の念が徐々に薄れていくのを感じました。
それはともかくとして、肝心の言い訳の中身なのですが――
勇者様たちが姫様を救って帰ってくる道中、シュワルゼ国第二の都市に立ち寄った時のこと。
宿に着いて早々、グリード様は皆様に、
「注文していた品物を取りに行ってきます」
と言って外に出て行ったそうです。その品物が何であるか知っていた、姫様を除く皆様は青ざめました。なぜならそれは、グリード様の恋の相手、つまり私の意思をまったく無視して注文した婚約腕輪だったのですから。
それを聞いて私は内心、「やっぱり」と思いました。
グリード様は、勘違いされて渡されたのが婚約腕輪だった、みたいなことを言っておられましたが、やはり確信犯だったんじゃないですか!
絶対に、わざと細工師が勘違いするような依頼の仕方をしたに違いありません。それに、右でもいいものを左腕に着けたのも絶対わざとです! ……お・の・れ。
密かに怒りを燃やしつつ、私は話の続きに耳を傾けました。
――その夜、ミリー様とイチャイチャしていたレナス様のところに、グリード様が突然やってこられたそうです。
……って、話の途中でまたまた失礼しますが、ミリー様とレナス様ってそういう関係だったんですか!? 聞いてませんし、気づきもしませんでした。
いえいえ、神官職は妻帯OKですし、レナス様とミリー様は幼馴染ですから、そういう関係でもいけなくはないのですが!
なんか、すごく意外です。お二人が恋人同士だったなんて。例の『勇者タイムズ』には載っていませんでしたし。
でも、まぁ、それならミリー様がレナス様をかばう訳ですね。
若干腑に落ちないのは、土下座を止めもしないで面白そうに眺めていたことですが……そこに何か、お二人の関係の複雑さの一端を見てしまったような、そうでないような……
おっと、話を戻しましょう。
部屋にいらしたグリード様は、イチャイチャする二人を見ても空気を読まず、レナス様に腕輪を示して言ったのだそうです。
「これに『祝福』を頼みます」と。
仰天したのはお二人です。いいところを邪魔されたからではなくて、腕輪に神官の『祝福』を授けろと言われたことに対してです。
というのも、普通、婚約腕輪に『祝福』を授けるのは、神官様の前で男女が結婚の誓いを行なった時なのです。「幸多からんことを」みたいな、気休め的な『祝福』を授けるものなのです。
ところが、グリード様が依頼した『祝福』の内容は――
まずは、あのビッターン。
そして……
「君がこの腕輪と対の腕輪の持ち主、つまりグリードから一〇〇メートル以上離れると、離れたってことを自動的に伝える、お知らせ機能付き」
「――はい?」
「でもって、その時々の君の居場所を教える仕掛けも付いてる」
「――はい?」
「そんなことしなくたって、グリードは精霊を使って、いつだって君の居場所を把握しているんだけどね」
「――はいぃ?」
「精霊の力が及ばない場所でも、君がどこにいるか分かるようにしたかったらしい」
「――はい?」
「あ、それと、その腕輪は、君の位置を知らせると同時に、君に何かあった場合は防衛モードに入るから」
「……すみません、どこからツッコんだらいいのか分かりません」
私は顔を引き攣らせました。
というか、ツッコみどころ満載で、「うわぁぁ!」と叫びたくなりましたよ!
私が一〇〇メートル以上離れるとお知らせ機能が働くとか! グリード様が精霊を使って常に私の位置を把握しているだとか! 防衛モードって何だ、とか!
色々です。すべてにツッコみたいです!
だけど、とりあえずこの場で一番ツッコみたいのは、目の前で「僕っていい仕事した?」みたいに得意げな顔をしているレナス様にですよ!
さっきの土下座は何だったのさ、と私は言いたい!
いえ、それよりもさらに言いたいのは――
「私の人権はどうなるんですかぁ!!」
「ぐえっ!」
気がつくと、白い神官服の襟元をぎゅうぎゅう締め上げている自分がおりました。
6 天啓
「もうその辺で許してあげてよ、アーリア」
私がレナス様につかみかかっていると、のんびりとした声がかかりました。ミリー様です。
「レナスはアーリアの人権を無視したわけじゃない。グリードから【天啓】がらみだって聞かされて、断れなかったんだよ」
そう聞いて、私は手を緩めました。
……天啓。その言葉には聞き覚えがあります。先ほど居間を訪れた時、リュファス様がグリード様に言っていた、何やら意味深な言葉が確か、天啓でした。
どうやら腕輪のこの仕掛けは、その天啓とやらによるようです。
「アーリア、とりあえず落ち着きなさい」
姫様が言いました。
「まだお二人にお茶も差し上げていないのよ。だから、いつもの美味しいお茶を淹れてちょうだい?」
「……はい。かしこまりました」
姫様にこう言われては断れません。それに、姫様は私のために言ってくださっているのです。私にとって、趣味であるお茶を淹れている時間は安らぎタイムなのです。そのことを知っていて、冷静になれるよう促してくださっているのです。
私は、いつになくいきり立ち興奮していたようです。
いくら腹を立てていても、神官様の襟首をつかむなど、侍女にあるまじき行為です。しかも、レナス様は国賓なのですから、不敬罪とみなされてもおかしくありません。
私は猛烈に反省致しました。
一〇〇%自分に非があるとは思っておりませんが、興奮してレナス様の首を絞めるなんて、侍女として失格です。この点だけは猛省すべきです。詰め寄るとかしないで、もっとこう、静かに怒るべきでした。
例えば――そう、レナス様のお茶に世界一辛いと言われるリンガール産の辛子のエキスを入れるとか……?
そんなことを思いついてしまい、私は慌てて首を横に振り、その誘惑を退けました。
神聖なお茶に辛子エキスだとか雑巾の絞り汁を入れるだなんて、とんでもないことです!
い、いえいえいえ、ダメダメダメ! 誘惑ダメ! こればっかりは譲れませんよ、私!
葛藤の末、まっとうなお茶を淹れた私が姫様の部屋に戻り、「おいしいお茶だこと」と皆様に褒めていただき、異物混入しなくてよかったと内心安堵した後。
畏れ多くもお客様用のソファに私まで座らせていただき、レナス様とミリー様のお二人による説明が始まったのでした。
――グリード様は【天啓】というスキルをお持ちなのだそうです。
ま、そんな気はしてましたけどね。
多数のスキルだけでなく、そのスキルを発動できる魔力までお持ちだなんて、羨ましい限りです。ケッ。
……おっと、話を続けましょう。
【天啓】とは読んで字のごとく、天、つまり女神様からの啓示です。
でもそれは言葉として示されるのではなく、不意にもたらされる断片的なひらめき、未来に対する予告のようなもので、グリード様曰く「そんな予感がする」といったような、かなり漠然としたもの。
でも、そんなあやふやなものを彼らが重要視するのは、ほぼ外れることのない警告だからです。
同じように、先の出来事を知るスキルとして【予知】というものがあるのですが、イマイチ精密ではありません。【予知】したことによって、そしてそれを口にすることによって、不確定要素が生まれますし、【予知】した出来事は回避することも可能だからです。
未来に起こる可能性の一つを挙げているだけで、【予知】したことによる分岐の未来が発生して……などとレナス様とミリー様は難しいことを仰ってますが、モブの私には、そんなスケールの大きい難しいことは理解不能です。
とりあえず、「スキル【予知】で知ることのできる未来は正確ではないし、その通りになるとは限らない」、と覚えておくことにします。
【予知】は外れることもあるのですが、【天啓】で知る断片的な未来はそれとは別で、回避不能なものなのだそうです。
グリード様が「そんな予感がする」と言ったことは、ほぼ一〇〇%の確率で現実に起こるし、事実起こってきたらしいのです。
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