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番外編
番外編-2
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七緒さんというのは、彰人さんの亡くなったお母さんの名前だ。
その言葉を聞いて、お母さんはなんのことだかすぐに分かったらしい。合点がいったという顔で頷く。
「ああ、なるほど。七緒さんのベールね」
それからお母さんは私の方に振り向き、にっこり笑いながら促す。
「まなみ、行ってらっしゃい」
「え? え?」
お母さんにまでそう言われて、私は面食らった。
「彰人さん、まなみちゃんを借りるわよ」
「……仕方ないですね」
彰人さんがため息まじりにつぶやく。彼もなんのことだか分かっているらしい。
私は「?」マークを頭の周りに飛ばしながらも、おばあちゃんに連れられて応接室を出た。
おばあちゃんが案内してくれたのは、今まで入ったことのない部屋だった。他の部屋に比べると、それほど大きくない。もちろん、それでも私のマンションの部屋に比べたら大きいけど。
広さは十畳くらいだろうか。ガラス戸の棚には小物類が置かれ、本棚にはかなり古そうな装丁の本が収められている。よく見ると「手作りのウェディングドレス」とか「ウェディングドレス特集号」とか、ウェディングドレスに関する書籍や雑誌が集められているようだ。
白いウェディングドレスを着た人形まで飾られているそこは、全体的に柔らかな雰囲気があり、女性の部屋だというのが分かる。
その中でも一番目を引いたのは、部屋の隅に鎮座する、大きな業務用の足踏みミシンだった。
私が珍しく思って眺めていると、おばあちゃんが懐かしそうに目を細めて言った。
「ここはね、彰人さんの母親である、七緒さんの仕事部屋だったの。彼女、ウェディングドレスのデザイナーだったから」
「へぇ、ウェディングドレスのデザイナー……」
そこまで言って、私はキョトンとした顔でおばあちゃんを見返す。
「彰人さんのお母さんって、お仕事をされていたんですか?」
彰人さんのお母さんは、どこかの名家のお嬢様だったと前に聞いたことがある。今でこそ真綾ちゃんや舞ちゃんみたいなお嬢様でも社会に出て働いているけど、その当時はお嬢様と呼ばれるような人が働くなんて、けっこう珍しかったんじゃないだろうか? しかも、佐伯グループの跡取りに嫁いだ身で。
「働いていたのは結婚するまでだけどね。七緒さんの実家の会社は今でこそ大きくなったけれど、元は小さな会社だったの。だから、七緒さんには自分がお嬢様だという意識はなかったと思うわ。デザイナーの卵として将来を嘱望されていたのだけれど、雅人と出会ってね。佐伯家に嫁ぐのならば、彼女には仕事はやめてもらわざるを得なかったの」
「……でしょうね」
なんとなく身につまされる話だ。私だってもし佐伯家に嫁入りするのなら、仕事はやめなきゃいけないだろうから。
「ただ、趣味としては続けたいからって言ってね。人形用のドレスを作ったり、知り合いから依頼を受けてドレスを手作りしたりしていたの。まぁ、それも彰人さんを妊娠したことで中断してしまったけれど」
美代子おばあちゃんは本棚から一冊のスケッチブックを取り出し、私に手渡した。
「これは七緒さんのデザイン画よ」
二十五年以上もの時を経たスケッチブックは黄ばんでいたけれど、中に描かれたデザイン画の線はくっきりしている。
「わぁ……!」
そのスケッチブックには、空白のページは一枚もなかった。全てのページにドレスを着た女性やベールを被った女性の絵が鉛筆で描かれている。前から見た図、後ろから見た図、横から見た図が、一ページの中にぎっしり描き込まれていた。
デザインは、今見ると少し古いかもしれない。でも、当時は肌をあまり露出しない長袖やハイネックのものが主流だったはずなのに、このスケッチブックにはフレンチ袖のドレスや大きく胸元が開いたドレスも描かれていた。
「すごく素敵です」
「私もそう思うわ。七緒さんは才能があったから、佐伯家に嫁がなければ、デザイナーとして一流になれたかもしれないわね。運命が少しでも違っていたなら……」
おばあちゃんは顔を曇らせた。
「それでも、病に倒れてしまうのは同じだったのかしら……」
「美代子おばあちゃん……」
彰人さんのお母さんは、彼が三歳の時に病気で亡くなったという。物心つく前だったからあまり覚えていないのだと、いつだか彰人さんが言っていた。
美代子おばあちゃんは悲しみを振り払うかのように頭を振ると、今度はガラス戸のついた棚の方に向かう。
「まなみちゃんに見せたいのは、これなの」
そう言って取り出したのは、綺麗な丸い箱に入った白いベールだった。白いバラのモチーフがいくつかついただけの、とてもシンプルなベールだ。
「これは?」
「病気になった七緒さんが最後の力を振り絞って作った、彰人さんの未来の花嫁のためのベールよ」
「え?」
私は弾かれたように顔を上げた。美代子おばあちゃんはそんな私に、悲しみと懐かしさの入り混じった笑みを向ける。
「七緒さんはね、産まれる子が男の子だったら、その子がお嫁さんをもらう時には絶対に自分がウェディングドレスを作るって言ってたの。そして女の子だったら、その子がお嫁に行く時にはドレスを二人で一緒に作るんだって。だけど病気になって、結婚式どころか彰人さんの成長を見守ることすらできないと悟った彼女は、最後の力を振り絞ってこのベールをこしらえたの。彰人さんの未来の花嫁のために」
そう言って、美代子おばあちゃんはそっとベールを撫でた。
「七緒さんはウェディングドレスのデザインが時代によって大きく変わることを、誰よりもよく分かっていた。だからドレスに比べればそれほど変わることがない、ベールを作ったの。できるだけ飾りはシンプルにして、その時代時代のドレスに合わせてリフォームできるようにと」
私は次に言われるだろうことを、なんとなく察した。
美代子おばあちゃんは顔を上げて、私をまっすぐに見る。
「これをね、まなみちゃんに受け取って欲しいの」
「美代子おばあちゃん……」
「使ってくれとは言わないわ。ドレスのデザインに合うかどうか分からないもの。ただ、これは七緒さんの心そのものだから、彰人さんの婚約者であるまなみちゃんに受け取って欲しいの」
私の目に涙が滲んだ。たった三歳の息子を残して逝かなければならなかった七緒さんの気持ちを思い、そしてその形見を私に託そうとする美代子おばあちゃんの気持ちを思って。
嬉しい。すごく嬉しい。……だけど、本当に私がもらっていいの? っていう気持ちが浮かんでくる。
ここは喜んで受け取るべき場面だって、分かっているのに。どうしても、どうしても不安が拭えない。
私はドレスを見つめ、それから美代子おばあちゃんを見上げて、震える唇を開いた。
「……美代子おばあちゃん、嬉しい。すごく嬉しい。けれど、本当にこれ、私が受け取っていいのかな? そんな資格があるのかな?」
「まなみちゃん?」
「彰人さんと結婚するのが、本当に私でいいの? こんな私でいいの? 私、いつも彰人さんにおんぶに抱っこで、みんなに守られてばかりで、自分では何一つできないのに……」
言いながら、涙が出てくる。
「こんな私が佐伯家に入って、彰人さんを支えることなんてできるの……?」
自信なんて少しもない。家柄だけじゃなく、彰人さんの隣に立つのに相応しい能力がないのも分かっている。たとえ三条家の後ろ盾があったとしても、人から何か言われるのは目に見えていた。
秘書課の日向さんの事件の時だって、結局私は何もできず、みんなに守られるだけだった。一人でなんとかしようとしても、全然ダメだった。
……こんな私が佐伯家に入って、まともにやれるとは思えない。
ポロポロと涙を流す私に、美代子おばあちゃんは優しく言った。
「誰も自信なんてないのよ、まなみちゃん。私だってそうだったし、七緒さんだってそうよ。今のまなみちゃんと同じようなことに悩んでいたの。佐伯家に入る資格なんかないって。でもね、まなみちゃん。心配しないで。私がまなみちゃんに望むのはたった一つ。彰人さんの傍に寄り添ってくれることだけ」
「……だけど、彰人さんやみんなに守られるだけじゃ……」
美代子おばあちゃんは手を伸ばして、私の頭をそっと撫でた。
「ねぇ、まなみちゃん。守られることのどこが悪いの? 守ってもらえるということは、本当はすごいことなのよ?」
「え?」
驚いて顔を上げると、美代子おばあちゃんがにこにこ笑っていた。
「みんなにとって、まなみちゃんがそれだけ大切だから、守ろうとしてくれるのでしょう? 愛されているのよ。守るだけの価値があると思われているのよ。それはまなみちゃんが持っている大きな武器の一つだわ」
「ぶ、武器?」
「そう」
美代子おばあちゃんは大きく頷いた。
「あのね、この歳になるとよく分かるのよ。自分一人でなんでもできる人間なんかいないって。多かれ少なかれ、必ず誰かの助けを借りているものなの。誰かに支えられているものなの。それを忘れて、一人で生きていける、大丈夫だなんて思う人がいたとしたら、それはただの独りよがりに過ぎないわ」
私は大きく目を見開く。
「そんな独りよがりな人間を、誰が助けたいと思うかしら? みんなに守られる、必要な時に助けてもらえるっていうことは、あなたが普段から周りの人に、感謝の気持ちを持って接しているからでしょう? だから助けてもらえる。守ってもらえる。それはあなただけが持っている武器よ」
「……そんなこと、考えたこともなかった……」
私は呆然としてつぶやいた。
こんな頼りない私でいいの? 彰人さんの隣にいてもいいの?
そんな私を見て、美代子おばあちゃんがふふっと笑う。
「必要な時に手を差し伸べてもらえるのも、立派な才能なのよ。だから、今のままのまなみちゃんでいいの。そんなまなみちゃんがいいって彰人さんが言っているのだし、そこは自信を持っていいと思うわ」
「……はい」
私は頷いた。それから、白いベールを指差す。
「これ、いつか使わせてもらうね、美代子おばあちゃん。その時まで、美代子おばあちゃんに預けておいていい?」
このベール――彰人さんのお母さんの心は、彰人さんと本当に結婚する時に、美代子おばあちゃんの手から渡してもらおう。私はそう思って頼んだ。
「ええ。もちろんよ」
私の言いたいことが分かったのだろう。おばあちゃんはにっこり笑って頷いた。
その後、しばらくスケッチブックを眺めたり、思い出話をしたりした後、美代子おばあちゃんが時計を見ながら言った。
「さて、そろそろ彰人さんたちのところに戻りましょうか」
ベールを再びガラス戸のついた棚にしまい、スケッチブックも本棚に戻して、私と美代子おばあちゃんは部屋を出た。
そこへお手伝いさんの一人が、電話の子機を持って、慌ててやってきた。
「奥様、直通電話に、竹嶋様からご連絡が……」
それを聞いたおばあちゃんが、「あっ」と言って口元を押さえる。
「そういえば、月末の観劇のことについて今日連絡をよこすって言っていたわね。ごめんなさい、まなみちゃん、先に戻っててくれる?」
「うん。わかった」
「ごめんなさいね」
すまなそうに微笑んで、美代子おばあちゃんはお手伝いさんから子機を受け取る。それを見てから、私は廊下を歩き始めた。
さっきは美代子おばあちゃんと一緒だったから、上の階に上がるのにはエレベーターを使った。けど、たかが二階ぶん下がるのに一人でエレベーターを使うのは、さすがに抵抗があった。
だからエレベーターを素通りして、そのまままっすぐ階段の方へ向かう。
その途中、鈴の音がチリンと響いた。
足を止めて辺りを見回す私の目に映ったのは、廊下の曲がり角から覗く、青みがかかった灰色の尻尾だった。
あれは間違いなく猫の尻尾だ。
……猫?
「マーちゃん」
思わず口から出たのは、昔ここで拾った子猫の名前だ。正式な名前はマナらしいけど、美代子おばあちゃんは「マーちゃん」って呼んでいたから、私はずっとそれが名前だと思っていた。
階段の角から覗く尻尾は、確かにあのマーちゃんの尻尾に見える。あの子もあんな風に、青と灰色が混ざったような色の猫だったから。
でも、マーちゃんは何年も前に亡くなったと聞く。
新しい猫を飼ったのだろうか?
またチリンと鈴の音がして、尻尾が階段の方に消えていく。私はその姿を確かめようと、急いで階段へ向かった。
* * *
まなみと美代子が応接室を出て行き、まなみの両親と彰人の三人が残されたところで、まなみの母親の沙耶子が口を開いた。
「彰人君は七緒さんの遺した花嫁のベールについて、おばさまから聞いているのね?」
すると、彰人の口元に苦笑が浮かぶ。
「ええ。祖母から耳にタコができるくらい、聞かされました。だから、二人が上でなんの話をしているかも大体想像できます。おそらく、あのベールをまなみに託すんでしょう」
「そうでしょうね」
懐かしそうに微笑んでから、沙耶子は彰人をじっと見た。
「実はね、私のウェディングドレスを作ってくれたのは、七緒さんなの」
彰人は軽く目を見張る。
「そうなんですか? 初耳です」
「本当は結婚式は挙げないで、籍だけ入れておしまいにする予定だったのだけど、お父さんたちから身内と親しい友人たちだけでも呼んで、式を挙げて欲しいって言われてね。とはいえ急に決まったから、当初はウェディングドレスを着ることは考えていなかったのだけど、七緒さんが『私が作る!』って言ってくれたの」
沙耶子はふふふと笑った。
「『ウェディングドレスは女性の夢なの。今着なきゃ一生後悔するから!』って。そして七緒さんが不眠不休で仕上げてくれたドレスを着て、私はこの人のところへお嫁に行ったわけ」
「すばらしいウェディングドレスだったよ」
沙耶子に指を差された隆俊も、懐かしそうに微笑んだ。
「でもね、ドレスを仕上げるのに精一杯で、ベールは間に合わなかったの。それでベールだけは、ドレスに合うものをレンタルしたのよね。だから、うちにはウェディングドレスはあるけれど、ベールはないのよ。これってすごい偶然じゃないかしら?」
そう言って、沙耶子は微笑みながら彰人を見つめた。
目鼻立ちのくっきりした沙耶子は、まなみとあまり似ていない。まなみはどちらかというと、隆俊似のようだ。けれど、こちらに向けられる沙耶子の眼差しの中に、最愛の女性と共通するひたむきさや無邪気さなどを見出して、彰人の心がざわめく。
多分、祖母だけではなくて、この人にも一生頭が上がらないだろう、そんな予感を胸に秘めながら、彰人は微笑んだ。
「そうですね」
「あの子はどういう運命のお導きなのか、七緒さんの作ったウェディングドレスとベールを、両方身にまとってお嫁に行くことになるようね」
「必ずしも母の作ったドレスを使う必要はないですよ。まなみが着たいと思ったウェディングドレスにすればいい」
そう言いながらも、まなみが母の作ったドレスを着ないわけがないと、彰人には分かっていた。彰人の言葉を聞いてクスッと笑った沙耶子も、娘の性格をよく把握しているようだ。
「あの子の性格上、七緒さんのドレスを選ばないわけがないわ。もちろんそのまま使うわけにはいかないから、リフォームしてもらうことになるでしょうけど」
「でしょうね」
彰人の口元に苦笑が浮かんだ。
それから彼は、その笑みをスッと消して立ち上がり、二人に頭を下げる。
「後日、改めてお願いしに伺いますが、今ここでも言わせてください。――まなみさんを俺にください。お願いします」
頭を下げたまま、彰人は続ける。
「必ず幸せにすると確約はできませんが、二人で幸せになれるように努力いたします」
まなみの両親は突然のことにびっくりしたのか、何も言わなかった。けれど、しばらくすると隆俊が言う。
「ああ、うん。分かったから顔を上げてくれないか、彰人君」
顔を上げた彰人の目に、苦笑いを浮かべている二人の姿が飛び込んできた。
「びっくりだよ。そんなに直球で来るとは予想外だった」
彰人の口元にも苦笑いが浮かぶ。
「いえ、なんだかお二人を相手にするなら、下手に策を弄するより、直球の方がいいような気がしまして」
「そうだね。その通りだと思う」
隆俊はハハハと笑った後、急にその笑みを消した。沙耶子が何も言わないのは、判断を夫に委ねているからだろう。
「あの子にも言ったけど、僕たちはまなみの意思を尊重している。だから、あの子が君を選んだのなら、反対する気はないんだ」
「ありがとうございます」
「ただね、危惧はしている。君の背後にあるものの大きさに、あの子が潰されてしまうのではないかと。そのせいで、あの子は一度とても深く傷ついたから」
十年前のことを思い出し、彰人は唇を噛み締めた。
「存じています。あの時のことは、俺も無関係ではありませんから……」
「そうだったね。だからこそ君にも分かるだろう。どんなに守ろうとしても、必ずあの子を傷つけるものが現れる。君がその全てを防いで、あの子を守りきることは不可能だ」
「……はい」
彰人は頷く。それがわかっているからこそ、『必ず幸せにすると確約はできません』と言ったのだ。
自分だけに関係することなら、全て排除して幸せにすると言えただろう。けれど、そこに佐伯家という要素が入り込んだら、必ず排除できるという保証はなくなる。佐伯の名が持つ重さは、個人の幸福など簡単に吹っ飛ばしてしまえるのだ。
「だから僕らが君に望むのは、あの子をただ危険や悪意から守るだけでなく、いざという時にあの子がそれを乗り越えていけるよう、寄り添うことだ。その手と心を、あの子から離さないでくれ。君の属する世界であの子が頼れるのは、それだけなのだから」
隆俊の目が彰人をまっすぐに射抜く。
「それを約束してくれるなら、僕たちは君に娘を託そう。どう? できるかい?」
彰人は隆俊の目をしっかり見ながら頷いた。
「はい。お約束します」
その彰人の言葉を聞いたとたん、隆俊の顔にいつもの笑みが戻る。
「そう。では、あの子をよろしく頼むね、彰人君」
「はい」
「はいはい。この話はここでおしまい。あの子のいないところで、これ以上はダメよ」
沙耶子が口を挟む。確かに、この話は本来まなみも交えてするべきだろう。
彰人はにっこりと笑った。
「では、この話はまた日を改めて」
そう言って、ソファに腰を下ろす。すると、隆俊が急に悪戯っぽく笑った。
「だけど、実際に結婚するまでは大変だろうな、君も。三条家の男性は手ごわいよ? 口では認めたと言いながらも何かとチクチクつついてきて、こっちを試そうとするからね」
彰人の脳裏に、まなみ曰く「過保護な従兄弟」である二人の顔が浮かんだ。
「認めるどころか、反対してますよ」
そう言って、彰人は思わず笑ってしまう。
「あの二人か。あの子たちも、頑固で責任感が強いから……。それにお義父さんやお義兄さんも、多分いざとなったら渋ると思うよ。僕の時もそうだった」
当時を思い出したのだろう、隆俊がクスクス笑った。
「ああ、そうだ。君にいい手を教えてあげよう。僕も使った手だ」
「いい手?」
「そう。女性陣を全て味方につけるといい。君にも分かると思うけど、男というものは自分が選んだ女性には弱いんだ。あの三条家の男も例外じゃない。だから三条家の全ての女性を味方につけるのが、男性陣を黙らせる一番の早道だ」
それを聞いた沙耶子が笑い出した。
「この人は本当にそうしたのよ。うちの母や姉だけじゃなくて、美代子おばさまや七緒さんまで味方につけたの。そうなると、男性陣は折れるしかなくてね。この人を認めざるを得なくなったのよ」
彰人も笑みを浮かべた。簡単に想像がつく光景だ。確かに三条家の男性も佐伯家の男性も、どんなに会社で威張っていようと、伴侶には頭が上がらないのだ。
「それはいいですね、俺もそうすることにします」
彰人はにっこり笑った。
それからしばらく和やかな話題が続き、その後、彰人と隆俊が仕事の話で盛り上がっていた時に、美代子が戻ってきた。
その言葉を聞いて、お母さんはなんのことだかすぐに分かったらしい。合点がいったという顔で頷く。
「ああ、なるほど。七緒さんのベールね」
それからお母さんは私の方に振り向き、にっこり笑いながら促す。
「まなみ、行ってらっしゃい」
「え? え?」
お母さんにまでそう言われて、私は面食らった。
「彰人さん、まなみちゃんを借りるわよ」
「……仕方ないですね」
彰人さんがため息まじりにつぶやく。彼もなんのことだか分かっているらしい。
私は「?」マークを頭の周りに飛ばしながらも、おばあちゃんに連れられて応接室を出た。
おばあちゃんが案内してくれたのは、今まで入ったことのない部屋だった。他の部屋に比べると、それほど大きくない。もちろん、それでも私のマンションの部屋に比べたら大きいけど。
広さは十畳くらいだろうか。ガラス戸の棚には小物類が置かれ、本棚にはかなり古そうな装丁の本が収められている。よく見ると「手作りのウェディングドレス」とか「ウェディングドレス特集号」とか、ウェディングドレスに関する書籍や雑誌が集められているようだ。
白いウェディングドレスを着た人形まで飾られているそこは、全体的に柔らかな雰囲気があり、女性の部屋だというのが分かる。
その中でも一番目を引いたのは、部屋の隅に鎮座する、大きな業務用の足踏みミシンだった。
私が珍しく思って眺めていると、おばあちゃんが懐かしそうに目を細めて言った。
「ここはね、彰人さんの母親である、七緒さんの仕事部屋だったの。彼女、ウェディングドレスのデザイナーだったから」
「へぇ、ウェディングドレスのデザイナー……」
そこまで言って、私はキョトンとした顔でおばあちゃんを見返す。
「彰人さんのお母さんって、お仕事をされていたんですか?」
彰人さんのお母さんは、どこかの名家のお嬢様だったと前に聞いたことがある。今でこそ真綾ちゃんや舞ちゃんみたいなお嬢様でも社会に出て働いているけど、その当時はお嬢様と呼ばれるような人が働くなんて、けっこう珍しかったんじゃないだろうか? しかも、佐伯グループの跡取りに嫁いだ身で。
「働いていたのは結婚するまでだけどね。七緒さんの実家の会社は今でこそ大きくなったけれど、元は小さな会社だったの。だから、七緒さんには自分がお嬢様だという意識はなかったと思うわ。デザイナーの卵として将来を嘱望されていたのだけれど、雅人と出会ってね。佐伯家に嫁ぐのならば、彼女には仕事はやめてもらわざるを得なかったの」
「……でしょうね」
なんとなく身につまされる話だ。私だってもし佐伯家に嫁入りするのなら、仕事はやめなきゃいけないだろうから。
「ただ、趣味としては続けたいからって言ってね。人形用のドレスを作ったり、知り合いから依頼を受けてドレスを手作りしたりしていたの。まぁ、それも彰人さんを妊娠したことで中断してしまったけれど」
美代子おばあちゃんは本棚から一冊のスケッチブックを取り出し、私に手渡した。
「これは七緒さんのデザイン画よ」
二十五年以上もの時を経たスケッチブックは黄ばんでいたけれど、中に描かれたデザイン画の線はくっきりしている。
「わぁ……!」
そのスケッチブックには、空白のページは一枚もなかった。全てのページにドレスを着た女性やベールを被った女性の絵が鉛筆で描かれている。前から見た図、後ろから見た図、横から見た図が、一ページの中にぎっしり描き込まれていた。
デザインは、今見ると少し古いかもしれない。でも、当時は肌をあまり露出しない長袖やハイネックのものが主流だったはずなのに、このスケッチブックにはフレンチ袖のドレスや大きく胸元が開いたドレスも描かれていた。
「すごく素敵です」
「私もそう思うわ。七緒さんは才能があったから、佐伯家に嫁がなければ、デザイナーとして一流になれたかもしれないわね。運命が少しでも違っていたなら……」
おばあちゃんは顔を曇らせた。
「それでも、病に倒れてしまうのは同じだったのかしら……」
「美代子おばあちゃん……」
彰人さんのお母さんは、彼が三歳の時に病気で亡くなったという。物心つく前だったからあまり覚えていないのだと、いつだか彰人さんが言っていた。
美代子おばあちゃんは悲しみを振り払うかのように頭を振ると、今度はガラス戸のついた棚の方に向かう。
「まなみちゃんに見せたいのは、これなの」
そう言って取り出したのは、綺麗な丸い箱に入った白いベールだった。白いバラのモチーフがいくつかついただけの、とてもシンプルなベールだ。
「これは?」
「病気になった七緒さんが最後の力を振り絞って作った、彰人さんの未来の花嫁のためのベールよ」
「え?」
私は弾かれたように顔を上げた。美代子おばあちゃんはそんな私に、悲しみと懐かしさの入り混じった笑みを向ける。
「七緒さんはね、産まれる子が男の子だったら、その子がお嫁さんをもらう時には絶対に自分がウェディングドレスを作るって言ってたの。そして女の子だったら、その子がお嫁に行く時にはドレスを二人で一緒に作るんだって。だけど病気になって、結婚式どころか彰人さんの成長を見守ることすらできないと悟った彼女は、最後の力を振り絞ってこのベールをこしらえたの。彰人さんの未来の花嫁のために」
そう言って、美代子おばあちゃんはそっとベールを撫でた。
「七緒さんはウェディングドレスのデザインが時代によって大きく変わることを、誰よりもよく分かっていた。だからドレスに比べればそれほど変わることがない、ベールを作ったの。できるだけ飾りはシンプルにして、その時代時代のドレスに合わせてリフォームできるようにと」
私は次に言われるだろうことを、なんとなく察した。
美代子おばあちゃんは顔を上げて、私をまっすぐに見る。
「これをね、まなみちゃんに受け取って欲しいの」
「美代子おばあちゃん……」
「使ってくれとは言わないわ。ドレスのデザインに合うかどうか分からないもの。ただ、これは七緒さんの心そのものだから、彰人さんの婚約者であるまなみちゃんに受け取って欲しいの」
私の目に涙が滲んだ。たった三歳の息子を残して逝かなければならなかった七緒さんの気持ちを思い、そしてその形見を私に託そうとする美代子おばあちゃんの気持ちを思って。
嬉しい。すごく嬉しい。……だけど、本当に私がもらっていいの? っていう気持ちが浮かんでくる。
ここは喜んで受け取るべき場面だって、分かっているのに。どうしても、どうしても不安が拭えない。
私はドレスを見つめ、それから美代子おばあちゃんを見上げて、震える唇を開いた。
「……美代子おばあちゃん、嬉しい。すごく嬉しい。けれど、本当にこれ、私が受け取っていいのかな? そんな資格があるのかな?」
「まなみちゃん?」
「彰人さんと結婚するのが、本当に私でいいの? こんな私でいいの? 私、いつも彰人さんにおんぶに抱っこで、みんなに守られてばかりで、自分では何一つできないのに……」
言いながら、涙が出てくる。
「こんな私が佐伯家に入って、彰人さんを支えることなんてできるの……?」
自信なんて少しもない。家柄だけじゃなく、彰人さんの隣に立つのに相応しい能力がないのも分かっている。たとえ三条家の後ろ盾があったとしても、人から何か言われるのは目に見えていた。
秘書課の日向さんの事件の時だって、結局私は何もできず、みんなに守られるだけだった。一人でなんとかしようとしても、全然ダメだった。
……こんな私が佐伯家に入って、まともにやれるとは思えない。
ポロポロと涙を流す私に、美代子おばあちゃんは優しく言った。
「誰も自信なんてないのよ、まなみちゃん。私だってそうだったし、七緒さんだってそうよ。今のまなみちゃんと同じようなことに悩んでいたの。佐伯家に入る資格なんかないって。でもね、まなみちゃん。心配しないで。私がまなみちゃんに望むのはたった一つ。彰人さんの傍に寄り添ってくれることだけ」
「……だけど、彰人さんやみんなに守られるだけじゃ……」
美代子おばあちゃんは手を伸ばして、私の頭をそっと撫でた。
「ねぇ、まなみちゃん。守られることのどこが悪いの? 守ってもらえるということは、本当はすごいことなのよ?」
「え?」
驚いて顔を上げると、美代子おばあちゃんがにこにこ笑っていた。
「みんなにとって、まなみちゃんがそれだけ大切だから、守ろうとしてくれるのでしょう? 愛されているのよ。守るだけの価値があると思われているのよ。それはまなみちゃんが持っている大きな武器の一つだわ」
「ぶ、武器?」
「そう」
美代子おばあちゃんは大きく頷いた。
「あのね、この歳になるとよく分かるのよ。自分一人でなんでもできる人間なんかいないって。多かれ少なかれ、必ず誰かの助けを借りているものなの。誰かに支えられているものなの。それを忘れて、一人で生きていける、大丈夫だなんて思う人がいたとしたら、それはただの独りよがりに過ぎないわ」
私は大きく目を見開く。
「そんな独りよがりな人間を、誰が助けたいと思うかしら? みんなに守られる、必要な時に助けてもらえるっていうことは、あなたが普段から周りの人に、感謝の気持ちを持って接しているからでしょう? だから助けてもらえる。守ってもらえる。それはあなただけが持っている武器よ」
「……そんなこと、考えたこともなかった……」
私は呆然としてつぶやいた。
こんな頼りない私でいいの? 彰人さんの隣にいてもいいの?
そんな私を見て、美代子おばあちゃんがふふっと笑う。
「必要な時に手を差し伸べてもらえるのも、立派な才能なのよ。だから、今のままのまなみちゃんでいいの。そんなまなみちゃんがいいって彰人さんが言っているのだし、そこは自信を持っていいと思うわ」
「……はい」
私は頷いた。それから、白いベールを指差す。
「これ、いつか使わせてもらうね、美代子おばあちゃん。その時まで、美代子おばあちゃんに預けておいていい?」
このベール――彰人さんのお母さんの心は、彰人さんと本当に結婚する時に、美代子おばあちゃんの手から渡してもらおう。私はそう思って頼んだ。
「ええ。もちろんよ」
私の言いたいことが分かったのだろう。おばあちゃんはにっこり笑って頷いた。
その後、しばらくスケッチブックを眺めたり、思い出話をしたりした後、美代子おばあちゃんが時計を見ながら言った。
「さて、そろそろ彰人さんたちのところに戻りましょうか」
ベールを再びガラス戸のついた棚にしまい、スケッチブックも本棚に戻して、私と美代子おばあちゃんは部屋を出た。
そこへお手伝いさんの一人が、電話の子機を持って、慌ててやってきた。
「奥様、直通電話に、竹嶋様からご連絡が……」
それを聞いたおばあちゃんが、「あっ」と言って口元を押さえる。
「そういえば、月末の観劇のことについて今日連絡をよこすって言っていたわね。ごめんなさい、まなみちゃん、先に戻っててくれる?」
「うん。わかった」
「ごめんなさいね」
すまなそうに微笑んで、美代子おばあちゃんはお手伝いさんから子機を受け取る。それを見てから、私は廊下を歩き始めた。
さっきは美代子おばあちゃんと一緒だったから、上の階に上がるのにはエレベーターを使った。けど、たかが二階ぶん下がるのに一人でエレベーターを使うのは、さすがに抵抗があった。
だからエレベーターを素通りして、そのまままっすぐ階段の方へ向かう。
その途中、鈴の音がチリンと響いた。
足を止めて辺りを見回す私の目に映ったのは、廊下の曲がり角から覗く、青みがかかった灰色の尻尾だった。
あれは間違いなく猫の尻尾だ。
……猫?
「マーちゃん」
思わず口から出たのは、昔ここで拾った子猫の名前だ。正式な名前はマナらしいけど、美代子おばあちゃんは「マーちゃん」って呼んでいたから、私はずっとそれが名前だと思っていた。
階段の角から覗く尻尾は、確かにあのマーちゃんの尻尾に見える。あの子もあんな風に、青と灰色が混ざったような色の猫だったから。
でも、マーちゃんは何年も前に亡くなったと聞く。
新しい猫を飼ったのだろうか?
またチリンと鈴の音がして、尻尾が階段の方に消えていく。私はその姿を確かめようと、急いで階段へ向かった。
* * *
まなみと美代子が応接室を出て行き、まなみの両親と彰人の三人が残されたところで、まなみの母親の沙耶子が口を開いた。
「彰人君は七緒さんの遺した花嫁のベールについて、おばさまから聞いているのね?」
すると、彰人の口元に苦笑が浮かぶ。
「ええ。祖母から耳にタコができるくらい、聞かされました。だから、二人が上でなんの話をしているかも大体想像できます。おそらく、あのベールをまなみに託すんでしょう」
「そうでしょうね」
懐かしそうに微笑んでから、沙耶子は彰人をじっと見た。
「実はね、私のウェディングドレスを作ってくれたのは、七緒さんなの」
彰人は軽く目を見張る。
「そうなんですか? 初耳です」
「本当は結婚式は挙げないで、籍だけ入れておしまいにする予定だったのだけど、お父さんたちから身内と親しい友人たちだけでも呼んで、式を挙げて欲しいって言われてね。とはいえ急に決まったから、当初はウェディングドレスを着ることは考えていなかったのだけど、七緒さんが『私が作る!』って言ってくれたの」
沙耶子はふふふと笑った。
「『ウェディングドレスは女性の夢なの。今着なきゃ一生後悔するから!』って。そして七緒さんが不眠不休で仕上げてくれたドレスを着て、私はこの人のところへお嫁に行ったわけ」
「すばらしいウェディングドレスだったよ」
沙耶子に指を差された隆俊も、懐かしそうに微笑んだ。
「でもね、ドレスを仕上げるのに精一杯で、ベールは間に合わなかったの。それでベールだけは、ドレスに合うものをレンタルしたのよね。だから、うちにはウェディングドレスはあるけれど、ベールはないのよ。これってすごい偶然じゃないかしら?」
そう言って、沙耶子は微笑みながら彰人を見つめた。
目鼻立ちのくっきりした沙耶子は、まなみとあまり似ていない。まなみはどちらかというと、隆俊似のようだ。けれど、こちらに向けられる沙耶子の眼差しの中に、最愛の女性と共通するひたむきさや無邪気さなどを見出して、彰人の心がざわめく。
多分、祖母だけではなくて、この人にも一生頭が上がらないだろう、そんな予感を胸に秘めながら、彰人は微笑んだ。
「そうですね」
「あの子はどういう運命のお導きなのか、七緒さんの作ったウェディングドレスとベールを、両方身にまとってお嫁に行くことになるようね」
「必ずしも母の作ったドレスを使う必要はないですよ。まなみが着たいと思ったウェディングドレスにすればいい」
そう言いながらも、まなみが母の作ったドレスを着ないわけがないと、彰人には分かっていた。彰人の言葉を聞いてクスッと笑った沙耶子も、娘の性格をよく把握しているようだ。
「あの子の性格上、七緒さんのドレスを選ばないわけがないわ。もちろんそのまま使うわけにはいかないから、リフォームしてもらうことになるでしょうけど」
「でしょうね」
彰人の口元に苦笑が浮かんだ。
それから彼は、その笑みをスッと消して立ち上がり、二人に頭を下げる。
「後日、改めてお願いしに伺いますが、今ここでも言わせてください。――まなみさんを俺にください。お願いします」
頭を下げたまま、彰人は続ける。
「必ず幸せにすると確約はできませんが、二人で幸せになれるように努力いたします」
まなみの両親は突然のことにびっくりしたのか、何も言わなかった。けれど、しばらくすると隆俊が言う。
「ああ、うん。分かったから顔を上げてくれないか、彰人君」
顔を上げた彰人の目に、苦笑いを浮かべている二人の姿が飛び込んできた。
「びっくりだよ。そんなに直球で来るとは予想外だった」
彰人の口元にも苦笑いが浮かぶ。
「いえ、なんだかお二人を相手にするなら、下手に策を弄するより、直球の方がいいような気がしまして」
「そうだね。その通りだと思う」
隆俊はハハハと笑った後、急にその笑みを消した。沙耶子が何も言わないのは、判断を夫に委ねているからだろう。
「あの子にも言ったけど、僕たちはまなみの意思を尊重している。だから、あの子が君を選んだのなら、反対する気はないんだ」
「ありがとうございます」
「ただね、危惧はしている。君の背後にあるものの大きさに、あの子が潰されてしまうのではないかと。そのせいで、あの子は一度とても深く傷ついたから」
十年前のことを思い出し、彰人は唇を噛み締めた。
「存じています。あの時のことは、俺も無関係ではありませんから……」
「そうだったね。だからこそ君にも分かるだろう。どんなに守ろうとしても、必ずあの子を傷つけるものが現れる。君がその全てを防いで、あの子を守りきることは不可能だ」
「……はい」
彰人は頷く。それがわかっているからこそ、『必ず幸せにすると確約はできません』と言ったのだ。
自分だけに関係することなら、全て排除して幸せにすると言えただろう。けれど、そこに佐伯家という要素が入り込んだら、必ず排除できるという保証はなくなる。佐伯の名が持つ重さは、個人の幸福など簡単に吹っ飛ばしてしまえるのだ。
「だから僕らが君に望むのは、あの子をただ危険や悪意から守るだけでなく、いざという時にあの子がそれを乗り越えていけるよう、寄り添うことだ。その手と心を、あの子から離さないでくれ。君の属する世界であの子が頼れるのは、それだけなのだから」
隆俊の目が彰人をまっすぐに射抜く。
「それを約束してくれるなら、僕たちは君に娘を託そう。どう? できるかい?」
彰人は隆俊の目をしっかり見ながら頷いた。
「はい。お約束します」
その彰人の言葉を聞いたとたん、隆俊の顔にいつもの笑みが戻る。
「そう。では、あの子をよろしく頼むね、彰人君」
「はい」
「はいはい。この話はここでおしまい。あの子のいないところで、これ以上はダメよ」
沙耶子が口を挟む。確かに、この話は本来まなみも交えてするべきだろう。
彰人はにっこりと笑った。
「では、この話はまた日を改めて」
そう言って、ソファに腰を下ろす。すると、隆俊が急に悪戯っぽく笑った。
「だけど、実際に結婚するまでは大変だろうな、君も。三条家の男性は手ごわいよ? 口では認めたと言いながらも何かとチクチクつついてきて、こっちを試そうとするからね」
彰人の脳裏に、まなみ曰く「過保護な従兄弟」である二人の顔が浮かんだ。
「認めるどころか、反対してますよ」
そう言って、彰人は思わず笑ってしまう。
「あの二人か。あの子たちも、頑固で責任感が強いから……。それにお義父さんやお義兄さんも、多分いざとなったら渋ると思うよ。僕の時もそうだった」
当時を思い出したのだろう、隆俊がクスクス笑った。
「ああ、そうだ。君にいい手を教えてあげよう。僕も使った手だ」
「いい手?」
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それを聞いた沙耶子が笑い出した。
「この人は本当にそうしたのよ。うちの母や姉だけじゃなくて、美代子おばさまや七緒さんまで味方につけたの。そうなると、男性陣は折れるしかなくてね。この人を認めざるを得なくなったのよ」
彰人も笑みを浮かべた。簡単に想像がつく光景だ。確かに三条家の男性も佐伯家の男性も、どんなに会社で威張っていようと、伴侶には頭が上がらないのだ。
「それはいいですね、俺もそうすることにします」
彰人はにっこり笑った。
それからしばらく和やかな話題が続き、その後、彰人と隆俊が仕事の話で盛り上がっていた時に、美代子が戻ってきた。
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