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5巻
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しおりを挟む第1話 幸せと不安と
私こと上条まなみの土曜日の朝は、お仕置きから始まる――
「って、ちょっと待ってください!」
私は必死に腕を伸ばして、迫ってくるたくましい身体を避けようとした。
こんな休日の始まり方があってたまるか……!
けれど、現に目の前では上司であり恋人でもある仁科彰人課長が、物憂げな笑みを浮かべて私に手を伸ばしている。正確に言うと、私を捕まえてのしかかろうとしているのだ。
「間違えたのは謝りますからっ」
必死に言い募るものの、あっさり捕まり、彼に組み敷かれてしまった。何も身につけていない自分の下腹部に何か硬いものが当たっていることに気づいて、私は息を呑む。
これって、これって……アレですよね!?
昨夜あんなに何度もイタしたくせに、どうしてこの人、こんなに元気なんだろう……
「いい加減に慣れてもよさそうなのに、どうしてこうも毎回間違えるんだろうね?」
彰人さんは笑顔で私を見下ろしている。でも笑っているからといって、機嫌がいいなどと解釈しちゃいけない。むしろ間違いなく不快に思っている証拠なのだから!
男性の心の機微に疎い私でも、さすがに五ヶ月も付き合っていれば、恋人の機嫌くらい分かるようになってくるというもの。怒った時は怒った顔をしてくれればいいのに、この人は怒れば怒るだけ笑顔になっていくのだ。
そして、今のこの笑顔。私の勘違いでなければ、目の前の人はかなり頭に来ているはずで……
彰人さんの弧を描いた唇が、恐ろしい言葉をつむぐ。
「お仕置きだね、まなみ」
「ひぃ!」
彰人さんの言う「お仕置き」が何を意味するのかは、下腹部に押しつけられているものが明確に示していた。
やっぱりこの展開か!
「え、遠慮します~!」
私はぶんぶんと首を横に振って、彰人さんの腕の中から何とか抜け出そうとした。けれど、覆いかぶさっている熱い身体はビクともしない。
彰人さんはクスクス笑った。
「ねぇ、まなみ。お仕置きされるのが分かっていながら毎回間違えるなんて、本当はこうされたいんだと解釈してしまうよ?」
「ち、違いますっ。つい癖で呼び間違えてしまうだけです!」
……ここまでくれば、私がなぜお仕置きされそうになっているのか、そして彰人さんが何に怒っているのか、お分かりいただけたことと思う。
そう。私はさっき寝ぼけて彰人さんを「課長」と呼んでしまったのだ。プライベートの時は「彰人」と名前で呼ぶように言われていたのに。もし間違えたら「身体に言い聞かせる」と宣言されていたのに。
そしてお仕置きは、はじめは数回に一度のキスで済んでいたのだけど、身体を重ねるようになってからは、間違えるたびにペナルティをとられている。しかも私が支払うのは、キスなんて軽いものじゃない。思いっきりイヤらしいことをされるのだ。それこそ「身体に言い聞かされて」いるといっても過言ではない。一体どうしてこんなことになってしまったのか。
――そもそもの始まりは私の母方の親戚である三条家と、彰人さんの実家である佐伯家の間に持ち上がった縁談だった。昔からの約束で、私と従姉妹の舞ちゃん、真綾ちゃん、真央ちゃんのうちの誰かが佐伯家にお嫁に行かなければいけないというのだ。
けれど私は他の三人と違って、お金持ちのお嬢様じゃない。だから最後の――四番目の許婚候補だし、よもや順番が回ってくることはあるまいと高をくくっていた。
ところが就職した会社にたまたま彰人さんがいた。彼は佐伯の御曹司だということを隠して働いていたのだ。そして私はなんと、その部下になってしまった。
彰人さんに許婚候補であることがバレたらまずいと思い、ずっと近づかないようにしていたのに、いろいろあって恋人関係になってしまった。
縁談とは無関係なところから始まった恋だけれど、その縁談と、お互いに素性を秘密にしていることが(といっても私は彼の正体を知っているけど)、事態を複雑にしていた。
二人の付き合いが会社に、ひいては三条家や佐伯家の親たちにバレてはマズいのだ。なぜなら私を含めた三条家のイトコたちも彰人さんも、親たちが勝手に決めた縁談話に納得していないから。もし私たち二人の関係を両家の親たちが知れば、その縁談が成立してしまう。これは彰人さんと従兄の透兄さんたちが協力して縁談を白紙に戻した今も、変わっていない。
だから私は今朝みたいに寝ぼけている時や、判断に迷った時には、とりあえず「課長」と呼ぶようにしている。だって、呼んではいけない場面でとっさに「彰人さん」と呼んでしまったら、取り返しがつかないもの。
でもそんなことを彰人さんは知らないし、私も説明できない。だから、彼は私がいつまで経っても役職で呼んでしまうことを、不満に思っているのだ。
「傷つくね。付き合い始めて五ヶ月も経つのに、未だに間違えられるとは。君の中ではまだ俺は恋人というより上司なんだね」
「そ、それは……」
違うと言いたいけど言えなくて、私は口ごもる。そんな私を見て、彰人さんはにっこりと不吉な笑みを浮かべた。
「これはやっぱり、身体に言い聞かせないとね」
そう言うなり、彰人さんは片手をすっと下ろし、私の足の付け根に触れる。当然そこにも何もまとっていない。
「やっ、彰人さ、ん、んっ」
思わず、鼻にかかった感じの声が漏れてしまう。それは甘く、どこか誘うような響きを帯びていた。
とても恥ずかしい。なのに、反応せずにはいられない。
昨夜だってさんざん啼かされて、ぐったりしているはずなのに、私の身体は彰人さんに応えようとする。
「ふぁ、や、だめ、実家に……帰らなくちゃ、なのに……あっ、んぅ、んんっ」
今日の午後は実家に帰る予定になっていた。ただでさえ寝坊して予定時間ギリギリなのに、こんなことを始めてしまったら……
彰人さんはゆっくりと、それでいて官能を煽るように手を動かしながら、耳元で囁く。
「大丈夫。早く終わらせるし、仕度も手伝うよ。君はただ、横になっているだけでいい」
「……ああっ……!」
感じやすくなっている胸を濡れた唇と舌で愛撫されて、痺れるような快感に、私は息を詰める。
「や、あ、あっ」
頭がぼうっとしてきて、なぜさっきまであんなに抵抗していたのかすら思い出せなくなっていた。官能を揺さぶられて、私の頭の中から彰人さん以外のものが消えていく。
「……まなみ。愛してる」
胸から顔を上げた彰人さんが囁く。
「私も、私も、好き……」
私はそう呟きながら目を閉じて、彰人さんの肩に縋りついた。
「うー。彰人さんのバカ。彰人さんの絶倫」
私はベーグルをもぐもぐと咀嚼しながら愚痴る。
結局がっつり「お仕置き」されてしまい、彰人さんと一緒にマンションを出た時には、もうお昼に近い時間になっていた。
ゆっくりしている暇はないため、マンションの近くのベーグル屋でブランチを取りながら、目の前に座る彰人さんへ恨み節を炸裂させる。
「何が『横になっているだけ』ですか。嘘つき!」
交わっている最中、突然身体を引っ張り起こされ、彰人さんの膝の上に座らされた。いわゆる対面座位というやつだ。快感に酔っていた私は拒否することなく、彼に言われるままに身体を動かして……
ああああ! 思い出すだけで、恥ずかしさのあまり穴を掘って埋まりたくなる……!
おまけに、ただ横になっているだけで良かったはずが、体力をがつがつ削られてしまい、今の私はボロボロの状態だ。本音を言ってしまえば、実家に戻らずこのままベッドに直行して、十時間くらい眠りたい。それをしないのは、彰人さんのいるマンションよりも実家の方が身体を休められると、身にしみて分かっているからだった。
「だいたい休日っていうのは、心身を休めるためにあるはずです。なのに休むどころか平日より疲れてしまうなんて、どう考えてもおかしいです!」
彰人さんは私のその愚痴を、笑顔で一蹴した。
「平日より週末がいいと言ったのは、まなみ自身じゃないか」
「……ぐっ」
その通りなので、何も言えませんでした……。チクショー!
ベーグルを食べ終わった後、実家に戻るためにそのまま駅へ向かう。駅は店のすぐ近くだし、わざわざ送ってもらう必要はないと言ったのだけど、彰人さんは改札まで一緒に行くと言って聞かない。
私自身も何だかんだ言って彰人さんといたいから、誰かに見られる可能性があると分かっていながら、つい頷いてしまうのだった。
改札口で、彰人さんは名残惜しそうに、私の頬に触れながら言った。
「じゃあ、まなみ。気をつけて。明日、戻ってくる時にまた迎えに来るから」
「はい。では行ってきますね」
私は素直に頷き、頬に触れる彰人さんの手をきゅっと握った後、彼から離れて改札口に向かった。
改札を通り抜けた後、振り返る。すると、そこにはまだ彰人さんがいて、私をじっと見つめていた。
眼鏡をかけて髪をセットし、スーツを着た彰人さんも格好いい。けれど、眼鏡をかけていなくて前髪も下ろしている私服姿の彰人さんは、うっとりするほど素敵だった。
美形の従兄弟たちを見慣れている私でもそう思うのだから、周囲の女性たちは、なおさらそう思うに違いない。改札口を行きかう女性たちが振り返ったり、見とれていたりした。
そんな中、彰人さんは私だけを見つめている。それをこそばゆく感じつつも、とても嬉しかった。思わず手を振ってしまったのは、彼の思いに応えたかったのと……自分でも意外だけど、周りの女性たちに、彼がフリーじゃないことを示したいと思ってしまったから。
すると彰人さんが、笑顔で手を振り返してくれる。とたんに女性たちの注目を浴びてしまったけど、なぜか気にならなかった。
彼との別れを惜しんでいたために、私は発車時間ギリギリで電車に乗り込んだ。空いている席に腰を下ろして一息つく。
――三条家と佐伯家の縁談が白紙に戻り、私と彰人さんが本当の恋人同士になったあの日から、三ヶ月近くが経っていた。
あれからというもの、お祖父ちゃんたちから結婚についてとやかく言われることもなく、私も従姉妹たちも、平和な日常を過ごしていた。
……いや、大きく動いたことが一つだけある。
なんと、舞ちゃんと涼が婚約したのだ。
といっても内輪でのことで、公にはしていない。イトコ同士ということもあるけれど、それ以上に涼の年齢のことが少しネックになっているみたい。若すぎる上に、まだ社会人経験が少ないということで、時期尚早だと判断されたようだ。
そんなわけで、涼が二十五歳になるまで公式な発表は控え、結婚もお預けになってしまった。
でも、それでも構わないと舞ちゃんは言う。
「あと二年の辛抱ですもの。それに、二人の付き合いはもう隠さなくてもいいし。堂々と傍にいられることが、とても嬉しいの」
幸せそうに笑う舞ちゃんの左手の薬指には、ダイヤモンドの指輪が光っていた。
一方、透兄さんと真綾ちゃんは、今も付き合いを内緒にしているみたい。
真央ちゃんは相変わらず現実の恋愛には興味を示さず、BLの世界に没頭している。
「私の最近のイチオシは、誘い受けよっ」
――などと言い、イベント通いと同人活動に余念がない。……うん、真央ちゃんはいつでもどんな時でも通常運転だ。
そして私はと言えば、週末の過ごし方が少し変わった。
以前は土曜日の日中を彰人さんと一緒に過ごして、土曜日の夜に実家に帰り、日曜日にマンションへ戻るという生活をしていた。だけど、今は金曜日の夜も彰人さんの部屋で過ごしているのだ。
もちろんそれ以外の平日も、彰人さんの仕事が忙しくなければ、夜はできる限り一緒に過ごす。まぁ、主に私が夕飯をおごってもらっているだけなんだけど。
金曜以外の平日は、彰人さんの部屋には行かない。私の部屋の前まで送ってもらうだけ。
彰人さんと、その……そういう関係になったばかりの頃は、食事に連れて行ってもらったら、そのまま彼の部屋に連れ込まれて、服を脱がされるってパターンが多かった。
しかも、彰人さん曰く「禁欲期間が長かった反動」とやらで、一回で終わることはなく……。数回ほど付き合わされた後、意識を失い、彰人さんの部屋で朝を迎えることも少なくなかったのだ。
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そう思った私は、彰人さんに平日の夜はやめて欲しいと訴えたのだ。
『ごめんね』
彼もやりすぎたと思ったらしく、苦笑しながら謝ってくれた。
『仕事に支障をきたさないようにセーブするよ』
そうも言ってくれたけど、はっきり言って信用できるか! これまでも「もう一回だけ」とか言って、結局何回もしたくせに!
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ここに来てようやく、私はあれでも彰人さんがかなり手加減していたことを思い知ったのだった。しかも本人が爽やかに、けれどどこか色気のある笑みを浮かべながら言うには、「これでもまだ十分手加減している」らしい。
これでもまだ……。私は絶句した。彼が本気を出したらどうなってしまうのか、考えただけでも怖い!
いくら男性経験が少なかったり、恋愛や性に関する知識が乏しくたって、これくらいは分かる。彰人さんは普通じゃない。絶対「絶倫」ってやつだ。
真央ちゃんが昔貸してくれたBL本に出てきた、ねちっこい攻キャラがそう言われていたし、同僚の水沢さんたちにそれとなく聞いてみたら、みんなそんなにたくさんしてないって言ってたもの。
もっとも当の彰人さんは「恋人同士なら普通のことだよ」なんて、いけしゃあしゃあと言っていたけど。
恋人いない暦=年齢で、自他共に認める恋愛音痴の私に、生まれて初めてできた恋人が絶倫だった――って、これが物語ならオイシイかもしれないけど、現実なのだから笑えない。
私はごく普通のソフトなお付き合いを望んでいたんだけどなぁ……。いきなりこんな濃いお付き合いになるだなんて、夢にも思わなかった。
とは言うものの、彰人さんに抱かれるのが嫌なわけじゃない。これだけは声を大にして言っておきたいけど、彰人さんとこういう関係になったことを、あの時彰人さんの手を取ったことを、後悔したことは一度もない。
……早まったかもとは、何度も思ったけど!
正直に言えば、彰人さんに触れられること自体は好きだ。恥ずかしいことをいっぱいされるし、毎回体力の限界を試されてるけど、抱きしめられるのも、キスされるのも、あの手で愛撫されるのも……すごく気持ちよくて、幸せな気分になれる。
終わった後、いつくしむように背中を撫でられている時や、夜中にふと目が覚めて、耳もとで聞こえる規則正しい鼓動と彼のぬくもりに気づいた時、泣きたくなるくらい幸せを感じてしまうのだ。
私、いつの間にこんなに彰人さんのことを好きになっていたんだろうって、自分でも不思議に思う。
けれど、その幸せに影を投げかけているものがあった。
私はまだ彰人さんに、自分の素性――自分が三条家の親戚で、彰人さんの許婚候補の一人だったことを、明かしていないのだ。
幸せだと思うからこそ、なおさら伝えられなかった。惹かれれば惹かれるほど、好きになれば好きになるほど、不安や恐れが増していく。
彰人さんは私の素性を知っても、変わらず好きでいてくれる?
こんな大事なことをずっと隠していた……ううん、騙していたも同然の私を、許してくれる?
その自信はなかった。なぜなら私だって、舞ちゃんと涼が付き合っていたのを教えてもらえなかったことに、あんなに衝撃を受けたのだ。なのに彰人さんは冷静に受け止めてくれるだなんて、どうして言える?
もしこれが彰人さんのために黙っていたのなら、まだよかっただろう。でも私が言わなかったのは、保身のためだ。今も不安だから、怖いからって、口にできないでいる。
こんな私、きっと幻滅されてしまう。
そう思うと、ますます言えなくなる。幸せだと思う一方で、罪悪感や不安もどんどん降り積もっていく。そんな悪循環に陥っていた。
* * *
日曜日の昼近く、私は実家で朝食兼昼食を食べていた。すっかり寝坊して朝食の時間に間に合わなかったから、たった一人で。実は最近はずっとこんな調子だ。
原因は前日の寝不足、つまり彰人さんのせいだ。
初めの頃は小言を言っていたお母さんも、最近はもう何も言わなくなってしまった。もしかしたら、私の寝坊の原因に気づいているのかもしれない。
自分ではよく分からないけど、同じ部署に所属する水沢さんや川西さんによれば、私は疲れた顔をしてはいるものの、肌はつやつやで、ただの疲労や体調不良とは違うのが明白なのだそうだ。
そう言われた時はちょっと戦慄したけど、理由を根掘り葉掘り聞かれなかっただけマシだろう。その点二人とも空気を読んでくれて助かっている。
「まなみは何時ごろ家を出るの?」
ご飯を食べ終わった私の前に、ミルクたっぷりのコーヒーを置きながら、お母さんが尋ねてきた。お父さんは今朝早く出かけてしまい、家には二人だけだった。
私は壁掛け時計を見つつ答える。
「うーん、あまり夜遅くになるといけないから、ここを四時くらいには出ようと――」
そこまで答えた時だった。
――ピンポーン。
玄関のチャイムが来客を告げる。実家のインターホンはマンションのとは違ってモニター付きではないから、誰が訪ねてきたのかは分からない。
「誰かしら?」
「あ、私が見てくるよ」
お母さんは洗い物をしていたので、私が代わりに玄関へ向かった。
「はーい」
そう言いつつ玄関の扉を開けた私は、仰天する。
「こんにちは、まなみちゃん」
そこには彰人さんの祖母であり、私のお祖母ちゃんの親友でもあった美代子おばあちゃんが、数人のSPを引き連れて立っていたのだった。
「突然お邪魔してごめんなさいね」
リビングのソファに座った美代子おばあちゃんは、朗らかに笑った。そのすぐ後ろには、黒いスーツを着たSPの人たちが控えている。一人は男性で、残りの二人は女性だ。
うちみたいな一般家庭のリビングではあり得ないような光景だけど、幸か不幸かすっかり慣れっこになっている。
だってイトコたちを除けば、三条家のみんなもたいてい護衛の人や秘書みたいな人を引き連れてやってくるもの。もちろん親戚だけで話をする時は、彼らには別の部屋で待機してもらっているけれど。
今回も黒服さんたちに台所へ行ってもらってから、美代子おばあちゃんは口を開いた。
「来月は沙耶子ちゃんの誕生日があるでしょう? でもあいにくその時期に検査入院する予定だから、ちょっと早いけどお祝いを届けにきたの」
そう言って美代子おばあちゃんがテーブルに置いたのは、老舗高級和菓子店の銘が入った箱だった。
実は毎年お母さんの誕生月には、あちこちの親戚筋からこうしてお菓子が届けられる。
お父さんによれば、結婚した直後はものすごく高価な装飾品とかも届けられていたらしい。それを、お母さんは「私にはもう必要ないから」と言って片っ端から送り返したそうだ。だけど、お菓子だけはもったいないからと言って手元に残したため、以来お母さんへの贈り物はお菓子ばかりになったというわけ。
お菓子と言ってもお金持ちの人たちが選ぶお菓子だから、それはもうめったに食べられない高級なものばかり。ご相伴にあずかる私はホクホクだ。
今回も箱を見た瞬間に私が目を輝かせたのを、美代子おばあちゃんは見逃さなかった。
「うふふ。まなみちゃんも食べてちょうだいね。ここの職人に特注して作ってもらったものなの」
老舗高級和菓子店の職人に特注……!
「ありがとう、美代子おばあちゃん!」
私は笑顔でお礼を言いながら、さすがお金持ちはやることが違うと感心していた。まぁ三条家の親戚から届くのも、そんな高級お菓子ばっかりなんだけど。
ちなみに、お母さん本人はその辺で売ってる普通のお菓子の方が好きだということは、みんなには内緒だ。
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