弟とあたしの攻防戦

富樫 聖夜

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因縁フラグは立たない

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 殆ど無理矢理にトーストをお腹に中に詰め込んで、あたしはよたよたと自分の部屋に戻った。
 途中の明良の部屋からは何の気配もしなかったので、どうやらあたしがキッチンにいる間に家を出たらしい。
 少なくとも夕方までは顔を合わせる必要がないのがわかってホッとした。

 だけどベッドに潜り込みながら、そんな自分に気付いてあたしはため息をついた。

 世界が変わってしまった。

 昨日までのあたしの世界は大学に言って、授業を受けて、友達とおしゃべりをして。
 家に帰ったら、明良《おとうと》にべったり張りついて甘えて愚痴を聞いてもらったり、テレビ見て論戦をしたり。
 そんな普通の平穏な世界だったのに。

 今のあたしは明良が恐い。
 あたしを手に入れるという彼が。
 自分の抵抗をやすやすと封じる男が。

 目を閉じると思い出すのは、自分に覆いかぶさってくる明良の姿。
 それは見慣れた弟じゃなくて、見知らぬ男のようだった。

 自分を弟としてじゃなくて、男として意識させようとしているなら、十分効果あったよ!
 だけど、もうちょっとソフトなやり方をして欲しかったよ、おねーちゃんは。
 いきなりアレってどうなの?

 いやいやいや、今はそれを考えてはいけない。

 あたしは目を閉じると浮かんでくる、あの情欲を宿した明良の熱っぽい目を頭を振って追い払った。
 とにかく今は寝不足を解消して、身体癒して体力つけないと。
 抵抗すらできずにいいようにされてしまう。
 
「……あ」
 だけど不意にとあることを思い出して、あたしはむくっと起き出した。
 そうだ。眠ってしまう前に、友達の澄香に大学を休むって連絡しておかないといけない。

 夕べから机の上に置きっぱなしだった携帯電話を手に取って、あたしは澄香宛てにメールを打った。

『ごめん。今日、具合が悪いので大学休むね。
 それで申し訳ないんだけど、今日の分の講義のノート、後で見せてもらっていい?』

 通話ではなくてメールにしたのは、今頃澄香が電車に乗っている時間だから。
 彼女もあたしと同様に親元から大学に通っているけど、少々遠くて電車に揺られている時間が長いのだ。
 
 ベッドに携帯を持ち込んで返信を待っていると、やがて光と音がメールの着信を伝えた。
 
『具合大丈夫? レポート作成で根でも詰めたか?
 とりかえずノートはちゃんと取っておいてあげるから、ゆっくり休みなさいな』

『ありがとう、よろしくね』

 あたしはそう返信して、携帯を畳むと、ふぅっと息を吐いた。
 これで大学のことは心配いらずに休むことができる。

 
 相変わらず痛む腰とお腹をさすりながらベッドに戻ると、あたしは今度こそ目を閉じた。




 いえね、簡単に眠れるわけがないと思ったんですよ。
 だって、ここ現場だし?
 夕べ弟の仮面をつけた野獣に襲われた場所でしょう?
 目を閉じればその時のもろもろのことが脳裏に浮かぶんじゃ、眠れるわけがない。
 あたしはそう思って、対処策として羊を数えることにしたのだ。
 羊が柵を飛び越えて牧場に入っていく光景を脳裏に思い浮かべつつ、「羊が一匹~」とか考えていたわけ。
 ところが、ちょうど十匹目のメリーさんが柵をぴょんと飛び越えて、草が覆い茂った牧場に着地をしたあたりであたしの意識がフェードアウトしだした。

 あまりの展開に「早くね?」と自分でツッコミ入れたのが最後の思考で――――。

 ぐぅ。

 と、あたしはそのまま夢の中へ。
 いや、実際は夢は見なかったと思う。
 文字通り爆睡して、フェードアウトして気付いたら時間が経っていたって感じ。

 で、目が覚めた原因なのですが。
 息苦しさですよ!
 何かに口を塞がれて、息苦しさのあまりに意識が浮上したらしい。
 カッと目を開けてみたら――――目の前に綺麗な綺麗な顔が至近距離で――――。

 びっくりして声が出た。
「ふぉっ!」
 が、出てきたのは変な音。

 なぜなら――――口が塞がれていたから。
 口を塞がれているだけじゃない。何か口の中に入ってる。――そう舌が。
 咥内を這い回る生暖かい舌と、唾液を啜られる音で一気に覚醒した。

 もちろん、そんなことをしている犯人はヤツしかいない。
 
「んー! んー!」
 あたしは自分に覆いかぶさっている明良の背中をバシバシ叩いた。
 
 苦しい、ギブギブ!

 そんなあたしの息苦しさに気付いたのか、明良がつと顔を上げた。

 うん。銀色の細い線があたしと明良の唇を繋いでいるように見えるのは気のせいだ。
 そして、それを明良が艶かしい仕草で舌で舐め取っているのも、絶対気のせい、気のせい。

 あたしはすっかり腫れぼったくなった唇を動かして言った。
「な、なにしてんの!?」
 明良はにっこり笑った。
「ただいまのキスだけど?」
「一体いつからうちはキスで送り迎えする外国人的な習慣になった……って、ただいま? え、夕方?」

 学校に行った明良が帰ってくるのは夕方のはずだ。
 
 あたしは視界いっぱいになった明良を押しのけて、周囲を見回した。
 部屋の中は薄暗くなっているのに気付き、窓の方に目をやれば――――すっかり黄昏時だった。

 いつのまにか時間経ってる!
 え、あたし今までずっと眠っていたってわけ?

「お昼食べ損ねた!?」
「母さんが言ってたよ、姉さんは一度も起きてこなかったって」
「起こしてくれればよかったのに!」
「酷使されて疲れているんだろうから、起こさなかったんだって」
「……ん?」
 今何か変な事言わなかったか?
 聞き返そうとしたあたしは、ベッドに横になっているあたしに覆いかぶさったままの明良が、ふっと妖しげな笑みを浮かべるのに気付いて言葉を忘れた。
「姉さん。そんなに疲れていたんだね。ごめんね」
「…………」
 ごめんね、と言いつつ、なぜそんなに嬉しそうなのでしょうか、明良君……。
「ずっと我慢してたから、ついタガが外れてしまって。初めての姉さんにはキツかったね」
「…………っっ」
 あたしは息を飲んだ。
 明良の手が毛布の上からあたしの腰あたりをゆっくり円を描くように撫でたからだ。
「でもごめんね。これからもあまり手加減してあげられそうにないや」

 だからどうして、ごめんと言いつつ、嬉しそうに笑うんでしょうか、明良君!

 あたしは腰を撫でる明良の手を払って叫んだ。
「こ、これからなんてない! 二度とやらない!」

 だけど明良の笑みは変わらなかった。

「それは姉さんの意見でしょう? 俺の意見は違うし、もう言ったよね? 姉さんが誰のものか何度でも教えてあげるって」
「い、いらない! そんなのいらない! 平穏な生活プリーズ!」
「弟から恋人にシフトするだけで、今までと同じに平穏だよ?」
「嘘つけ! チート君を恋人にして平穏な生活できるわけないでしょ!」

 フラグが立ちまくるのが目に見えてるよ!
 明良の親衛隊(非公式)に因縁つけられたりする、お約束のフラグが!
 幸いなことに高校は卒業しているから、裏庭や屋上に呼び出されるフラグだけは立たないだろうけどさ。

「大丈夫、今までと同じように姉さんに手出しなんてさせないから」
 にっこり笑う明良。
「い、今まで……?」

 そういえば、たまに睨まれたり影でコソコソ言われたりするだけど、漫画や小説にあるような因縁フラグはまったく立ったことは無かった気がする。
 それは姉弟だからだと思っていたけど……もしかして影で明良が何かやっていたのだろうか?

 ……あり得る。あり得るよ!
 だって、あたしに近づく男を知らぬ間に抹殺していたくらいだもの!
 この強烈なカリスマ性で、あたしに対する風当たりを無風にすることくらい朝飯前に違いない。

 我が弟ながらすごいというか、なんと言うか……。
 あ、いや、本当は弟じゃなかったっけ。
 
「というわけで、姉さん……」
 かすれた声と共に、唇が降って来た。
「ふぐっ!?」
 
 油断していたあたしは再び口の中に潜りこんできた舌に囚われて、再び翻弄された。

「んー、んー!」

 そういえば今更だけど。本当に今更だけど!

 これって、これって、ベッドに横たわる羊な自分に、覆いかぶさってくる狼な明良って図式じゃないでしょうか!

 ヤバイ!

 ――――本能が危険信号を発した。
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