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第18話 永遠の記憶と幻影の庭(5)
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『ナタリア……君は、本当に、君なのかい』
薄暗い隠れ家の中で、ルディは夢中で魔法陣を書いていたナタリアにそっと声をかけた。
今や、ただの庭師と伯爵家の奥様という関係だった彼らは、長年連れ添った夫婦のように近い距離に見えるが、彼らの心はどこか遠くすれ違っているようだった。
『ルディ?何を言っているの、私は私よ。それより、はやくあの男を苦しめるための魔法を完成させなくちゃ』
『ナタリア……』
ナタリアはこちらへ見向きもせず、ただひたすら、恨みだけを心に燃やしている。
ようやくルディは、自分が彼女を誤った道へ引き入れたことに気づいたようだった。
しかし、彼らはもう後戻りできない所まで来ている。
それからしばらくした後、彼らはついに伯爵への復讐を決行した。
酷い嵐の夜だった。
豪雨と雷の中、伯爵はまだ眠ることなく書斎で苛立たしげに書類を書いていた。
しばらくすると夜も更け、そろそろ眠ろうかと伯爵が立ち上がり寝室へ向かおうとした時だ。
『なんだ!?』
伯爵の足元に魔法陣が現れ、伯爵の手足が魔法で拘束される。
凄まじく禍々しい光だが、外は吹き荒れる風と雨音で喧しく、騒いでも気づく人はいない。
もっとも、怒ってばかりで人望のない伯爵の身の安全をわざわざ逐一確認したがる使用人などここにはいないのだが。
『よくも、よくも私を……!』
何も無かった空間から、ナタリアがすぅっと現れて伯爵に近づく。
『貴様、ナタリアか!?まさか生きていたとは……!?』
『お前だけは、絶対に許さない!』
ナタリアが手を一振りすると、伯爵は何かに強制されているかのように突然仰向け倒れてしまう。
『どう、なっている……っ!?』
ナタリアに唾を飛ばしなら怒っていた伯爵だったが、突然何か口元に激痛が走り黙ってしまう。
伯爵の口内からはおびただしい量の血が溢れてきた。
誰も刃物をもっていないというのに、伯爵の舌は斬られていた。
喋ることもできず、ただ血を吐くことしかできない。
『ははっ!はははははっ!そうよ、その顔が見たかった……!もっと、もっと苦しみなさい!』
舌の次は、鼻だ。
その次は耳、目、指、腕……。
ナタリアの攻撃は止まることはない。
伯爵は魔法で強制的に延命されているようで、激痛に悶えながら抵抗すらできず身体中を痛めつけられている。
(なるほど、だからやめた方がいいと……)
どうしてメイナードがこれはエリーゼには刺激が強すぎると言っていたのか、ようやく理解した。
幻影なので匂いは感じないが、その耳を塞ぎたくなるような酷い音と絶叫に、エリーゼは吐き気を覚えた。
なんという凄惨な光景だろうか。
彼自身が招いた結末だとしても、一心不乱に魔法を使うナタリアを止めたくて仕方がない。
(でも、庭師の青年はどにいるんでしょう?確か、二人で殺害したんですよね)
エリーゼがそう思った時、物陰からルディが現れてきた。
ようやくここでトドメをさして終わるのかと思いきや、ルディは伯爵には目もくれずナタリアに顔を向ける。
『もうやめよう。ナタリア』
ナタリアにとってそれは思いかげない言葉だった。
『ルディ?どうしてそんなことを言うの。ほらもっと、この男を痛めつけないと。まだ足が残っているわ』
何を言っているのか分からないというように、伯爵への攻撃を再開する。
伯爵の悲鳴が響く中、ルディは話を続ける。
『僕はこんなつもりではなかったんだ。ただ、君の苦しみが晴れて、明るい未来へ歩いて行けたらと、そう思っていただけなんだ。それなのに、君は、命を代価にして魔法を覚えようなんて……』
禁忌魔法が禁忌とされるのには、理由がある。
対象の命を奪うだけではなく、その代価として自らの命も滅ぼすことになるからだ。
しかしナタリアは、命を落とすこともいとわず何度も禁忌魔法を使った。
そうすると、当然ナタリアがどうなるかは目に見えている。
『今のナタリアは復讐に囚われたただの亡霊だ』
ナタリアはあまりに自分を傷つけすぎた。
ナタリアの命はもう残っていない。
本物のナタリアはもうとっくに死んでいて、そこにいるのは亡霊でしかないのだ。
『ナタリアが死んでも尚、亡霊になって復讐をするなんて、僕はそんなこと望んでいなかったんだ。安らかに眠ることすらできなくなったなんて、僕は本当になんてことをしてしまったんだ……!』
ルディは涙を流しながらナタリアに謝罪する。
肉体は滅んでも、魔法の影響でいつまでも魂だけが縛り付けられている状況なのだろう。
その懺悔は、ナタリアの心へ届くことなどないのに、それでも懸命に彼は頭を垂れている。
『すまなかった。君を復讐の道へ誘ったのは他でもない僕だ。伯爵に君の苦しみを思い知らせてやろうなんて、思わなければよかったんだ』
愛する人を思うが故の行動だったのだろう。
最初は二人とも同意の上で計画したことだった。
その思いは歪み、ナタリアをこの世から消すばかりか亡霊に変えてしまった。
ルディも復讐のために様々な犯罪に手を染めてもう表社会には戻れないかもしれないが、ナタリアは命すら無くなってしまったのだ。
ルディの後悔は絶望となって彼を一生苛み続けるだろう。
やがて伯爵は息絶え、部屋にはナタリアの笑い声だけが永遠に響いている。
復讐は見事なまでに完遂された。
けれど、誰一人として幸せになった者はいなかった。
その後、廃人のように日々を過ごしていたルディの元に侯爵家からの遣いが来る。
自分の人生に失望していた彼は、ただされるがままに侯爵家へ連れていかれ、後継者として教育を受けるようになった。
やがて青年は心に大きな傷を抱えたまま侯爵になる。
ただ、晩年になって彼は、思い立ったように魔法書を開発し、完成したその日の夜に静かに息を引き取った。
これが、彼らの迎えた結末。
これで、幻影も終わりだ。
じきに元の世界に戻る。
そう思っていたエリーゼだったが、彼女の視界を包んだのは白い光ではなく、真っ暗な闇だった。
(どうして!?記憶はここで終わっているのだから、開放されるはずじゃ……!)
困惑するエリーゼだが、幻影の中ではどうにもならない。
早く、元の世界に戻らなければ。
焦るエリーゼの視界に、暗闇の次に現れたのは、これまた幻影だった。
ぼろぼろの服を着た子供が、傷だらけの腕で廊下の窓を磨いている。
誰の記憶の幻影なのかは、考えるまでもない。
(私の、記憶……)
エリーゼの子供の頃の記憶だ。
魔法書が暴走した影響で、エリーゼの記憶まで読み取られてしまったのだろうか。
ともかく、こちらの記憶もエリーゼとしては見たくない不快なものには違いなかった。
庭で遊んでいた少女が、掃除をしていたエリーゼに気づく。
ニーナだ。
名義上はエリーゼの妹であるはずの彼女は、暇を見つけてはエリーゼをいじめるのが大好きだった。
『そこの汚らしいゴミ屑、こっちへ来なさい』
ニーナはエリーゼを呼びつける。
もちろん近寄りたくなんかなかったが、反抗するともっと酷い目に合うことはわかっていたので大人しく従う他はない。
『なにかごようでしょうか……ひゃっ!?』
なんとニーナは、エリーゼを庭の池へ突き落としたのだ。
ばしゃんと水しぶきを上げてエリーゼは水の中へ沈んでいく。
『あははっ、いい気味ね!そこで汚い体を洗えばいいわ!』
ニーナはきっと自分がしている事がどれだけ悪どいことなのかまったく理解していないのだろう。
それはそれは、心から楽しそうに笑っていた。
運の悪いことに季節は真冬で、水温は凍るような冷たさだ。
水の中へ落ちたエリーゼの衣服は恐ろしい程に重くなり、冷たさで体力はみるみるうちに奪われていく。
(嫌だ……やめて……)
傍観しているだけの現実のエリーゼに、幻影の苦しさは伝わってこないはずなのに。
当時の様子を見ているだけでも、心は苦しくなって息が詰まる。
『ねぇ、ちょっとあれ……』
一部始終を見ていたメイドたちが、ひそひそと慌てたように顔を見合わせる。
池は怖いほどに静かで、エリーゼが浮かび上がる気配すらない。
どう考えてもエリーゼは溺れていて、このままだと確実に死んでしまうだろう。
しかし、幼いニーナはそんなことに気づいたりしない。
エリーゼが沈んだまま浮かび上がってこないことに、ニーナは不思議そうに首を傾げたあと、つまらなさそうに去っていった。
普段はエリーゼに関わろうともしないメイドたちも、さすがにこの状況はまずいと焦り、慌てて池へ向かっていく。
一人のメイドが真っ先に池へ飛び込み、エリーゼをすくい上げて救出した。
『大丈夫!?生きてる!?』
『っ……うぅ、……』
エリーゼは真っ青な顔で震えていて、辛うじて息があるといったところか。
メイドは自分も濡れて寒いはずなのに、エリーゼを抱えて屋敷へ連れていく。
メイドたちはすっかり青ざめた表情で、必死にエリーゼの体を拭き温めた。
気性の荒い主人たちを恐れるあまりに普段はどうしようも出来ないけれども、彼女たちにもわずかな良心はあったのだ。
数日間高熱にうなされた後、エリーゼは目が覚めた。
しかし、エリーゼを真っ先に助けてくれたメイドは解雇されていた。
エリーゼの面倒をみたため、夫人の機嫌を損ねたからだろう。
無事に回復したエリーゼだったが、あのメイドに申し訳なさを感じると共に、夫人とニーナに対するやるせない気持ちも抱えることになった。
それからしばらくして、誰もあのメイドのことを口にしなくなった頃に、エリーゼは師匠に救われてあの家から逃げ出せた。
あの時は運良く助かっただけで、もしかすれば死んでいたかもしれない。
エリーゼとしては見たくない記憶の中の頂点にあるような出来事だ。
(どうして、こんな記憶を見せるの)
この魔法書が、創造者であるルディの遺志が、エリーゼに何を聞いているのか、実のところエリーゼには既に分かっていた。
彼らに復讐するのか。
エリーゼを苦しめ、傷つけた彼らに、ナタリアと同じように復讐に命を燃やすのかどうかを、魔法書に問われているのだ。
薄暗い隠れ家の中で、ルディは夢中で魔法陣を書いていたナタリアにそっと声をかけた。
今や、ただの庭師と伯爵家の奥様という関係だった彼らは、長年連れ添った夫婦のように近い距離に見えるが、彼らの心はどこか遠くすれ違っているようだった。
『ルディ?何を言っているの、私は私よ。それより、はやくあの男を苦しめるための魔法を完成させなくちゃ』
『ナタリア……』
ナタリアはこちらへ見向きもせず、ただひたすら、恨みだけを心に燃やしている。
ようやくルディは、自分が彼女を誤った道へ引き入れたことに気づいたようだった。
しかし、彼らはもう後戻りできない所まで来ている。
それからしばらくした後、彼らはついに伯爵への復讐を決行した。
酷い嵐の夜だった。
豪雨と雷の中、伯爵はまだ眠ることなく書斎で苛立たしげに書類を書いていた。
しばらくすると夜も更け、そろそろ眠ろうかと伯爵が立ち上がり寝室へ向かおうとした時だ。
『なんだ!?』
伯爵の足元に魔法陣が現れ、伯爵の手足が魔法で拘束される。
凄まじく禍々しい光だが、外は吹き荒れる風と雨音で喧しく、騒いでも気づく人はいない。
もっとも、怒ってばかりで人望のない伯爵の身の安全をわざわざ逐一確認したがる使用人などここにはいないのだが。
『よくも、よくも私を……!』
何も無かった空間から、ナタリアがすぅっと現れて伯爵に近づく。
『貴様、ナタリアか!?まさか生きていたとは……!?』
『お前だけは、絶対に許さない!』
ナタリアが手を一振りすると、伯爵は何かに強制されているかのように突然仰向け倒れてしまう。
『どう、なっている……っ!?』
ナタリアに唾を飛ばしなら怒っていた伯爵だったが、突然何か口元に激痛が走り黙ってしまう。
伯爵の口内からはおびただしい量の血が溢れてきた。
誰も刃物をもっていないというのに、伯爵の舌は斬られていた。
喋ることもできず、ただ血を吐くことしかできない。
『ははっ!はははははっ!そうよ、その顔が見たかった……!もっと、もっと苦しみなさい!』
舌の次は、鼻だ。
その次は耳、目、指、腕……。
ナタリアの攻撃は止まることはない。
伯爵は魔法で強制的に延命されているようで、激痛に悶えながら抵抗すらできず身体中を痛めつけられている。
(なるほど、だからやめた方がいいと……)
どうしてメイナードがこれはエリーゼには刺激が強すぎると言っていたのか、ようやく理解した。
幻影なので匂いは感じないが、その耳を塞ぎたくなるような酷い音と絶叫に、エリーゼは吐き気を覚えた。
なんという凄惨な光景だろうか。
彼自身が招いた結末だとしても、一心不乱に魔法を使うナタリアを止めたくて仕方がない。
(でも、庭師の青年はどにいるんでしょう?確か、二人で殺害したんですよね)
エリーゼがそう思った時、物陰からルディが現れてきた。
ようやくここでトドメをさして終わるのかと思いきや、ルディは伯爵には目もくれずナタリアに顔を向ける。
『もうやめよう。ナタリア』
ナタリアにとってそれは思いかげない言葉だった。
『ルディ?どうしてそんなことを言うの。ほらもっと、この男を痛めつけないと。まだ足が残っているわ』
何を言っているのか分からないというように、伯爵への攻撃を再開する。
伯爵の悲鳴が響く中、ルディは話を続ける。
『僕はこんなつもりではなかったんだ。ただ、君の苦しみが晴れて、明るい未来へ歩いて行けたらと、そう思っていただけなんだ。それなのに、君は、命を代価にして魔法を覚えようなんて……』
禁忌魔法が禁忌とされるのには、理由がある。
対象の命を奪うだけではなく、その代価として自らの命も滅ぼすことになるからだ。
しかしナタリアは、命を落とすこともいとわず何度も禁忌魔法を使った。
そうすると、当然ナタリアがどうなるかは目に見えている。
『今のナタリアは復讐に囚われたただの亡霊だ』
ナタリアはあまりに自分を傷つけすぎた。
ナタリアの命はもう残っていない。
本物のナタリアはもうとっくに死んでいて、そこにいるのは亡霊でしかないのだ。
『ナタリアが死んでも尚、亡霊になって復讐をするなんて、僕はそんなこと望んでいなかったんだ。安らかに眠ることすらできなくなったなんて、僕は本当になんてことをしてしまったんだ……!』
ルディは涙を流しながらナタリアに謝罪する。
肉体は滅んでも、魔法の影響でいつまでも魂だけが縛り付けられている状況なのだろう。
その懺悔は、ナタリアの心へ届くことなどないのに、それでも懸命に彼は頭を垂れている。
『すまなかった。君を復讐の道へ誘ったのは他でもない僕だ。伯爵に君の苦しみを思い知らせてやろうなんて、思わなければよかったんだ』
愛する人を思うが故の行動だったのだろう。
最初は二人とも同意の上で計画したことだった。
その思いは歪み、ナタリアをこの世から消すばかりか亡霊に変えてしまった。
ルディも復讐のために様々な犯罪に手を染めてもう表社会には戻れないかもしれないが、ナタリアは命すら無くなってしまったのだ。
ルディの後悔は絶望となって彼を一生苛み続けるだろう。
やがて伯爵は息絶え、部屋にはナタリアの笑い声だけが永遠に響いている。
復讐は見事なまでに完遂された。
けれど、誰一人として幸せになった者はいなかった。
その後、廃人のように日々を過ごしていたルディの元に侯爵家からの遣いが来る。
自分の人生に失望していた彼は、ただされるがままに侯爵家へ連れていかれ、後継者として教育を受けるようになった。
やがて青年は心に大きな傷を抱えたまま侯爵になる。
ただ、晩年になって彼は、思い立ったように魔法書を開発し、完成したその日の夜に静かに息を引き取った。
これが、彼らの迎えた結末。
これで、幻影も終わりだ。
じきに元の世界に戻る。
そう思っていたエリーゼだったが、彼女の視界を包んだのは白い光ではなく、真っ暗な闇だった。
(どうして!?記憶はここで終わっているのだから、開放されるはずじゃ……!)
困惑するエリーゼだが、幻影の中ではどうにもならない。
早く、元の世界に戻らなければ。
焦るエリーゼの視界に、暗闇の次に現れたのは、これまた幻影だった。
ぼろぼろの服を着た子供が、傷だらけの腕で廊下の窓を磨いている。
誰の記憶の幻影なのかは、考えるまでもない。
(私の、記憶……)
エリーゼの子供の頃の記憶だ。
魔法書が暴走した影響で、エリーゼの記憶まで読み取られてしまったのだろうか。
ともかく、こちらの記憶もエリーゼとしては見たくない不快なものには違いなかった。
庭で遊んでいた少女が、掃除をしていたエリーゼに気づく。
ニーナだ。
名義上はエリーゼの妹であるはずの彼女は、暇を見つけてはエリーゼをいじめるのが大好きだった。
『そこの汚らしいゴミ屑、こっちへ来なさい』
ニーナはエリーゼを呼びつける。
もちろん近寄りたくなんかなかったが、反抗するともっと酷い目に合うことはわかっていたので大人しく従う他はない。
『なにかごようでしょうか……ひゃっ!?』
なんとニーナは、エリーゼを庭の池へ突き落としたのだ。
ばしゃんと水しぶきを上げてエリーゼは水の中へ沈んでいく。
『あははっ、いい気味ね!そこで汚い体を洗えばいいわ!』
ニーナはきっと自分がしている事がどれだけ悪どいことなのかまったく理解していないのだろう。
それはそれは、心から楽しそうに笑っていた。
運の悪いことに季節は真冬で、水温は凍るような冷たさだ。
水の中へ落ちたエリーゼの衣服は恐ろしい程に重くなり、冷たさで体力はみるみるうちに奪われていく。
(嫌だ……やめて……)
傍観しているだけの現実のエリーゼに、幻影の苦しさは伝わってこないはずなのに。
当時の様子を見ているだけでも、心は苦しくなって息が詰まる。
『ねぇ、ちょっとあれ……』
一部始終を見ていたメイドたちが、ひそひそと慌てたように顔を見合わせる。
池は怖いほどに静かで、エリーゼが浮かび上がる気配すらない。
どう考えてもエリーゼは溺れていて、このままだと確実に死んでしまうだろう。
しかし、幼いニーナはそんなことに気づいたりしない。
エリーゼが沈んだまま浮かび上がってこないことに、ニーナは不思議そうに首を傾げたあと、つまらなさそうに去っていった。
普段はエリーゼに関わろうともしないメイドたちも、さすがにこの状況はまずいと焦り、慌てて池へ向かっていく。
一人のメイドが真っ先に池へ飛び込み、エリーゼをすくい上げて救出した。
『大丈夫!?生きてる!?』
『っ……うぅ、……』
エリーゼは真っ青な顔で震えていて、辛うじて息があるといったところか。
メイドは自分も濡れて寒いはずなのに、エリーゼを抱えて屋敷へ連れていく。
メイドたちはすっかり青ざめた表情で、必死にエリーゼの体を拭き温めた。
気性の荒い主人たちを恐れるあまりに普段はどうしようも出来ないけれども、彼女たちにもわずかな良心はあったのだ。
数日間高熱にうなされた後、エリーゼは目が覚めた。
しかし、エリーゼを真っ先に助けてくれたメイドは解雇されていた。
エリーゼの面倒をみたため、夫人の機嫌を損ねたからだろう。
無事に回復したエリーゼだったが、あのメイドに申し訳なさを感じると共に、夫人とニーナに対するやるせない気持ちも抱えることになった。
それからしばらくして、誰もあのメイドのことを口にしなくなった頃に、エリーゼは師匠に救われてあの家から逃げ出せた。
あの時は運良く助かっただけで、もしかすれば死んでいたかもしれない。
エリーゼとしては見たくない記憶の中の頂点にあるような出来事だ。
(どうして、こんな記憶を見せるの)
この魔法書が、創造者であるルディの遺志が、エリーゼに何を聞いているのか、実のところエリーゼには既に分かっていた。
彼らに復讐するのか。
エリーゼを苦しめ、傷つけた彼らに、ナタリアと同じように復讐に命を燃やすのかどうかを、魔法書に問われているのだ。
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