14 / 65
14 おばあ様の家
しおりを挟む
「アリス、待っていましたよ」
エントランスで、おばあ様は温かく迎えてくれた。
彼女は、お母様のお母様。ギルツ家は代々、女性が当主を務める家だ。そのため、ラウル様との婚約も、婿入りが条件になっている。そういえば、彼は長男なのにいいのだろうか。
「いろいろあって疲れたでしょう。ゆっくり休むといいわ」
おばあ様は不思議な力を持っているため、私の部屋の惨状も、学園を抜けて来たのも、ご存知のはずだ。
それでも、私が話すまでは、何も聞かずに待ってくれる。その心遣いが嬉しい。
「ありがとう、おばあ様」
次に、私の後ろに控える護衛に目を向け、おばあ様は柔らかく微笑んだ。
「孫がお世話になっています。あなたたちも、一息つくと良いでしょう」
「恐悦至極に存じます」
護衛たちは、深々と頭を下げた。
彼らは常に気を張っているので、適度な休憩が必要だ。おばあ様の計らいで別室待機となったから、気兼ねなく、くつろいで欲しい。
私とおばあ様は、応接間へ移動した。
「お嬢様のために、ご用意しておりました」
メイド長がそう言って、温かい紅茶と、甘いお菓子を出してくれた。頭が糖分を欲していたので、とてもありがたい。おそらく、日頃使わない思考回路を酷使したせいだろう。
「嬉しい! ゴーフルとタルト、揚げ菓子もあるの!?」
ジャムやフルーツも用意され、味に変化をつけた多種多様なお菓子が並ぶ。全て小さめに作ってあるので、全種類制覇できそうだ。見た目も可愛いので、ウキウキが止まらない。
「たくさんお食べなさい。まだまだ、これからよ」
「え?」
何か予定があっただろうか。
それとも、おかわりがあるという意味だろうか。
おばあ様はニコニコするばかりで、答えてくれそうにないから、遠慮なくいただく。
もしも、家の手伝いをしろということならば、頑張って働こうではないか。数日はご厄介になるつもりだから。
「……美味しい! いくらでも食べられます!」
「そう。口に合って良かったわ」
おかしな一日だが、ようやく落ち着いた。
まだ午前中だというのに、ものすごい疲労感だ。
「改めて、婚約おめでとう。あなたも、そんな年頃になったのね」
感慨深そうに、おばあ様が仰った。私としては、絶賛トラブル中の案件なので、心中は複雑ではあるが、お礼を述べねばならない。
「ありがとうございます。お祝いにいただいたブーツ、すごく履きやすいです」
そう、婚約祝いの品が、ショートブーツだった。街歩きに便利だし、制服にも合うデザインなので、今も履いている。とても気に入っているが、婚約祝いとしてはどうなのだろうと、多少の違和感があった。
「よかったわ。誂えたのは五足だけれど、足りたかしら? 走りやすいように、ヒールを低くしてもらったのよ」
「走る?」
私は運動部ではないし、自宅で運動するにしても、専用の靴は何足も用意してある。護衛が守りを固めているので、悪漢から逃げる場面が来るとは考えにくい。
「懐かしいわ。フランソワに、追いかけられた日々が」
そう言うと、今は領地にいらっしゃる、おじい様の肖像画を見て目を細めた。
「はあ」
幼なじみだったとは聞いていないが、おじい様と追いかけっこをしたのだろうか。
(私にもしろと? この歳で?)
付き合ってくれそうな遊び相手は、私にはいない。
もしかして、自分の子どもと遊べるようにとの、随分と気の早い贈り物なのだろうか。
それはそれで、プレッシャーだ。
おばあ様は、ニッコリ笑う。
「気の済むまで、お逃げなさい」
「……何から逃げろと」
「ふふふ。心の赴くままに動いていいのよ」
遊びの話ではないのか。
おばあ様の意図が読めない。
でも、その言葉は新鮮な風となって、私の常識を揺さぶった。普通の大人は「辛くても我慢しろ」とか、「弱い自分に負けるな」と、子どもが困難から逃げることを禁じるのに。
(……逃げてもいいの?)
おばあ様の言葉を噛み締めた時、義務感や責任感で雁字搦めになっていた私の心に、僅かな遊びの部分を生んだ。
この隙間が、「しなくてはならない」から「してもいい」へと、思考形態を塗り替えていく。
振り返ってみれば、お父様に「彼と婚約をしなくてはならない」と言われたとき、最初に感じたのは『反発』だった。
もしも、「彼と婚約してもいいよ」と言われたら、興味を持てたし、前向きな気持ちで検討したかもしれない。
強制から任意への意識改革は、心に劇的な変化をもたらした。例え、決定事項だったとしても、言葉の使い方ひとつで、受け取り方が変わるのか。
意地になった私は、物事の本質を見落として来たのかもしれない。固定概念を取り払ったら、それらを失わずに済むだろうか。
(婚約の件も含めて、もう一度、真っ新な心で、見つめ直してみよう)
固く決意したその時、玄関が賑やかになった。
「御免! 私は、騎士団のラウル・トゥイナと申します! アリス殿に、お目通りを願いたい!」
エントランスで、おばあ様は温かく迎えてくれた。
彼女は、お母様のお母様。ギルツ家は代々、女性が当主を務める家だ。そのため、ラウル様との婚約も、婿入りが条件になっている。そういえば、彼は長男なのにいいのだろうか。
「いろいろあって疲れたでしょう。ゆっくり休むといいわ」
おばあ様は不思議な力を持っているため、私の部屋の惨状も、学園を抜けて来たのも、ご存知のはずだ。
それでも、私が話すまでは、何も聞かずに待ってくれる。その心遣いが嬉しい。
「ありがとう、おばあ様」
次に、私の後ろに控える護衛に目を向け、おばあ様は柔らかく微笑んだ。
「孫がお世話になっています。あなたたちも、一息つくと良いでしょう」
「恐悦至極に存じます」
護衛たちは、深々と頭を下げた。
彼らは常に気を張っているので、適度な休憩が必要だ。おばあ様の計らいで別室待機となったから、気兼ねなく、くつろいで欲しい。
私とおばあ様は、応接間へ移動した。
「お嬢様のために、ご用意しておりました」
メイド長がそう言って、温かい紅茶と、甘いお菓子を出してくれた。頭が糖分を欲していたので、とてもありがたい。おそらく、日頃使わない思考回路を酷使したせいだろう。
「嬉しい! ゴーフルとタルト、揚げ菓子もあるの!?」
ジャムやフルーツも用意され、味に変化をつけた多種多様なお菓子が並ぶ。全て小さめに作ってあるので、全種類制覇できそうだ。見た目も可愛いので、ウキウキが止まらない。
「たくさんお食べなさい。まだまだ、これからよ」
「え?」
何か予定があっただろうか。
それとも、おかわりがあるという意味だろうか。
おばあ様はニコニコするばかりで、答えてくれそうにないから、遠慮なくいただく。
もしも、家の手伝いをしろということならば、頑張って働こうではないか。数日はご厄介になるつもりだから。
「……美味しい! いくらでも食べられます!」
「そう。口に合って良かったわ」
おかしな一日だが、ようやく落ち着いた。
まだ午前中だというのに、ものすごい疲労感だ。
「改めて、婚約おめでとう。あなたも、そんな年頃になったのね」
感慨深そうに、おばあ様が仰った。私としては、絶賛トラブル中の案件なので、心中は複雑ではあるが、お礼を述べねばならない。
「ありがとうございます。お祝いにいただいたブーツ、すごく履きやすいです」
そう、婚約祝いの品が、ショートブーツだった。街歩きに便利だし、制服にも合うデザインなので、今も履いている。とても気に入っているが、婚約祝いとしてはどうなのだろうと、多少の違和感があった。
「よかったわ。誂えたのは五足だけれど、足りたかしら? 走りやすいように、ヒールを低くしてもらったのよ」
「走る?」
私は運動部ではないし、自宅で運動するにしても、専用の靴は何足も用意してある。護衛が守りを固めているので、悪漢から逃げる場面が来るとは考えにくい。
「懐かしいわ。フランソワに、追いかけられた日々が」
そう言うと、今は領地にいらっしゃる、おじい様の肖像画を見て目を細めた。
「はあ」
幼なじみだったとは聞いていないが、おじい様と追いかけっこをしたのだろうか。
(私にもしろと? この歳で?)
付き合ってくれそうな遊び相手は、私にはいない。
もしかして、自分の子どもと遊べるようにとの、随分と気の早い贈り物なのだろうか。
それはそれで、プレッシャーだ。
おばあ様は、ニッコリ笑う。
「気の済むまで、お逃げなさい」
「……何から逃げろと」
「ふふふ。心の赴くままに動いていいのよ」
遊びの話ではないのか。
おばあ様の意図が読めない。
でも、その言葉は新鮮な風となって、私の常識を揺さぶった。普通の大人は「辛くても我慢しろ」とか、「弱い自分に負けるな」と、子どもが困難から逃げることを禁じるのに。
(……逃げてもいいの?)
おばあ様の言葉を噛み締めた時、義務感や責任感で雁字搦めになっていた私の心に、僅かな遊びの部分を生んだ。
この隙間が、「しなくてはならない」から「してもいい」へと、思考形態を塗り替えていく。
振り返ってみれば、お父様に「彼と婚約をしなくてはならない」と言われたとき、最初に感じたのは『反発』だった。
もしも、「彼と婚約してもいいよ」と言われたら、興味を持てたし、前向きな気持ちで検討したかもしれない。
強制から任意への意識改革は、心に劇的な変化をもたらした。例え、決定事項だったとしても、言葉の使い方ひとつで、受け取り方が変わるのか。
意地になった私は、物事の本質を見落として来たのかもしれない。固定概念を取り払ったら、それらを失わずに済むだろうか。
(婚約の件も含めて、もう一度、真っ新な心で、見つめ直してみよう)
固く決意したその時、玄関が賑やかになった。
「御免! 私は、騎士団のラウル・トゥイナと申します! アリス殿に、お目通りを願いたい!」
76
お気に入りに追加
570
あなたにおすすめの小説

愛しの婚約者に「学園では距離を置こう」と言われたので、婚約破棄を画策してみた
迦陵 れん
恋愛
「学園にいる間は、君と距離をおこうと思う」
待ちに待った定例茶会のその席で、私の大好きな婚約者は唐突にその言葉を口にした。
「え……あの、どうし……て?」
あまりの衝撃に、上手く言葉が紡げない。
彼にそんなことを言われるなんて、夢にも思っていなかったから。
ーーーーーーーーーーーーー
侯爵令嬢ユリアの婚約は、仲の良い親同士によって、幼い頃に結ばれたものだった。
吊り目でキツい雰囲気を持つユリアと、女性からの憧れの的である婚約者。
自分たちが不似合いであることなど、とうに分かっていることだった。
だから──学園にいる間と言わず、彼を自分から解放してあげようと思ったのだ。
婚約者への淡い恋心は、心の奥底へとしまいこんで……。
※基本的にゆるふわ設定です。
※プロット苦手派なので、話が右往左往するかもしれません。→故に、タグは徐々に追加していきます
※感想に返信してると執筆が進まないという鈍足仕様のため、返事は期待しないで貰えるとありがたいです。
※仕事が休みの日のみの執筆になるため、毎日は更新できません……(書きだめできた時だけします)ご了承くださいませ。
※※しれっと短編から長編に変更しました。(だって絶対終わらないと思ったから!)

【完結】公爵令嬢は、婚約破棄をあっさり受け入れる
櫻井みこと
恋愛
突然、婚約破棄を言い渡された。
彼は社交辞令を真に受けて、自分が愛されていて、そのために私が必死に努力をしているのだと勘違いしていたらしい。
だから泣いて縋ると思っていたらしいですが、それはあり得ません。
私が王妃になるのは確定。その相手がたまたま、あなただった。それだけです。
またまた軽率に短編。
一話…マリエ視点
二話…婚約者視点
三話…子爵令嬢視点
四話…第二王子視点
五話…マリエ視点
六話…兄視点
※全六話で完結しました。馬鹿すぎる王子にご注意ください。
スピンオフ始めました。
「追放された聖女が隣国の腹黒公爵を頼ったら、国がなくなってしまいました」連載中!

余命3ヶ月を言われたので静かに余生を送ろうと思ったのですが…大好きな殿下に溺愛されました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のセイラは、ずっと孤独の中生きてきた。自分に興味のない父や婚約者で王太子のロイド。
特に王宮での居場所はなく、教育係には嫌味を言われ、王宮使用人たちからは、心無い噂を流される始末。さらに婚約者のロイドの傍には、美しくて人当たりの良い侯爵令嬢のミーアがいた。
ロイドを愛していたセイラは、辛くて苦しくて、胸が張り裂けそうになるのを必死に耐えていたのだ。
毎日息苦しい生活を強いられているせいか、最近ずっと調子が悪い。でもそれはきっと、気のせいだろう、そう思っていたセイラだが、ある日吐血してしまう。
診察の結果、母と同じ不治の病に掛かっており、余命3ヶ月と宣言されてしまったのだ。
もう残りわずかしか生きられないのなら、愛するロイドを解放してあげよう。そして自分は、屋敷でひっそりと最期を迎えよう。そう考えていたセイラ。
一方セイラが余命宣告を受けた事を知ったロイドは…
※両想いなのにすれ違っていた2人が、幸せになるまでのお話しです。
よろしくお願いいたします。
他サイトでも同時投稿中です。

裏切られた令嬢は死を選んだ。そして……
希猫 ゆうみ
恋愛
スチュアート伯爵家の令嬢レーラは裏切られた。
幼馴染に婚約者を奪われたのだ。
レーラの17才の誕生日に、二人はキスをして、そして言った。
「一度きりの人生だから、本当に愛せる人と結婚するよ」
「ごめんねレーラ。ロバートを愛してるの」
誕生日に婚約破棄されたレーラは絶望し、生きる事を諦めてしまう。
けれど死にきれず、再び目覚めた時、新しい人生が幕を開けた。
レーラに許しを請い、縋る裏切り者たち。
心を鎖し生きて行かざるを得ないレーラの前に、一人の求婚者が現れる。
強く気高く冷酷に。
裏切り者たちが落ちぶれていく様を眺めながら、レーラは愛と幸せを手に入れていく。
☆完結しました。ありがとうございました!☆
(ホットランキング8位ありがとうございます!(9/10、19:30現在))
(ホットランキング1位~9位~2位ありがとうございます!(9/6~9))
(ホットランキング1位!?ありがとうございます!!(9/5、13:20現在))
(ホットランキング9位ありがとうございます!(9/4、18:30現在))
拝啓、婚約者様。ごきげんよう。そしてさようなら
みおな
恋愛
子爵令嬢のクロエ・ルーベンスは今日も《おひとり様》で夜会に参加する。
公爵家を継ぐ予定の婚約者がいながら、だ。
クロエの婚約者、クライヴ・コンラッド公爵令息は、婚約が決まった時から一度も婚約者としての義務を果たしていない。
クライヴは、ずっと義妹のファンティーヌを優先するからだ。
「ファンティーヌが熱を出したから、出かけられない」
「ファンティーヌが行きたいと言っているから、エスコートは出来ない」
「ファンティーヌが」
「ファンティーヌが」
だからクロエは、学園卒業式のパーティーで顔を合わせたクライヴに、にっこりと微笑んで伝える。
「私のことはお気になさらず」

手放したくない理由
ねむたん
恋愛
公爵令嬢エリスと王太子アドリアンの婚約は、互いに「務め」として受け入れたものだった。貴族として、国のために結ばれる。
しかし、王太子が何かと幼馴染のレイナを優先し、社交界でも「王太子妃にふさわしいのは彼女では?」と囁かれる中、エリスは淡々と「それならば、私は不要では?」と考える。そして、自ら婚約解消を申し出る。
話し合いの場で、王妃が「辛い思いをさせてしまってごめんなさいね」と声をかけるが、エリスは本当にまったく辛くなかったため、きょとんとする。その様子を見た周囲は困惑し、
「……王太子への愛は芽生えていなかったのですか?」
と問うが、エリスは「愛?」と首を傾げる。
同時に、婚約解消に動揺したアドリアンにも、側近たちが「殿下はレイナ嬢に恋をしていたのでは?」と問いかける。しかし、彼もまた「恋……?」と首を傾げる。
大人たちは、その光景を見て、教育の偏りを大いに後悔することになる。


婚約破棄された公爵令嬢は本当はその王国にとってなくてはならない存在でしたけど、もう遅いです
神崎 ルナ
恋愛
ロザンナ・ブリオッシュ公爵令嬢は美形揃いの公爵家の中でも比較的地味な部類に入る。茶色の髪にこげ茶の瞳はおとなしめな外見に拍車をかけて見えた。そのせいか、婚約者のこのトレント王国の王太子クルクスル殿下には最初から塩対応されていた。
そんな折り、王太子に近付く女性がいるという。
アリサ・タンザイト子爵令嬢は、貴族令嬢とは思えないほどその親しみやすさで王太子の心を捕らえてしまったようなのだ。
仲がよさげな二人の様子を見たロザンナは少しばかり不安を感じたが。
(まさか、ね)
だが、その不安は的中し、ロザンナは王太子に婚約破棄を告げられてしまう。
――実は、婚約破棄され追放された地味な令嬢はとても重要な役目をになっていたのに。
(※誤字報告ありがとうございます)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる