婚約者の態度が悪いので婚約破棄を申し出たら、えらいことになりました

神村 月子

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20 古着屋にて

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(逃げたいから逃げる!)

 街のメインストリートを駆け抜けながら、私は心に決めた。

 それにしても、平日の昼間だというのに男性が多いが、みなさま仕事はいいのだろうか。避けながら走るのも、一苦労だ。
 しかも、彼らは私を、割とガッツリ見てくる。そんなに、女子の走る姿が珍しいのか。

(今は、お店を探さなきゃ)

 この服装は、騎士団に覚えられた。
 着替えなくては、すぐに見つかってしまう。
 既成服を売っていそうな店や、古着屋を探しながら走ると、一軒の店が目に飛び込んできた。

「古着屋、かな?」

 斬新というか、趣味が悪い看板が出ている。若者向けの風変わりな店という印象を受けたので不安になったが、背に腹はかえられない。
 あちこちからの視線を感じながら、ドアを開ける。

「お、お邪魔しまーす」

「いらっしゃいませ~。何をお望みで~?」

 細身のお兄さんが、親しみやすい感じで出迎えてくれた。この人が店主だろうか。

「えと、今すぐ着られる服はありますか? 全身のコーディネートはお任せします」

「ご予算は、いかほどで?」

 おばあ様がくれた財布を覗いて、中身を確認する。このお店では、どのくらいの予算が適当か分からない。

「えーと、銀貨一枚で何とかなりますか?」

「十分でさ~。イメージは?」

 なんとなく、人を値踏みするような、彼のねっとりとした視線に違和感を覚えた。
 でも、今はこの人を頼るしかない。

「私と真逆の方向で。いかにも、街の若者って感じにしてください」

「そうっすねえ。お客さん、いいところのお嬢ちゃんでしょ。なら、いっそのこと男装したらどうっすか?」

 それ、いいかも。
  
「お願いします!」

「じゃあ、下はこれ、上はこれかな~。髪の毛を隠さなきゃならないから、帽子はこれっすね。靴は、そのままでいいっす。そこで着替えられるんで、どうぞ」

「ありがとう」

 さすがはプロだ。
 テキパキと一式揃えてくれた。

 カーテンに仕切られたスペースで、私は変身する。
 野性味あふれる服で驚いたけれど、サイズがピッタリで動きやすい。どこから見ても少年だから、誰も私だと思わないだろう。

 ローズに借りていた服はカバンに入れたが、制服もあるのでギュウギュウだ。シワになりませんように。

「着てみました。どうでしょう?」

 お兄さんにチェックしてもらう。

「いいっすね! 完璧っす!」

 店主は、満足そうに笑った。私は、これで移動しやすくなったと胸を撫で下ろす。
 フーッと息を吐くと、店主の目が光った。
 
「お客さん、訳ありっすか」

「え。ええ、まあ。ちょっと疲れちゃって」

 ぎこちない笑顔で答える。
 思えば、朝からよく動いている。まだ昼過ぎだというのに、疲労感がハンパない。

「疲れに効く、いい物があるっす。初回はサービスなんで、試してみるっすか?」

(うわあ。めっちゃ、胡散臭い)

 いや、ダメだ。
 見た目や先入観で、人を判断してはいけない。

「どんな物ですか?」

「魔法の薬っす。疲れや眠気が吹っ飛ぶし、頭も冴えるっすよ。痩せる薬としても女の子に人気があるっす。悩みもなくなるくらい、楽しい気持ちになれるっすよ」

 見た目や先入観も、時には信じよう。
 授業や講演会で、「こんな風に誘われたら注意しなさい」と言われたセリフそのままだ。 
 魔法の薬とやらは、おそらく魔薬だろう。

「えーと、私には必要ないかな。一時的に忘れても、問題は解決しないもの」

「でも、お客さんは今、逃げているんでしょ? 同じことっすよ。ツライ思いして逃げるのと、ハイになって忘れるのと、どっちを選ぶかって話っす。俺は、楽しい方がいいっすけどね」

 それは違う。
 私は、健康的に逃げたい。

「今から試してはどうっすか?」

 やけに勧めてくる。
 魔薬には、よくない副作用があるはずだ。

「あのー、魔法の薬には、依存性がありますよね? やめられなくなるのは怖いですし、幻覚を見るようになると聞きました」

 その瞬間、店主の雰囲気が一変する。

「……よく知ってるね、お客さん。ついでに言うと、クスリには、そこそこ金がかかるんだな」

 店主の口ぶりが変わった。
 身の危険を感じ、全身から冷や汗が噴き出る。

(これは、あれだ、良くない人だ)

 こちらが本来の姿だとしたら、まずい。
 私を帰す気はなさそうだ。
 気付かれないように、ドアに向かって後退りを始めた。

「……これは、人選を間違えちまったな。いい金づるになると思ったのに、意外にしっかりしてやがる」 
 
(店主が近付いてくる。ヤバイヤバイ)

「あの、私は帰ります。お代はここに置きますね。さようなら!」

 銀貨を置くと、店を飛び出した。

「ええっ!?」

 なぜか、店の外には人だかりが出来ていた。
 これでは、なかなか抜け出せそうにない。魔薬の常用者か、店の利用者かは判断できないが、とにかく邪魔だ。

「すみません! 通してください!」

 声を張り上げると、私がいることに気付いた人たちが、驚いて道を開けてくれた。
 それからすぐに、店のドアが開く。

「女には、他の利用価値がある! あいつを逃すな!」

 店主の声だろう、酷く物騒な内容が聞こえた。

(まずい、まずい!)

 こんな格好をしているから、街の人たちは不良同士のケンカくらいにしか思わないだろう。助けを求めても無駄だと諦め、必死に人をかき分け進む。
 
「おい! お前ら、あの子をどうする気だ!」

 人垣になっていた男性のうちの一人が、問いただしたようだ。

(ええっ!? 助けてくれるの!?)

 声しか聞こえないが、私の知り合いではないはずだ。予想外の展開に、驚きと嬉しさが込み上げる。

「関係ない奴は、引っ込んでろ!」

「俺たちは……」

 小競り合いが起こったようだが、声はもう聞こえない。私が人波を乗り越えて、無事に走り始めたからだ。

 どこの誰かは存じませんが、ありがとう。
 世の中、捨てたものではない。

「アリス殿ー!」

「きゃあ!」

 安心してホッとしたのも束の間、今日はやけによく聞く、あの人の声が後ろから追いかけてきた。
 振り返ると、店の関係者と思われる男たちが走っていて、その後ろに、ラウル様がいた。

(ひいっ! 追手が増えたあ!)

 走る速度を、グンと上げる。
 なぜ、この格好で私だと分かるのだ。
 銀貨一枚かけた、変装の意味とは。

 後ろを確認しながら走るのは、効率が悪い。
 分かってはいるが、気になって振り向いてしまう。
 男たちの声がどんどん近付いてくるからだ。

 俊足のラウル様が追い付き、片っ端から薙ぎ倒しているが、取りこぼした数人の男が、すぐそこまで迫っていた。

(足! お願い! 動いて!)

 前を向いた拍子に帽子が飛んで行き、長い髪が揺れる。彼らに踏まれた帽子のように、いつかは追い付かれてしまう恐怖を思うと、心臓がギュッと縮む。足には自信があったのに、思うように走れない。

(息が、苦しい。もう、無理かも)

 心が折れそうになった時、前方に懐かしい気配を感じた。

「アリス! そのまま走れ!」
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