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痺れる男
しおりを挟む参った、と嘆息して、大橋は視線をさまよわせる。向けられる言葉をまともに聞いていると、耳と心が汚れそうだ――などと繊細ぶる気はないが、気分は悪い。
「一体君は、何を企んでいる」
うんざりしながらイスに腰掛けている大橋は、質問者である新機能事業室の室長に投げ遣りな視線を向ける。藍田の、一応の上司だ。
さきほどから、言葉は違えど同じような質問を繰り返しぶつけられているため、いい加減、口を動かすのも億劫になっていた。
厚手のカーテンまでしっかり引かれ、重苦しい空気に支配された会議室内が、わずかな間だけ静まり返る。微かな空調の音が、やけに耳障りだった。
「ですから、わたしはただ、煩雑な仕事を効率的に進めるために、二つのプロジェクトを合同にしたほうがいいと判断しただけです。この点については専務にも事情を説明して、ご理解はいただいています」
「だったらなぜ、プロジェクトを任された時点で、そう提案しなかった」
最初から提案したところで、まともに取り合ってはもらえなかっただろう。専務が話を聞く気になったのは、大橋が社内改革のために動き回り、若手の社員たちを煽っているという噂のおかげだ。
当初は周囲の人間が盛り上がっているだけの話だったが、今は違う。社内改革そのものにさほど興味がないのは変わっていないが、何かしでかすかもしれない存在として認知される境遇は、利用できる。
例えば、藍田に向けられる敵意の目をいくらか引きつけることができるし、少々のわがままなら、ごり押しできる。大橋に暴走されると、社長を始めとした本社の重役たちは困るのだ。
予想外だったのは、大橋より先に、いくつかの部署の責任者が暴走したということだろう。緊急会議だと言われてこの会議室に呼ばれたのだが、すでに着席していた面々を見た大橋は、回れ右して引き返したくなった。どう見ても、冷静な話し合いができる面子と空気ではなかったからだ。
そして大橋の予想は、嫌な意味で的中した。
「それは、過去に例のないプロジェクトを任されて、わたしとしても手探りの状態で仕事を進めなくてはならず、そこまで気が回らなかったからです。ですが、仕事の準備を整えていくうえで、どうしても、藍田副室長のプロジェクトと連携しなくてはならない面も出てきまして――」
「だからといって、合同でなくてはならない理由にはならんだろう」
「合同はいけないという理由にもならんでしょう」
大橋が即答すると、藍田の上司が目を剥く。反論されるとは思っていなかったらしい。
こんな男が上司なら、藍田の奴も苦労するだろうなと、つい同情してしまう。幸か不幸か、大橋の上司である部長はこの場にはいない。もともと管理部門は、今回のプロジェクトでの影響はあまりないと言われているため、大橋以上に不精者な部長は、安穏としたものだ。
管理部門内で反発の声が上がるとすれば、営業部門と結びつきが強い部署か、プロジェクトに関わる人間に個人的に思うところがあるか、だ。
「だったらまず、プロジェクトを合同にする理由を、資料とともに明確に提示すべきだ」
「誰に対してです?」
ここで口々に怒声が上がり、大橋は辟易する。さきほどからこの調子で、理論的に会議が進まない。
「……俺は、吊るし上げられてるのか……」
顔を背けながらぼそりと呟くと、それが聞こえたのか、側に座っている男に睨みつけられた。確か、マーケティング本部の数ある営業部の一つの部長だったはずだ。肩書き上は大橋より上なのであまり失礼な態度も取られない。
姿勢を正すと、改めて、集まっている男たちの顔を眺める。整然とテーブルが並ぶ中、大橋がついているテーブルだけが、全員と向き合うような形で最前列に置かれているため、会議室にいる全員の視線が全身に突き刺さっていた。
神経が細い人間なら、顔も上げられず、この場から逃げ出すところだ。できることなら大橋もそうしたいが、肩にのしかかる責任感や諸々の感情のため、実行に移せない。
何より大橋は、心底ムカついていた。忙しい中、一方的な理由で呼び出された挙げ句、二十人近い人間に取り囲まれ、不意打ちのように糾弾されているのだ。
いままでの大橋なら、イスを蹴って立ち上がってもいいものだが、心の支えがあった。
この場に呼ばれたのが藍田でなくてよかった、という妙に面映い気持ちのおかげだ。
大橋以上に敵を作っている藍田に対する攻撃の激しさは、この状況の比ではないだろう。何より藍田は、本人の自覚なく、他人の感情を逆撫でるところがある。
関わるなと藍田に言われながら、それでも藍田の心配をする自分は健気だと、大橋はまじめに思う。健気すぎて、愚かでバカだ。
こんなにも、同性の同僚に純粋な想いを傾けて、何を求めているのか。胸を掻き毟りたくなるような狂おしい気持ちが込み上げてきて、大橋は慌てて咳き込む。だが、胸の奥で蠢く熱い塊を吐き出すことはできない。とっくに、大橋の胸に根を張ってしまったらしい。
「――プロジェクトを合同にするという件に関しては、役員会議とまではいかなくても、部門会議にかけるべきだ」
その言葉に我に返り、大橋は必要以上にきつい口調で応じた。
「必要ありません」
「そんなことは我々が決める」
「我々って……」
集まっている責任者の大半は、営業部門の人間だ。それに、偶然なのか、意図して集められたのか、マーケティング本部の営業部の人間が多い。
マーケティング本部といえば――。
「高柳本部長か……」
自信が漲りすぎて鼻につく、強面の男の存在を思い出し、大橋は顔を歪める。高柳が、藍田に何かしらのプレッシャーをかけていたことや、事業部の統廃合に強硬に反対していることを知っている。
そんな男がこの場にいないということが、かえって疑惑を深める。
「すでに専務から許可はいただいているのに、いまさら部門会議を開いてどうするんですか。今回のプロジェクトが成功するか否かは、どれだけ時間を有意義に使えるかにかかっているんです。部門会議のために資料を作って、そのための時間を割いて……。とにかく、そんなことのために、わたしたちは部下を使うことはできません」
「だが、必要な手順だ」
「……誰にとって?」
我々にとって、と臆面もなく言い放たれたときには、さすがの大橋も脱力する。論議を交わすのはいい。だが、こうも前進のない話し合いの場にいることは、とにかく疲れる。
相手が何を求めているかはわかっているのだ。
合同プロジェクトの話はなかったことにするのはもちろん、事業部の統廃合に関しては、最大限の配慮をしろともいいたいのだろう。そうでなければ、無茶な要求を突きつけてプロジェクトの進行を妨げるといったところだ。
藍田のプロジェクトが進まなければ、必然的に大橋のプロジェクトも完璧なものにはならない。本社を移転したときの社内の混乱ぶりが容易に想像でき、さすがに背筋に冷たいものが駆け抜けた。
この場をどうやって丸く収めて抜け出すべきかと、大橋が真剣に考え始めたとき、会議室のドアがノックされた。
「まだ誰か来ることになっていたのか?」
責任者の一人の口からそんな声が上がる。立ち上がったのは、新機能事業室の室長だった。よほど秘匿の会議らしく、この会議にはお茶を入れる秘書どころか、議事録を記録する社員すらいないため、立派な肩書きを持つ誰かが動かざるをえない。
「――ここにいらっしゃったんですか、室長」
凍りつきそうなほど冷ややかな声が耳に届き、腕を組んでいた大橋は驚きに目を見開いたあと、慌てて姿勢を戻す。ぎこちなく視線をドアに向けると、新機能事業室の室長と副室長――藍田が向き合っていた。いや、対峙しているといっていい雰囲気だ。
久しぶりに、こんな藍田を見た。
大橋は目を見開き、会議室にやってきた藍田を凝視する。
「君が、どうして……」
「プロジェクトを合同にする件での話し合いでしたら、わたしが出席しないわけにはいかないでしょう。それとも、わたしがいると何か不都合がおありですか?」
藍田は、何もかもが冷たく凍っていた。声も、表情も、眼差しも。この状況で不謹慎だが、藍田のその冷たさに、大橋は痺れてしまう。
見事に、心を射抜かれていた。
自分の上司の返事など求めていないといわんばかりの不遜さで、藍田はズカズカと会議室に入ってきて、大橋の隣に立った。
「――……しっかりしろ。見世物になった虎みたいな情けなさだ」
見下ろされながら藍田に小声で言われ、思わず笑ってしまう。
九官鳥といい、藍田の例えは的確なのかピントがズレているのか、微妙なところだ。
「どういう例えだよ、お前……」
藍田は表情を綻ばせるどころか、唇を一度引き結んでから、冷めた視線で会議室内をゆっくりと見渡した。まるで、集まっている人間の顔を記憶に刻み込むように。最後に、ドアの前にまだ立っている自分の上司を一瞥した。
「席にお戻りになったらどうです。みなさん、お忙しい身でしょうから、手早く済ませましょう」
会議室内が騒然とするが、藍田は気にもかけていない。淡々とした口調で大橋に問いかけてきた。
「それで、どこまで説明したんだ」
「……俺がどうして、プロジェクトを合同にしようと考えたのか。あと、専務から承認は得ていること。プロジェクトの合同にするという件に関しては、お前の返事は――いまだ保留になっていることも」
「この場にいる方々の意見は?」
大橋は端的に、この場にいる責任者たちの言い分を説明したが、藍田の表情はピクリとも動かなかった。おそらく見当はついていたのだろう。
それより大橋が気になったのは、なぜ藍田は、この会議室がわかったのかということだ。大小の会議室から、簡単な打ち合わせで利用するミーティング室まで、この程度の人数が集まる場所など社内にいくらでもあるのだ。藍田の落ち着きぶりからして、まっすぐこの会議室にやってきたように見える。
「おい、藍田、どうして俺がここにいるとわかった――」
「そんなことは後にしてくれ。とりあえず、この状況をさっさと切り上げる」
〈切り抜ける〉ではなく、〈切り上げる〉と言い切った藍田に、再び大橋は痺れてしまう。表面上の冷たさとは裏腹に、その言葉から藍田の熱さを感じていた。
大橋が見上げながら注ぐ眼差しに気づいた様子もなく、藍田は白く冴えた横顔を見せている。不思議な感覚だった。これまで大橋は、藍田のバリアーになると言い張り、多少はその役目を果たしているつもりだった。同性である藍田を庇護している気になっていたのだ。
だが今は――。大橋に向けられる攻撃の矢面に立とうとしているのは、傲然として冷ややかな、その藍田だ。
「――説明不足だったことは、みなさんに謝罪いたします。わたしとしても、大橋部長補佐からのプロジェクトを合同したい旨の申し出を受けてから、対応を考えている最中でしたので、お知らせするのが遅くなりました」
藍田が頭を下げたのを見て、大橋は舌打ちを寸前で堪える。
プロジェクトを合同にするという話は大橋が一人で突っ走ったことなので、藍田が頭を下げる必要はないのだ。そもそも、こんなことで頭を下げる藍田を、大橋は見たくなかった。
「まあ……、そんなことだと思ったよ。大橋部長補佐の独断で動いたことだということは」
口を開いたのは、マーケティング本部の企画部長の一人だ。藍田の眼差しがひときわ鋭くなり、微かに目を細めた。その反応の意味は、大橋にはわからない。
「独断は独断ですね。わたしも突然聞かされたときは驚きました」
「だったら、今回の騒動の責任をはっきりさせるために、部門会議を開くべきだと思うんだが。そこで改めて、大橋部長補佐のプロジェクトを合同にするという提案について審議するべきだし、そもそも、彼の越権行為は問題だ」
カッとした大橋は反射的に立ち上がろうとしたが、すかさず藍田に足元を蹴られて、イスに座り直す。
何事もなかった顔をして藍田が言った。
「大橋部長補佐が行った越権行為というものを、具体的に言っていただけますか。わたしは把握していないものですから」
一瞬にして会議室内が静まり返る。大橋としては、藍田に代わってトラブルを処理したことを言われるのではないかと内心ヒヤヒヤしたが、この場にいる人間たちは把握していないらしい。指摘されたところで、専務の指示を受けて行動したことなので、責任を取るという話にはならないはずだ。
「――わたしにしてみれば、あなた方がなんの権限があってこのような場を設け、大橋部長補佐一人を呼んで弾劾裁判のようなことをしているのか、そちらのほうが気になります。こういうことを、越権行為と言うのではありませんか?」
「しかし、プロジェクトを合同にするという話は、看過できんっ。そんな提案をすること自体、打算が働いていると思われても仕方ないはずだ」
「心配はご無用です」
淡々とした表情と口調で言い切った藍田に対して、一斉に反論の声が上がる。誰が何を言っているのか聞き取ることが不可能なぐらいだが、藍田は最初から、個人の言い分など相手にしていなかった。
ずっと藍田を見上げていた大橋は、次の瞬間、思わずドキリとしてしまう。
目の前で藍田が、鮮やかな笑みを浮かべたからだ。
「大橋部長補佐に越権行為などというものがあったとしても、わたしがしっかり監視いたしますし、そんなことは許しません」
正直、藍田の表情に見惚れてしまい、藍田の口から出た言葉の意味を理解する余裕が、大橋にはなかった。
「それは……、どういう意味だ」
「あなた方がそこまで大橋部長補佐の影響力や野心を警戒されるなら、やはり、わたしと彼のプロジェクトを合同にして、身近でわたしが監視するほうが安心だということです。わたしとしても、彼が勝手な行動を取らないか、常にチェックできますし。合同プロジェクトであれば、発行する書類のすべてを互いに共有して、情報も管理できる。仕事上の連携も必要となるでしょうし、こうするのが一番合理的で、安全です」
大橋は、自分がゆっくりと驚愕の表情を浮かべていくのを感じていた。藍田がまさか、こんなことを言い出すとは思いもしなかったのだ。
プロジェクトを合同にする。藍田は鋭い矢を放つように、そう言ったのだ。言葉はもっともらしく丁寧だが、これは、この場にいる人間に対する宣戦布告も同然だ。
当然のように凄まじい怒りの声が上がったが、藍田は動じない。ただ驚いて目を見開いている大橋より、よほど肝が据わっている。わかってはいたが。
「なんの権利があって、そんな横暴をっ……」
「横暴? これは、プロジェクトの一環ですよ。より良い環境を整えて仕事を進めるというだけです。専務にも許可をいただいているとのことですし、なんら問題はないと思いますが」
薄い笑みとともにそう言った藍田が、次の瞬間には無表情となる。
「それでもわたしたちが信用ならないとおっしゃるなら――管理室室長の宮園さんに顧問をお願いしましょう」
こいつは飛び道具をいくつ持っているんだ。
ようやく驚きが去り、大橋は頼もしさすら感じながら藍田を見つめる。このとき自分がどんな眼差しを向けていたのか知らないが、こちらをちらりと見た藍田が、急にうろたえたように視線を逸らした。白い横顔に、わずかに赤みが差す。
「大橋部長補佐の暴走を心配されるあなた方なら、喜んでこの提案に賛同していただけるはずだと思っています。宮園室長には、この会議室を訪ねる前に説明させていただき、前向きなお返事をいただいておりますから、ご心配なく」
この時点で、会議室にいる人間の中に、藍田の話に異論を唱える者はいなくなっていた。
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