サプライズ~つれない関係のその先に~

北川とも

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図太い男1

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 東京支社に向かうタクシーの中で、大橋は隣に座る藍田の存在を全身で意識していた。
 控えめに視線を向けると、藍田はシートに深く体を預けて目を閉じている。静かで端整な横顔からは、単に目を閉じているだけなのか、居眠りをしているのか読み取ることはできない。

 ここぞとばかりに大橋は、藍田を眺め続ける。空港で出会ったときは、紙のように真っ白な顔色をしていたが、今は血色も戻っており、いつもの藍田だ。ただ、目の下の隈だけは、誤魔化すことはできない。これはこれで、藍田の迫力が増して見えるが。
 空港で朝食をとったあと、楽だから、という一点を強調して、藍田をタクシーに引き込み、こうして一緒にいる。
 別に、利便性や合理性のみを考えて、大橋は藍田とともに東京支社に向かっているわけではない。東京支社に深読みさせる必要があるのだ。二人が行動をともにする意味を。

 大橋は、藍田の横顔を見つめながら、こう思わずにはいられなかった。昨夜のうちに大橋がどんな行動を取ったか知れば、藍田は怒り狂うだろうか、と。
 いや、怒るのは確実だ。余計なことをするな、という怒声すら容易に想像できる。だが、大橋は行動せずにはいられなかった。藍田のバリアーになると宣言した言葉が、この何日かで急速に重みと切実さを増してきているのだ。
 藍田を抱き締めたときの光景を思い出し、シートの上で大橋は身じろぐ。すると前触れもなく、目を閉じたまま藍田が言った。

「雨の降りが強くなってきた……」
「あっ?」

 頭の中を読まれるわけでもないのに動揺した大橋は、間の抜けた声を出す。藍田はゆっくりと目を開き、ウィンドーのほうに顔を向けた。つられて大橋も身を乗り出し、藍田と同じウィンドーから外を見る。
 空港を出たときは小振りだった雨が、今は少し勢いを増してきたようだった。

「本当に台風、こっちに向かってきているんだな」
「……そうなのか?」
「直撃コースだと言っていた」

 思わずため息を洩らした大橋を、振り返った藍田が驚いたように軽く目を見開いたあと、何事もなかったように無表情に戻る。一方の大橋は、振り返った藍田の顔が予想外に近くにあったため、さらに動揺しながら、それでもぎこちなく体を戻した。

 自然体でいようと思っても、条件反射で藍田に反応してしまうのが、我ながら忌々しい。俺は緊張感が足りないのかもしれない、と大橋は腕組みしながら考え込む。
 同じ飛行機に藍田が乗ると知ってから、実はあまり、仕事のことを考えていない。やるだけのことはやったので、いまさらトラブル云々で気を病んでも仕方ないのだが、それでも、もう少し緊張してもいいのではないかと、自分で自分が心配になる。
 考えるのは、藍田とどう接すればいいのかということだけだ。今のところ大橋の中では、それが最重要案件だった。

 ラジオすらつけられていないタクシーの車内で、雨音だけでは間がもたないと考えた大橋は、脈絡のないことを問いかけた。

「――藍田、帰りの飛行機の予約は入れてあるか?」
「ああ。帰りが何時になるかわからないから、余裕を持って最終便の予約を取った」
「だったら、帰りも仲良く一緒だな」

 すかさず藍田から、痺れるほど冷たい眼差しを向けられる。大橋は苦笑するしかない。

「仕方ねーだろ」
「……何も言ってないだろう」
「迷惑だ、と思ったんじゃないのか」

 さあな、というのが藍田の返事だった。なんとも藍田らしい反応に、大橋はわずかに声を洩らして笑ってしまう。ここで会話は途切れた。
 大事を前に、緊張するどころか、やけに気分はよかった。それは、今こうして藍田が隣にいるからだろう。

 雨の中、しばらく走り続けたタクシーが、ようやく東和電器の東京支社のビルに到着する。支社とはいっても、機能的には本社に引けを取らない存在のため、それだけビルも立派だ。オフィス街の中に、堂々とそびえ立っている。
 本社にいる上層部の人間には、このビルの存在すら鼻につくらしいと噂に聞いたことがあるが、大阪本社にも東京支社にも同じぐらい身を置いている大橋には、あまりピンとこない。
 地方支社を点々としながらキャリアを積み上げてきた藍田にとっても、それは同じかもしれない。

 無表情な藍田の横顔を一瞥してから、社員証を首からかけてロビーに足を踏み入れる。雨と湿気のせいでやけに足元が滑り、肌がべたつくが、感じる不快さの原因はそれだけではないだろう。
 大橋は首筋を撫でてから、藍田に声をかける。

「お前は、会う相手にアポは取り付けているのか? 手順を踏まないと、ギャーギャー、ネチネチと嫌味を言われた挙げ句に、待たされることになるぞ」

 この瞬間、藍田はいつもの藍田であると証明するような冷笑を浮かべた。藍田のツンドラぶりには慣れたつもりでいた大橋ですら、一瞬背筋が冷たくなるような表情だ。

「意外にお行儀のいいことを言うんだな、大橋部長補佐」
「……お前、その言い方だと、アポは取ってないのか。というか、俺は紳士だと言ってるだろうが」
「上同士で話は通してある。わたしは、ある社員に会って話を聞いて、しかるべき処置を取るだけだ。審問会ぐらいは開く事態になるだろうが、自業自得だ」

 藍田が会う相手は一体何をしでかしたのかと、大橋は心底知りたくなる。会社を巻き込んだ大きなトラブルなのは、間違いないだろう。
 それに比べれば、大橋が抱えた事案は――やはり大きなトラブルといえる。
 物言いたげな視線を藍田が向けてきたので、大橋はにんまりと笑いかける。

「一緒にするなよ。俺は穏便派なんだ。移転で、本社からこっちに引き揚げる社員の社宅のことで打ち合わせをして、移転に関する作業の報告を受けて、確認して回って、そのついでにトラブルを片付けるだけだ。……ある人間に、ちょっと脅しをかけるんだがな」
「――あんたは物騒だ」
「藍田、お前にだけは、言われたくないぞ……」

 大橋はすぐに笑みを消すと、真剣な顔で藍田と向き合う。何か気の利いたことを言おうと思ったが、結局口から出たのは、こんな言葉だった。

「お互い、苦労するな」
「別に」

 素っ気なく言い切って、藍田はさっさと歩き出す。その後ろ姿を見送ってから大橋は、さて、と小さく声を洩らす。
 藍田はエレベーターに乗って行ってしまったが、大橋は階段を使い、二階にある福利厚生センターに向かう。
 正式名称は東和電器福利厚生センターといい、東和電器の系列会社だ。本来は総務部内の一部署だったものが独立して会社形態を取っており、地方の支社に関しては総務部に社員を派遣するという形で社内業務を行っている。
 東和電器の福利厚生に関することはすべて扱っており、それどころか、東和電器が全国に所有する保養地や研修所を、他企業や一般客に提供する事業までしている。これで維持費を賄うどころか、最近は黒字まで出しているのだから、センター長はやり手だといわざるをえない。

 事前に連絡をしておいた大橋は、カウンターで名乗るとすぐに、応接室へと通される。もとは東和電器の一部署とはいえ、今は立派な会社なので、福利厚生センターのオフィスは来客の対応もしやすいよう、まるで旅行会社のような造りになっているのだ。
 応接室で、新しく借り上げる候補となっている社宅の資料を見せてもらい、多くの社員たちの引っ越しで出てくるであろう問題についても相談する。

 大橋は、機材やシステムの移動・運営に関してはプロではあるが、社員に関わる福利厚生に関しては、大した知識も経験も持っていない。一応、同じプロジェクトに、福利厚生センターから出向してきている社員も加えているが、やはり心もとない。
 そこで、社員の移動に関することはすべて、福利厚生センターに業務委託できないだろうかと考えているのだ。福利厚生センターと人事部ですべて処理してくれると、どれだけ負担が軽くなるか。大橋は、決定事項を社員に通達するだけでいいのだ。
 そんなことを提案すると、センター長は身を乗り出してくる。
 とりあえず問題の一つは、あっさり片付きそうな気配だった。

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