サプライズ~つれない関係のその先に~

北川とも

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辛気臭い男

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 こんな時期に取材を受けさせるなと、表向きは爽やかな笑みを浮かべつつ、大橋は心の中で広報室を罵倒していた。
 ただでさえ抱えている通常業務が忙しいうえに、厄介な『引っ越し』の準備係まで押し付けられたのだ。プロジェクトのメンバーを招集して、それ以外に独自に社員に声をかけ、なんとかプロジェクトとしての形を保てるところまできた。

 昨夜は――正確には今日の明け方まで、仕事をどう進めるか、大まかながら作業の進行表を作っていた。
 全ての部署で古い書類は処分させる。これは基本だ。余計な荷物まで持って、大阪から東京まで移動するのは、物理的にというより、予算的に問題がある。

「経済界にも、今回の発表は少なからず驚きを与えましたが、その辺りでプレッシャーというものはありますか?」

 やけにせっかちな口調の記者の質問に、そうですね、と応じながら大橋は視線を窓の外へと向ける。あえて、取材に同席している広報室室長のほうは見ない。睨みつけられるのはわかっている。
 すでに脚本のできあがっている取材だ。
 会社側としては、大阪から東京への移転構想はあくまで大胆な改革の一つであり、トーワグループの本拠地を東京に据えることで、経営基盤を強化するという姿勢を示したことになる。
 確かに、経済界にある程度のインパクトは与えただろう。あの東和電器がとうとう動いたのだ、と。
 動かざるをえなかった、と人の目に映ってはまずいわけだ。

 たかが『引っ越し』ながら、なかなか事情は込み入っている。目の前の、いかにも知識だけは頭に詰まっていそうな経済誌の記者が、どこまで把握しているのかは知らないが。
 大橋もできることなら何も気づかず、与えられた職務に邁進できればいいのだが、生来、勘は働くほうだし、好奇心も旺盛なのだ。
 おかげで、知りたくもない事情を知ることになった。
 自分ですら気づいたのなら、もう一人、厄介な職務を押し付けられた『奴』の頭にも、とっくに織り込み済みだろう。

「東和電器の歴史的な革新の場面に立ち合うどころか、若輩者のわたしが指揮を執るのですから、もちろんプレッシャーは感じます。でもだからこそ、やり甲斐も感じますし、期待にも添えたいと思っています」

 空々しすぎて、かえって言っていて爽快な台詞のオンパレードだ。
 大橋は苦笑を洩らす代わりに、嫌味なほど自信満々の笑みを浮かべる。すかさず、カメラマンがシャッターを押す。
 多少、能天気な人間を演じているほうが何かと動きやすいという、大橋の計算だ。切れ者すぎると、牽制されるか、反感を買うか。とにかくロクな目に遭わない。

 再び窓の外に目を向けると、澄みきった青空に意識が吸い込まれそうになる。
 気軽な雰囲気のほうがいいからと、明るいミーティングルームで取材を受けているが、こんなに天気のいい日に自分は何をしているんだという気になる。

「それで、今後の進行についてなのですが、業務を続けながらとなると、何かと制約もついて大変ではないですか?」

 まだ質問があるのかと、危うく出そうになった舌打ちを寸前のところで呑み込み、大橋はにこやかな表情で答える。

「まあ、そうですね。わたしもまだ、詳細を聞かされていない部分もあるので、今後どうなるかはわかりません」
「事業部統合で、社内の枠組みが大きく変わるようですから、その点についての配慮も何か考えてらっしゃるようなことは?」
「そうですね、もう一つのプロジェクトと連動できれば、仕事はずいぶんやりやすくなるでしょうね。ただ、あちらのプロジェクトのほうが気苦労は多そうだ――」
「大丈夫です。執行部でも、サポートは惜しみませんし」

 横から口を挟んできたのは、広報室の室長だ。事業部の大幅な統合について、さすがに大橋が意見するのはまずいようだ。
 これ以上危険なことを言われてはまずいと判断したらしく、ここで強引に取材は打ち切られる。大橋はあっさりと解放され、ミーティングルームから放り出された。
 あまりまともにインタビューには答えなかったが、雑誌が出る頃には、広報室室長によって見事な創作が行われているはずだ。その点については大橋は心配していない。

「はー、やれやれ、やっと終わった」

 大きく体を伸ばしてから歩き出した大橋は、スラックスのポケットに手を突っ込む。
 自分がズブズブと、社内の暗部にはまっているのを実感する。だが、面倒だから嫌だと訴える機会は逃してしまった。もっとも最初から、そんな機会を与えられていたのかどうか、甚だ疑問だが。
 エレベーターホールまできて、エレベーターの扉の前に立つ。ちょうどエレベーターが到着したのを知らせる音に続いて、扉が開いた。
 最初にエレベーターから降りてきた人物の顔を見て、大橋は目を丸くする。さすがに、というべきか、相手はいつものように無表情で大橋を見つめ返してきた。

「……よ、よお」

 らしくないことだが、大橋はいくぶん緊張して声をかける。
 声をかけたことが迷惑なのかと問い詰めたくなるほど、エレベーターから降りてきた藍田は無愛想な表情を崩さない。

 いまさら目新しくもないが、やはり辛気臭い男だ。
 いつもなら声もかけず、見て見ないふりをする大橋だが、今はそうもいかない。なんといっても、こんな男でも大橋にとっては唯一の『心の支え』なのだ。
 自分のように上から厄介な仕事を押しつけられ、しかもその仕事は、自分よりも困難ときている。成功しようが失敗しようが、確実に敵を作る嫌な仕事だ。

「お前とは、専務室で顔を合わせて以来だな。これからミーティングか?」
「取材らしい。予定になかったが、どうしてもわたしから話を聞きたいんだそうだ」
「へえ、俺もいままで、その取材だった。お前が任された仕事についても質問されたが、広報室長に余計なことを言うなと、部屋から追い出された」
「――あんたはしゃべりすぎだ」

 きっぱりと、他人の欠点を言ってくれる男だ。
 大橋は唇の端をピクリと動かしてから、負けずに言い返した。

「だったらお前は、愛想がなさすぎる。一日中数字を相手にしてるにしても、お前の場合はひどすぎる」

 憎たらしいことに、藍田は眉一つ動かさない。大橋のほうも、なんで子供のようにムキになっているんだと内心で反省する。
 互いに軽いジャブを交わし合ったところで、大橋は自分がしている腕時計の文字盤を藍田に見せて問いかける。

「取材まで、まだ時間はあるのか?」
「ああ」
「だったら、少し俺につき合え。お前とは一度じっくり、膝を突き合わせて話したいと思っていたんだ」

 藍田は頷かなかったが、嫌と言わなかったということは、OKだということだろう。嫌という意思表示だけはしっかりする男だ。
 ちょうど喫煙ルームが空いているので、そこに二人で入ったが、このとき藍田がわずかに眉をひそめた。
 隣合ってイスに腰掛けると、さっそく大橋は切り出す。

「――他から、もうすでに何か言ってきているんじゃないのか」
「何か?」

 正面を見据えたまま藍田が応じる。向けられている端整を極めたような横顔はピクリとも動かない。
 わかっていてとぼけているのは確かだろうが、大橋はガシガシと頭を掻いてから仕方なく説明する。

「もう社内中の人間が知っている。事業部の統合とはいっているが、実際は廃止のほうが目的だってことは。部署によっては……特に営業部門の不安は強いだろう。だからこそ、数字の温室で生きてるようなお前相手なら、どうとでも丸め込めると考えるバカがいても不思議じゃない」
「新機能事業室の仕事をバカにしているのか」
「……誰もそんなこと言ってねーだろ。というかお前、一年とはいえ俺は先輩なんだから、もう少し柔らかな言葉づかいをしろよ」

 ささやかな抗議をすると、藍田から冷めた視線をちらりと向けられる。

「わたしの記憶では、あんたのところの部下たちは、もっと砕けた言葉づかいで、あんたと接していたと思うが」
「つまんねーこと覚えてやがるな」
「そんなことが言いたいのなら、わたしはもう行くが――」

 立ち上がろうとした藍田の肩を、慌てて大橋は押さえる。

「知り合って十二年経つが、変わらねーな、お前は」

 藍田が入社してきたとき、研修で一時同じ営業部門の仕事をしたことがあったのだ。
 決して大橋は、オフィス企画部一筋でやってきたわけではない。だからこそ営業部門の苦境は理解できるのだ。だが今は同情よりも、どう冷徹に乗り切るかのほうが重要だ。

「……取り付くしまがないというか、なんというか。そんなだと、部下も苦労しているんじゃないか。ただでさえ、お前が任された仕事は敵を作りやすいんだ。お前自身が、うまく立ち回るなんて考えない奴だからな。だからせめて、信頼できる部下を持つために――」
「わたしのバリアーになると言った部下がいる」

 そりゃ物好きな……、と思った大橋だが、口には出さない。しゃべりすぎる大橋でも、言っていいことと悪いことの分別はつけているつもりだ。

「いい部下じゃないか」
「本社が移転を完了させる時期には転職するらしいから、その前におもしろいことに首を突っ込んでおきたいらしい」

 大橋は、ゴホッと咳き込む。そんな話をする部下も部下だが、おそらく藍田は淡々として聞いていたのだろう。容易にその場面が想像できる。

「上司が上司なら、部下も部下で変わっているな」
「あんたに言われたくはない」
「俺は柔軟だからな。つき合いやすい上司だと思われているんだ。お前とは種類が違う」

 ここで藍田が何を思ったのか、薄い唇を歪める。笑っているのかバカにしているのか、実に微妙な表情の変化だ。

「……なんだよ。言いたいことがあるならはっきり言えよ」

 藍田が、ゾクッとするような冷めた流し目を寄越してきた。

「いや、柔軟すぎたから、あんたは二度も離婚を経験したのかと思って」
「あー、あー、どうせ俺は、女を幸せにできない甲斐性なしだ」
「――だが、人望はある。仕事もできる。どういうわけだかな」

 人望もなく仕事ができる人間のほうが、才能としては上だ。大橋は苦々しく顔をしかめてから、ふと視線を喫煙ルームの外に向ける。
 大橋と藍田が話している様子がどんなふうに見えるのか知らないが、喫煙ルームに入ってこようとした社員たちが、二人に気づくと即座に回れ右して引き返してしまうのだ。少なくとも、和やかに談笑しているように見えていないのは確かだ。

 藍田が自分の腕時計で時間を確認してから立ち上がり、まっすぐドアに向かった。
 大橋は、その藍田の後ろ姿に視線を奪われる。身長が高いせいもあるが、すらりとした痩身は姿勢がよく、何者も寄せつけない毅然とした迫力がある。それでいて、人目は引くのだ。
 こいつはこいつで、中身と外見のバランスは取れているのかもな。
 そんなことを漠然と思った大橋だが、急に藍田が振り返ったので、内心慌てる。

「で、あんたの言いたかったことは、結局なんなんだ」
「お前は、俺の心の支えだ」

 大橋の突拍子もない発言に、さすがの藍田も軽く目を見開く。
 いい気味だ、と内心で手を叩きながら、大橋はニヤリと笑いかける。

「俺とお前は、不幸をともにしているんだ。上からとんでもない仕事を押しつけられた、っていうな。だがお前のほうが、不幸の度合いは少しばかり上だ。だから、心の支え、だ」

 怒るかと思われた藍田だが、納得したように頷く。この程度で感情的になっていては、『藍田春記』ではないということか。

「……春なんてノンキな字がついているのに、ツンドラみたいな男だな……」

 大橋は小さく独りごちる。さすがに藍田の耳には届かなかったようだ。

「――それであんたは、わたしの不幸を笑いたいから、ここに連れ込んだのか?」
「俺はそんなにヒマでも、陰険でもねーよ。俺とお前の違いなんて、ほんのわずかなもんだ。俺も、一歩どころか、半歩違えば、お前の立場だ」

 手を組むべきだ、と大橋は告げる。藍田はわずかに眉をひそめた。大橋の話に興味を示した証拠だ。

「潰れても惜しくない中堅として、俺とお前は上に認知されたんだ」
「そうだな」
「だからこそ、上のいいようにならないためにも、俺とお前は手を組むべきだ。共闘だ」
「……あんたの話は物騒だ。今回のことはあくまで、単なる仕事だ」
「本気でそんなめでたいことを考えているのか? 藍田春記ともあろう男が」

 藍田は返事をしないまま、もう一度腕時計に視線を落としてから、喫煙ルームを出ていった。
 一人となった大橋は、腕組みをして首を傾げる。なぜあんなにも熱く藍田に話しかけたのか、自分でもよくわからなかった。
 藍田に合わせて、クールに話すつもりだったのだ。

「まあ、ほいほいと俺の話に乗るような男じゃないのは、わかっているが……」

 大橋も立ち上がり、オフィス企画部に戻る。
 デスクにつくと、待ちかねていたように旗谷が歩み寄ってきた。

「どうでした、取材は?」
「俺の素晴らしい受け答えに、記者の目からウロコだ」
「――まともに答えさせてもらえなかった、というところですか。その口ぶりなら。どうせ、広報室の室長でも同席していたんでしょう」

 まあな、と答えた大橋は頭の後ろで両手を組み、勢いをつけて窓のほうに体の正面を向ける。向かいのオフィスの、空席の藍田のデスクを眺める。

「あら、藍田副室長がいない……」
「あいつも取材だ。途中でばったり出くわしたとき、いつもの仏頂面でそう言ってた」
「でも、写真映りは抜群だと思いますよ」
「……それは認めてやろう」

 藍田の毅然とした後ろ姿を思い返し、大橋は頷く。背後から、旗谷が洩らすクスクスという笑い声が聞こえてくる。
 確かに自分の部下たちは藍田が言う通り、多少上司に対して砕けすぎかもしれない。

「それで、藍田副室長とは、楽しく歓談でもされたのですか?」
「あいつとそんなものができるわけねーだろ。まだ、宇宙人とのほうが見込みがある」
「今度、藍田副室長と会うときがあったら、補佐がそうおっしゃっていたと報告しておきますね」

 大橋はイスの向きを元に戻すと、上目遣いに旗谷を見上げる。昨日、飲みに連れていってくれという誘いを断ったのを、根に持たれているかもしれない。咄嗟に大橋はそう考えてしまった。

「――ズバリ聞くぞ、旗谷。お前は、俺と藍田、どっちの味方なんだ」
「イイ男の味方です」
「女として、ある意味あっぱれな意見だ……」

 大橋は軽く手を振り、仕事に戻れと示す。旗谷は素直に自分のデスクに戻り、パソコンと向かい合う。このときにはもう旗谷の表情は、やり手の主任のものに戻っていた。
 藍田はオフィス企画部を、秩序のない動物園か何かだと思っているのかもしれないが、ケジメはしっかりつけているつもりだ。
 もっとも、大橋は新機能事業室に足を踏み入れたことがあるが、あの、電話も滅多に鳴らない静かな空間で仕事をしていると、確かにここは騒々しすぎるだろう。

「だからといって、閉じこもってばかりはいられないだろ、藍田……」

 大橋はイスの背もたれ越しにもう一度、新機能事業室のオフィスを振り返った。

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