血と束縛と 番外編・拍手お礼短編

北川とも

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番外編 拍手お礼59

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 女の買い物はどうしてこう時間がかかるのか――。
 フロアに置かれたイスに腰掛けた澤村は、傍らに置いたいくつもの袋を一瞥して、ため息をつく。夏のバーゲン真っ最中のデパートは、日曜日ということもあって混み合っていた。
 澤村自身はデパートに用はなく、今日は電器店でオーディオ機器をチェックしてみようかなどと考えていたのだ。しかし、午前中から部屋に押しかけてきた妹にせがまれ、こうしてデパートに同行させられた。もちろん、運転手兼荷物持ちとして。
 日々、大手クリニック勤務の美容外科医として、それなりに多忙をきわめている身としては、休日ぐらい一人のんびりと過ごしたかったのが、正直なところだ。しかし今日に限ってデートする相手もいなかったため、妹のワガママにつき合ってやろうという気になったのだ。
 薄情なもので妹のほうは、一緒に服を選んでやろうかという兄の申し出を一蹴して、一人悠々とショップを見て回っている。おかげで澤村は、すっかり手持ち無沙汰だ。ただイスに腰掛けて荷物番をしているしかないのだから、仕方ない。
 澤村以外にも、うんざり顔でイスに腰掛けた男たちはいて、妙な仲間意識を持ってしまいそうになる。
 歩き疲れたので、昼食はもう適当でいいなと考えていると、当の妹がまた袋を一つ手にして戻ってくる。その顔には満足げな表情が浮かんでいる――とはなっていなかった。
「バッグも欲しかったけど、これ以上買っちゃうと、夏休みに遊びに行けなくなっちゃうー」
「そりゃ残念だったな。まあ、これだけ買えば十分だろ」
 やれやれと思いながら立ち上がった澤村のジャケットの裾を、すかさず妹が掴んでくる。露骨な上目遣いで見つめられ、嫌な予感がした。
「……なんだよ。買い物は済んだんだろ。帰るぞ」
「お兄ちゃん、妹にちょっと出資してやろうっていう気は――」
「おー、バイトをがんばれ」
 まだ学生の妹に甘いという自覚がある澤村だが、無条件に甘いわけではない。散財するなと説教をしようとしたところで、妹がパッと目を輝かせる。
「あっ、地下に行こう。お昼買って帰ろうよ。ついでに、甘いものー」
 妹の切り替えの早さに半ば感心しながら、澤村は腕を引かれるままエスカレーターで地下の食品売り場へと移動する。こちらもうんざりするほど人が多く、澤村は自分の財布から一万円札を取り出すと、妹に押し付ける。
「これで好きなもの買ってこい。俺は、あっちでコーヒーを飲んでくる。……お釣りは返せよ」
 満面の笑みを浮かべた妹が人ごみに紛れて行ってしまうと、澤村は荷物を抱え、地下一階の一角にあるカフェに向かう。
 席は空いているだろうかと思いつつ、人を避けて歩いていた澤村の目の前を、スッと過る人影があった。気づいたのは、たまたまだ。Tシャツにジーンズというラフな格好ながら、やけに見目良い青年がいるなと目で追い、茶色の髪が誰かを連想させ、さらに背格好がよく似ていると感じ――。
 澤村は、反射的に呼びかけていた。
「長嶺くんっ」
 にぎやかな場所にあっても澤村の声は届いたらしく、青年が――長嶺千尋が振り返った。同時に、彼の側を歩いていたワイシャツ姿の男二人もこちらを見る。気圧されるほどの鋭い視線を向けられ、澤村は一瞬怯んだ。
「澤村先生?」
 男たちの間から顔を覗かせた長嶺が、見覚えのある屈託ない笑顔を浮かべる。しかし澤村は、屈託がなさすぎて、かえって芝居がかったものを感じ取ってしまう。それでも、こちらも笑顔で応じた。
「久しぶりです。買い物――ですよね、その荷物」
 側にやってきた長嶺が、澤村の手元に視線を下ろして言う。
「俺じゃなくて、妹の荷物持ちだけどな」
「そんなこと言って、きれいな彼女さんを連れてるんじゃないですか」
 人が行き交う場所で立ち話もできず、自然な流れで一緒にカフェに向かい、コーヒーを買う。
 澤村と長嶺が同じテーブルについたところで、長嶺の側にいた男二人も店内に入ってきたのを見て、内心ぎょっとする。もしかして、と思ったが、やはり長嶺の同行者だったらしい。澤村の戸惑いに気づいたのか、長嶺はなんでもないことのように言った。
「ああ、気にしないでください。俺の家の人間なので」
「……もしかして、誘って悪かったかな。何か用があったんなら――」
「用なんて、大したものじゃないですよ。ただ、冷たいデザートを買おうと思って寄っただけなんです。まさか、澤村先生と会えるなんて思いもしませんでした」
 話す長嶺の様子を、澤村はまじまじと観察する。澤村が知っている長嶺千尋とは、クリニック近くのカフェでウェイターとして働いていた青年で、恵まれた容姿と人懐こい性格で、客に人気があった。特に、澤村のかつての同僚であった佐伯によく懐いていて――。
 ここでハッとした澤村は、テーブルに身を乗り出す。
「確か、佐伯と連絡を取り合って、会ってもいるんだったな。去年、クリスマスの前ぐらいに、一度俺とも会っただろ。ホテルの中のショップで。そのとき、そんなことを言っていた……」
 長嶺の両目に強い光が宿る。一見、どこにでもいそうな青年は、この瞬間、得体の知れない凄みを帯びた男になる。愛想よく笑っているのに、目の奥がまったく和んでいない。二十歳そこそこの青年でありながら、まったく別の存在を中身に押し込んでいるような、不気味な違和感を覚える。
 同時に澤村は、長嶺と一緒にいた男たちが、少し離れたテーブルにつく様子を視界の隅に捉えた。向こうは、しっかりとこちらを見ていた。格好はありふれたワイシャツ姿ながら、男たちの眼差しに隙はない。そもそも放つ雰囲気が鋭すぎる。
 澤村の中で、断片として散らばっていたものが、じわじわと繋がりつつあった。
「――佐伯は、元気にしているか?」
「澤村先生こそ、最近は佐伯先生と連絡取り合ってないんですか」
 こちらの出方をうかがっているなと察したが、澤村は正直に答えた。
「メールのやり取りはしている。とはいっても、俺は海外研修に行ったりしてたし、佐伯のほうもなんだか忙しそうで、そう頻繁にというわけじゃない。電話は……、なんか気を使うんだよな。向こうも、言葉を選んで、俺になるべく情報を与えないように気を使っているのがわかって、かわいそうっていうか」
「かわいそう?」
 一言呟いた長嶺の声は、冷たかった。澤村は気づかなかったふりをする。
「長嶺くんのほうこそ、佐伯とは連絡を取ってるんだろ」
「ええ、まあ……。元気にしていますよ」
「そうか。だったらいいんだ」
 ここで一旦会話が途切れる。澤村は、ストローに口をつける長嶺をこわごわと眺めていた。
 客とウェイターとして顔を合わせていたとき、長嶺と会話を交わすのはたやすかった。だが今は、受け答えに細心の注意を払ってしまう。例えば長嶺に、ウェイターを辞めたあとは何をしているのかとは、聞けなかった。
 ただ、どうしても確認しておきたいことはある。
「本当に、佐伯は〈大丈夫〉なんだろうな?」
 澤村の質問に、長嶺は目を丸くしたあと、ニヤリと笑った。肉食獣めいた、物騒だが魅力的な笑みだった。
「俺、さっき、デザートを買いに来たと言ったでしょう。佐伯先生への差し入れですよ。暑いから、冷たいデザートを喜んでくれるんです、あの人」
「やっぱり、一緒にいる――」
 カフェに、妹が入ってくる。軽く店内を見回したあと、澤村に気づいて手を振ってきた。コーヒーを注文する列に加わるのを見てから、長嶺がカップを手に立ち上がる。
「じゃあ、俺は行きますね」
「……ああ」
「遠慮せず、佐伯先生に連絡してあげてください。あっ、俺と会って話したことは、秘密に。余計な心配をかけたくないから」
 なんの心配なのかと思ったが、それを聞いて長嶺を足止めしたくはなかった。できることなら、妹と長嶺を引き合わせたくない。妙な災厄を引き寄せてしまいそうだ。
「わかった。いっそのこと、今日、俺と君は会わなかったことにしておこう」
 承諾の返事の代わりに長嶺が浮かべたのは、ウェイターをしていた頃に浮かべていた、人懐こい笑顔だった。

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