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番外編 拍手お礼53

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 待ち合わせに指定されたのは、駅から徒歩数分ほどの距離にある商業ビルの前だった。
 大股で横断歩道を渡り終えた加藤は、そこで一旦足を止め、自分の格好を見下ろす。服装はなんでもいいと言われたのだが、その言葉を額面通りに受け止めていいものか考えあぐねた挙げ句、無難にパンツとTシャツを着てきた。もちろん、下品な英単語などが印刷されていない、ごく普通のデザインのものだ。
 腕のタトゥーが見えないよう、Tシャツの袖は五分のものを選んだ。仲間内で騒ぐのなら、こんなことに気をつかわないが、今晩、加藤を誘ってくれた相手は特別だ。顔に泥を塗ったり、恥をかかせるマネは絶対にしたくない。
 時間に少し余裕を持って到着したつもりだが、待ち合わせの相手の姿はすでにビルの前にあった。
 夕方とはいえ、一向に気温が下がらない蒸し暑さだ。せめて冷房の効いているビルの中で待っていてもらってもよかったのに、加藤が見つけやすいようにと考えてくれたのだろう。
 加藤が駆け寄ると、それに気づいた相手――三田村がわずかに目を細めた。
「今日も暑いな」
 こちらから声をかけるより先に話しかけられ、『お疲れ様です』という言葉は口中で行き場をなくす。その代わり加藤は深々と頭を下げた。
「暑いから、さっさと中に入るぞ」
 そう言われて加藤が頭を上げたとき、三田村はこちらに背を向けて歩き出していた。慌ててあとをついていく。
 いつもきちんとスーツを着込んでいる三田村だが、さすがに暑いのか、それとも仕事から離れた時間だからか、ジャケットを腕にかけている。そのおかげで、がっしりとした体つきをしているのだと、改めて認識できる。広い背には独特の存在感が漂っており、なんとなくだが、きっと立派な刺青を入れているのだろうなと想像してしまう。
 実際のところはどうなのか、本人に聞くこともできないし、濃い色の細いストライプのワイシャツを通しては、うっすらとでも透かし見ることもできない。
 三田村とは、中嶋を介して知り合った。これまでに何度か食事を奢ってもらっている。憂さ晴らしに暴言を投げつけられることも、先輩風を吹かされることもなく、他愛ない会話を交わしながら、本当にただ食事をともにするだけだ。その後は、気が抜けるほどあっさりと別れる。
 酒を一緒に飲んだことはない。酔って口が軽くなったら困るだろうと、本気なのか冗談なのかわからないことを言って、三田村は微かな笑みを浮かべた。
 互いの立場や組織の違いを考慮したうえでの、三田村なりの大人の判断なのだろうと、加藤は勝手に判断していた。
 エレベーターに乗り込んで向かったのは、ビル内にあるレストランだった。仕事終わりのサラリーマンやOLの姿が目立っているが、加藤と同年代ぐらいのグループの姿もちらほらとある。三田村が、服装はなんでもいいと言ったのもわかる。
 案内されて外のテラス席につくと、さりげなく周囲のテーブルに目を向ける。皆、にぎやかに飲み食いしており、活気に満ちている。辟易するような暑さなど、ものともしていないようだ。
「今の時期は、ビアガーデンのほうがいいと思ったんだ。ここは肉料理の種類が多いから、若いお前でも腹いっぱい食えるだろうしな」
 無表情で、基本的に考えていることが読めない三田村だが、たまに一緒に食事をする加藤でもわかることがある。面倒見がよく、細やかな気遣いができる人だということだ。
 チンピラに毛が生えた程度の存在である加藤には、チェーン店の居酒屋でも十分すぎるぐらいなのだが、三田村が連れて行ってくれるのはいつも、雰囲気のいい、そして料理も美味い店だった。
 しかも今日は――。
「ビアガーデンということは、今日は一緒に酒が飲めるんですね?」
 念を押すように加藤が言うと、三田村はあっさりと頷いた。
 ひとまずビアガーデンでの夕食となり、加藤は遠慮なく皿にたっぷりの肉料理を盛ってテーブルに戻る。三田村は、加藤が持った皿を見て目元を和らげた。
「やっぱり若いだけあるな」
 ジョッキのビールを半分ほど一気に飲んでから、まず空腹を満たすことを優先する。
 加藤がかつて下っ端として仕事をしていた組では、ありえないことだった。上下関係が厳しく、目上の者が食事をしている間は、決して気を抜くことは許されなかった。
 理不尽に怒鳴られ、八つ当たりをされるのは当たり前で、そんな世界に嫌気が差し、南郷に声をかけられて第二遊撃隊の仕事を手伝い始めた。とりあえず〈チーム〉という形があり、住む場所を提供してもらいながら、いつ抜けるのも自由という緩さがよかったのだ。
 深入りしなければ、手酷い代償を払うことのない、居心地のよい立場だ。しかし加藤は、その居心地のよい立場を自分の意思で捨てた。
 ほとんど食べることはせず、ビールばかりを飲んでいる三田村に、思いきって加藤は尋ねた。
「――……三田村さん、どうしていつも、俺を誘ってくれるんですか? 普通、という言い方は失礼かもしれませんが、自分がいる組の若い者を連れてくるものじゃ……」
「組の若い連中の面倒も見ているつもりだ。もちろんお前を誘うのには、きちんと理由がある。ただ、今日に限っては、違う理由だ。少し遅くなったが、祝ってやろうと思ったんだ」
 一体なんのことか、加藤はすぐにはピンとこなかった。
「えっ……」
「第二遊撃隊に入れたんだろ。もともとそれを目指して、他の奴らと一緒に働いていたんじゃないのか。……チームとか言うんだったか」
 ああ、と声を洩らした加藤は、込み上げてきた複雑な気持ちを、柔らかな肉と一緒に飲み下す。南郷に声をかけられ、チームから第二遊撃隊に引き上げられたのだから、祝ってもらえることかもしれない。実際、チームの人間からは称賛され、羨望もされた。
 しかし加藤自身の気持ちは、嬉しいという感覚とは程遠い。もちろん、仕事に励もうとは思っているし、隊の中で出世したいという欲望もある。
 だが、それらの先にあるのは――。
「お前みたいにギラギラしていない奴のほうが、案外トントン拍子で出世するのかもな。ただ、気をつけろよ。そういう人間を妬んで足を引っ張ろうとする奴は、どの世界にもいる。俺が忠告するまでもなく、頭がいいお前ならわかっているだろうけどな」
 そんなこと、初めて言われた。
 加藤がなんとも言えない顔をすると、三田村は短く息を吐き出した。もしかすると笑い声だったのかもしれない。もっとも目の前の渋い顔は、見事な無表情だ。
 皿の肉を掻き込んだ加藤は、新たな料理を取りに立ち上がる。このときさりげなく他のテーブルへと目を向けたあと、三田村のほうを見る。携帯電話を確認していた。横顔の鋭い雰囲気に、三田村の筋者としての地金が覗いている。どんなに地味な装いをしても、やはり堅気とは違う。
 自分があんな雰囲気を漂わせるようになるのに、どれぐらいかかるだろうかと、加藤はそっと嘆息する。
 テーブルに戻ると、唐突に三田村が切り出した。
「さっきのお前からの質問だが……」
「俺をメシに誘ってくれる理由、ですか? 今日は、俺が隊に入ったのを祝うためだけど、他に理由があるんですよね」
 頷いた三田村が、じっとこちらを見据えてくる。静かな眼差しだが、息苦しくなるような圧迫感があった。
「――中嶋が俺に、お前を紹介したからだ。単なるパシリとして連れ歩いているなら、あいつはお前を、俺の視界に入るところに連れてきたりはしなかっただろう。そうしなかったということは、お前に何かしら価値を見出しているからだ。俺は、中嶋という男を評価している。信用とはまた別の話だがな」
「……よく、わかりません。中嶋さんへの評価が、どうして俺にメシを食わせてくれることに繋がるのか……」
 中嶋にもよく指摘されるが、加藤は一度気になると、突き詰めないと気が済まない。いや、安心できないのだ。相手に鬱陶しがられるとわかっていながら、この性分はどうにもならない。
 三田村は気を悪くしたふうもなく、淡々とした口調で答えてくれた。
「中嶋は、〈うち〉の先生と仲がいい。何かと制約の多い生活の中、中嶋が遊び相手になってくれることで、先生のいい息抜きになっている」
「はあ……」
「長嶺組のテリトリーにいる間はいいんだ。俺たちが守ることができる。だが、総和会会長の側にいるときは、俺たちは何もすることができない。どんな人間が先生を守っているのか知ることもできない。そんな中で中嶋は、長嶺組でも人となりを少なからず把握していて、頼りにしている部分もある。あの男なら総和会の中でも、先生の支えになってくれるとな」
『先生』のことを語る三田村の言葉の端々からは、庇護欲が滲み出ている。そして愛情も。
 加藤は、中嶋と親しい医者の顔を思い出す。いかにも育ちがよさそうで、優しげな面立ちの医者が、中嶋と体を重ねていると聞かされたときは衝撃を受けたが、三田村とも深い仲であると教えられたとき、加藤は、考えることをやめた。自分などが立ち入っていい世界ではないのだと悟ったのだ。
 医者は、中嶋にとって大事な友人であり、出世のために欠かせない人で、三田村にとっては守るべき大事な想い人。必要なのは、その分類だけだ。
 一度言葉を切った三田村が、ぐいっとビールを飲み干す。ジョッキが空になったのを見た加藤は、すぐにビールを注ぎに立とうとして、三田村に手で制された。
「――打算含みだ。俺は、総和会側に使える人脈を作っておきたい。大層な野心があるからじゃなく、ただ、先生の様子を少しでも探りたいからだ。それと、先生にとっての安全な環境を整えてやれる人間が欲しい。一人は、中嶋。その中嶋が、お前を俺に紹介した……」
「俺、まだ下っ端ですよ。隊に入ったばかりで、ロクな仕事はまだ任されてませんし」
「先の話だな。俺がただ先走ってあれこれ考えているだけで、どんなに気を回してもムダになるかもしれない。それならそれでいいんだ。先生が総和会の中でも心穏やかに生活できるというなら」
 静かな口調ながら、三田村の言葉には熱が感じられた。情愛というにはあまりに狂おしい、情念という熱だ。
 ふいに三田村が、射竦めてくるようにじっと加藤を見据えてきた。反射的に加藤は背筋を伸ばす。
「お前は、第二遊撃隊に入って、何をするつもりだ?」
「……何を、って……」
「今日会って、感じたんだ。お前の目つきが変わったと。俺もよく知っている目だ。毎日、鏡を通して見ているからな」
 中嶋は、三田村に何か話しているのだろうかと思った。急にうなじの辺りがざわつくような感覚に襲われた加藤は、格闘技をしていた頃の、試合直前の緊張感を思い出す。
 一歩でも引いては負けると、なぜかムキになって三田村の目を見つめ返し、答える。
「――……俺も多分、三田村さんと同じような理由だと思います」
 三田村は深く問い詰めてはこなかった。そうか、と短く答えると、ふっと眼差しを和らげて立ち上がった。
「ビールを注いでくる。ついでに、お前の分も」
 一気に脱力した加藤は、お願いしますと頭を下げた。

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