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番外編 拍手お礼19

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 少しひんやりとした風が吹き込んでくるたびに、車内に残る淫靡な空気を入れ換えていく。
 シートに身を預けた和彦は、外へと視線を向ける。街灯すらない公園はあまりに暗く、そんな場所を深夜に通りすぎる人の姿はない。好んでやってくるのは、人目を避けたいヤクザの組長のオンナと悪徳刑事ぐらいだろう。
 その悪徳刑事は、駐車場の外に設置された自販機に、飲み物を買いに行っている。
 口直しをしたいのだろうなとぼんやりと思った和彦は、次の瞬間には、露骨すぎる自分の思考に一人でうろたえる。
 車中での濃厚な口づけと、互いの欲望を性急に愛撫し合った余韻を払拭するには、もう少し時間が必要なようだ。まだ体中が熱い。
 なんだか居たたまれない気持ちになった和彦は、思いきって車から降りる。通りに並ぶ街灯の明かりがかろうじて届く駐車場は、それでもやはり薄暗い。ゆっくりと周囲を見回して、ふと、前に鷹津と密会をしたのも、薄暗い駐車場だったことを思い出した。
 別に、もっと人気があって明るいところで鷹津と会いたいわけではないが――。
 あのときも、鷹津と口づけを交わして別れた。生々しい光景が、ふいに感触とともに蘇り、無意識のうちに和彦は口元に手をやる。
「――車の中で待っていろと言っただろ」
 突然、不機嫌そうな声をかけられる。慌てて視線を上げると、片手に二本の缶を持った鷹津がこちらにやってくるところだった。
 投げ渡された缶を受けとめた和彦は、缶と鷹津を交互に見てから、ありがたく奢ってもらうことにする。
 車に乗るよう促すかと思った鷹津だが、当然のように和彦の隣に立ち、缶を開けた。
 和彦は、そんな鷹津の横顔を慎重にうかがっていた。さきほどまで、和彦が放った精を舐めた挙げ句、まるで嫌がらせのように長い口づけをしてきた男は、平然と缶コーヒーを飲んでいる。いまさらながら、よくわからない男だと思った。
 すると、前触れもなく鷹津がこちらを見る。
「飲まないのか?」
「……飲む」
「口をすすぎたいだろうから、お茶にしておいてやったぞ」
 鷹津の言葉に、和彦は横目で睨みつける。芝居がかったような下卑た笑みで返された。
「嫌な男だ……」
「だが、よく働くいい番犬だろ」
「自分で言うなっ」
 和彦はムキになって軽く口をすすいでから、やっとお茶を飲むことができる。火照った体には、冷たいお茶が美味しく感じられた。
 並んで車にもたれかかり、缶に口をつけていると、まるで鷹津と親しくなったようだと錯覚しそうになる。和彦は、すぐ隣に立つ男の存在を意識しそうになり、何事もないふりをしながら距離を取ろうとしたが、鷹津は勘がよかった。
 まるで恋人にするように、和彦の肩に腕を回してきたのだ。
「おい――」
「お前の都合で、餌を我慢してやってるんだ。これぐらい大目に見ろ」
 今、それを言われると和彦は逆らえない。鷹津の腕に抱き寄せられ、体を密着させる。さらに――。
 肩にかかっていた手に喉元を撫でられ、あごを持ち上げられる。眼前に鷹津の顔が迫ってきたかと思うと、唇が重なってきた。この瞬間、胸の奥がズキリと疼く。厄介な欲情の火は、ずっと燻ったままなのだ。
「……やめ、ろ……」
 和彦は小さく声を上げ、鷹津の胸を押しのけようとしたが、熱っぽく唇を吸われているうちに、鷹津のジャケットの襟を握り締める。
「口を開けろ」
 傲慢に命じられ、本気で腹が立った和彦だが、鷹津はどこまでも強気だ。鋭い目で、間近から和彦を見据えてくる。
「――開けろ」
 仕方なく言われた通りにすると、熱い舌を口腔に押し込まれ、粘膜を舐め回される。さきほど味わったばかりだというのに、そうされると和彦は感じてしまう。疼きが腰から這い上がり、足元が乱れる。
「んっ……」
 手に持っていた缶から意識が逸れ、地面に落ちる。勢いを得たように鷹津が体を車に押さえつけ、本格的に和彦を貪ってきた。
 舌を引き出され、露骨に濡れた音を立てて吸われ、歯を立てられる。その間に鷹津は缶を車の屋根に置き、両腕で和彦の腰を抱き寄せてきた。それでわかったが、鷹津はまた高ぶっていた。
「餌の代わりなんだ。ガツンと腰にくるような、すごいやつをしようぜ」
 口づけの合間に鷹津が囁いてくる。和彦はささやかな抵抗として顔を背けようとしたが、追いすがってきた鷹津の唇に捕えられ、あえなく口腔を舌で犯される。唾液を交わし、啜り合い、そしてとうとう舌を絡め合っていた。
 鷹津は下卑た嫌な男で、体を重ねることにいつも抵抗を覚える。当然、口づけを交わすことも。なのに、気持ちいいのだ。嫌な男と交わす下品な口づけに、いつも和彦の意識は舞い上がり、夢中になってしまう。
 露骨に腰をすり寄せてきながら、鷹津の両手がジャケットの下に入り込み、Tシャツをたくし上げる。素肌をまさぐられても、和彦は手を押しのけることはできなかった。
「佐伯、お前、俺とのキスが好きだろ」
 濡れた唇を耳に押し当て、ぼそりと鷹津が洩らす。和彦は遠慮なく、鷹津の脇腹に拳を叩き込んだ。もっとも、荒事にまったく向いていない和彦の拳では、鍛え上げた体を持つ刑事に呻き声一つ上げさせることはできなかった。
「自惚れるなっ」
「ムキになると、かえって怪しいぜ」
「……うるさい」
 鷹津の体を押しのけて、地面に落ちた缶を拾い上げる。まだ少し残っていた中身を捨てて、公園入口に置かれたゴミ箱に捨てに行く。鷹津に背を向けると同時に、唇を手の甲で拭うのも忘れない。
 なんとか平静を装って車に引き返したが、ニヤニヤと笑っている鷹津の顔を見ると、どうしても羞恥心を刺激される。
「――……本当に、嫌な男だ」
「だが、お前のためによく働く、いい番犬だろ」
 さきほどと同じようなやり取りのあと、鷹津はコーヒーを飲み干して缶を投げる。さほど離れていなかったとはいえ、缶は見事にゴミ箱に入った。
 鷹津が軽くあごをしゃくり、車に乗るよう促される。おとなしく助手席に戻った和彦は、ダッシュボードの上に置いた封筒を手に取る。鷹津がいい番犬かはともかく、意外なほど自分のために働いてくれているのは確かだった。
 車が駐車場を出ると、和彦は感じた疑問を率直に鷹津にぶつけた。
「あんたは、ぼくをどうしたいんだ?」
「難しい質問だな」
 そう言って鷹津が口元に薄い笑みを浮かべる。
「難しいって……」
「長嶺から取り上げて、あいつの取り澄ました顔がどうなるか見てやりたい気もするが、そうなるとお前は、薄汚い男たちの手の届かない世界に行っちまう。なんといっても、名門の家の出で、医者なんて肩書きを持つ色男だ。堅気の世界に戻ったら、何事もなかった顔をして生きていけるだろ、お前は」
「……どう、だろうな」
「忌々しいが、お前はきっと、蛇みたいな長嶺じゃないと捕まえておけないだろうな。下衆なヤクザのくせして、ピカピカの経歴と肩書きを持った色男に手を出そうなんて、そもそも考えない。普通の神経をしていれば」
 予想以上の雄弁さで語られ、内心で和彦は驚く。これは鷹津の本音なのだろうかとも疑ってしまうが、相変わらず薄い笑みを浮かべたままの鷹津の横顔からは、心の内は読み取れない。
「自分は、普通の神経を持っているとでも言いたげだな」
 和彦の軽い皮肉を、鷹津は鼻先で笑った。
「そうだな。長嶺だけじゃなく、俺も普通の神経なんて持ってない。――当然、お前も」
「……悪かったな」
「いいじゃねーか。この世界には、まともじゃない神経を持った人間がお似合いだ。だから、俺とお前も相性がいい」
 反論しようと鷹津を睨みつけると、ニヤリと笑いかけられる。毒気に満ちた下品な笑みだ。だが、ヤクザの組長の〈オンナ〉に対して、いい〈番犬〉であろうとする男には似合っている。
 まともに反論するのもバカらしくなり、唇を引き結んだ和彦は、鷹津の横顔から視線を引き剥がした。
 下品な笑みにうっかり見入ってしまわないように。

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