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番外編 拍手お礼11
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ダイニングに入ると、なんとも香ばしい匂いが和彦の鼻先を掠める。軽く鼻を鳴らし、匂いに誘われるようにふらふらとキッチンに近寄ると、思ったとおり笠野の姿があった。
この家で、ダイニングとキッチン以外で笠野の姿を見かけることのほうが珍しいため、いつもの光景と言ってもいいだろう。そして、一応〈客〉である和彦が、物珍しそうに笠野の作業を眺める光景も。
和彦の存在にとっくに気づいていたのか、こちらから問いかける前に笠野が教えてくれた。
「今、節分豆を炒っているんです」
予想外の答えに面食らった和彦は、首をかしげながら率直な疑問をぶつける。
「節分って……、豆、まくのか?」
こちらを振り返った笠野が、やけに楽しげな表情で頷く。
「ええ。一部屋ずつ回って、鬼は外、福は内と言いながら豆をまくんです。片付けは大変ですが、長嶺組ではずっと続いている行事ですからね」
「……意外に、細かい行事ごともきちんとやっているよな、ここは。もしかして――」
男所帯のこの家に、雛人形もあるのではないかと一瞬考えたが、さすがに口に出すのはやめておいた。ある、と答えられたら、なんとも微妙な気持ちになるのは目に見えている。
和彦の物言いたげな表情を、笠野なりに解釈したらしく、笑いを含んだ声でこう言った。
「ヤクザの組長の本宅で、鬼は外って言うのも、妙なもんですよね」
「ちょっとだけ、そう思った」
「こういう家業だからこそ、災いは追い払いたいと、どの家よりも強く願うんですよ。長嶺組長は、長嶺組の柱だし、千尋さんは次の柱だ。目に見えるものなら、わたしらがいくらでも盾になって防ぎますが、厄介なのは、目に見えないものです。だからこそ、こういう行事でも大事にしたいんです」
話しながらも笠野の手は動き続け、炒り終えた豆を器に入れる。和彦がやってくるずっと前から作業をしていたらしく、すでに他の器にも節分豆が盛られていた。その器の一つをカウンターに置き、笠野は和彦に勧めてきた。
「これは先生の分です。晩メシのあと、みんな揃ってからまく予定なので、ちょっとぐらいつまみ食いしてもらってもかまいませんよ。そう美味いもんじゃないですけど」
当然のように、和彦も豆まきのメンバーに入っているようだ。笠野の口ぶりに、ちらりと笑みをこぼした和彦は、まだほんのりと温かい豆を少し手に取り、さっそく味見する。
「……香ばしくて美味しい……」
和彦がぽつりと感想を洩らすと、笠野は満足そうに笑う。
「座ってゆっくり味わってください。わたしはこの節分豆を神棚にお供えしてきますので、それからお茶を入れますね」
器を手に笠野がダイニングを出て行き、和彦は一人となる。だからといって人気がないかといえばそうではなく、夕方となり、外から戻ってきた組員たちが慌しく廊下を行き来しているため、なかなかにぎやかだ。
その様子を眺めながら、和彦は豆を口に放り込む。
夕飯を食べに来いと賢吾に言われて立ち寄ったのだが、もしかするとこの行事に参加させることが目的だったのかもしれない。
テーブルについた和彦が一粒ずつ豆を食べていると、突然、廊下から聞こえていた話し声が途絶える。そしてすぐに、今度は出迎えの声が上がった。見なくとも、誰が帰宅したのかはわかる。
自分も廊下に顔ぐらい出すべきだろうかと思った和彦だが、心配するまでもなく、相手のほうからダイニングにやってきた。
「なんかいいものを食わせてもらってるか?」
開口一番の賢吾の言葉に、和彦はムッと顔をしかめる。
「ぼくは、腹を空かせた子供か」
「笠野の口癖になってるらしいぞ。買い物に出かけるたびに、これは先生が好きそうだ、と言うのが。どうやら先生は、食い物を与えてやりたくなる空気があるようだな」
「……節分の豆を食べているだけで、どうしてここまで言われないといけないんだ」
和彦の言葉に興味を惹かれたのか、賢吾がズカズカと側までやってきて、器を覗き込む。
「全部食べるなよ。先生にも、鬼を追い払う手伝いをしてもらわないといけないからな」
「この家に限っては、鬼より怖い男がいるから、わざわざ払うまでもないと思うが」
ここで賢吾が、意味ありげに声を洩らし、ニヤリと笑いかけてくる。絶対にロクでもないことを言い出すぞと和彦が身構えると、案の定、賢吾はこんなことを提案してきた。
「よし、だったら俺に豆をぶつけるか? 先生に取り付いている疫病神みたいなものだろ、俺は」
自分でこんなことを言い出すということは、心の内ではそう思っていないということだ。この男の傲慢な自信の表れともいえる。
和彦にとって自分は、疫病神どころか、守護神のようなものだとすら考えていても不思議ではない。
賢吾は余裕たっぷりの表情で両手を広げる。
「かまわんぞ。遠慮なくぶつけろ」
「楽しそうだな、あんた……」
「はしゃいでいるんだ。先生が、うちのダイニングでぽりぽりと豆をかじる姿が、あんまりいじらしくて、可愛かったからな」
「可愛いと言うなっ」
思わず立ち上がって反応した和彦をさんざん笑ってから、賢吾が踵を返す。
「さて、俺は着替えてくる。ゆっくりと先生と語り合いたいからな」
からかう、の間違いだろうと、心の中で洩らした和彦は、ふと、器に盛られた豆に視線を落とす。半ば反射的にむんずと豆を掴み、向けられた賢吾の背に投げつけようとする。あくまで控えめに、遠慮がちに。
すると、タイミングがいいのか悪いのか、笠野がダイニングに戻ってきた。賢吾がいることに驚いたように目を丸くした笠野は、和彦の姿にさらに驚いたのか、口まで開ける。
その笠野の様子に察するものがあったらしく、賢吾がゆっくりとこちらを振り返る。
豆を掴んだ手を振り上げたまま、和彦は動けなかった。
この家で、ダイニングとキッチン以外で笠野の姿を見かけることのほうが珍しいため、いつもの光景と言ってもいいだろう。そして、一応〈客〉である和彦が、物珍しそうに笠野の作業を眺める光景も。
和彦の存在にとっくに気づいていたのか、こちらから問いかける前に笠野が教えてくれた。
「今、節分豆を炒っているんです」
予想外の答えに面食らった和彦は、首をかしげながら率直な疑問をぶつける。
「節分って……、豆、まくのか?」
こちらを振り返った笠野が、やけに楽しげな表情で頷く。
「ええ。一部屋ずつ回って、鬼は外、福は内と言いながら豆をまくんです。片付けは大変ですが、長嶺組ではずっと続いている行事ですからね」
「……意外に、細かい行事ごともきちんとやっているよな、ここは。もしかして――」
男所帯のこの家に、雛人形もあるのではないかと一瞬考えたが、さすがに口に出すのはやめておいた。ある、と答えられたら、なんとも微妙な気持ちになるのは目に見えている。
和彦の物言いたげな表情を、笠野なりに解釈したらしく、笑いを含んだ声でこう言った。
「ヤクザの組長の本宅で、鬼は外って言うのも、妙なもんですよね」
「ちょっとだけ、そう思った」
「こういう家業だからこそ、災いは追い払いたいと、どの家よりも強く願うんですよ。長嶺組長は、長嶺組の柱だし、千尋さんは次の柱だ。目に見えるものなら、わたしらがいくらでも盾になって防ぎますが、厄介なのは、目に見えないものです。だからこそ、こういう行事でも大事にしたいんです」
話しながらも笠野の手は動き続け、炒り終えた豆を器に入れる。和彦がやってくるずっと前から作業をしていたらしく、すでに他の器にも節分豆が盛られていた。その器の一つをカウンターに置き、笠野は和彦に勧めてきた。
「これは先生の分です。晩メシのあと、みんな揃ってからまく予定なので、ちょっとぐらいつまみ食いしてもらってもかまいませんよ。そう美味いもんじゃないですけど」
当然のように、和彦も豆まきのメンバーに入っているようだ。笠野の口ぶりに、ちらりと笑みをこぼした和彦は、まだほんのりと温かい豆を少し手に取り、さっそく味見する。
「……香ばしくて美味しい……」
和彦がぽつりと感想を洩らすと、笠野は満足そうに笑う。
「座ってゆっくり味わってください。わたしはこの節分豆を神棚にお供えしてきますので、それからお茶を入れますね」
器を手に笠野がダイニングを出て行き、和彦は一人となる。だからといって人気がないかといえばそうではなく、夕方となり、外から戻ってきた組員たちが慌しく廊下を行き来しているため、なかなかにぎやかだ。
その様子を眺めながら、和彦は豆を口に放り込む。
夕飯を食べに来いと賢吾に言われて立ち寄ったのだが、もしかするとこの行事に参加させることが目的だったのかもしれない。
テーブルについた和彦が一粒ずつ豆を食べていると、突然、廊下から聞こえていた話し声が途絶える。そしてすぐに、今度は出迎えの声が上がった。見なくとも、誰が帰宅したのかはわかる。
自分も廊下に顔ぐらい出すべきだろうかと思った和彦だが、心配するまでもなく、相手のほうからダイニングにやってきた。
「なんかいいものを食わせてもらってるか?」
開口一番の賢吾の言葉に、和彦はムッと顔をしかめる。
「ぼくは、腹を空かせた子供か」
「笠野の口癖になってるらしいぞ。買い物に出かけるたびに、これは先生が好きそうだ、と言うのが。どうやら先生は、食い物を与えてやりたくなる空気があるようだな」
「……節分の豆を食べているだけで、どうしてここまで言われないといけないんだ」
和彦の言葉に興味を惹かれたのか、賢吾がズカズカと側までやってきて、器を覗き込む。
「全部食べるなよ。先生にも、鬼を追い払う手伝いをしてもらわないといけないからな」
「この家に限っては、鬼より怖い男がいるから、わざわざ払うまでもないと思うが」
ここで賢吾が、意味ありげに声を洩らし、ニヤリと笑いかけてくる。絶対にロクでもないことを言い出すぞと和彦が身構えると、案の定、賢吾はこんなことを提案してきた。
「よし、だったら俺に豆をぶつけるか? 先生に取り付いている疫病神みたいなものだろ、俺は」
自分でこんなことを言い出すということは、心の内ではそう思っていないということだ。この男の傲慢な自信の表れともいえる。
和彦にとって自分は、疫病神どころか、守護神のようなものだとすら考えていても不思議ではない。
賢吾は余裕たっぷりの表情で両手を広げる。
「かまわんぞ。遠慮なくぶつけろ」
「楽しそうだな、あんた……」
「はしゃいでいるんだ。先生が、うちのダイニングでぽりぽりと豆をかじる姿が、あんまりいじらしくて、可愛かったからな」
「可愛いと言うなっ」
思わず立ち上がって反応した和彦をさんざん笑ってから、賢吾が踵を返す。
「さて、俺は着替えてくる。ゆっくりと先生と語り合いたいからな」
からかう、の間違いだろうと、心の中で洩らした和彦は、ふと、器に盛られた豆に視線を落とす。半ば反射的にむんずと豆を掴み、向けられた賢吾の背に投げつけようとする。あくまで控えめに、遠慮がちに。
すると、タイミングがいいのか悪いのか、笠野がダイニングに戻ってきた。賢吾がいることに驚いたように目を丸くした笠野は、和彦の姿にさらに驚いたのか、口まで開ける。
その笠野の様子に察するものがあったらしく、賢吾がゆっくりとこちらを振り返る。
豆を掴んだ手を振り上げたまま、和彦は動けなかった。
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