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番外編 拍手お礼10
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元日の行事を終えて、三田村はようやく休みと呼べるものを手に入れたが、仕事を抱えていない時間をどう使えばいいのか、毎年のように頭を悩ませる。
若いうちは、事務所に詰めていたり、組長や幹部たちの所用に借り出されたりと、何かしらやることがあり、組の仕事から解放されることはなかった。
すでに天涯孤独と言ってもいい境遇の三田村にとって、組とはすなわち、家庭のようなものなのだ。組の仕事に関わっていると、自分が必要とされていると実感し、安心できる。だからこそ、休みなく使われることが嫌ではなかった。
しかし、組の中で出世すると、そうもいかない。これまで抱えていた仕事は、若い者が引き受けることになり、三田村は一人、所在なく正月気分を味わってきた。――昨年まで。
長嶺組組長宅の玄関に足を踏み入れた三田村は、若衆の出迎えを受ける。
長年、この本宅に出入りしているからこそ、肌でわかることがあった。
年末年始の慌しさを乗り切って、この大きな家で生活している人間たちもほっと一息ついているところなのか、普段のピリピリとした緊張感がいくらか薄らいでいるようだった。
気が緩んでいるというつもりはなく、長嶺組にとって差し迫った問題が起こっていない証拠として、むしろ好ましい。
それとも、佐伯和彦という存在が影響を与えているのだろうかと、靴を脱ぎながら三田村は考えた。
和彦は、きれいな容姿と端正な身のこなしの持ち主で、そんな存在が、まるで風のように本宅の中をスウッと渡っていく姿は、なんとも言えない余韻を組員たちに与える。ヤクザが生活する空間において明らかに異質だが、異物ではない。違う存在なのに、妙に本宅に――ヤクザの世界に馴染んでいる。
三田村は半ば条件反射のように和彦の姿を探すが、応接間に向かうまでの間に、その姿を見かけることはなかった。すでにもう、自宅マンションに戻って休んでいるのかもしれない。
少しだけ残念な気持ちになりながらも、もちろん三田村は、そんな気持ちを一切表には出さない。
ドアをノックして名乗ると、中から応じる声がした。
「――失礼します」
ドアを開けて一礼する。頭を上げた瞬間、かしこまる三田村とは対照的に、寛いだ様子でソファに腰掛けた賢吾と目が合った。
一目見て感じたが、どうやら賢吾の機嫌はいいようだ。わずかに肩から力を抜いた三田村は、指先で呼ばれるまま、テーブルを挟んで賢吾の向かいに座った。
「お疲れのところ、申し訳ありません。若頭から、目を通していただきたい書類を言付かってきたものですから」
「気にするな。どうせ遊んで帰ってきたんだ。こんなのは疲れているうちに入らねーよ」
三田村が差し出した書類を受け取り、さっそく賢吾が読み始める。組員がコーヒーを運んできたが、三田村は背筋を伸ばし、両手を膝の上に置いた姿勢で、ただ賢吾の反応を待った。
ときおり紙をめくる音だけが、応接間に響く。少し前までの三田村なら、こうした沈黙にも何も感じなかっただろうが、和彦と関係を持ってから、賢吾と二人きりになったときの沈黙に、特別な痛みや重さを感じるようになった。
賢吾に対する後ろめたさに罪悪感、負い目といった感情を抱えてはいるが、もちろん、賢吾に強要されてこういった感情を持っているわけではない。自分の立場を忘れないために、三田村自身が課しているのだ。
「――雪がすごかったぞ」
思い出したように賢吾が口を開く。突然のことに驚いた三田村だが、それが表に出るほど器用でもなく、表情を変えないまま賢吾を見つめる。賢吾はニヤリと笑った。
「総和会の別荘だ」
「……でしたら、ここより寒かったでしょう」
「寒くても、雪があると気分が違う。意外な人物が、雪を見てはしゃいでいたしな」
一瞬、誰のことだろうかと思ったが、賢吾の口元が緩むのを見て、つられるように三田村も、わずかに表情を和らげた。
「先生ですか」
「普段はクールなくせに、妙に子供っぽいところがあるな、あの先生は。千尋と一緒に、雪塗れになって遊んでいたみたいだ」
想像もつかない姿――と言いたいところだが、ときおり突拍子もない言動を取ることがある人だけに、そういうこともあるのだろうと、妙に納得してしまう。
「今は客間で休んでいる。さすがに疲れたんだろう。帰りの車の中で、千尋と一緒に眠り込んでいた」
そうですか、と三田村は声に安堵を滲ませて応じる。
年末年始は組の行事で忙しく、和彦とゆっくり会話を交わせる状況ではなかったが、三田村などが気にかけるまでもなく、和彦は楽しく過ごせたようだ。賢吾の口ぶりを聞いていればわかる。
「――顔を見てきたらどうだ」
世間話でもするように、さらりと賢吾が言う。一方の三田村は、返事に詰まった。
和彦は、賢吾の大事な〈オンナ〉だ。その和彦は三田村のことを、自分の〈オトコ〉だと言ってくれる。だが三田村は、あくまで賢吾が和彦に与えた〈犬〉なのだ。
三角関係と表現するのもおこがましい。賢吾から一時だけ、和彦を預からせてもらう立場の三田村にとって、和彦のことを口にする賢吾のささやかな反応にも、神経を尖らせる。
「いえ、自分は仕事がありますので……」
「俺はこれから客も迎えなきゃならん。そうなると、この書類に目を通すのも、後回しになる。お前はダイニングで、のんびり茶でも飲んでいればいい。ついでに、晩飯も食って帰れ」
賢吾に手を振られ、それを命令と捉えた三田村は立ち上がる。客が来るというのなら、この場に居座るわけにもいかない。
素直にダイニングに向かい、まずキッチンを覗くと、案の定、友人の姿があった。
「忙しそうだな」
三田村が声をかけると、コンロの前に立っていた笠野が振り返る。見た目だけなら、なかなかの凶相だ。だが、物腰も言葉遣いも柔らかな男で、笠野と言葉を交わした人間は、まずそのギャップに驚く。三田村も例外ではなく、同時期に組に入った笠野とどう接すればいいのか、親しくなるまでは悩んだものだ。
三田村を見るなり、笠野が顔を綻ばせる。
「寂しい正月を送ったみたいだな。もう少し景気のいいツラを見せろよ」
「しているだろ」
「してねーよ。鏡を見てこい」
笠野の即答に苦笑を洩らした三田村は、ダイニングテーブルにつく。昼食の時間はとっくに終わったらしく、テーブルの上はきれいに片付いていた。しかし笠野の仕事はまだ一段落ついていないのか、キッチンで何か仕込んでいるようだ。
「もう、晩飯の準備か?」
「いや、これは晩飯っていうより……、三時のおやつだな」
笠野の言葉に、三田村は軽く眉をひそめる。
「いつから本宅は、子供を預かるようになったんだ」
「……お前は、素で言ってるのか、つまらない冗談のつもりなのか、よくわからん。――今日が何月何日か言ってみろ」
「一月七日だが、それが何か関係あるのか?」
笠野は大きく頷いたものの、何を作っているかは教えてくれなかった。鍋を覗けば済む話だが、そこまでするのも大人げない。微妙な表情を浮かべる三田村を見て、笠野は楽しげに言った。
「もうすぐ出来るから、食わせてやる。初めて作ったんだが、そう不味くはないだろ」
笠野の料理の腕をよく知っている三田村は、こんな言い方をされても、味に不安は覚えなかった。どんなものを食わせてもらえるのだろうかと思いながら、少しだけ口元を緩めたとき、廊下を歩いてくる足音が聞こえた。
その足音が、ダイニングの前で止まる。続いて、柔らかな声が耳に届いた。
「――二人が仲がいいっていうのは、本当だったんだな」
本能的な反応だが、背筋を伸ばした三田村は、廊下のほうを見る。客間で休んでいるはずの和彦が、ジーンズにセーターというラフな姿でダイニングを覗いていた。三田村と目が合うと、穏やかな笑みを向けられる。
「いい歳して、仲がいいって言われるのも気恥ずかしいですね」
おどけたような口調で笠野が言い、キッチンから出てきた。
「先生、座ってください。お茶を入れますから」
頷いた和彦は、少し逡巡する素振りを見せたあと、三田村の斜め向かいのイスに腰掛けた。
三田村と和彦の仲は、組の中では公然の秘密のようになっている。だからこそ、生々しさや艶かしい印象を他人に与えないよう、気をつかう。あくまで三田村は、若頭補佐という肩書きを持って組長に仕え、和彦は、組に使われる医者なのだ。
笠野が、二人の前にお茶を出してくれる。なかなか会話のきっかけが掴めない三田村に代わって、笠野が和彦に話しかけた。
「先生、少しは休めましたか?」
「ああ。ただ車に乗っていただけなのに、意外に疲れるな。それでなくても、年末年始はここでのんびりさせてもらったから、体が鈍っているんだろうな」
「今日、マンションに戻られると、組長から聞いてますが――」
笠野の言葉に、初耳だった三田村は思わず和彦を見る。美味しそうにお茶を飲んでから、和彦はほっと息を吐き出した。
「ここで夕飯を食べてから、帰る予定だ。いい加減、仕事を始めないと」
「だったら、夕方まではゆっくりできますね。……と、お前は?」
笠野に突然問われ、内心で三田村はうろたえる。
「……組長から、晩飯を食って帰れと言われている」
そうか、と答えた笠野の声が、微妙に笑いを含んでいるような気がしたが、もしかすると三田村の考えすぎかもしれない。それよりも、和彦がさりげなく向けてきた眼差しに気を取られてしまう。
「――別荘は雪がすごかったと聞いた」
キッチンで立ち働く笠野の様子を気にかけつつ、三田村はようやく和彦に話しかける。
「ああ、あんなに積もっているとは思わなかった。寒かったけど、いいものが見られた」
「千尋さんと一緒に、先生が雪塗れで遊んでいたというのは……」
「おもしろがって、組長が大げさに言っているだけだからなっ。はしゃいでいる千尋につき合わされたんだ」
「俺も見たかったな――」
ぽつりと洩らした三田村は、驚いたような和彦の表情を見て、慌てて言い直す。
「雪景色を見てみたいと言ったんだ。この辺りは、雪遊びができるほど積もることはあまりないから」
「若頭補佐でも、雪遊びをしたいものなのか?」
からかうように和彦が言い、ちらりと笑みをこぼす。本人に自覚はあるのか、ドキリとするほど艶かしい表情だ。だが、雪を見てはしゃいでいるときは、きっと違う表情を見せていたのだろう。
三田村が見たかったのは、そんな和彦の姿だ。
「……俺が雪と戯れていたら、即座に通報されるな」
ここで奇妙な声が上がり、何事かと思って視線を向けた先で、笠野が必死に笑いを堪えていた。どうやら、三田村と和彦の会話を聞いていたらしい。そして、和彦まで肩を震わせて笑っている。
「先生……」
「想像したら、おかしくて」
とうとう声を上げて笑い始めた和彦を、三田村は目を細めて見つめる。そんなことができるはずもないのだが、むしょうに、今この場で和彦を抱き締めたくなった。他愛ない会話を交わして、おもしろみのない自分の話でこうして笑ってくれるということが、たまらなく嬉しいのだ。
大事な人と温かな時間を持ててようやく、新年を迎えたと実感できた。今年も、組と賢吾のために尽くしながら、この人を守っていこうと心の底から思う。
「先生、七草粥を食べませんか?」
和彦が落ち着いたところで、さりげなく笠野が声をかける。疎い三田村とは違い、和彦はすぐにピンときたようだ。ああ、と声を洩らした。
「今日は、一月七日だったな」
「スーパーで七草を売っているのを見て、作ってみようかと思ったんです。うちの連中は、年末年始の暴飲暴食なんて慣れっこですが、先生はそろそろ胃が疲れているんじゃないかと思って」
和彦は嬉しそうに頷いた。
「食べる。実は、七草粥は初めてなんだ」
和彦と関わる男は、誰もが和彦に甘くなるものだが、笠野も例外ではないようだ。嬉々とした様子で器を準備しながら、三田村に尋ねてきた。
「あっ、三田村、お前も食うか?」
俺はオマケ扱いだなと思いながら、三田村は苦笑しつつ頷く。
「……ああ」
若いうちは、事務所に詰めていたり、組長や幹部たちの所用に借り出されたりと、何かしらやることがあり、組の仕事から解放されることはなかった。
すでに天涯孤独と言ってもいい境遇の三田村にとって、組とはすなわち、家庭のようなものなのだ。組の仕事に関わっていると、自分が必要とされていると実感し、安心できる。だからこそ、休みなく使われることが嫌ではなかった。
しかし、組の中で出世すると、そうもいかない。これまで抱えていた仕事は、若い者が引き受けることになり、三田村は一人、所在なく正月気分を味わってきた。――昨年まで。
長嶺組組長宅の玄関に足を踏み入れた三田村は、若衆の出迎えを受ける。
長年、この本宅に出入りしているからこそ、肌でわかることがあった。
年末年始の慌しさを乗り切って、この大きな家で生活している人間たちもほっと一息ついているところなのか、普段のピリピリとした緊張感がいくらか薄らいでいるようだった。
気が緩んでいるというつもりはなく、長嶺組にとって差し迫った問題が起こっていない証拠として、むしろ好ましい。
それとも、佐伯和彦という存在が影響を与えているのだろうかと、靴を脱ぎながら三田村は考えた。
和彦は、きれいな容姿と端正な身のこなしの持ち主で、そんな存在が、まるで風のように本宅の中をスウッと渡っていく姿は、なんとも言えない余韻を組員たちに与える。ヤクザが生活する空間において明らかに異質だが、異物ではない。違う存在なのに、妙に本宅に――ヤクザの世界に馴染んでいる。
三田村は半ば条件反射のように和彦の姿を探すが、応接間に向かうまでの間に、その姿を見かけることはなかった。すでにもう、自宅マンションに戻って休んでいるのかもしれない。
少しだけ残念な気持ちになりながらも、もちろん三田村は、そんな気持ちを一切表には出さない。
ドアをノックして名乗ると、中から応じる声がした。
「――失礼します」
ドアを開けて一礼する。頭を上げた瞬間、かしこまる三田村とは対照的に、寛いだ様子でソファに腰掛けた賢吾と目が合った。
一目見て感じたが、どうやら賢吾の機嫌はいいようだ。わずかに肩から力を抜いた三田村は、指先で呼ばれるまま、テーブルを挟んで賢吾の向かいに座った。
「お疲れのところ、申し訳ありません。若頭から、目を通していただきたい書類を言付かってきたものですから」
「気にするな。どうせ遊んで帰ってきたんだ。こんなのは疲れているうちに入らねーよ」
三田村が差し出した書類を受け取り、さっそく賢吾が読み始める。組員がコーヒーを運んできたが、三田村は背筋を伸ばし、両手を膝の上に置いた姿勢で、ただ賢吾の反応を待った。
ときおり紙をめくる音だけが、応接間に響く。少し前までの三田村なら、こうした沈黙にも何も感じなかっただろうが、和彦と関係を持ってから、賢吾と二人きりになったときの沈黙に、特別な痛みや重さを感じるようになった。
賢吾に対する後ろめたさに罪悪感、負い目といった感情を抱えてはいるが、もちろん、賢吾に強要されてこういった感情を持っているわけではない。自分の立場を忘れないために、三田村自身が課しているのだ。
「――雪がすごかったぞ」
思い出したように賢吾が口を開く。突然のことに驚いた三田村だが、それが表に出るほど器用でもなく、表情を変えないまま賢吾を見つめる。賢吾はニヤリと笑った。
「総和会の別荘だ」
「……でしたら、ここより寒かったでしょう」
「寒くても、雪があると気分が違う。意外な人物が、雪を見てはしゃいでいたしな」
一瞬、誰のことだろうかと思ったが、賢吾の口元が緩むのを見て、つられるように三田村も、わずかに表情を和らげた。
「先生ですか」
「普段はクールなくせに、妙に子供っぽいところがあるな、あの先生は。千尋と一緒に、雪塗れになって遊んでいたみたいだ」
想像もつかない姿――と言いたいところだが、ときおり突拍子もない言動を取ることがある人だけに、そういうこともあるのだろうと、妙に納得してしまう。
「今は客間で休んでいる。さすがに疲れたんだろう。帰りの車の中で、千尋と一緒に眠り込んでいた」
そうですか、と三田村は声に安堵を滲ませて応じる。
年末年始は組の行事で忙しく、和彦とゆっくり会話を交わせる状況ではなかったが、三田村などが気にかけるまでもなく、和彦は楽しく過ごせたようだ。賢吾の口ぶりを聞いていればわかる。
「――顔を見てきたらどうだ」
世間話でもするように、さらりと賢吾が言う。一方の三田村は、返事に詰まった。
和彦は、賢吾の大事な〈オンナ〉だ。その和彦は三田村のことを、自分の〈オトコ〉だと言ってくれる。だが三田村は、あくまで賢吾が和彦に与えた〈犬〉なのだ。
三角関係と表現するのもおこがましい。賢吾から一時だけ、和彦を預からせてもらう立場の三田村にとって、和彦のことを口にする賢吾のささやかな反応にも、神経を尖らせる。
「いえ、自分は仕事がありますので……」
「俺はこれから客も迎えなきゃならん。そうなると、この書類に目を通すのも、後回しになる。お前はダイニングで、のんびり茶でも飲んでいればいい。ついでに、晩飯も食って帰れ」
賢吾に手を振られ、それを命令と捉えた三田村は立ち上がる。客が来るというのなら、この場に居座るわけにもいかない。
素直にダイニングに向かい、まずキッチンを覗くと、案の定、友人の姿があった。
「忙しそうだな」
三田村が声をかけると、コンロの前に立っていた笠野が振り返る。見た目だけなら、なかなかの凶相だ。だが、物腰も言葉遣いも柔らかな男で、笠野と言葉を交わした人間は、まずそのギャップに驚く。三田村も例外ではなく、同時期に組に入った笠野とどう接すればいいのか、親しくなるまでは悩んだものだ。
三田村を見るなり、笠野が顔を綻ばせる。
「寂しい正月を送ったみたいだな。もう少し景気のいいツラを見せろよ」
「しているだろ」
「してねーよ。鏡を見てこい」
笠野の即答に苦笑を洩らした三田村は、ダイニングテーブルにつく。昼食の時間はとっくに終わったらしく、テーブルの上はきれいに片付いていた。しかし笠野の仕事はまだ一段落ついていないのか、キッチンで何か仕込んでいるようだ。
「もう、晩飯の準備か?」
「いや、これは晩飯っていうより……、三時のおやつだな」
笠野の言葉に、三田村は軽く眉をひそめる。
「いつから本宅は、子供を預かるようになったんだ」
「……お前は、素で言ってるのか、つまらない冗談のつもりなのか、よくわからん。――今日が何月何日か言ってみろ」
「一月七日だが、それが何か関係あるのか?」
笠野は大きく頷いたものの、何を作っているかは教えてくれなかった。鍋を覗けば済む話だが、そこまでするのも大人げない。微妙な表情を浮かべる三田村を見て、笠野は楽しげに言った。
「もうすぐ出来るから、食わせてやる。初めて作ったんだが、そう不味くはないだろ」
笠野の料理の腕をよく知っている三田村は、こんな言い方をされても、味に不安は覚えなかった。どんなものを食わせてもらえるのだろうかと思いながら、少しだけ口元を緩めたとき、廊下を歩いてくる足音が聞こえた。
その足音が、ダイニングの前で止まる。続いて、柔らかな声が耳に届いた。
「――二人が仲がいいっていうのは、本当だったんだな」
本能的な反応だが、背筋を伸ばした三田村は、廊下のほうを見る。客間で休んでいるはずの和彦が、ジーンズにセーターというラフな姿でダイニングを覗いていた。三田村と目が合うと、穏やかな笑みを向けられる。
「いい歳して、仲がいいって言われるのも気恥ずかしいですね」
おどけたような口調で笠野が言い、キッチンから出てきた。
「先生、座ってください。お茶を入れますから」
頷いた和彦は、少し逡巡する素振りを見せたあと、三田村の斜め向かいのイスに腰掛けた。
三田村と和彦の仲は、組の中では公然の秘密のようになっている。だからこそ、生々しさや艶かしい印象を他人に与えないよう、気をつかう。あくまで三田村は、若頭補佐という肩書きを持って組長に仕え、和彦は、組に使われる医者なのだ。
笠野が、二人の前にお茶を出してくれる。なかなか会話のきっかけが掴めない三田村に代わって、笠野が和彦に話しかけた。
「先生、少しは休めましたか?」
「ああ。ただ車に乗っていただけなのに、意外に疲れるな。それでなくても、年末年始はここでのんびりさせてもらったから、体が鈍っているんだろうな」
「今日、マンションに戻られると、組長から聞いてますが――」
笠野の言葉に、初耳だった三田村は思わず和彦を見る。美味しそうにお茶を飲んでから、和彦はほっと息を吐き出した。
「ここで夕飯を食べてから、帰る予定だ。いい加減、仕事を始めないと」
「だったら、夕方まではゆっくりできますね。……と、お前は?」
笠野に突然問われ、内心で三田村はうろたえる。
「……組長から、晩飯を食って帰れと言われている」
そうか、と答えた笠野の声が、微妙に笑いを含んでいるような気がしたが、もしかすると三田村の考えすぎかもしれない。それよりも、和彦がさりげなく向けてきた眼差しに気を取られてしまう。
「――別荘は雪がすごかったと聞いた」
キッチンで立ち働く笠野の様子を気にかけつつ、三田村はようやく和彦に話しかける。
「ああ、あんなに積もっているとは思わなかった。寒かったけど、いいものが見られた」
「千尋さんと一緒に、先生が雪塗れで遊んでいたというのは……」
「おもしろがって、組長が大げさに言っているだけだからなっ。はしゃいでいる千尋につき合わされたんだ」
「俺も見たかったな――」
ぽつりと洩らした三田村は、驚いたような和彦の表情を見て、慌てて言い直す。
「雪景色を見てみたいと言ったんだ。この辺りは、雪遊びができるほど積もることはあまりないから」
「若頭補佐でも、雪遊びをしたいものなのか?」
からかうように和彦が言い、ちらりと笑みをこぼす。本人に自覚はあるのか、ドキリとするほど艶かしい表情だ。だが、雪を見てはしゃいでいるときは、きっと違う表情を見せていたのだろう。
三田村が見たかったのは、そんな和彦の姿だ。
「……俺が雪と戯れていたら、即座に通報されるな」
ここで奇妙な声が上がり、何事かと思って視線を向けた先で、笠野が必死に笑いを堪えていた。どうやら、三田村と和彦の会話を聞いていたらしい。そして、和彦まで肩を震わせて笑っている。
「先生……」
「想像したら、おかしくて」
とうとう声を上げて笑い始めた和彦を、三田村は目を細めて見つめる。そんなことができるはずもないのだが、むしょうに、今この場で和彦を抱き締めたくなった。他愛ない会話を交わして、おもしろみのない自分の話でこうして笑ってくれるということが、たまらなく嬉しいのだ。
大事な人と温かな時間を持ててようやく、新年を迎えたと実感できた。今年も、組と賢吾のために尽くしながら、この人を守っていこうと心の底から思う。
「先生、七草粥を食べませんか?」
和彦が落ち着いたところで、さりげなく笠野が声をかける。疎い三田村とは違い、和彦はすぐにピンときたようだ。ああ、と声を洩らした。
「今日は、一月七日だったな」
「スーパーで七草を売っているのを見て、作ってみようかと思ったんです。うちの連中は、年末年始の暴飲暴食なんて慣れっこですが、先生はそろそろ胃が疲れているんじゃないかと思って」
和彦は嬉しそうに頷いた。
「食べる。実は、七草粥は初めてなんだ」
和彦と関わる男は、誰もが和彦に甘くなるものだが、笠野も例外ではないようだ。嬉々とした様子で器を準備しながら、三田村に尋ねてきた。
「あっ、三田村、お前も食うか?」
俺はオマケ扱いだなと思いながら、三田村は苦笑しつつ頷く。
「……ああ」
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