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番外編 拍手お礼6

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 革靴を履いた賢吾が、玄関のドアを開ける。すでに外には、護衛の組員たちが直立不動の姿勢で待ち構えていた。三田村は深々と頭を下げ、賢吾を送り出す。
「組長、お気をつけて」
「――三田村」
 玄関を出るかと思われた賢吾に突然声をかけられ、三田村は反射的に頭を上げる。賢吾は、口元に薄い笑みを浮かべて言った。
「夕方まで、先生の側にいてやれ。さすがに機嫌が悪そうだったから、たっぷり甘やかしてやってくれ」
 短く返事をした三田村が再び頭を下げると、ドアの閉まる音が玄関に響いた。しっかり十秒待ってから頭を上げたときには、もちろん賢吾の姿はなかった。
 わずかに緊張を解いてから、三田村はリビングへと戻る。すると、ちょうど和彦もバスルームから戻ってきたところだった。賢吾の言葉通り、不機嫌そうな顔をしている。
「組長は帰ったのか」
「ああ。たった今」
「……あんたは、帰らなくていいのか?」
 タオルで乱雑に髪を拭きながら、和彦がちらりとこちらを見る。三田村は、無意識に目元を和らげて応じた。
「先生の迷惑でなかったら、夕方まで一緒にいたいんだが……」
「ぼくは今、機嫌が悪いから、思いきり八つ当たりするぞ。それでいいなら――いてくれ」
 三田村は、軽く手招きして和彦をソファに座らせると、背後に回り込んで和彦の髪をタオルで丁寧に拭いてやる。さっそく和彦がぼやき始めた。
「だいたい、あの男は好き勝手しすぎるんだ。ぼくが嫌がるのを見たいなんて、どれだけ捻くれた性癖だ。ぼくが本気で怒らないと見透かしているのが、また腹が立つ。あんたも、あの男にムカッとくることはあるだろ?」
「俺には返事のしようがない質問だな、先生」
 髪を拭き続ける三田村の手に、和彦の手がかかる。思わずその手を強く握り返していた。
「……ああいうのは、嫌だ。組長との行為は、見られても諦めがつく。だけど、あんたとの行為は、見世物にしたくない。なのに、ぼくは……感じた。あんたに抱かれるところを組長に見られて、どうしようもなく」
 さきほどまで三田村は、和彦を抱いていた。その姿を、賢吾はじっと見つめていた。また、賢吾が和彦を抱いている光景を、三田村は見ていた。あれも一種の、三人での交わりだ。倒錯的で淫靡で、わずかにサディスティックだ。
 賢吾は決して、和彦を肉体的に痛めつけたりはしない。精神的にも、過度な負担を与えない。絶妙の加減で、和彦の愉悦も苦痛もコントロールしていた。さきほどまでの交わりで、三田村はそのための道具の役割を果たしたに過ぎない。
 だが今は、人間として和彦に接している。
「先生が、俺がどう感じているのか気にかけているなら、何も心配しなくていい。俺が先生と関係を持ったとき、先生はすでに、組長の〈オンナ〉だった。俺はすべて承知しているし、覚悟している。先生が気に病む必要はない」
 まだ生乾きの和彦の髪を、丁寧に指で梳いてやる。ふいに、和彦が顔を仰向かせ、三田村を見上げてきた。思いがけず子供っぽい行動に、三田村は目を丸くする。
「先生?」
「三田村、外の空気を吸いに行きたい。ちょっとドライブをしないか」
「それはかまわないが……、体はつらくないか?」
「車に乗れないほどひどくはない。意外にぼくは、タフなんだ」
 最後の言葉は同意しかねる。三田村は軽く眉をひそめ、洗面所にドライヤーを取りに行く。
 和彦はしなやかでしたたかである反面、武骨なヤクザには信じられないほど繊細な面を持つ。和彦と接しながら、その繊細な部分を傷つけるかもしれないと、ときどき三田村はヒヤリとするのだ。
 和彦は自分ですると言ったが、それを押し留めて、三田村はドライヤーもかけてやる。ときおり和彦が顔を仰向かせるので、そのたびに軽いキスを交わしながら。


 最初はかけていたサングラスを外した和彦は、表情を和らげ、ウィンドーの外を流れる景色を目で追っている。三田村は、そんな和彦の姿に、ときおりちらりと視線を向ける。
 近場で、景色がよさそうなところを車で走っているだけなのだが、とりあえず和彦の機嫌は直ったようだ。
「今日は天気がいいな」
「ああ」
「こういう天気のとき、自分の生活がいかに不健康か、思い知るんだ」
 返事のしようがなくて三田村が黙ると、和彦はニヤリと笑いかけてきた。
「だから、たまにこうやって日光を浴びて、自分を虫干ししないとな」
「……先生が言うと、いろいろと推測したくなる言葉だな」
 少し前まで医者として表の世界で生きていた和彦にとって、ヤクザと関わりのある人間は、すべて虫のような存在なのかもしれない。
 ただ、なんの免罪符にもならないが、虫は虫で、和彦を大事に扱っているつもりなのだ。
「三田村、そう難しい顔をするな。別に、責めてるわけじゃないんだ。今みたいな状況にならなかったら、あんたとも知り合えなかったし」
 三田村はそっとため息をつき、本音を洩らす。
「ときどき、先生がもっと傍若無人な人間だったらと考えるんだ。それならまだ、要望でもわがままでも、俺たちに率直にぶつけてくれる。そうして先生のために、俺たちは動くことができる」
「ぼくを図に乗らせたら、なかなか大変だぞ。王様並みの待遇を要求するからな」
「そういう先生には……、興味があるな」
 生まじめに三田村が応じると、慌てた様子で和彦が念を押してきた。
「今のは、冗談だからな」
 この人が傍若無人になるのは無理だなと、今のやり取りで理解した三田村は、つい笑みをこぼしてしまう。
 しばらく車を走らせてから、休憩をとることにする。三田村としては、どこか店に入るつもりだったが、和彦が外がいいと言ったため、自販機で飲み物を買ってから、大きな噴水が見える広場の木陰に入った。
 並んでベンチに腰掛けて、噴水から流れ落ちる水をのんびりと眺める。
 和彦と一緒にいると、ヤクザらしくない時間を過ごせるなと、三田村はふっとそんなことを考える。三田村の心の内を読み取ったわけではないだろうが、缶入りのお茶を飲んだ和彦が、ぽつりと洩らした。
「ほっとする……」
 三田村がパッと隣を見ると、和彦は照れたように笑った。
「そんなに驚くなよ。変なことは言ってないだろ」
「……あ、あ」
 ぎこちなく頷いた三田村は、落ち着いた素振りを取り繕う。だが、普通とは程遠い環境に置かれている和彦に、わずかながらでも安らぎを与えられているのだとしたら、嬉しかった。
 本当はもっと他愛ない話でもできればいいのだろうが、三田村はそういうことはとことん下手だ。ただ隣に座ることしかできない。
 それでも、和彦は寛いだ表情を見せてくれ、おかげで三田村は申し訳なさを感じずに済む。
 少しの間、目の前に広がる光景に見入る。季節はずいぶん秋らしくなってきたが、陽射しは強く、噴水の水がキラキラと光を反射している。作り物めいて見えるほど鮮やかな空の青さもあって、何げない景色がひどく印象深い。
 情緒とはかけ離れた感性を持っている自分がそう感じるぐらいだ。和彦は何を思っているのだろうかと、三田村は整った横顔に視線を移す。
 和彦は、雲一つない空を見上げていた。
 この横顔のほうが印象深いなと、三田村がそっと笑みをこぼしたとき、ジャケットのポケットの中で携帯電話が鳴った。一瞬嫌な予感を覚えながら、電話に出る。今すぐ組に戻ってこいと言われるかと思ったのだ。
 しかし用件は簡単なもので、三田村も、夕方になったら組に顔を出すことを告げて、あっさり電話を切る。
 ほっと息をついたところで、驚いた。いつの間にか和彦の顔が間近に迫っていたからだ。
「先生……?」
 次の瞬間、和彦にひょいっと携帯電話を取り上げられた。もう片方の手に握られているのは、和彦自身の携帯電話だ。三田村は携帯電話にこだわりは持っていないので、今使っているものは二年ほど前に買ったものだ。
「……どう考えても、ヤクザの組長と携帯電話がお揃いなんて、笑い話にもならないよな」
 和彦の洩らした言葉に、三田村は返事ができない。さりげなく投げかけられる和彦の質問は、答えに窮するものが多くて困る。
「千尋とは、同じ機種だけど色違いだから、まだいいんだ。ストラップがお揃いでも、他のストラップも付けてしまえば、目立たない」
 賢吾が、和彦と同じ携帯電話に買い替えたのは、昨日だ。お揃いにされてしまった和彦としては、衝撃的な出来事だったらしい。ただ三田村としては、携帯電話ぐらいで深刻な顔をしている和彦の反応が、こう言っては悪いが――おもしろい。
「まあ、買い替えたばかりだから、しばらくは我慢するしかないな」
「組長とお揃いなら、お守りみたいなものだと思えばいいんじゃないか」
「他人事だと思って、簡単に言ってくれる」
 三田村も、立場が立場でなければ、携帯電話ぐらい和彦と同じ機種に替えるのだが、さすがに賢吾や千尋の目が気になる。和彦との関係を張り合っていると取られる事態は避けたかった。
 和彦の手にある携帯電話を眺めていて、何げなく顔を上げる。すると和彦が、三田村の考えなど見通したような目で、こちらを見ていた。柔らかなくせに、ドキリとするような静けさを湛えているのは、いつもと変わらない。
「――あんただけ仲間外れしているようだから、ぼくとお揃いにしてやる」
 そんなことを言って、和彦が悪戯っぽく笑いかけてくる。面食らって何も言えない三田村を置いて、木陰から出た和彦は携帯電話を空に向けた。
 何をしているのか、よくわからなかった。三田村に背を向けて、和彦は携帯電話を操作しているようだ。
 ようやく自分の手元に戻ってきた携帯電話を、さっそく三田村は開いてみる。そして、目を見開いた。
 買ったときのまま、一度も変更していない待受画面が変わっていた。鮮やかな青に。
 これはなんだろうかと考えたのは一瞬で、すぐに気づいて空を見上げる。同じ色彩が広がっていた。
「携帯のカメラで撮って待受にしたんだ。ぼくも」
 そう言って和彦も携帯電話を開いて見せてくれる。確かに、同じ画像が待受画面となっていた。
「〈お揃い〉で、ぼくが微妙な気持ちを味わっているんだから、あんたにもお裾分けしてやる」
 口ではそんなことを言いながら和彦は、楽しそうに笑っている。つられて三田村も顔を綻ばせ、こう言った。
「――ありがとう、先生」
 和彦はうろたえたように視線をさまよわせたあと、ベンチに座り直す。これまでの口調とは一変して、ぼそぼそと言った。
「気に入らないなら、いつでも替えていいから……。別に、本気で強制する気はないんだ。冗談というか、軽い悪戯というか――……」
「なら、先生が替えるときに、俺も替えよう」
 ほっとしたような表情を浮かべた和彦を、むしょうに抱き締めたい衝動に駆られる。その衝動を押し殺している間だけは三田村は、自分がヤクザであるという現実を忘れていた。
 純粋に、目の前にいる相手をいとおしむ、単なる男になっていた。

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