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第48話
(25)
しおりを挟む宅配してもらったオードブルを肴に、和彦はワインを飲みながら、中嶋相手にくだを巻いていた。
「君、性格悪くなったんじゃないか。ぼくの反応を見て楽しんでたよな。……はー、初めて会ったときは、何かと気遣ってくれてたのに。あのとき君は、運転手だったんだ。それがあっという間に隊で出世して……」
「先生、俺はもともと性格はよくないですよ」
「……悲しいことを言うなよ。君は皮肉屋だとは思うが、性格が悪いと謗るほどでもないだろう」
「いや、たった今先生が――」
調子に乗ってワインだけでなく、まるでジュースのような酎ハイも飲んだせいか、いつになく高揚感があって気持ちいい。
和彦は、中嶋がいうところの〈前線基地〉にまだ滞在していた。聞くことを聞いてしまえば帰ってもよかったのだが、玲の接近を知った賢吾の反応が怖い。あからさまに機嫌が悪くなることはないだろうが、言葉でじわじわと締め上げてくる恐れはある。大蛇の化身のような男は、和彦の人間関係に寛容な一方で、嫉妬深くもある。
どこかでさらに時間を潰して帰ろうかと悩んでいると、久しぶりに飲みますかと中嶋から提案され、まんまとそれに乗った。
隊員たちの雑魚寝用に準備してあるというラグマットの上に座り込み、すっかり和彦は寛いでいる。中嶋も、和彦を送っていくという話を忘れてしまったのか、ビールを呷っている。普段のこの部屋での過ごし方が推測できるが、冷蔵庫には見事にアルコール類と水しか入っていなかった。
「なあ、わざわざここに部屋まで借りる必要があったのか? 具体的に何を調べてるのかわからないが、拠点は他の地域でもいいだろ」
「――キリエ和泉ビルで、大立ち回りがあったそうですね。派手な柄シャツを着た男がビルの一室で大暴れして、マッサージ店をめちゃくちゃにしたと」
チーズがたっぷり絡んだペンネにフォークを刺していた和彦は動きをとめる。この出来事があった日は、総和会には予定を知らせていなかったはずだ。
「それは、健全なマッサージ店だったはずが、いつの間にか大人のマッサージ店になってたからで……。おっそろしいな。そんなことまで把握してるのか」
「これが仕事です。うちの隊……というより、おそらく長嶺会長の意向でしょうけど、しっかりとした情報網を構築しようとしているんです。どうやって、とは聞かないでくださいね。企業秘密です」
「怖いから聞かないけど。そこまで警戒するには理由があるということか」
「第一が動いているから、第二も動かざるをえないというところです。南郷さんと御堂さんは、互いの腹の内を読み合っているんですよ。隊の動きを監視し合って。先生がいない間に、第一は急速に隊としての勢力を取り戻しつつあるのも、警戒する理由ですかね」
酒の肴にするには、いささか物騒な話題ではないかと思っていると、側に置いてあるスマートフォンがメッセージの受信を知らせる。またですか、と中嶋が軽く笑う。さきほどから気になって仕方ないのだ。
「……これがあるから、自発的にスマホを持つ気にならなかったんだ。しゃべる感覚でメッセージを送られてくるのが目に見えていた」
「音消したらどうです。いっそのこと、スマホの電源を切るとか」
「電源を切るのはマズイ。問答無用でここに踏み込まれそうな予感がする」
中嶋がラグの上にひっくり返って爆笑している。アプリの設定を変更するのも面倒で、和彦はのそのそと立ち上がり、リビングダイニングのテーブルの上に置いておく。部屋に戻ると、中嶋はまだ笑っていた。
「大事にされていますね」
「ぼくは信用されてないからな……」
自然と苦い口調になる。ようやく笑い収めた中嶋が、体を起こしながらさらりと言った。
「そういえば先生、派手な柄シャツの男の大立ち回りのときに、クセと色気のある男と一緒にいたそうですね。誰ですか? 長嶺組の人間でないのはわかっているんですけど」
これは誰から探りを入れろと頼まれたのだろうかと、ちょっと意地の悪いことを考える。少なくとも長嶺組は情報を流してはいないようだ。
「ふふ。さすがに正体まではたどり着けなかったか」
「和泉家が先生につけた後見人的なものかなというのはわかります。一緒に和泉家所有のビルの中を見て回ってたんですから」
「……可愛くない」
「堅気ではない雰囲気だったというので、気になっているんです。個人的に」
九鬼の肌に艶やかに息づいていた牡丹の刺青を思い出す。次の瞬間、和彦は唐突に、『餌を撒きに』という九鬼の言葉の意味を理解していた。
和泉家が所有する不動産に出入りする和彦の存在によって、組織なのか、個人なのか、とにかく何かを釣り上げたかったのだ。現に、こうして中嶋が釣れた。つまり、第二遊撃隊および総和会が釣れたといえる。九鬼が本当に釣り上げたいのは何者なのか――。
「本当に怖いなー、君たちは。迂闊に出歩けない」
「誤解しないでもらいたいんですが、俺たちが網を張っていたところに、先生が引っかかったんです。決して、先生の動向を探っていたわけでは」
サラミを摘まみ上げて中嶋が口に放り込む。塩気が強かったのか、顔をしかめてビールを飲んだ。和彦はフランスパンに小さく切ったテリーヌをのせて齧っていると、開けた窓から風が吹き込んでくる。日が傾いてくるにつれ、風は少しずつひんやりとしてきたようだ。酔いで火照った頬には心地いい。
「――先生、さっき言ったクセと色気のある男と、寝たんですか?」
唐突に投げかけられた質問に、危うくパンを落としそうになる。反論する前にぐいっとワインを飲み干した。
「そういう相手じゃないからな。……さすがにぼくも、そこまで無節操じゃな、い……と思う」
「断言しないんですか」
「……君、やっぱり性格が悪いじゃないか」
「だからそう言ってるでしょう」
意味ありげに中嶋が含み笑いを洩らし、つられて和彦もふふっと笑い声を洩らしていた。
「こういう話は君としかできない。しばらく会えなかったから、そのことをすっかり忘れてたよ」
「いいんですか、そんなこと言って。南郷さんか御堂さんに報告するかもしれませんよ」
「君がそんなに忠義心に溢れてるとは思わなかった。――ぼくについてくれるんだろ?」
敵わないなー、と洩らしてから、中嶋は紙ナプキンで丁寧に指先を拭う。そして、すぐ側まで這い寄ってきた。
「会えなくて寂しかったですよ、先生。もしかすると二度と会えないかもと、覚悟してました」
「意外だな。そこまで君に想われていたなんて……」
冗談めかして応じた和彦だが、じわりと体温が上昇して、鼓動が跳ねた。この感覚は久しぶりだった。淫奔で快楽に弱い自分の本質を思い出す。
ゆっくりと中嶋の顔が近づいてくる。互いの意思を探り合うように見つめ合ったまま、唇が重なった。抵抗も違和感もなく、自分の中で中嶋という男の存在が変わっていないことに、奇妙な感動があった。
和彦が窓をちらりと見遣ると、察した中嶋が一旦体を離してすぐに窓を閉めてくれる。
「先生、〈どっち〉の気分ですか?」
Tシャツを脱ぎ捨てながら中嶋に問われる。和彦もワイシャツのボタンを外しながら答えた。
「……どちらも味わってみたいな」
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