血と束縛と

北川とも

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第48話

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「雲行きが怪しいというのは、不文律というものを解しないしない人間……組織もですね。そういう連中の気配をちらほら感じるようになったということです」
 少々回りくどい言い方だなと和彦が眉をひそめると、中嶋はくすりと笑った。ここでまた、背に落ち着かないものを感じる。
「ある田舎者が、意気揚々と乗り込んでこようとしているみたいです。いくつかの物件を名義を変えて押さえてから、名のある組同士が牽制し合って空白地帯となっているところを一気に押さえて、一旗揚げようとか、のぼせたことを考えているんじゃないか――、あっ、これ、南郷さんの言葉です。実現できなくても、存在感を示すことはできる。悪名だとしても」
 ふいにベランダの隔て板の向こうから、子供二人の甲高い声が上がる。それを窘める柔らかな女性の声も加わったところで、中嶋がぽつりと呟いた。
「おや、幼稚園から戻ってきたのかな」
 聞くつもりはないのだが、拙い口調で今日は何をして遊んだか懸命に話すため、どうしても耳を傾けてしまう。千尋の子である稜人も、あんなふうに話すのだろうかとつい考える。同時に、隣人がごく普通の家族ということで、中嶋はどんな顔をしてこの部屋に滞在しているのかと急に心配になる。
「……君の素性、怪しまれたりしてないか?」
「婚約者とそのうち一緒に住む予定だと言ってます。隊の人間も出入りしますが、それについては、仕事を独立する準備のためだとか、もっともらしいことを言ってます」
 面倒なことになったら別の部屋に引っ越すだけだと、軽い調子で中嶋が言う。
 和彦は、じっと地上を見下ろしながら問うた。
「で、乗り込んでこようとしている田舎者というのは誰なんだ」
「――伊勢崎組です」
 さほど驚きはなかった。伊勢崎組がこちらで新しい商売を始めたがっていることは聞いており、中嶋の話を聞きながら察してはいた。ただ、だからこそ気になることがある。
「この街で動いていることと、そこにキリエ和泉ビルがあることは、偶然なのか?」
「んなわけないですよね」
 カラカラと笑う中嶋をじろりと睨んでから、和彦はため息をつく。
「賃貸物件に入るだけなら、そう難しいことじゃないんですよ。しかしそれでは、望む活動はしにくい。そこに、長嶺組とも総和会とも深くつき合いがあるどころか、双方から大事に庇護されている先生が、何やらビル持ちになるらしいという話が耳に入ったら。そこを拠点にしての関東圏進出というのは、悪くないんじゃないかと……」
「いや、そもそもどうして、ぼくがビルを譲り受けるかもしれないと知ってるんだ。そりゃ、関係者には報告したけど、つい最近のことだ。動きが早すぎるだろ」
「――……御堂さんは早くから、可能性があると見ていたようですよ。先生がいつかは、かなりの財産を受け継ぐことになると」
 和彦は目を見開き、中嶋を見つめる。肩先が触れるほど身を寄せてきた中嶋は、囁くような声で言った。
「先生、ヤクザの意地汚さと情報を嗅ぎつける能力を舐めちゃいけません。見た目はどれだけきれいでも、御堂さんもヤクザですよ」
「でも、そんな……」
「あの人は目的があったから、先生と伊勢崎組を結び付けようと考えていた。――面識がありますよね? 伊勢崎組の組長と」
 自分はどうやって、伊勢崎龍造と顔を合わせる流れとなったのかと、必死に思い返す。昨年の秋に、賢吾の名代として清道会の祝い事の場に出席したときのことだ。経緯としては不自然なものではなかったが、裏で誰がどう動いたかは、今となっては不明だ。賢吾が名代を立てなければ、また別の機会が設けられ、和彦は龍造と出会うことになったかもしれない。
 もしかすると自分と御堂が知り合い、親しくなったのも、計算ずくだったのだろうかとまで考えたところで、和彦はぞっとして身を震わせる。
「先生、中に戻りましょうか」
 促されて部屋に入った瞬間、和彦は中嶋に詰め寄る。
「君は誰の命令で動いているんだ?」
「ここでの仕事は当然、南郷さんからの指示を受けてのものです。伊勢崎組の組長と御堂さんの関係についても聞いています。そのうえで、御堂さんからも少しばかり情報をもらいました」
「……どうしてぼくに、教えてくれるんだ?」
「俺は先生の味方です」
「ぼくを利用したいと言われたほうが、まだ素直に信じられるんだが……」
「素直なのが先生の美徳ですよ」
 人を食ったような答えに、睨む気力も湧かない。
「前に御堂さんと二人で食事をしたときに、俺、言われたんです。自分と南郷、どちらかにつこうかなんて考えなくていい。つくなら、先生にしておけと」
「ぼく?」
「何か楽しいことがあるのかもしれませんね。先生の側にいると」
 どこまで本気かわからないことを言う中嶋を眺め、この世界の男たちは頭のネジがどうかしていると、いまさらなことを実感する。和彦は疲労感を覚えて、イスを引き寄せ腰掛けた。
 髪をぐしゃぐしゃと掻き乱してしまうのは、感情が波立っているからだ。自分の知らないところで、まだ相続したわけでもない財産を巡って謀略を巡らせている人間がいるかもしれないのだ。非常に不愉快ではあるのだが、伊勢崎組と聞いてどうしてもちらつく顔がある。
〈彼〉が関わっていなければいいのにと願ったところで、腰を屈めた中嶋に顔を覗き込まれた。
「先生、今日、クリニック近くのファミレスにいたときに、トラブルがあったんですよね」
「……よく、わからない。誰も、何があったのか教えてくれないんだ。なんなら君が教えてくれてもいいんだが」
「知りたいですか?」
「したり顔の君がちょっとムカつくけど、言いたいなら、聞いてやってもいい」
 何を言われるかと身構えながらの虚勢だが、中嶋はくすりと笑ってから、床に片膝をついてさらに目線を下げてきた。
 見上げてくる中嶋の両目が、愉悦を覚えているように爛々としている。和彦は咄嗟に立ち上がろうとして、しっかりと両手首を掴まれ阻まれた。
「――伊勢崎組長の息子が、先生のいたファミレスに向かおうとしていたようです」
 短く声を洩らしはしたものの、言葉が出てこなかった。
「地元を出て、こちらの大学に入学したんだそうですね。まじめに大学生生活を送っているということでしたが、その一方で、父親の部下たちを使って、先生の動向を探らせていた。クリニックに再開の動きがあり、先生に接触できると踏んで自ら乗り込んできた、というところでしょうかね」
「どうして、そんなに詳しいんだ……? 加藤くんと小野寺くんも、事情がわからないまま、指示されて動いたと言ってたのに」
 問いかけながら、薄々答えはわかっていた。ついさっき、中嶋自身が言ったのだ。
「御堂さんか……」
「伊勢崎組長の息子の動きは予測がつかないと、苦笑してましたよ。突飛もない行動に出る可能性があるからと、第一遊撃隊が尾行をつけていたそうです。そして、今日の騒動です。長嶺組の先生の護衛が止めていなかったら、どうなっていたか」
 大きく息を吐き出した和彦は、まずは中嶋に対してこう訂正した。
「『伊勢崎組長の息子』は彼の名前じゃない。――伊勢崎玲だ」

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