血と束縛と

北川とも

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第48話

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 小野寺の丁寧な運転で、車が街中を走る。和彦は瞬きも忘れ、外の景色を凝視していた。つい最近見た光景だと既視感に襲われたのは一瞬で、なんのことはない。ほんの一週間ほど前に同じ道路を通ったのだ。九鬼が運転する車で。
 駅前を走り抜けるとき、ちょうどキリエ和泉ビルも目に入る。今日はこのビルに用はないが、なんの目的もなくこの場所に来るはずもなく、和彦は用心深く周囲に視線を向け続ける。
 前回は離れた距離から見かけたショッピングモールの側を通り抜けて少し行くと、マンションが建ち並ぶ景色が広がる。ベランダでは洗濯物が風で揺れ、遊具の揃った公園では、遊んでいる母子の姿が何組か。のんびりとして平和な午後の光景だ。
 車は、数あるマンションの一棟の前に停まった。規模からしていわゆるファミリー層向けのマンションのようだ。
 小野寺が軽くあごをしゃくると、加藤が黙って車を降りる。和彦も、買ったばかりの服が入った袋を抱えて車を降りた。小野寺にそうするよう言われたのだ。
 加藤にとっては初めて訪れた場所ではないらしく、迷いのない足取りでエントランスに向かい、和彦も小走りであとをついていく。無防備についていっていいものかと考えなくもないが、一応組のほうには、中嶋と合流することは伝えてある。万が一にも和彦を拉致する目的だとしても、この場所ではないだろうと妙な確信があった。
 ちょうどエレベーターの扉が開き、ベビーカーを引いた女性が降りてくる。強面の加藤に一瞬ぎょっとしていたが、和彦には笑顔で会釈してくれたので、ソツなく挨拶を返しておいた。
 六階でエレベーターを降りると、誰もいない共用通路を黙々と歩く。この高さだと、来るときに見た公園がよく見下ろせる。公園の隣には小さいながらグラウンドもあり、危なっかしい足取りでサッカーボールを追いかける小さな子供たちがいる。可愛らしい姿に目を細めていると、いつの間にか立ち止まっていたらしい加藤とぶつかった。
「――南郷さんが言ってました」
 謝まると、そう加藤が切り出す。
「へっ?」
「佐伯先生の前を歩くときは気をつけろと。よそ見してぶつかってくることがあるから」
「……そんなことを……」
「守られる立場にいる人は、それぐらいでいいと思います」
 フォローらしいことを言ってから、加藤がインターホンを押す。すぐにドアが開き、中嶋が姿を見せた。
「ご苦労だったな。今日はもういいぞ。俺が先生を連れて帰ると、長嶺組に連絡を入れておいた」
「わかりました」
 それだけのやり取りのあと、一礼して加藤は足早に立ち去る。その後ろ姿を見送ってから、和彦は中嶋に向き直る。同じタイミングで口を開いていた。
「久しぶり」
「久しぶりですね」
 苦笑を交わし合ってから中嶋に部屋の中に招き入れられた。
 4LDKの空間は、どの部屋も見事に生活感がない。まるで引っ越してきたばかりのように、数個の段ボールがリビングダイニングの隅に置かれ、あとは適当に買い揃えたような家具が一通り。ここはまだマシなほうで、ドアが開いたままの部屋を覗くと、空っぽだった。
 ベランダに面した部屋に通されたが、本来は二部屋なのを、仕切りドアを外して一部屋として使っているようだ。片隅にベッドが置いてあり、大きなテーブルとイスが何脚か。テーブルの上にはノートパソコンなどの機材一式が接続された状態で並んでいる。壁際には無造作にホワイトボードが立てかけられており、そこには地図の他に、細かい字が印刷された書類や、建物などの写真が貼り付けられていた。
「なんなんだ、この部屋……」
 さきほど外で見かけた微笑ましい光景とは一変して、何かうすら寒いものを感じて和彦は眉をひそめる。
「――前線基地っぽくないですか?」
 物騒な単語に息を詰める。和彦はじわじわと警戒を強め、改めて中嶋を見つめる。ハンサムなのは相変わらずだが、しばらく会わない間に少しだけ近寄りがたさを増した気がする。今はもう、中嶋が元ホストだと言ってもほとんどの人間は信じないだろう。
「前線基地って、どういうことだ?」
「この街がどういうところなのか、先生は知ってますよね。なんといっても、でかいビルを所有することになるんですから」
 千尋から聞かされたとおりに話すと、中嶋はニヤリとして口元に指を当てた。
「もしかすると千尋さんは、あえて情報のアップデートをさせてもらってないのかもしれませんね。先生の側にいる方ですから」
「……大きい組同士が話し合って、荒れてた状況が収まったというのは、うそなのか?」
「うそじゃないです。もっとも俺は、南郷さんたちに教えてもらうまで、この街がかつてどういう状況だったかすら知らなかったので、偉そうに語れる立場でもないんですけど」
 中嶋に誘われて、二人でベランダに出る。穏やかな風に髪を撫でられながら地上に視線を向けると、行き交う人たちの姿が見える。
「この街――桐栄きりえ区について、俺たちの業界では不文律があるらしいです。昔の、人死にが出るほどのゴタゴタで得た教訓らしいですけど、組事務所は置かない、というものです。それに組を後ろ盾にした商行為も厳しい目を向けられると。せいぜいが、自分の愛人に店を持たせる形にするとか、そういう抜け道を使ってなんとか。総和会といえど、この不文律は守っています。数代前の会長が手ひどい目に遭ったから、とは言われています」
「それで上手くやっていけるものなんだな……」
「同じ業界の人間がルール破りで得をするとなったら、おもしろくないですからね。その意識が、監視として働いていたようです」
「……働いていた?」
「現状、雲行きが怪しくなっているんじゃないかと、鼻の利く人が言っていまして」
 和彦は振り返り、部屋のホワイトボードを見遣る。
「もしかして、あれ――」
「地元の不動産屋にちょっと手を借りて、調べているところです。昔からある不動産屋だと、当時のひどい光景を覚えているらしくて、意外に情報提供に関しては協力的ですよ。こういうとき、ホスト経験って役に立ちますね。愛想だけは売るほどあるので」
 中嶋が、秦の部屋を出た理由はこれかと納得する。


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