血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
1,263 / 1,268
第48話

(21)

しおりを挟む





 ここ数日の和彦は、真っ当な経営者らしい理由で多忙だった。
 新しく雇い入れたスタッフの研修をクリニックで行い、平行して、継続して勤務することになっているスタッフと、個別の面談も行った。長期となった休業の理由を改めて自分の口から説明して、不安を与えたことを詫びたのだ。このとき、体調不良による休業としていたため、スタッフたちから反対に気遣われて、非常に心苦しかった。
 五月の連休明けにクリニック再開となり、それを知らせる案内状はあらかじめ組が手配してくれていたため、和彦とスタッフたちで封筒に詰めて発送した。あとは、クリニック内の掲示物の準備に、受付カウンターや待合室にささやかな小物を置いたりと、レイアウトに時間を取る。
 作業を終えてから、せっかくスタッフ全員が集まったのだからと、クリニックを閉めてから近くのファミリーレストランに移動した。中途半端な時間のため、食事会というよりお茶会だ。
 新旧のスタッフがとりあえず馴染んでいる様子を眺め、そういえばと、和彦は思い出す。昨年の十二月には忘年会を兼ねた食事会を催したのだが、あのときは、まさか年明けからクリニックを数か月も閉めることになるとは想像もしなかった。
 本当にいろいろあったと、うっかり遠い目をしそうになったが、注文していたものが次々と運ばれてきて我に返る。小腹が空いていたため、和彦はアイスコーヒーの他にピザを頼んだ。
 和彦はピザを口に運びつつ、店の外の通りに目を向ける。陽気がいい――というよりよすぎることもあり、すでに半袖や、上着を脱いで歩く人がちらほらいる。
 結局今年はゆっくりと花見はできなかったが、惜しいとは感じなかった。散ってしまったものは仕方ない。また来年咲くものだ。
 そろそろお開きかという雰囲気が漂い始めた頃、ジャケットのポケットの中で短くスマートフォンが震えた。テーブルの下でチェックしてみると、外で待機してもらっている護衛の組員からだ。文面を読んで、軽く眉をひそめた。
 支払いがあるため、スタッフたちを先に送り出したあと、和彦は再びイスに腰掛ける。少しだけ早くなった鼓動を落ち着ける必要があった。数分ほど待って、スタッフたちが通りを歩いていくのを確認してから会計を終えると、和彦は来たときとは別の出入り口を使う。駐車場の隅を横切って、裏通りに出た。
 一体何事なのかと、とりあえず歩き出しながらスマートフォンを取り出す。組員から送られてきたメッセージは、表の通りで軽いトラブルがあって対処しているため、和彦だけ裏通りを移動してほしいというものだ。
 この場合、〈軽いトラブル〉とは、和彦を不安にさせないための方便だと考えたほうがいい。気にはなるが、引き返したところで足を引っ張るだけだ。よほど慌てていたのか、メッセージの指示は曖昧だ。どちらに向かって移動すればいいのかと戸惑いつつ、きょろきょろと辺りを見回してから、とりあえずファミリーレストランから離れることを優先する。
 タクシーが通りかかるのを待つより、駅まで行ってから帰宅方法を決めるほうがいい。そう考えながら速足で歩いていると、ふいに傍らで短くクラクションが鳴らされた。危うく飛び上がりそうになる。
 いつの間にか黒の軽ワゴン車に並走されていた。ハンドルを握っているのは加藤だ。ウインドーが下ろされ、短く告げられる。
「――先生、乗ってください」
 躊躇する間も惜しく、和彦は素早く後部座席に乗り込む。このとき、助手席の小野寺の存在に気づく。
 すぐに加藤は車を出したが、なかなか運転が荒い。車中に漂う緊張感に怯みそうになりながら、和彦は口を開く。
「何があったんだ?」
「ちょっと面倒な人物が、あのファミレスに近づこうとしていたそうです」
「面倒な人物って……」
「俺たちも詳しくは聞いてないんです。たぶん先生にとって、面倒な人物ということじゃないかと。それで、長嶺組の組員さんたちが引き止めている間に、先生を連れて行ってくれと頼まれました」
 誰のことだと、和彦は眉をひそめる。長嶺組の組員が、護衛任務をこの二人に引き継いでまで和彦との接触を避けた人物となると、すぐには思い当たらない。
「……じゃあ、マンションか、長嶺の本宅に戻らないといけないということか……」
 スタッフたちと別れたあとは買い物に行くつもりだったが、それどころではなくなった。落胆が声に出ていたのか、小野寺が振り返った。今日は耳朶でリングピアスが揺れている。
「先生、このあと何か予定が?」
「買い物に行く予定だった。だけど――」
「行きましょう。つき合いますよ」
 大丈夫なのかと怪訝な顔をする和彦に対して、小野寺が頷く。
「――……先生の自宅の周りに怪しい奴がいないか調べるらしいので、外で時間を潰してきてほしいそうです。俺たちで不安なら、ここから一番近い長嶺組の事務所に向かいますけど」
 クリニックの近辺に〈面倒な人物〉が現れたということは、当然自宅も警戒せざるをえない。一体どこの命知らずなのかと思いつつ、和彦は申し出に甘えることにした。

しおりを挟む
感想 80

あなたにおすすめの小説

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

処理中です...