血と束縛と

北川とも

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第48話

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 散歩するために車は帰したという守光と共に、緑の回廊をゆっくりと歩く。意外なことに、南郷はついてきていない。二人きりだ。
 自分の足で歩いてみたいとは思ったが、望みが叶うのが早すぎる。和彦は、自分の歩調が速くなりすぎないよう気をつかいながら、緑の回廊をじっくりと見渡す。広い敷地にこれだけの樹木があって、鳥がいないはずがなかった。鳴き声や羽ばたく音を耳にして、反射的に目を凝らす。おかげで、隣に守光がいながら、あっという間に緊張もほぐれてしまった。
「これだけの木を揃えるのは、大変だったのではないですか?」
「それが、そうでもなかった。元の所有者は、一区画ごとに木で目隠しをするようにしたかったのかもしれん。途中から手入れをする余裕もなくなったのか、わしが購入したときには、荒れてひどいものだった。それでもせっかく育った樹木は活かそうかと、こんな形になった。ただ、歩いていて楽しめるようにと、いくつか苗木は吟味して買い揃えたかな」
「……建物の窓から見下ろすばかりだったので、こんなに立派な公園みたいなところだったとは、気づきませんでした」
 別に責めるつもりはなかったのだが、そう取られても不思議ではない言い方となってしまう。守光は低く笑い声を洩らした。
「あんたが本部にいる間は、閉じ込めておきたいという下心もあった。が、一番の理由は、あんたを信用していなかった。総和会本部は、わしのための要塞だ。どこまで見せていいのか、もっと時間をかけて見定めるべきかと、考えていた」
 一瞬、胸が痛んだが、なんとか表情には出さずに済んだ。
「あんた自身のせいではない。あんたの父親が、佐伯俊哉だからだ。どこかで、あんたと千尋が出会ったのは、彼の手引きがあったのではないかと疑っていたんだ。賢吾が慎重なのは、わし譲りだろうな」
「今、こうしてぼくが出歩けているということは、何かが変わったんですか?」
「あんたがいない間に、久しぶりに彼と会って話したが、結局のところ、わしのことを一番よく理解してくれたのはこの男だけなのだと、つくづく実感できた。お互いの底を見透かし、嘲りながら、どうしようもなく同情し、労わる。そういう相手は、一人しかいない。おそらく、あんたの父親も」
『彼』と『男』と『父親』と、 佐伯俊哉という人間を表現するのに、守光は三つの使い分けをした。それが、守光が俊哉に抱く感情の複雑さを物語っているようだ。
 総子から聞いた限りでは、俊哉はずいぶん便利に守光を使っていたようだ。打算があるにせよ、守光は俊哉のために働き、その後しばらくは接触を断っていた。俊哉の弱みを握っているはずなのに、守光ほどの男が便宜を図るよう働きかけもしなかったのだ。
「どうして……」
 無意識に声を洩らした和彦だが、自分でも何をどう尋ねればいいのかわかりかねた。困惑していると、守光は目元を和らげて頭上を見上げた。歩道にかかる屋根を軽やかな音が打つ。何事かと思えば雨が降り出したようだ。陽射しはさしているので、天気雨のようだ。
「――狐の嫁入りか」
 ぽつりと守光が洩らし、緑の回廊の脇の細い道に入る。こちらの道は屋根はついていないが石畳が敷かれており、泥で靴を汚す心配はない。どこまでも手入れが行き届いている場所だが、果たしてここを散歩コースとして利用できるのはどれだけの数の人間だろうかと、つい考えてしまう。
 多少の雨を浴びながら守光についていくと、驚いたことに東屋があった。これでは本当に公園だ。
 守光に勧められてイスに腰掛ける。正面には、雪が積もっているのかと錯覚するほど、枝先にたくさんの白く小さな花をつけた低木が並んでいた。鼻先を掠めるのは雨の匂いと、控えめな甘い香りだ。
「少なくとも一時は、わしと佐伯は共犯関係だった。代々受け継いだものを否応なく背負わされて、足掻いている二人だからこそ、佐伯はわしを頼ったし、わしは佐伯に使われた。官僚とはいえ当時は権力なんぞまったく持っていない若造のくせに、奴は居丈高だった。わしには、新鮮だったよ」
 俊哉から聞かされた守光との関係は、利害でのみ繋がっているドライなもので、友誼めいたものなどなかったように思えたが、守光の語り口からは、仄かな熱情のようなものを感じる。
「あなたと父は、本当にそれだけの関係だったのですか? 友人……というのは、父に否定されました」
 守光は、雨音に紛れるような密やかな笑い声を洩らした。
「……あんたにだから打ち明けよう。大昔、まだ組長だったわしの父親が、佐伯に目をつけた。政治に絡んだ旨みは好きだが、面倒事はとにかく嫌いな男で、後始末はわしの仕事だった。ある政治家から、佐伯の抱えた問題を処理してほしいと頼まれたとき、当然のようにわしが任された。それが佐伯とのつき合いの始まりだったことは、前にあんたに話したと思う。わしの父親は、佐伯の将来性を特別なものだと思ったようだ。極道らしい方法で、佐伯家そのものに接近しようとして、わしは、それは上手い方法ではないと説得したんだが、残念ながら聞き入れる度量のある男ではなかった。ただ、実行に移す前に、死んでしまったのは、幸いだったな。佐伯にとっても、わしにとっても」
『追い落とした』と俊哉には語っていたという、守光の父親の死だ。これが事実なら、守光は実の父親から、俊哉を守ったことになる。
 和彦がゆっくりと目を見開くと、守光は正面の白い花を見つめたまま薄く笑んだ。雨で冷えたのか、強い寒気がした。
「自分で自分に驚いたよ。家のため、組のためという理由以外で、わしが行動を起こせたことに。――ぬるい感情からではない。佐伯俊哉という人間に強い興味はあったが、もっと打算的なものだ。代替わりしたばかりの組は、荒波の只中に放り出された小舟そのものだ。保険が欲しかった。いざとなれば、わしの父親がやろうとしたように、佐伯の家を利用するつもりだった」
「でも……、しなかった。ですよね?」
「必要がなかった。わしは、父親よりも組織の運営に才があったようだ。自力で組を大きくしていく中で、下手に役人と関わりを持つほうが危険だったというのもある。そうしているうちに、また、佐伯から手を借りたいと相談された。……あのときは複雑な喜びがあった。わしを利用する価値があると、佐伯個人が判断したことにな」
「それで、よかったんですか?」
「それでいい。利害のみで繋がるほうが、後腐れなく関係を絶てる。死ぬ間際にでも、こんな出会いがあったと走馬灯として思い返せればいい。そう、思っていたんだがな。まさか、わしらの息子たちと縁が繋がるとはな」
 千尋と関係を持った男が和彦だと知ったとき、守光は何を思ったのだろうかと、白い花を揺らす雨を眺めながら想像を巡らせる。つい、というには生々しい発言が口を突いて出た。
「ぼくの父と……、体の関係があったのですね」

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