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第48話
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突然の提案に呆然としたあと、我に返った和彦はきっぱりと拒否する。前にも南郷から同じ提案をされたことを思い出した。
和彦の返事は予想通りだったのだろう。南郷は気を悪くした素振りを見せるどころか、むしろ満足げな表情を浮かべている。揶揄われていると感じて席を立とうとしたが、次の南郷の言葉で動きを止めた。
「俺とあんたは、敵同士ではなく、限りなく同志に近いと思っている」
「えっ……?」
「――長嶺組長の将来について話をしようか、先生」
ぎこちない動きで和彦は座り直していた。南郷は窓のほうに視線を向けると、何かを思い出しているのかふっと遠い目をした。
「去年の末の総和会の別荘での出来事については、俺はまったく謝る気はない。必要だから実行した。興味もあったしな。長嶺の男に愛されるあんたの体に」
「……謝らなくていいです。どうせ、一生許す気はないですから」
「それでこそ、特別な〈オンナ〉だ」
何も感じないわけではないのだ。服の下では肌が粟立っているし、じっとりと冷や汗もかいている。和彦は、たまらなく南郷が怖い。だが賢吾の話題を出されては、逃げ出すわけにはいかない。
南郷に負けたくないと強い対抗心を持つのは、目の前にいる男が賢吾に抱く特殊な感情に気づいているからだ。
「あんたが元刑事のもとへ逃げ出したのは、想定外だった。そして、がっかりもした。俺の見込み違いだったのかと」
「見込み違い?」
「あんたは自分の人生を、長嶺組長に賭けたんだと思っていた。――俺がそうであるように」
賭ける相手は守光ではないのかと、和彦は大きく目を見開く。その反応の意味を、南郷は正確に読み取っていた。
「俺にとってオヤジさんは、大恩ある人だ。肥溜めみたいな世界から掬い上げて、獣から人にしてくれたんだからな。あの人が成し遂げたいことがあるというなら、俺は喜んで命を差し出す。長嶺組長は、そんなオヤジさんの一人息子だ。俺は当然、何かあれば身を挺して守るつもりだったが……、自分は本当にそんなことで納得するのかと思い始めたんだ。納得というのは、そのまま満足して死ねるかということだ。こういうことを考えるようになったのも、オヤジさんが本を読めと勧めてくれたからだ。ものを知らなかった人間でも、紙に印刷された文字を読んだだけで、一端の知識は得られる。で、ついにある考えに至った」
南郷がちらりと一瞥をくれたのは、積み上げた段ボールだった。おそらくあの中に、持ち込んだ本が収まっているのだろう。
「……何を、考えたんですか」
「どうすれば、長嶺組長に成り代われるか。誰よりもオヤジさんに認められる存在になりたかったんだ」
ぎょっとした和彦に対して、南郷は一人で声を上げて笑う。
「バカだろう? ガキだったんだ、そのときは。頭でっかちのな。そんなことは不可能だと、長嶺賢吾という存在に相対した瞬間に理解した。モノが違うとはこういうことかと。長嶺守光の血を受け継ぐとはこういうことかと」
南郷の口調はいつの間にかわずかな熱を帯びていた。どこか誇らしげでもある表情を目にした和彦は、この男は長嶺の血に縛られることに焦がれているのかもしれないと、嫌悪とも憐憫ともつかない複雑な感情を抱く。
「――……もしかして、あなたが長嶺会長の隠し子だという噂は、あなた自身が流したんですか?」
「どうだろうな。そう思わせるよう振る舞ったかもしれないし、誰かが邪推して流したのかもしれない。特定したところで意味はない。利用できる噂話だから、表立って否定はしていないし、オヤジさんもそれを良しとしている。腹に何かしら抱えていると、下衆な期待をする奴もいる。本妻の子と妾腹の子が後継者の座を巡って争えば、おもしろいことになるかもしれない、とかな。俺と長嶺組長が反目し合っていると思わせるほうが、何かと動きやすい」
和彦は意識しないまま、小さく声を洩らしていた。
そんな二人の関係が、和彦の登場によって険悪さを増したと周囲は思っているだろう。賢吾がかつて南郷を殴った原因は、和彦だった。総和会と長嶺組の緊張感が高まったのも和彦によるところが大きく、そんな中で、南郷が和彦の後見人となったのだ。誰もが、賢吾の神経を逆撫でる決定だと感じたはずだ。
「ぼくとあなたは、組織どころか父子の仲を引き裂きかねない。それが、さっきの同志という言葉に繋がるんですか……?」
「長嶺組長と長嶺組の安寧は、総和会での絶対的な立場にいることで約束される――と、オヤジさんは考えている。あの人は、ずっとそうだった。総和会で誰を蹴落とし、誰かと誰かを共食いさせてじわじわと影響力を削ぎ落とし、そうしながら常に頭にあるのは、長嶺組と、長嶺の血を継ぐ男たちのことだ。だが、肝心の長嶺組長は総和会を忌避したがっていた」
歯がゆい、とはっきり南郷は言い切った。
「警戒心の強い蛇なんだと、いつだったかオヤジさんが、長嶺組長の気質を語っていたことがある。巣穴にこもった蛇を外に引っ張り出すのは容易じゃない。美味い餌でおびき出すか、燻し出すか――」
ここで南郷に向けられた視線に、和彦は顔をしかめて返す。露骨な当て擦りに、いまさらムキになって反論はしない。
「あんたはきちんと、戻ってきた。長嶺の男のもとにな。褒めてやりたい」
「……けっこうです」
「あんたが総和会に近い位置にいることは、長嶺組長にとって悪いことばかりじゃない。大義名分が立つんだ。あんたを人質に取られていては、総和会の意思決定には逆らえない、というな。我を通すだけではどうにもならないと、あの人ならわかっているだろう。長嶺組が総和会と袂を分かつなんてのは、現実的じゃないんだ。特に今のご時世は」
「そのこと、賢吾さんに念を押さないでくださいね。誰よりも、総和会との関係の重要性をわかっている人ですから」
いつの間にか、南郷に対する異常な恐れは消えていた。和彦が強い眼差しを向けると、南郷は軽く肩を竦めた。
和彦の返事は予想通りだったのだろう。南郷は気を悪くした素振りを見せるどころか、むしろ満足げな表情を浮かべている。揶揄われていると感じて席を立とうとしたが、次の南郷の言葉で動きを止めた。
「俺とあんたは、敵同士ではなく、限りなく同志に近いと思っている」
「えっ……?」
「――長嶺組長の将来について話をしようか、先生」
ぎこちない動きで和彦は座り直していた。南郷は窓のほうに視線を向けると、何かを思い出しているのかふっと遠い目をした。
「去年の末の総和会の別荘での出来事については、俺はまったく謝る気はない。必要だから実行した。興味もあったしな。長嶺の男に愛されるあんたの体に」
「……謝らなくていいです。どうせ、一生許す気はないですから」
「それでこそ、特別な〈オンナ〉だ」
何も感じないわけではないのだ。服の下では肌が粟立っているし、じっとりと冷や汗もかいている。和彦は、たまらなく南郷が怖い。だが賢吾の話題を出されては、逃げ出すわけにはいかない。
南郷に負けたくないと強い対抗心を持つのは、目の前にいる男が賢吾に抱く特殊な感情に気づいているからだ。
「あんたが元刑事のもとへ逃げ出したのは、想定外だった。そして、がっかりもした。俺の見込み違いだったのかと」
「見込み違い?」
「あんたは自分の人生を、長嶺組長に賭けたんだと思っていた。――俺がそうであるように」
賭ける相手は守光ではないのかと、和彦は大きく目を見開く。その反応の意味を、南郷は正確に読み取っていた。
「俺にとってオヤジさんは、大恩ある人だ。肥溜めみたいな世界から掬い上げて、獣から人にしてくれたんだからな。あの人が成し遂げたいことがあるというなら、俺は喜んで命を差し出す。長嶺組長は、そんなオヤジさんの一人息子だ。俺は当然、何かあれば身を挺して守るつもりだったが……、自分は本当にそんなことで納得するのかと思い始めたんだ。納得というのは、そのまま満足して死ねるかということだ。こういうことを考えるようになったのも、オヤジさんが本を読めと勧めてくれたからだ。ものを知らなかった人間でも、紙に印刷された文字を読んだだけで、一端の知識は得られる。で、ついにある考えに至った」
南郷がちらりと一瞥をくれたのは、積み上げた段ボールだった。おそらくあの中に、持ち込んだ本が収まっているのだろう。
「……何を、考えたんですか」
「どうすれば、長嶺組長に成り代われるか。誰よりもオヤジさんに認められる存在になりたかったんだ」
ぎょっとした和彦に対して、南郷は一人で声を上げて笑う。
「バカだろう? ガキだったんだ、そのときは。頭でっかちのな。そんなことは不可能だと、長嶺賢吾という存在に相対した瞬間に理解した。モノが違うとはこういうことかと。長嶺守光の血を受け継ぐとはこういうことかと」
南郷の口調はいつの間にかわずかな熱を帯びていた。どこか誇らしげでもある表情を目にした和彦は、この男は長嶺の血に縛られることに焦がれているのかもしれないと、嫌悪とも憐憫ともつかない複雑な感情を抱く。
「――……もしかして、あなたが長嶺会長の隠し子だという噂は、あなた自身が流したんですか?」
「どうだろうな。そう思わせるよう振る舞ったかもしれないし、誰かが邪推して流したのかもしれない。特定したところで意味はない。利用できる噂話だから、表立って否定はしていないし、オヤジさんもそれを良しとしている。腹に何かしら抱えていると、下衆な期待をする奴もいる。本妻の子と妾腹の子が後継者の座を巡って争えば、おもしろいことになるかもしれない、とかな。俺と長嶺組長が反目し合っていると思わせるほうが、何かと動きやすい」
和彦は意識しないまま、小さく声を洩らしていた。
そんな二人の関係が、和彦の登場によって険悪さを増したと周囲は思っているだろう。賢吾がかつて南郷を殴った原因は、和彦だった。総和会と長嶺組の緊張感が高まったのも和彦によるところが大きく、そんな中で、南郷が和彦の後見人となったのだ。誰もが、賢吾の神経を逆撫でる決定だと感じたはずだ。
「ぼくとあなたは、組織どころか父子の仲を引き裂きかねない。それが、さっきの同志という言葉に繋がるんですか……?」
「長嶺組長と長嶺組の安寧は、総和会での絶対的な立場にいることで約束される――と、オヤジさんは考えている。あの人は、ずっとそうだった。総和会で誰を蹴落とし、誰かと誰かを共食いさせてじわじわと影響力を削ぎ落とし、そうしながら常に頭にあるのは、長嶺組と、長嶺の血を継ぐ男たちのことだ。だが、肝心の長嶺組長は総和会を忌避したがっていた」
歯がゆい、とはっきり南郷は言い切った。
「警戒心の強い蛇なんだと、いつだったかオヤジさんが、長嶺組長の気質を語っていたことがある。巣穴にこもった蛇を外に引っ張り出すのは容易じゃない。美味い餌でおびき出すか、燻し出すか――」
ここで南郷に向けられた視線に、和彦は顔をしかめて返す。露骨な当て擦りに、いまさらムキになって反論はしない。
「あんたはきちんと、戻ってきた。長嶺の男のもとにな。褒めてやりたい」
「……けっこうです」
「あんたが総和会に近い位置にいることは、長嶺組長にとって悪いことばかりじゃない。大義名分が立つんだ。あんたを人質に取られていては、総和会の意思決定には逆らえない、というな。我を通すだけではどうにもならないと、あの人ならわかっているだろう。長嶺組が総和会と袂を分かつなんてのは、現実的じゃないんだ。特に今のご時世は」
「そのこと、賢吾さんに念を押さないでくださいね。誰よりも、総和会との関係の重要性をわかっている人ですから」
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