血と束縛と

北川とも

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第48話

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 総和会本部の建物内については知り尽くしているとまではいかなくとも、各階に何があるかを大まかながら把握している和彦だが、建物外のこととなると、何も知らないに等しい。元はある企業が、税金対策に建てた研修施設だったというだけあって敷地はそれなりに広い。かつてはグラウンドなどもあったという話だが、守光の指示によって造園工事が行われたのだそうだ。
 守光の場合、自然派だとか緑を愛しているとか、そういう理由からではないだろう。長嶺の本宅の中庭を見ていても感じるが、〈整えて〉いることに満足を覚える性質なのかもしれない。
 和彦は少し首を傾けて、車の後部座席から空を見上げる。次いで、周囲に目を向ける。敷地内をゆっくりと車は進む。いつも車が停まる建物の裏口や駐車場ではなく、今日はさらに奥へと進んでいた。まさに、守光が造園工事を命じたというエリアだ。
 呼ばれたのをこれ幸いと、あれも聞きたい、これも聞きたいと勢い込んでやってきたものの、当の守光は、今は来客の対応をしているという。拍子抜けしたのだが、だから先に、和彦を案内したいところがあると言われて移動中だ。
 敷地には車が通る道以外に、屋根つきの歩道も通っている。念入りに植裁を行っているのか、樹木が頭上から覆い被さるように生い茂っており、緑の回廊を作り出している。ちょっと見惚れるほどの光景だが、見栄え云々ではなく、上空からの視線を警戒したのではないかと和彦は推察する。少し前ならヘリコプターでの空撮だっただろうが、今なら一般人でもドローンを簡単に入手できるのだ。
 建物の窓から見下ろしていたときは、広い敷地で手入れが追い付かないにしても、少々鬱蒼としすぎているのではないかと感じていたが、間近で見ていると途轍もない手間がかかっていると知る。
 ところどころ小綺麗なベンチも設置されているので、普段から立ち入りが禁止されている場所というわけでもないようだ。実際、こうして目にすると、和彦自身、自分の足で歩き回ってみたくなってくる。建物自体を檻と認識していたため、敷地内を散歩できる場所だと想像もしていなかったのだ。
 唐突に緑の回廊を抜ける。目の前に現れたのは一軒の建物だった。目的地はここだったらしく、車は正面玄関で停まる。降りるよう告げられたので、仕方なく指示に従う。車は走り去ったが、ここから本部の建物までなら歩いて戻るにしても苦になる距離ではない。
 数歩後ろに下がって、目の前の建物を観察する。正面は一見して隠れ家的なカフェの赴きがあり、玄関のガラスドアと瀟洒な飾り枠と柱がその印象を強める。木材を使った壁が美しく、緑の回廊を抜けた先にある建物としては違和感がない。ただ、カフェにしては建物自体は規模が大きく、そもそもここは総和会本部の敷地だ。
「ああ、ここが……」
 若い構成員たちが詰めることになるかもしれないとちらりと聞いたが、ここがそうだというなら納得できる広さだ。
 周囲に目を向けると、土が剥き出しとなっている部分がある。花壇か池でも造るのか、なんにしても手を加える途中であることは確かだ。さらに、先に通じる道は、今しがた通ってきた緑の回廊とは様子が違い、コンクリートを塗り固めただけのように素っ気なくのっぺりとしている。
「――元はレンガ敷きの道だったが、工事車両が出入りするのに不便でこうなった。今、舗装材を手配してもらっているから、少しの間、見た目が悪いのは我慢してくれ。先生」
 前触れもなく話しかけられ、和彦は飛び上がりそうなほど驚く。パッと振り返ると、いつの間にか玄関のドアが開いており、男が立っていた。厚みのある大柄な体を真っ白なワイシャツで包んだ南郷だ。
 存在を認識した途端、和彦は総毛立つ。自分とこの男との間に起こった出来事が、一瞬にして脳裏に蘇っていた。
 顔色をなくして立ち尽くす和彦にかまわず、南郷はさらに話しかけてくる。
「総括参謀なんて肩書きがつくなら、本部の一室にネズミみたいにいつまでも棲みついているなと、使っていた部屋を追い出されたんだ。ちょうど、テニスコートを潰して若い奴らのための寮のようなものでも造るかという話が出ていたから、俺は体のいい管理人みたいなものだな。そうでなかったら、こんなシャレた建物に住むことなんて、一生なかったはずだ」
「ここに、住んでいるんですか……?」
「オヤジさんが会長を引退するまでは、一応ここが、俺の家ということになる。わかりにくいなら、表札をかけておこうか?」
 決して懐かしさを覚えたわけではないが、皮肉っぽい物言いが南郷らしいと実感させられる。この男とまともに会話を交わすのはいつ以来かと、つい頭の中で数えていた。最後に顔を合わせたのは和泉家から戻ってきた日の駅構内だった。総和会の男たちに追われ、駆け出した先で鷹津に救われたのだ。そこからおよそ三か月経って、またこうして南郷と相対している。
「今日、あんたがここに来ると聞いていたから、お披露目しておこうと思ってな。――あんたとも無関係の場所ではないし」
 それはどういう意味かと和彦は眉をひそめる。南郷はスッと視線を逸らし、土が剥き出しとなっている一角に目を向けた。
「ここに頑丈な柵を立てて、犬を飼おうかという話が出ている。番犬のような男揃いの本部に、いまさら本物の犬を飼うのもどうだという話だが……、先生なら、この空き地をどう使う?」
「ぼくは、関係ないので」
 和彦の返答に、南郷は軽く肩を竦める。
「あんたの気が紛れるなら、なんでも作ってやろうと思ったんだがな。犬でも猫でも、鳥が飼えるような小屋でもいい。生き物は嫌だというなら、温室だって――」
「さっきから、何を言ってるんですか?」
 抑えようとしても刺々しい口調となってしまう。こういう反応は、むしろ南郷を喜ばせるだけだとわかっていながら。案の定南郷は、歯を剥き出すようにして笑った。
「中に入ってくれ。説明する。ついでに、渡したいものもある」
「いえ、ぼくはここで……」
「――忘れてるようだが、俺はあんたの後見人だ。総和会でのあんたの立場を守る代わりに、俺の指示にはしたがってもらう」
 数秒の沈黙が訪れ、互いを見つめ合う。南郷は、和彦の返事を待たずに玄関に引っ込みながらさらに続けた。
「オヤジさんの用が済むまでの、時間つぶしだと思ってくれればいい。せっかく戻ってきてくれたあんたに、無体は働かない」
 ここでいくら嫌だと言い張っても南郷は引かないだろうし、受け入れるしかない自分の立場もわかっている。何かあれば大声で助けを求めるしかないだろうと覚悟を決め、建物に足を踏み入れた。
 エントランスの正面には受付カウンターが設けられているが、誰もいない。左右に廊下が分かれており、南郷は左に進んだので和彦もスリッパに履き替えてついていく。
 新築の建物特有の匂いに軽く鼻を鳴らし、歩きながら天井を見上げる。壁だけでなく天井も真っ白だ。二階までの吹き抜けとなっており、高い位置にある窓から差し込む陽射しによって、白さが際立ち目が眩む。ここは白い回廊だなと、愚にもつかないことを考えてしまう。
「うわっ」
 立ち止まった南郷の背にぶつかってよろめく。
「ここから先が、俺個人が自由に使えるスペースだ。さっきの廊下を右に行ったら、若い連中の居住スペースになってる。個室がいくつか。今はプライバシー重視で、一つの部屋でまとめて雑魚寝生活というのは嫌われるらしい」
「……若い連中というのは、第二遊撃隊の人たちですか?」
「総和会の資金が注ぎ込まれている手前、そういう露骨な贔屓もできない。いろいろ、だ。俺を慕っている者も、反感を抱いている者もいるだろう。もしかして、俺の動向を探る目的の奴も入り込んでいるかもな」
 第一遊撃隊の人間も入居していると、思わせぶりな口調で南郷は付け加えた。
「隊や組を超えた交流が必要だ。縄張り意識だけ強くなった頭の固い人間は、この先の組織運営には障害となる――とオヤジさんの言葉だが、俺も同感だ」
 ドアを開けた南郷に促され、おずおずと部屋に足を踏み入れる。広々としたリビングダイニングには、まるでモデルルームのように趣味のいい家具が一通り揃っている。キッチンも見えるが、使っている形跡はない。
「メシは、本部の食堂で食ったほうが手間がかからなくていい。ここには、寝に通ってるようなもんだ」
 南郷が階段にちらりと視線を向ける。二階に寝室があるとわかって和彦は本能的に体を強張らせたが、気づいているのかいないのか、南郷はリビングダイニングを通り抜け、さらに奥に続くドアを開けた。白い回廊とは対照的な、薄暗く狭い廊下が伸びている。
 南郷に招き入れられたのは、廊下以上に暗い部屋だった。まだ片付いていないのか段ボールが部屋の隅に積み上げられているが、和彦が興味を惹かれたのは、壁際の大きな書棚だった。傍らには書斎デスクがあり、その上にはパソコンやプリンター一式が鎮座している。一人掛けのソファにオットマン。配線の済んでいないオーディオセットと確認していくにつれ、南郷という男の素の部分を少しだけ覗き見た気がした。
 カーテンを勢いよく開けた途端、室内が陽光で満たされる。大きな窓の向こうには、さきほど外で観た土が剥き出しとなったスペースがあり、確かにこのままでは殺風景だ。南郷の計画としては、ソファに腰掛けて音楽を聴きながら本を読み、ときおり外の景色を楽しみたいといったところなのだろう。
「ここに座ってくれ。先生」
 南郷がエグゼクティブチェアをソファの近くに移動させてくる。恭しく手で示され、いまさら部屋を出るわけにもいかず和彦は従う。南郷もソファに腰掛けると、さっそく本題に入った。
「わざわざ、あんたにここに来てもらって、簡単だが建物を案内したのには理由がある」
「……なんですか」
「先生、ここで俺と暮らさないか?」

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