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第47話
(16)
しおりを挟むとにかく今日は疲れたと、入浴後によろよろと客間に戻った和彦は、早々に布団を敷いて横になる。
予定では、帰宅した賢吾を捕まえて、九鬼の件について問い詰めるつもりだった。だが当の賢吾が遠出で、今夜はホテル泊なのだという。肩透かしもいいところだが、そもそも九鬼と連絡を取ったきっかけを思い出し、複雑な心境となる。
今日、自分をつけていたのは誰なのか――。
和彦はもう、自分の勘違いだとするのはやめていた。確実に、誰かが目的を持って和彦を見ていたのだ。
神経がピリピリとして落ち着かない。安定剤が欲しいところだが、あいにく一錠も残っていない。組員に頼めば早々に手配してくれるだろうが、それは最終手段だと思っている。
和彦は枕元に置いていたスマートフォンを取り上げる。早く慣れるために、なるべく触るようにしていた。二度手間だと思いつつも、手帳に書き込んでいるスケジュールを、スマートフォンにも打ち込むようにしたし、電話帳にも知人の情報をせっせと追加している。もちろん、九鬼の情報も。賢吾に何もかも把握されているのなら、いまさら隠す必要もないだろう。
いろいろとアプリを勧められて入れてはみたのだが、今のところ、ラジオが聴けるアプリぐらいしかまともに活用していない。耳を傾けていると、ログハウスでの生活に引き戻される感覚があり、心地いいのだ。
部屋の電気を消し、女性パーソナリティの柔らかな語りを聴いているうちに、眠気がやってくる。
スマートフォンだとバッテリーの残量が気になるので、気が向いたら小型のラジオを買おうかと、意識の片隅でぼんやりと考えていた。
ふっと音声が止まる。そして、傍らでごそごそと何かが蠢く。和彦が寝ている布団の中に一気にひんやりとした空気が流れ込んできたかと思うと、次の瞬間には体の片側がほんのりと温かくなった。
「寒っ……。エアコンつけて寝たらいいのに」
すぐ耳元で千尋の声がする。
「……お前、きちんと風呂で温まらなかったんだろ。寒いのは、そのせいだ」
「シャワーで済ませた。――少しでも早く和彦と話したかったからさ。というか、寝るの早いよ」
千尋のおかげで、眠気がどこかにいってしまった。和彦は軽くため息をつくと、身じろいで枕元のライトをつける。意外なことに、千尋は怖いほど真剣な顔をしていた。
「お前、何か怒ってるか?」
「怒ってるというより、ムカついてる」
「……ぼくが何か――」
「その危機感のなさっ」
千尋がキッとまなじりを吊り上げ、その迫力にさすがに和彦も息を呑む。同時に、千尋が言わんとしていることを察した。
「あー、昼間のことか」
「帰りの車で報告受けた俺の気持ち、わかる?」
「悪かったよ……」
「和彦は悪くないじゃん」
思わず苦笑いが出てしまう。長嶺の男は扱いが難しい。
少しは気が済んだのか、千尋は甘える犬っころのように和彦の肩先に額を擦りつけてきた。
「――せっかく和彦が戻ってきたのに、上手くいかないよなあ……」
「まあ、危害を加えられたわけでもないし。誰かが、興味半分で見物してただけなのかもな」
ちらりと見上げてきた千尋の眼差しが鋭い。
「和彦は知らなくて当然なんだけど、和彦がいない間、総和会と長嶺組は、本当にピリピリしてたんだ。その原因となった人に対して、他人が興味を持つのは仕方がないともいえる。でもさ、ようやく事態を丸く収めたのに、また長嶺組を刺激するようなまねを、少なくとも総和会がする可能性は低い。そう考えるのは、俺が現総和会会長の孫だからかな」
「……誰も、総和会からつけられた尾行だとは言ってないだろ」
「だったら和彦は、誰だと考えてる?」
まるで答えを誘導するかのような千尋の口ぶりに、和彦はハッとする。
「お前もしかして、鷹津が……とか考えてないだろうな?」
「違うの?」
質問に質問で返すなと言ってはみたものの、和彦は視線を逸らしていた。あまりに千尋が一心に見つめてくるせいだ。
「あの男じゃなかった」
「顔はよく見えなかったんだろ」
「わかる。――あの男なら、気配でわかる」
断言してから、しまったと思ったが、意外に千尋の反応は冷静だった。
「……嫉妬する。和彦にそこまで言わせるあいつに」
「お前のことだって、顔が見えなくても判別できる自信はあるけど」
返ってきたのは大きなため息だった。
「性質悪いよなー、和彦って」
「長嶺の男に言われたくないな」
さっさと自分の部屋に戻れと、千尋の体を布団から押し出そうとして、強く手首を掴まれる。そのまましっかりと抱き締められた。
見た目に凛々しさが増した千尋だが、こうして密着すると、体つきの変化もより実感できる。本当は犬っころなどと表現するのもはばかられる、成熟した獣になりつつある。
千尋に導かれて触れたものは、ふてぶてしい存在感を誇示していた。
「――ぼくを心配して、忍び込んできたんじゃないのか」
「危機感なく寝てる和彦の姿を見たら、ほっとしてこんなことに……」
「悪いけど、今日は疲れてるから、早く寝たいんだが」
「最後まではしないから」
どこまで本気なのか、そんなことを言いながらも千尋はしっかりスウェットパンツと下着を脱いでしまう。悪びれない態度に、和彦もこれ以上強くは言えない。
多忙な男たちのスケジュールと、和彦の体調のタイミングが合わず、実は本宅に滞在してまだ一度も、二人とは体を重ねていない。賢吾に対しては手や口を使っての行為には及んだが、千尋とはそれすらなかった。
息子は、父親ほど要領がよくなかったというべきか、父親よりよほど気遣いができていたというべきか――。
「……そういえば、お前も毎日がんばってるんだったな。跡目修行で忙しいうえに、父親になる準備もしてるみたいだし」
「どっちも、なるようになるの精神だけじゃ、どうにもならないからね。それに、和彦に格好悪いところ見せたくない」
「それはまあ、いまさらというか……」
ふいに千尋の顔が近づいてきたかと思うと、唇を塞がれる。いきなり口腔に差し込まれた舌を、和彦は甘やかすように吸ってやり、自らの舌を絡める。千尋の呼吸があっという間に乱れ、荒くなった。
トレーナーも脱ぎ捨てた千尋がのしかかってきて、熱い体を受け止める。久しぶりに千尋の背に両てのひらを這わせ、見えないながらも確かに存在を感じる刺青を撫で回す。それだけで千尋は心地よさそうに吐息を洩らした。
下着を剥ぎ取られた和彦は両足を自ら大きく開き、千尋の腰を迎え入れる。もどかしげに和彦の浴衣の帯を解きながら、千尋が高ぶった己の欲望を、下腹部に擦りつけてきた。
「んっ、千尋……」
浴衣の前を開かれて、荒々しく胸元をまさぐられる。すでに硬く凝っていた胸の突起を指で押し潰すように刺激され、和彦の胸元に小さな快感の波が広がっていく。
布団の中で抱き合い、絡み合っているうちに、いつの間にか和彦が千尋の上に覆い被さる格好となっていた。待ちかねていたように千尋に背を引き寄せられ、胸に顔を埋められる。子供のように胸の突起に吸い付く千尋の頭を撫でてから、和彦は自ら腰を動かし、勃ち上がった千尋の欲望を刺激してやる。
なんとなく千尋を甘やかしたい気分になっていた。
「――和彦」
名を呼ばれて再び唇を重ね、唾液を交わす濃厚な口づけに耽る。その間に、千尋の手に両足の中心をまさぐられ、興奮を兆し始めていた和彦自身を掴まれる。このままだと体が汚れるとか、汗だくになったらまた湯を浴びに行かなければならないとか、つい考えてしまうが、うねりのように押し寄せてきた情欲の前には些細なことだった。
和彦の変化を感じ取ったのか、千尋の目が爛々と輝く。
布団を押し退けられた途端、ひんやりとした空気に肌を撫でられる。抱き合っているうちに浴衣も完全に脱げてしまっていた。
「やっぱエアコンついてなくてよかった。暑くなってきた……」
千尋がぽつりと洩らした言葉に、和彦はうっすらと微笑む。
せがまれるまま、千尋が見ている前で足を大きく開き、自らの欲望を刺激してみせる。行為自体は興奮のため抵抗はなかったが、千尋の恍惚とした表情を目の当たりにすると、さすがに羞恥で身が燃えそうになる。
「千尋、もういいか――」
「ダメ。最後まで見たい」
「いままでも、見たことあるだろ……」
「和彦が戻ってきてからは、初めてだ」
言おうとしていた言葉は、口中で消えてしまう。結局、達する姿を千尋にじっくりと鑑賞されていた。
肌を汗ばませ、全身を震わせて喘ぐ和彦の姿は、千尋を楽しませるには十分だったらしい。高ぶった己の欲望を扱いた千尋が、達する寸前、素早く動いた。襲い掛かられるのかと身構えたときには、和彦の胸元に生温かな液体が飛び散る。
「あっ……」
千尋が獣のように舌なめずりして、和彦を見下ろしてくる。自分の精で和彦を汚せて、満足しきっている顔だった。このときゾクゾクするような感覚が、和彦の中を駆け抜ける。
長嶺の男から向けられる独占欲と執着は、甘い毒だ。じわじわと和彦のすべてを侵していき、毒自身に快感を覚えるようになる。忘れているつもりはなかったが、改めてそのことを思い知らされる。
「すっごい、感じてる顔してる。今の和彦……」
千尋が、胸元に散った自分の精を、和彦の肌に塗り込めるように指先を動かす。和彦は胸を大きく上下させた。
「あとで一緒に風呂入り直そうよ」
「……仕方ないな。このままだと風邪ひきそうだし」
やったー、と大げさに喜んだ千尋が、次の瞬間、雄の顔をして和彦の目を覗き込んできた。
「ねえ、九鬼って奴とさ、何話したの?」
なぜその名が出てくるのかと驚いたが、なんのことはない。さきほど和彦のスマートフォンを触った千尋は、わずかな間で履歴までチェックしたのだ。
本当に抜け目ないと、もはや感心するしかない。
「九鬼さんのこと、知ってるのか?」
「オヤジが挨拶に出向いたときに、ついて行った。あっ、俺は車で待機ね」
「……お前たち物騒な業界の人間なんだから、あまり堅気の人に迷惑かけるなよ」
「それはわかってるけど、九鬼って奴は同業者だ――とオヤジが言ってた」
和彦自身、それは感じていたので驚きはなかった。総子にしてもすべて承知のうえで雇っているのだろう。
重ねて千尋に問われて、和彦は視線を天井に向ける。
「オフィスに遊びに来てくれとか、そんな話だ」
「和彦をつけてた犯人じゃないんだ?」
「する必要がない。聞きたいことがあれば本人に聞けばいいし、と言われた」
ふいに千尋に唇を塞がれる。ここまでの会話で何に興奮したのか、すでにもう千尋の欲望は再びの高ぶりを見せていた。ふてぶてしいが、可愛くもあり、和彦は優しく掴んで扱いてやる。千尋が嬉しそうに笑った。
「ねえ、尾行してた奴がわかったら、どうしてやろうか? 和彦を怖がらせたんなら、やっぱちょっとは痛い目に遭わせたいよね」
「……そういう物騒なことは、ぼくの目の前にいる怖い男に任せる」
そう言ったほうが、長嶺の男は悦ぶ。
実際、和彦の手の中で、千尋の欲望は瞬く間に重量を増していた。
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